第15話 盗まれた秋



「これはまた見事じゃのう……」


 命が感嘆の声を上げる傍ら、武と樹は言葉を失っていた。色鮮やかな黄と赤の世界。車から降りて静山に足を踏み入れた三人を迎えたのは、圧倒的な存在感を持つ紅葉した木々だった。


 まず異常なのが、木々が余りにも生き生きとしている事。本来ならば葉の枯死という現象であるはずの紅葉だが、しかし葉の端々まで強い息吹いぶきが宿っている。


 次に葉の一つたりとも落ちていない山道。紅葉こそしているが落葉はしていない。まるで時の流れから外れたかの様に。


 そして三つ目。空気が違った。凪いだ大気に宿る熱が、初夏の昼にしては明らかに低い。しかしそれは肌寒いという程ではなくむしろ心地ここちすずやかなものだった。


 武はこれとよく似た景色を知っている。『春の間』。あの空間に在った桜の木々は花を満開に咲かせていたものの、花びらは全く舞い散る様子は無かった。あの『春の間』とこの光景が同じだとするなら、この山を覆う異界の名には『秋』こそが相応しい。


 魔境に魅入みいられ立ち尽くす二人を置いて命が数歩進み、その金の髪と緋袴をひるがえしながら振り返った。


 次の瞬間、突風が命を中心にして全方位に吹き荒れた。辺りにもみじやイチョウ、その他様々な紅葉した葉が舞い散る。その中央で緩やかに回りながら舞を行なう命の姿は余りにも幻想的で美しく、言葉で表現する事がはばかられる程に神々こうごうしかった。


「ふむ。間違いないようじゃの」


 数分後、周囲には紅と黄の絨毯じゅうたんが敷かれ、命は舞をめると同時に一人で何事か呟いていた。そして命は未だ心ここに在らずといった様子の二人に手招きをする。


「この異変の正体が分かった。要石のもとまで語りながら歩こう」


 命は再び山道を歩き出し、我に返った武達がその後に続く。山道を歩き始めると、すぐに葉の一枚すら落ちていない土肌があらわになった道になる。どうやら外力が加えられない限り葉が落ちる事はないらしい。


「これはな、『あき』が盗まれたのじゃ」

「『秋』を、盗む……?」


 不思議そうに問い返す樹。一方武は心当たりがあったため、一層注意深く命の説明に耳を傾けた。


佐保さほひめつつひめ龍田たつたひめ打田うつたひめ。結界の中心であり季節の合間という属性を持つあの屋敷には、春夏秋冬の女神達の息吹いぶきが異界という形で残されておる。武が入りびたっておるあの『春の間』もその一つじゃな」

「つまり、あの屋敷には『秋の間』みたいな物があって、その中身がこの山に持ってこられた、ということですか?」

「その通りじゃ。まあ通常の山に『秋』を運んだとしてもこれほどの変化は起きん。じゃが十年前に広げられた結界――神域の内側で、自然は神気を浴びて変質した。つまり、この町の自然は異界としての側面を持つようになったのじゃ」

「だからその側面が『秋』という異界に上書きされた時、この山は『秋』の世界に切り替わってしまった、と?」

「うむ。じゃが自然から独立してしまった人間達には何も影響は無い。人的被害の心配は要らんが……む?」


 先頭を歩いていた命が足を止める。その横に立って前の様子をうかがうと、その先には縦に長く大きな白い石と、それを根の間に抱いた巨木が存在していた。


「まずは儂が調べてこよう。二人ともここで待っておれ」


 命が一人要石へと歩み寄り、そっと手で触れる。すると白い石はほのかに燐光に包まれ、一分程発光し続けた後に再び沈黙した。


 そこで命は武達を手招く。傍に寄ってみても要石のなめらかな表面には傷一つ付いてはいなかった。


「今調べた限りでは結界にも要石にも異常は無い。調査を始めてもらえるかの」


 樹は幾つもの霊符を取り出し要石に貼り付けてはがし反応を見ている。一方武は冥月を影の中から取り出し、要石にその刃を当てていた。


「……終わった」

(こちらも終わりました)


 樹は霊符を片付けながらそう言い、それに続けて冥月が声を上げた。武は冥月を引いて鞘の無い冥月のみねを左手で支える。


「今分かる範囲だけですが、この要石には自然に近しい属性の強大な力がかけられていた痕跡があります。混じり気の無い澄んだ力ですね。おそらく、術者は一人だけだと思います」


 武は目を丸くした。樹の言葉通りなら、たった一人でこれだけの異変が起こされた事になる。そんなものは人間の領域を超えている。これを成した人間がどれ程の実力を備えているか、武にはさっぱり想像がつかなかった。


(要石から繋がる経路みちに僅かな歪みがありますね。かなり精度が高い術式です。要石の中から『秋』を引き出しこの場に定着させる、それだけの力を振るいながら極めて短時間で術を終わらせている。……あまり考えたくは有りませんが、相手は神霊を従えている可能性もあります)

「ふむ。厄介な事件じゃの。しかもそれだけの力を持ちながら『秋』を盗むだけとは、目的がさっぱり読めん」

「長。この要石はどこと経路みちで繋がっているんですか?」

「儂の屋敷じゃ。あの屋敷の異界から生み出されたこの要石は、屋敷と空間を越えて接続されておる。異界に手を加えるには足りんが、異界から属性を抜き出す事くらいは出来よう」


 凄腕の相手。しかも目的は不明。情報が断片過ぎて嫌な想像ばかりが頭に浮かぶ。


「『秋』を戻すことは出来ないの?」

「難しいな。要石の力の循環にしゅを混ぜてる。解くとするなら術者自身の手で解かせるか、もしくは二月ふたつきほど待って自然に術式がゆるむのを待つしかない」


 樹の分析に唖然あぜんとなる。樹は自他共に認める天才だ。それがお手上げとなると、今の武達がここで出来ることは無いに等しい。


「戻るぞ。北の要石に警備を付ける」

「……僕達はどうしましょう?」


 背を向けた命に問いかける。命は武の頭に手をやると、その髪をやや乱暴な手つきでかき回した。


「お主は保険じゃ。もしもの時にはよろしく頼むぞ」


 そう言って命は楽しそうな笑顔を武に向けてくる。それに見惚みとれた武の胸中で不意に心臓が跳ねた。


「武、どうした?」

「な、なんでもないです。さあ、帰りましょう」


 精一杯の笑顔を浮かべる。それがぎこちない物であるのは分かっていたが、それ以上今の自分に出来ることは無い。


 質問を拒絶するように二人に背を向けて、登ってきた山道に一歩踏み出す。うずく胸の誘惑に決して負けないように強く、強く。


 結局胸のうずきが収まったのは、屋敷の自室で一時間ほどうずくまった後だった。

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