第5話 吸血鬼の体

 結局その日は午後八時まで各科を回って検査を受けた。明日もこの調子で一日を過ごすかと思うと、武でなくともため息の一つや二つきたくなるだろう。


 特に体の変化を覚えないまま夜を迎えた武だったが、一応屋上に向かってみることにした。鍵を開けて屋上の扉を開く。当然ながら誰もいない。天には星々と真円に近い月の輝き。扉を静かに閉め、屋上の真ん中まで歩いていく。そこでスリッパを脱いで軽く跳ねてみた。


 少しずつ跳ねる高さを上げていく。その最中に気がついた。足に込められる力に限界を感じない。思い切って膝を折り曲げ全力で跳躍する。コンクリートの床がひび割れる音と共に、武は神木の町を全て見渡せるほどの高さまで跳び上がっていた。


 そして理解した。吸血鬼の身体能力の高さ、それは霊力の伝導率の非常識なまでの高さに起因している事に。武は普通の人間と比べると桁違けたちがいな霊力を持っている。霊力を体の中を巡らせれば、高い身体能力を生み出す事が可能となる。だが、その循環効率と身体能力への変換効率が吸血鬼の体は異常に高いのだ。人は全力を出そうとするとその体に宿した霊力を無意識に使い、身体能力をごくわずかに水増しするのだが、吸血鬼の体はその僅かな霊力さえも強大な身体能力に変換するのだろう。


 意識して体に霊力を巡らせ、身体能力を強化する。すると人間だった頃とは比較にならない力が体の中で渦巻いた。


 血がたかぶる、というのはこの事だったのだろう。武は己の力に酔い、気を大きくしていた。先程より力を抑えて跳躍し、隣の棟の屋上に着地する。そのまま全ての棟の屋上を巡り、最初にいた棟の屋上へと戻ってきた。


 ぱちぱちぱちぱち……と拍手の音が鳴る。音がした方を向いてみると、そこにはクリスが立っていた。明かりもない屋上の暗がり。そこにひっそりと立っている彼女の姿をこうして見る事が出来るのも、吸血鬼の能力の一つかもしれない。


「武さん、凄いですね……。私も母もあんなに高くは跳べないのに」

「まあ、僕は霊力が強いから」

「霊力、ですか?」


 心当たりがないらしくクリスは頭を傾げる。おそらく初めから吸血鬼として生まれた彼女は、意識することなく自然に霊力を使ってきたのだ。武も霊力を使う訓練を積んできたが、呼吸をするように自然に操れるわけではない。当然余分で無駄になってしまう霊力が出てしまう。まして武の霊力は巨大過ぎた。扱う霊力の量が増えればその分コントロールは難しくなる。


 何はともあれ、これで分かったのは吸血鬼の能力と霊力に密接な関係が有るという事だ。後のことはまたゆっくりと試していけばいいだろう。

 そこまで考えて、武はふとおかしな事に気が付いた。


「クリスはどうしてここにいるの? クリスもここに入院してるなら、救急か外科の病棟にいるのが普通だよね?」

「あ、母が教えてくれたんです。夜になったら武さんがここに来るから、私達について色々教えてあげるようにって」

「そうなんだ。じゃあ、お願いするね」

「はいっ。頑張ります!」


 両手を胸の前でぐっと握るクリス。その様子の可愛らしさに武は思わず小さな笑みを浮かべた。


「えっと、武さんは契約コントラクトについて知っていましたよね。他にどんな事を知っていますか?」

「日中は普通の人間と変わらない事。夜、中でも新月の夜に超人的な身体能力を発揮する事。一定の年齢になればそこから先は老いも成長もしない事。血を飲まなくても別に問題がない事。それぐらいかな」

「後、夜の間は強い復元能力が働きます。腕くらいなら切り落とされてもくっつけられる、と昔母が言ってました」


 なるほど、と武は納得する。魔法による復元が不完全であったのに、今日傷一つ無い姿で現れたのはそういう訳らしい。


「流石に生えてきたりはしないんだね」

「材料がありませんから」


 当然といえば当然の話だった。腕一本分の養分を体に留め置く事など出来はしない。トカゲの尻尾のように、初めから切り離せたり再生したり出来るよう人体は作られていないのだ。


「……それと、私達は血に関わる何らかの異能を持ちます。母の他人の血液、骨髄に干渉する能力ちからみたいに。武さんもいつか自然に自分の能力ちからに気付きます、きっと」

