第3話 求婚されました
暗い、暗い闇の中に
きっかけは些細な事。ここはどこなのか。少女は誰なのか。それを聞こうとした瞬間、異変が起こった。今までかすかに在っただけの違和感が巨大な蛇となって武を飲み込む。そして眩いばかりの光に目を僅かに開けた。まどろんでいた意識が眠りの縁から急浮上し、
まず目に映ったのは白い天井だった。ついで硬めのベッドの上に自分が寝かせられている事を確認し、ベッドの周りにごちゃごちゃと置かれた幾つもの機械とぶら下げられた輸液パック、そしてパックから伸びた腕に刺さっているチューブを眺める。
この部屋を武はよく知っていた。病院の観察室。代償のために昏睡し、その都度救急に連れ込まれ、容態が安定してからはこの観察室に移されるというのがいつもの流れだ。
現状を確認し、何故自分が助かったのかを疑問に思う。復元の魔法の代償は多量の
普段武の力が必要とされるケースでは、ブドウ糖液を何本も打ちながら、小さな範囲に魔法を使用する。それでも代償として必要される熱量は大きいもので、充分な準備をしていても昏睡状態に陥る事さえあった。
それと比べるなら、今回武が生き延びられたことが奇跡だ。だが、魔法使いである武はよく知っている。奇跡が何の代償もなく起こる筈が無い。
武は右腕を天井へと伸ばしてみる。そこには、枯れ枝のように骨と皮だけになってしまった干からびた腕――などではなく、いつもと変わらない腕があった。
自分がどうやって助かったのかが解らない。そんな武の頭の中に、肉声ではない女性の声が響く。
(
「……ごめん。心配させたね、
部屋の中には武以外の者の姿は無い。だが武はそれを当然のように受け入れ、言葉を返していた。
(まったくです。お願いですから、どうかあのような無謀な真似は
「うん。これからはそうならないように気をつける。……ねえ、冥月。どうして僕が助かったのか知ってる?」
(はい。一昨日に主様が助けた少女、
「死にかけの僕の命を救うほどの精、か。かなり高位の
異族。それは獣の耳などの特徴を持った獣人、人の姿を取れるようになった器物や獣などの
そしてここ
しかし気にかかったのは、『一昨日』という言葉。低血糖で二日も眠り続けたのは初めての経験だ。
武が物思いに
扉の向こうから出てきたのは、夢で見た少女だった。
金の髪に
「あの、体の方は大丈夫ですか?」
「……あ、うん。大丈夫みたい――だね。えっと、君は?」
「クリスティーナ・
「分かった。僕は坂上武。下の名前で呼んでくれると嬉しいかな」
クリスが手を差し出してくる。武もそれを握り返し――武の脳内フィルターに引っかかった単語があった。
「……あの、槙原ってもしかしてあの槙原? 血液内科の?」
「あ、はい。娘です」
血液内科の
エレンだけではない。この病院の医療の最前線では、様々な分野で異族が活躍している。二十年前、人間に宣戦布告し、この町の自治権をもぎ取った異族達の武器。それは暴力などではなく、異族の異能を活用した、人間の手では成し得ない医療の提供だった。人間に自らの利用価値を見せつける事で、異族は自身の存在価値を世界に認めさせたのだ。
以来、異族は誤解や偏見を一つ一つ時間をかけて解消していき、
そしてその過程で明らかになっていった物の一つに、吸血鬼の生態がある。彼らは夜、その中でも新月の夜に尋常ならざる身体能力を発現し、肉体は最盛期まで成長したところで老化を停止、新陳代謝を繰り返すのみとなる。また彼らにとって、吸血行為とは異性に対する愛情表現であり、生存に必要な物ではない。だが日の光に
「もう怪我はいいの?」
「大丈夫です。もう全部治っちゃいました」
「えっと、それじゃあクリスが助けたあの子は無事?」
「はい。
「そっか……」
安堵のため息をつく。助けたかった者は助けられた。だから、これから聞くのはその奇跡の代償だ。吸血鬼の能力が聞いた通りの物であるならば、彼女が武の命を繋ぎ止める手段は一つしかない。
「ねえ、クリス。君は吸血鬼なの?」
「……はい」
「それは、僕も?」
その言葉に、クリスは沈痛な面持ちで頷いた。
生まれついての吸血鬼は、
「僕が人間に戻ることは出来る?」
「……出来ません。契約は対象が死ぬまで続きます」
しばらくの間、沈黙が場を支配する。やがて
「く、クリス!?」
「どうか私に責任を取らせてください。私の命はあなたに救われ、私はあなたから人間であることを
真っ直ぐ武の目を正面から見つめるクリス。そして一瞬の溜めの後、再びその口が開かれる。
「――私と結婚してください!」
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