第8話 二度目の行為

 それから半刻ほどした頃だったろうか。背後から伸ばされた二本の腕が武の胸の前で交差し、後ろから抱きしめられた。


「冥月……?」

「はい、主様」


 後ろの冥月に体重を預け、冥月はわずかに抱きしめる力を強める。それから二人は黙ったまま、お互いの温もりを感じ合った。


「あのさ……」


 ポツリと言葉を一つ漏らす武。冥月は無言のまま武を抱きしめ続ける。


「クリスを見ているときにさ、可愛いなとか綺麗だなとか思ったんだ。そうしたら体の奥が熱くなって……今冷静に考えられるようになってやっと分かった。僕は、クリスの血を飲みたくなったんだ」

「吸血衝動、ですか?」

「たぶん。でもそれで終わりじゃない。こうして冥月に抱きしめて貰っていると、今度は冥月の血が飲みたくなってくる。吸血鬼が血を吸うのは異性への愛情表現だって聞いたけど、たぶん異性が欲しいっていう気持ちが吸血衝動の原動力になっているんじゃないかな」

「わたくしでよろしければ主様の好きにしてくださって良いのですよ。そも、わたくしの全ては主様の為に在るのですから」


 冥月の誘うような甘い言葉に武の理性が溶かされる。あの病室で体験した吸血行為の、互いの生気を通い合わした甘美な記憶が呼び起こされた。


 武は身を反転させ、冥月と真正面から向き合う。微笑んで身をゆだねてくる冥月の黒い着物の肩口をはだけさせ、その白い肌を見た瞬間自分が何をすればいいか理解した。


 人間の犬歯では皮膚を上手く破れない。だから霊力を手の爪先に収束させ、その指を鎖骨の上辺りにはしらせる。冥月の肌に一筋の赤い線が走った。すぐさま武はその傷に舌を這わせ、その傷口から次々と浮かぶ血のたまを舐め取っていく。


「ん、ああっ……」


 嬌声に似た小さな悲鳴を上げる冥月。だが、もう武にもこの行為は止められない。傷が塞がってしまうまで武は傷口から血と生気を吸い上げ、自らの生気を送り込み続ける。


 傷口から冥月の生気を吸い上げ、自らの生気を送り込み、混濁した生気を二人で分かち合う。その生気と血が入り混じった液体は、水のようにさらりとした舌触りで瑞々しい果物のような甘さを持ち、スルリと喉を下って体の奥を熱くする。生気の混合が進む度、二人は個という壁を越えて交じり合う一体感に酔いしれた。


「んぁっ……はぅ……」


 やがて傷口から血が漏れなくなり、武が肩から舌を引くと同時に冥月が幾分艶つやっぽい息をく。


 力が抜け、しなだれかかってくる冥月の体を受け止める。傷口を確かめてみると、薄い線を残してほぼ完全に塞がっていた。


 それからやや時間が経って、余韻に浸っていた二人も抱擁を解いて屋根の上に座り直し、肩を寄せ合いながら長い息をいた。


「冥月。どうだった?」

「不思議な感覚でした。血を舐められているだけなのに、まるで傷口から主様と一つに融け合っていくようで……」


 その感覚は武も理解できる。互いの生気を交じり合わせ、それを分かち合う快感。魂を寄り添い合わせるこの儀式は、何よりも崇高すうこうなものである様に武には感じられた。


「冥月。また僕が我慢出来なくなった時は――」

「はい。わたくしがとぎをいたしましょう」


 静かに小さな笑みを浮かべる冥月。武はその頬に口付けを落とし、冥月も武の頬にそっと口付けて、二人で小さく笑い合った。


「さて、じゃあ僕も御風呂に入ろうか」

「それでは私も――」

「いや、一緒に入るとかは無しで」

「……分かりました。影の中で静かに観賞させていただきます」


 ねるような口ぶりとは逆に淡い笑みを浮かべている冥月。まだあの吸血行為の余韻が後を引いているのだろう。


 冥月は瓦屋根の上に落ちた武の影の上に立つ。と同時に屋根が抜けたかのように冥月は武の影の中に吸い込まれていった。


 一人残された武は頭上の満月に向かって手を伸ばし、掴み取ろうとするかのようにその手を握り締める。


 天に届かぬ手を眺め、自分という存在はこんなにもちっぽけなのだと考える。ふとそれが可笑しく思えて、武は顔に小さな笑みを浮かべた。

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