第18話 戦の前の――

 翌朝、屋敷の東にあるあかねやまいただき。大樹の根にいだかれた要石の前に三つの人影があった。武、六花、愛音の三人だ。


 六花は黒いグローブを両手にめ、愛音も白木の木刀を一本右手に持っている。二人共ハーフパンツに白いTシャツという軽装だ。武もジーンズに黒のTシャツといった軽装で、刀状態の冥月を右手にだらりと下げたまま、木の根に腰掛け大樹の枝を眺めていた。その枝の先には白い紙のおりづるが一つ、二股に分かれた枝に挟まれて固定されている。


「リカ姉。こっちに来ると思う?」


 武と同じ様に木の根に腰掛けていた愛音が問う。六花は数歩ほど大樹から離れて二人の方に振り向いた。余裕有りげに口元に笑みを浮かべているその強気な態度がこういう時には非常に心強い。


「分からん。可能性としてはそれなりに高いと思うが、そもそも今日現れるかどうかさえ分からないんだ。だからもっと肩の力を抜いて気楽にしてろ。ヤバイと思ったらすぐに逃げればいいんだからな」 

「「はーい」」


 愛音と声を揃えて返事をする。北に多くの戦力をいてはいるものの、東と南にも相応の手練てだれが配置されている。それに加えて夜の内に命がしゅほどこし、山道さんどうに従わない限り山を登れないようにした。結果、相手はどの要石を狙っても必ず警備の者とかち合うことになっている。


 武達も東の要石の最終防衛線として配置されているのだが、もしもの時には要石を捨てて逃げるよう命から言い渡されていた。今の状況では情報を持ち帰るのが最優先。命を懸ける必要は無い、との判断だ。


 しかし、気を楽にするというのはそう簡単な事ではない。幾度も修練しゅうれんは重ねてきたが、実戦はこれが初めてだ。緊張するなという方が難しい。


「ねえ、リカ姉。山道から外れるとどうなるの?」

「ん、ああ。微妙に空間の位相がずれた異界――もう一つの神木町に迷い込むんだとさ。一度迷い込んだら引き返さない限り迷わされたまま、だそうだ」

「じゃあ、引き返した場合は?」


 愛音も体から力を抜いて大樹にもたれかかり、木刀を地面に突き刺して会話に参加してきた。それでも緊張が切れた様子では無い。おそらく必死で体から力を抜こうとして逆に緊張しているのだろう。不安という物はそう簡単にぬぐえる物ではない。


「元の位置まで戻されるそうだ。だからもし相手がここを狙っていても、正面以外から来ようとしていたらここに辿り着くまで何日かかるかも分からん。例え正面から来たとしても、人間じゃ異族に敵う訳が無い。気楽な仕事だな」


 六花は大樹の根にいだかれた要石を飛び越え、その上の大きな枝に腰掛ける。いささか人間離れした身体能力だが、霊力を操る人間――その中でも体術を中心メインえる六花にとってこの程度の事は朝飯前だ。


 武達がこの位置の防衛を任されたのも、それを任せるに足る実力を持っていると判断されたためだ。それは戦闘能力のみならず、引き際を見誤らない判断力を加味かみしての評価である。ゆえに、最優先事項は生き残る事。次が情報を持ち帰る事で、相手の捕縛はその次でしかない。


 大樹の葉がそよめく。れる木漏こもに目を細める。冥月を太腿の上にせて武は両手を天に伸ばし大きなあくびをした。


「ねえ、武」

「ん?」


 愛音に声をかけられる。要石を挟んで座る愛音を見ると、片膝を抱えてこちらを見る愛音と視線が合った。


「なに? 愛音」

「あのさ、昨日の事なんだけど……」


 昨日。屋根の上で口にした台詞。そして衝動に任せて愛音を襲った事。それらを思い返すと共に、恥ずかしさで顔と耳が熱くなる。


「えっと、昨日の晩のこと?」

「うん。あたしのことを好きだって言ってくれたよね」

「う、うん。あれは、その……」


 言葉に詰まる。あの時の言葉はまぎれもなく本心だった。それでも言いよどむのは、武のいだく好きという気持ちがぶれているからだ。


「いいよ、武。無理しないで。武の『好き』はlove(ラブ)じゃなくてlike(ライク)って意味だよね」

「……それもちょっと違うかな。like(ライク)とlove(ラブ)が混ざってて上手く説明できないんだ。だけど、ただのlike(ライク)であんな事は言わないよ」


 恥ずかしい事を言っていると武は内心思ったが、その言葉をかけられた愛音の方が顔を赤くして照れていた。


「じゃあ、さ。約束、おぼえてる?」

「約束?」

「あたし達の、結婚の約束」

「……うん。おぼえてる」


 そう、おぼえている。この町が小さな山村でしかなかった頃、武は六花、愛音の二人と結婚式をげるという約束を交わした。何も不可能な事など無かった幼年期。三人でいることが楽しくて、いつまでも一緒にいる事を誓ったとある夜の話だ。


