第2話 ボーイミーツガール

「私と結婚してください!」


 金髪の少女が、頭を下げて懇願こんがんしてくる。その告白を真正面から受けた坂上さかがみたけるは返す言葉を失った。

 中学二年生にして出会って間もない少女に結婚を迫られる、というのは特殊極まりない事例ケースだろう。

 だが、それ以上に数奇だった少女との出会い。それを武は一昨日の――武にとってはほんの少し前の記憶をひもいて、現実から逃避した。



 六月に入ったばかりの朝。武は映画のように人が飛ばされる場面シーンを初めて目の当たりにした。


 信号が青に変わって横断歩道を歩いていた小学生の女の子が、その後ろにいた少女に勢いよく突き飛ばされる。

 そしてその次の瞬間、甲高いブレーキ音を鳴らして右から飛び込んできた自動車に、少女がね飛ばされた。


 頭が事態を理解するためにかかった時間は数秒。脳を再起動させた武は仰向けに倒れている少女に駆け寄った。

ゲームのような魔法が使えたら、とは武が常々つねづね思っていた事ではあった。


 ゲームの神職系のキャラクターが使う回復魔法という物は、魔力や精神力を代償にする事でいともあっさり怪我を治してしまう。

 だがもう少し現実的に考えてみよう。どのような手順を踏めば、そんな事が可能になるのか。


 自然治癒力の増幅。軽傷ならそれでもいいだろうが、重い傷の場合そうはいかない。心臓が一定のリズムを刻む以上、血液の流れもまた一定だ。供給される酸素や栄養に限りがある以上、細胞分裂による再生能力は当然ながらある程度で頭打ちになる。


 では時間の遡行そこうではどうか。時を操る能力など、世界中探しても使えるものは三十人に満たないだろう。しかも時間を部分的に逆行させたなら、様々な問題が発生する。例えば魔法をかけたその部分だけ、血液が逆に流れる事になる。それが普通の血流とぶつかればどうなるか。当然、その血管は破裂する。かといって全身の時間を一度に逆行させようとしたならば、そのなかばにして術者は代償のために死亡する事だろう。


 ならば因果律いんがりつへの干渉ではどうか。世界を運営する因果に干渉し、怪我、病気などの状態になっていない未来を選択する。その未来に辿り着くために世界は現在を修正し、病気や傷がなくなってしまう。つまり、結果を固定されたために過程が捻じ曲げられるという事態が引き起こされるのだ。これなら傷や病気を治す事は出来るかもしれないが、そもそも因果の改変が出来るのは神と呼ばれる存在ぐらいだ。人間に扱える類いの奇跡ではない。


 そして復元。魂を鋳型いがたに破壊された部位、及び病変を修復する。これならば人間の魔法でもなんとか手が届く。無論、修復をかける部位に欠損が無ければの話ではあるが。


 だが魔法には代償が付き物で、ゲームみたいにその代償は眠れば回復出来たりはしない。一時的とはいえ強烈な損耗を強いられ、場合によってはその後遺症で一生苦しい思いをすることになる。そもそも魔法を使った後に適切な処置がなされなかった場合、そのまま死を迎える事になるのは想像に難くない。


 詰まるところ、武が使える異能まほうはそんな危険物しろものでしかなかったのだ。


 かがむ武の前には頭から血を流す金髪の少女が倒れている。呼吸、脈拍共に無い。医学的に見れば即死と言い表すのが適切だろう。だが武の――魔法医ウィッチドクターの観点から見れば別だ。未だ肉体と魂の乖離かいり現象は起きておらず、蘇生可能領域にある。


 肉体の復元に成功すればこの少女は助かる。だがこれほど重傷の肉体を復元するならば、武の命と引き換えになる可能性が高い。それどころか復元中に武の命が尽きて、共倒れになる可能性すらあった。


 だが、武は血塗ちまみれの少女を抱きしめた。自分がどれほど無謀な事をしようとしているかを理解しながら、不思議と不安も躊躇ちゅうちょも湧いては来なかった。思い出すのはねられる間際、少女が浮かべた優しい笑み。それにならう様に小さな笑みを浮かべて武は力ある言葉を口にする。


「――『輪廻ロタティオン』――」


ただ一言。静かにつむがれた言霊ことだまを引き金に、奇跡が具現する。


 術式は体にきざみ込まれている。自分の心臓に打ち込まれたくいを引き抜くようなイメージ。痛みが全身をほとばしる。体が熱い。呼吸が出来ない。目尻から涙が流れる。みっともなく口からはよだれあふれ、犬のようにあえぐ。急速に狭まっていく視界。体から熱が抜け出ていく。寒さで歯の音が合わない。全身の骨と肉が悲鳴を上げる。


(イタイクルシイだまれクルシイモウイヤダやめないたすけるイタイサムイ――――)


苦悶の果て、点の様になってしまった武の視界の中、少女が身じろぎをする。それに安堵あんどした瞬間武の体から力が抜け、その意識は闇の中へと溶け込んでいった。

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