「自然に?」

「はい。何となく出来る気になって、実際にやってみたら出来た、というのが私の感想です」


 なんともアバウトな話だった。医師を目指す武の立場から言えば、医療に応用の利きそうな能力ちからである事を祈るばかりだ。

 ふとそこで武はクリスの表情がかげっていることに気がついた。能力ちからに何かコンプレックスを持っているのかもしれない。話題を変えるべく適当な質問を口にする。


「そういえば、吸血鬼には何か弱点は無いの?」

「有りますよ。脳が大きく傷つけられたら夜の私達でも死にます。もしおぼれたら呼吸困難になって溺死できししちゃいますし、一酸化炭素中毒なんかでも死んじゃうと思います。後は――夏の日差しが強い日には注意しないと、熱射病になっちゃったら昼間の私達だと脱水症状を起こして死んじゃいます」

「いや、全部人間も同じだから」


 どうやら吸血鬼特有の弱点というものはないらしい。不便が無いのは良い事だが、ここまで利点が多いと逆に胡散臭うさんくさいように感じる。それは代償を払う事で結果を得る魔法を武が学んできたせいかもしれないが、こうまで上手い話だと素直に飲み込めない。いぶかしげにしている武に不思議そうな顔をするクリス。生まれついての吸血鬼である彼女にとって、自分達が如何に優れた種であるか理解が出来ないのだろう。


 ひとまず吸血鬼の生態について特に留意する点は無いようだ。これからは同じ家で寝起きするようになるのだから、細かい事はその都度聞いていけばいい。

 そこで武の脳裏を小さな疑問がかすめる。


「そういえば、クリスは何歳いくつなの?」

「十五です。武さんは中学二年だから私とは一つ違いですね」


 吸血鬼に限らず、異族は外見と実年齢に大きく差があることが珍しくない。その意味では年齢差が一つだけということに武は安堵の息を吐く。


「あ、伝えるのを忘れていました。私、今回の件で桜花おうか中学に転校する事になったんです」

「そっか。同じ学校になるんだね」

「はい。これでいつでも一緒です」


 私立桜花大学付属中学校。五年ほど前に出来た学校だが、この町ではトップクラスの進学校だ。武もこの桜花中学に通っている。あの事故が起きた時に同じ交差点に居合わせたという事は、学校と屋敷との距離を考える必要は無いだろう。


「引越しの予定は?」

「明日退院なので帰り次第準備して、明後日には業者の人に頼んでお屋敷に運んでもらう予定です」


 武の退院が明後日なので、その意味ではちょうどいいタイミングだ。問題はその翌日、なんとかして山籠りから帰ってくる義姉あね義妹いもうとを説得しなければならない事ぐらいだ。


「あ、引越しの業者は異族がやっている所を選んでね」

「はい。それは武さんのお母様からも言われました。お屋敷には普通の人間は入れないんですよね」

「あそこは神気の溜まり場だからね。昔は中に入ろうとした友達もいたんだけど、それ以来あの屋敷には近寄らなくなっちゃった」


 足の裏を手で払い、屋上の真ん中に置いていたスリッパを履く。吸血鬼についておおよその事は分かった。後はこの体を自在に扱えるよう努力をしていけばいい。


「さ、消灯時間が来る前に部屋に帰ろう」

「はい。武さんも夜更かしはだめですよ。人間も吸血鬼も、早寝早起きが基本です」


 体質からして夜行性である筈の吸血鬼が早寝早起き。騒動は絶えないが危険な事は滅多に無いこの土地で暮らす内に、危機感というものをどこかに置き忘れてきたのではあるまいか。


 そんな疑問や先程のいつでも一緒という発言への突っ込みは、握られた右手から伝わってくる柔らかく小さな手の感触に封じられてしまう。


 そして無邪気な笑顔を向けられて、武は無粋な言葉を口に出来なくなった。純粋な好意というものに弱いのは男のつねだ、と心の中で弁解べんかいする。


 屋上の扉を施錠して階段を下り、観察室前でクリスと別れ、ベッドに倒れるように仰向けで寝転がる。


 あの事故から色々なことがあった。 自滅覚悟で復元の魔法を使い、目を覚ましたら吸血鬼になっていて、結婚を迫られて、特殊な検査がオンパレードで、極め付けが人間だった時とは比較にならない身体能力。


 あっという間に目まぐるしく変わる環境と自分にため息吐く。肉体はともかく精神がり切れていた。その上明日あすにはさらに多くの検査が待っている。そこから先の事は正直考えたくなくて、武は思考を放棄した。


 考えるのをやめた途端に睡魔に襲われる。吸血鬼になっても夜は眠くなるのか、と心の中でぼやいた後、武の意識は眠りの縁へと落ちていった。

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