第9話 目覚めの一幕



 闇の中、武はなにか柔かい物を抱きしめていた。


 その手触りは極上の絹のようで、抱きしめる腕に軽く力を入れるとしっかりとした弾力で腕が押し返される。さらに甘く良い香りが鼻腔をくすぐり、武の脳をゆっくりと溶かし始めた。


 さらに顔がひどく柔かい物に押し付けられる。朦朧もうろうとした意識の中で武は目蓋まぶたを開き、現状の確認を始めた。


 視界は白磁のような肌一色だった。顔は肉感溢れる二つの膨らみに挟まれている。武は自分の頭をいだかれて、女性の胸に顔をうずめているのだと認識し――慌てて女性を抱きしめていた両腕を離し、抱きしめられていた頭を引き抜いて布団から転がり出る。そして武は、今まで抱きしめていたものの正体を目の当たりにした。


 それは、一人の小柄な少女だ。その背中の中ほどまである長い髪を一房手に取ると、処女雪のように白い髪がさらさらと手の中を流れていく。白いのは何も髪だけではない。その華奢きゃしゃな手足も、顔も、二つの膨らみによって大きく押し上げられているネグリジェさえも白かった。


 その真っ白な少女が薄らと目を開き、そのぼんやりとした赤い瞳が武の姿を捉える。先天性白皮症――アルビノだ。もっとも、少女が抱えていた目などのアルビノ特有の問題は、かつて優江から渡された赤いあめを食べた時にすっかり解決しているため、日常生活に支障は無いが。


 その少女は薄らと眼を開けて、半身を起こそうと布団に腕をついた。その両腕に挟まれた女性の象徴たる二つの膨らみがその谷間を強調してくる。もう少しでネグリジェの大きく開いた首元からその膨らみの先端が目に入りそうになり、武は慌てて目を逸らした。


「お、おはよう、リカ姉」

「ん……っ」


 武の挨拶に少女は腕を頭の上で組み伸びをする。武よりやや低い程度の背とはアンバランスな胸がさらに強調された。余りに無防備な少女に嘆息する。やがて少女の頭もはっきりしてきたようで、その愛くるしい顔に笑みが浮かんだ。


「ん、おはよーさん。で、どうだった? 久方ぶりの愛しのお姉様との同衾どうきんは」


 そして可憐極まりない外見を見事に裏切った気風きっぷのいい言葉遣いをする少女。この人物こそ武の同い年の義姉、坂上さかがみ六花りっかだ。


「色々聞きたい事はあるけどさ。とりあえず、いつ帰ってきたの?」

「朝の二時。山を下りて電波の届くところまで行ったら、携帯に母さんからメールが来てた。『武に一大事が起きた』ってな。だが必死にタクシーつかまえてなんとか帰って来ると、当人は呑気のんきつらしてのんびり寝ていやがるときた。無事なお前を見て気が抜けた愛音あいねは気絶するように眠っちまうし。武、何が起きた? ここの隣に新しく出来た戸と何か関係あるのか?」

「隣はこの屋敷の新しい住人の部屋。何があったのかはまた後で。愛音にも一緒に聞いて欲しいんだ」

「……分かった。オレは愛音を起こしてくるから、朝餉あさげの後で関係者全員居間に集めとけ。後、オレらの朝餉の注文も頼む」

「了解」

「よし。また後でな!」


 武の背中を平手で叩いて六花は武の部屋から出て行く。ため息をいた武は西向きの窓から見える朝日に目を細めた。布団をたたみ、パジャマから青地の着物に着替えてからふすまを開けて廊下に出ると、板張りの床が東から差し込む朝日の光に照らされている。


(相変わらず節操が無いというかなんというか……)


 屋敷に住んでいるのも大概にして理不尽なモノばかりだが、この屋敷自体も色んな部分がいい加減だ。こちらが大人しくしている分には愛想良くしてくれるのだが、一度その解明に身を乗り出したならば百の理不尽に襲われる。『奥』に迷い込んで出られなくなるのが嫌なら、余計な詮索せんさくをしないのが一番だ。


 とりあえず厨房に向かい、手近にいた女中に二人が帰ってきたことを伝え、厨房奥にいたクリスへの伝言を頼む。それから十分もしない間にふすまが開き、顔を真っ赤にしたクリスが箱膳を二つ持って入ってくる。


「あああ、あのっ! よ、よろしくお願いします!」

「な、何を?」


 箱膳を床に置き、三つ指を突いて頭を下げるクリス。突然の展開に武は動揺を隠せなかった。


「何って、その……美月さんから、しっかりとぎをしてらっしゃいって……」

「あー…………。クリス、もしかして伽の意味を知らない?」

「し、知ってます! あの、男性と女性が、その……」


 顔を真っ赤にして俯いてしまう。その様子に苦笑してしまった。


「いや、確かにそういう意味もあるんだけど、伽をするっていうのは、話し相手をするとか看病をするとかそういう意味だから」


 伽をすると聞いてそういう事しか思いつかなかったらしい。クリスは顔を俯かせたままだが、耳まで真っ赤になっている。


 それからクリスを落ち着かせて、二人で御膳を向かい合わせに置いた。そこで武は顔を真剣なものに切り替えて話を切り出す。


「クリス。御膳を片付けたら、会わせたい人達がいるんだ」

「会わせたい人?」

義姉ねえさんと義妹いもうと。と言っても同い年なんだけどね。悪人じゃないけど、会う前に覚悟はしておいた方がいいかも。あの二人、昔本気で僕との重婚計画を立てていたぐらいだから」


 もっとも今では重婚が難しいという事を理解しているようで、二人共に内縁の妻となって結婚式を三人で挙げる方針で今は動いているそうだが。


「武さんはお二人の事をどう思っているんですか?」

「ずっと、いつまでも一緒にいる存在……だと思ってた」

「過去形、なんですね」

「僕はいつまでも三人で暮らしていくんだって思ってた。けど、一生懸命なクリスを見ているとね、僕がリカ姉や愛音に持っていた気持ちが恋愛感情の『好き』なのか、それとも家族としての『好き』なのか、分からなくなったんだ。だから、僕もここで自分の気持ちを確かめたい。僕の中に有る、『好き』っていう気持ちの形を」


 武の返事を聞いたクリスは淡い笑みを浮かべる。


「だったら覚悟をしていないといけないのは武さんの方ですよ。私、絶対に武さんから離れませんから」

「はは……お手柔らかにお願いします」


 自信を持って言い切ったクリスの顔に浮かぶのは笑顔。以前冥月に言われた言葉が頭をよぎる。確かにしっかりと自分の意志を固めていないと、簡単に流されていきそうだった。

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