「あの約束があるから、あたしはリカ姉ならゆずってもいいって思ってる。だけど、クリスは別。クリスの事は嫌いじゃないけど、あたし達の武が取られちゃうのは嫌」

「オレも同じく。武だってオレ達が他の男に取られるのは嫌だろ?」

「それは、そう、だけど……」


 言葉に詰まり、俯いてしまう。六花や愛音が離れて行ってしまうのを想像して胸の奥がきしんだ。そんなのは嫌だと心が悲鳴を上げる。


 だが、武には真っ直ぐに好意を向けてくるクリスの事を邪険じゃけんにする事も出来ない。それが余計にクリスや六花達を傷付ける事になるとわかっていても、だ。六花達にいだいている好意。クリスにいだいている好意。それらは違う物ながらよく似ていて、簡単に切り捨てられるような物ではない。


「ごめん……」


 結局武の口から出たのはそんな情けない言葉だった。恐る恐る顔を上げる。そこで武の目に映ったのは、苦笑してこちらを見る愛音の顔だった。


「ああもう、そんなに可愛い――もとい、困った顔しないでよ。まるであたし達がいじめてるみたいじゃない」

「……愛音の本音はともかく、そこまで深く考え込むな。武、イエス・ノーで答えろ。オレの事は好きか?」

「イエス」

「愛音の事は好きか?」

「イエス」

「クリスの事は?」

「……イエス」

「オーケイ。大体予想通りだな」


 六花が枝の上から武の目の前に飛び降りる。難なく着地した六花はそっと武の頬に両手を添えて、武の唇に己のそれを重ね合わせた。


「……!?」

「り、りりりリカ姉!?」


 突然のキスに頭の中が真っ白になる。愛音の驚く声が遠くに聞こえる。茫然ぼうぜん自失じしつする武の唇を、六花は舌でこじ開けようとしてきた。思わず武は頭を引いて、木の幹に後頭部をしたたかにぶつける。


「り、リカ姉。どうして――?」

「どうして、か。分かり切った事を聞いてくるんだな、武。オレはお前が好きだ。だからキスした。それ以上の理由はいらんだろ」

「……そういうところは男以上に男らしいよね、リカ姉は」


 傍に駆け寄ってきた愛音が小さく呟く。六花は真っ直ぐに立って愛音の顔を見上げる。


「愛音。お前だって小さい頃はキスくらい何度もしてただろ。大体クリスに武を取られたくないなら、自分からアプローチしてしっかり繋ぎとめておくべきだ。違うか?」

「それは、そうだけど……」

「恥ずかしがるな。ここなら人目は無いんだ。大体キスの一つもできないようじゃ、クリスに武をさらっていかれるぞ」


 クリスの名前が出た事で宙をさ迷っていた愛音の視線が武に真っ直ぐ向けられる。照れているのかその頬に赤みが差してはいたが、それでも愛音にもう引く気は無いようで、武の前に六花と入れ替わるように立つ。そしてかがみ込んで武の頬に手を当てようとした、まさにその時だった。


 けたたましいベルの音が鳴り響く。音源は六花のポケットだ。


 六花が携帯を取り出したのと同時に、武と愛音は己の得物を手に取っていた。


「……はい。はい、はい……え!?」


 六花の顔が一瞬驚きに染まり、そして先程まで浮かべていた不敵な笑みが更に深くなった事に武と愛音が顔を見合わせる。


「分かりました。……はい。それでは――」


 六花が通話を切る。そして二人の方に口端を吊り上げながら向き直った。


「『あかいぬ』と『黒狐くろぎつね』が抜かれました、とさ」

「『色武しきぶ』を二人も!?」


 愛音が驚きの声を上げる。色を含んだ称号を与えられるのは長の私兵の中でも抜きん出た能力を持つモノだけだ。それを二人も退しりぞけた相手。武達では返り討ちになる可能性が高い。


「相手は一人。青い髪の女。その正体は――」


六花が二人から視線を切り山道の方に向きなおる。そこに立っていたのは長く青い髪をした、灰色の作業着を着た女。


「――『おに』――だ」


 六花の宣告と同時、とてつもない威圧感が女から放たれた。


 戦闘が、始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る