第10話 対峙


 箱膳を片付けて居間へ入る武とクリス。座布団にすわり何をするでもなく二人でじっと待っていると、居間のふすまが開けられて大小二つの人影が入ってくる。


 小さい方は白いワンピースを着た六花だ。その幼貌ようぼうとミスマッチな大きく膨れた胸元から危うげな色香いろかうかがえる。


 もう一人はつやのある長く黒い髪をポニーテールにくくった、うぐいす色の着物を身にまとっている少女だった。その背丈は武と比べても頭一つ分は優に高い。ただ、栄養が背を伸ばすために全て使われたかのように、胸の成長はかなり残念だ。


「お帰り、愛音あいね

「うん。ただいま、武」


 背の高い着物少女――坂上さかがみ愛音あいねは軽快な声で返事をする。そして六花と愛音の視線が武の隣に座るクリスの方に向けられた。


「とりあえず座って。まずは何が起きたのかきちんと説明したいから」

「あいよ」

「はーい」


 武の言葉に、六花と愛音が武達の向かいにある座布団に座る。武が真面目な顔をしているせいか、相対する六花達の表情もやや硬くなる。


「とりあえずは紹介から。こっちはクリスティーナ。血液内科のエレンさんの娘さん」

「初めまして。クリスティーナ・槙原です。クリスとお呼び下さい」

「オレは坂上六花。好きに呼んでくれ」

「あたしは坂上愛音。あたしも好きに呼んでいいよ」

「はい。よろしくお願いします、六花さん、愛音さん」


 挨拶を交わす三人。しかし武にはそれがどこかぎこちないように見えた。武の経験上、六花と愛音はおそらくクリスの事を警戒していると思われる。六花は粗野な態度だがそのじつ思慮しりょぶかく、論理的に物事を考える事が出来るためそれほど心配する事は無い。だが愛音は違う。武にとって彼女は六花よりも理解が及びにくい、『女の子』という生き物なのだ。クリスの事を聞いて彼女がどのような態度を取るのか、武にはまるで想像がつかなかった。


「で、だ。武、オレらが師匠の所に行っている間に何があった?」


 六花、愛音のやや鋭くなった目が武の方を向く。武は深く息を吸い込み、覚悟を決めた。


「分かった。順を追って話すから、二人共きちんと最後まで聞いて欲しい」


 そして武は話し出す。交通事故でクリスが死にかけた事、その命を繋ぎ止めるために武が復元魔法を使った事、魔法の代償で死にかけていた武をクリスが契約コントラクトを結ぶ事で吸血鬼へと変えた事、それにともない武が不老の身と化した事、そして武とクリスが双方の親の合意の下で武と婚約関係になったことを。


 話を聞き終えた二人はうつむいてしまう。しばしの沈黙。それを破ったのは、ぽつりと零された愛音の一言だった。


「……武は、それでいいの?」

「どれの事?」


 武が聞き返した瞬間、愛音は顔を上げて武を睨みつける。だが武の目には、愛音が今にも泣き出しそうに見えた。


「勝手に婚約させられて、武はそれを受け入れるの!? あたし達はもう要らないの!?」


 激昂し、立ち上がろうとする愛音。それを隣に座っていた六花が腕を突き出して制する。


「落ち着け愛音。……で、武。お前はどうしたいんだ?」

「……まだ、決めてない。僕はリカ姉や愛音とずっと一緒にいるんだって思ってた。でもクリスと出会って、二人の事が家族として好きなのか、女の子として好きなのか分からなくなったんだ。だから、もう少しだけ時間が欲しい。僕の中にある気持ちを確かめるために」

「そうか……」


 その答えに六花は小さな笑みを浮かべ、武の顔に指を突きつけた。


「なら、オレも宣言してやる。オレ達は絶対にお前を逃がさない。お前の心に深く、深くオレ達の存在を刻み付けてやる。覚悟しとけよ」


 にやりと唇の端を吊り上げ笑みを浮かべる六花。その言葉に含まれた覇気からも、彼女がどれだけ本気なのか伝わってくる。そして六花は不敵な笑みを浮かべたままクリスに視線を移す。


「クリス、お前はどうだ? 誓約だろうがなんだろうが、そんなちんけな物でオレ達と武の間に割って入れると思うなよ」

「ご心配無く。誓約なんて関係なく、私は一人の女として武さんの隣に立って見せますから」

「ふ、ふふふふふ……」

「クスクスクス……」


 笑顔で応酬する二人。どちらもこれ以上無いくらいに綺麗な笑顔なのに、それを見る武の背筋には冷や汗が流れ続けている。見れば愛音も二人の様子に恐れをなして距離を取っていた。武も愛音の傍に行って二人に聞こえないよう小声で話しかける。


(愛音。リカ姉を止められる?)

(無理! 武こそクリスを止めてきてよ!)

(いや、僕があそこに首を突っ込むと余計にややこしくなるだけだと思う)

(……それもそうだね)


 愛音がため息をき、勇気をしぼって立ち上がろうとする。その直前に愛音と武の頭に優しく手が乗せられた。


「はいはい。二人とも落ち着いてー」


 気の抜けた声と共に、途方もない霊気が部屋の中に満ちた。不意を突かれ発せられた霊威に、四人は凍りついたように指一本動かせなくなる。


 武達を呑んだ霊威は十秒もしない内に雲散霧消うんさんむしょうし、武と愛音は体から力が抜け、張り合っていた六花とクリスもへたり込んでしまった。武は何とか体を後ろに向け、頭に手を乗せている人物を見る。くすんでしまった赤い髪と眠たげな赤い瞳、さらには生気がごっそりと削られ、すっかりやつれてしまった顔。だがその人物はまぎれもなく武達の義母はは、坂上優江だった。


「ただいまー。やー、久しぶりに我が家に帰ったからついのんびりし過ぎちゃった。説明が遅れてごめんね。今からクリスちゃんと武の婚約について話すから」


 全員が声を発する事すらできないのを他所よそに、優江はおっとりとした声で話し始める。


「まずはクリスちゃんが武の命を救うために使った契約。これは本来人間とつがいとなった吸血鬼が純血の吸血鬼を産むために、番の人間を吸血鬼に変えるという荒業あらわざなの。だけど、暗黙の了解として契約を交わした者同士は番になる、という事が慣習として行われてきたわ。エレンも自分の命を投げ打ってまでクリスちゃんを助けてくれた武への感謝も込めて、クリスちゃんの意志通りに婚約を申し入れてきたの。ただ吸血鬼には寿命が無いから、婚姻の儀はいつになっても構わないって言ってくれたわ。だから武がクリスちゃんの事を悪く思っていないなら、百年後のちでもいいからクリスちゃんをめとって欲しい。それがエレンの望みよ」


 そこで口を止めた優江はかがみこんで、目の前にいた武を抱きしめた。


「だけど私は、あなたには好きな道を選んで欲しい。それをはばむ物が有るなら、乗り越える手助けくらいはしてあげる。時間が必要ならいくらでも与えてあげる。ゆっくりと考えて、あなたの答えを聞かせてちょうだい」

「……うん」


 抱擁ほうようを解かれ、頷いた武に優江も満足そうな笑みを浮かべる。武が横にいた愛音の様子を見ると、愛音は六花と視線を合わせて小さく頷いていた。六花は再び立ち上がると、真剣な目で優江を見つめる。


「母さん。オレ達も母さんのように年を取らなくなれないか?」

「うーん……条件はかなり厳しいよ。それでもいい?」


 優江の問いに、今度は愛音が立ち上がる。


「いいよ。あたしも武やリカ姉と、ずっと一緒にいたいから」

「……うん。あなた達がそれを望むなら、私はその道を示してあげる。付いて来て」


 くるりと身をひるがえし、廊下に出て行こうとする優江。その後を追おうと武が立ち上がろうとした時だった。


「た、武さん……」


 振り返る武。見れば、たたみの上に倒れ、武の袖を引っ張っているクリスの姿があった。


「ごめんなさい。あの、さっきので腰が抜けちゃいました」


 恥ずかしげにその白い頬を淡く染めるクリス。武はその傍に行くとその身を起こし、背中にクリスを乗せて立ち上った。

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