陽だまりの吸血鬼

mame

第1話 開幕

黒い風が渦を巻いている。

いや、それは単に黒いのではない。光を喰らう闇によって出来た竜巻だ。

その竜巻を内側から眺める女がいた。白い小袖に胸から下を覆うばかま穿いている。俗に巫女と呼ばれる装束だ。

 その竜巻が本当に風によって構築されていたものならば、その被害は計り知れないだろう。

だが、この黒い竜巻は結界の拡大が視覚化しただけの存在に過ぎない。いわば幻影だ。それはこの竜巻の外にいる人間にもすぐに分かるだろう。なぜならこれだけ巨大な竜巻でありながら、風が一切無いのだから。


(そも、竜巻とは移動するものではなかったかのう?)


 段々遠ざかる闇で出来た壁を眺めながら、女はふとそんな事を思った。が、すぐにその顔には柔らかな微笑みが戻る。

不自然であればあるほどいい。必要なのは神域の拡大と世間の注目。この結界の拡大はそれを両立してくれる。


(後は予定通りに自己紹介するだけじゃの)


 こんな山奥の、部落といった方がいい位に小さな村でも、テレビは映るし電話線も通っている。『その名』をかたれば日本中の注目を集める事は容易たやすいということは女も知っていた。

 ふと背を預けていた門から身を離し、広い道の向こう側に立って竜巻の中心となっている屋敷を見上げる。唯一の入口である大きな門と、長く長く続くへい。かつて百を越えるモノ達が住んでいた程の広大な屋敷なのだが、今となってはその住人の数は大きく減少していた。

そんな屋敷の中央から、細長い光が遠く天の彼方まで真っ直ぐに伸びている。清浄なる光。けがれなき純白。神々しいという表現がこれほど似合う物は無いだろう。

 だがそれは同時にうつに生きる者、霊格の低い生物にとっては毒と同義。余りにも濃密な神聖さは、内に取り込んだものを変質させる。器物が命を得る様な奇跡もあれば、獣が人に変わってしまう変化さえ有り得る。それはまさに異界。聖邪の区別無く、あらゆる存在を上書きする原色。それこそが、神。

 女は立ち上る神気より視線を切り、坂の下の病院を見る。中規模の病院ではあるが、設備に関しては大病院と比べてもなんら遜色そんしょくはない。この屋敷を城だとするならば、あの病院こそが同胞はらから達の戦場いくさばだ。二十年前全国に散っていった彼らは、今あそこに集結しいくさの準備をしている。志を同じくしてくれた人間達と共に。

ふと何かの雑誌で見た知識を女は思い出した。

ゴッドハンド。

神業のような技術を持つ外科医の事を、そう呼ぶのだという。

だが、どれほどの技術があろうとも、その手から命がこぼれ落ちていく事は止められない。

なぜならば、本物の神でさえ全ての命を救う事は不可能なのだから。

女の目の前を小さな雪が舞う。

否。それは雪などではなかった。

空から粉雪のように舞い落ちるそれは、天に立ち上り粉々に砕けた光の破片。竜巻にみ込まれた――結界に閉じられた場を神域へと変える、神の息吹いぶき

しかしこの神域は禁域にあらず。この地に訪れた者をみ込み、内に過ごす者に安寧あんねいを与え、去る者を見送り、害を為そうとする者を惑わせる、神の意思を体現する場となる。

しかしただ薄く神気が漂う程度では、鈍感になった人間は気付かない。自分がどのような地に踏み入ろうとしているのか、禁則を犯す事がどれほど度しがたい事か、そして確固たる己を保つことがどれほど難しい事か。

女が物憂ものうげに息をいたその時だった。突如として薄紅色の光が世界を染め上げる。

それが結界の完成したあかしだと女が気づいた時、既にその視界のどこにも黒い竜巻の壁は無かった。

そして竜巻が消えた今も、屋敷の中から光は天に突き立っている。まるで異変の中心を示すように。

静かだった。

風も、虫も、何もかもが死に絶えたような静寂の中で、女は再び門に背を預ける。

その静寂を破ったのは、遠くから聞こえてきた車のエンジン音。同時に風が吹き、木々のそよめきと虫の鳴き声が戻ってくる。

次々と坂を登ってくる幾台もの車。その車の中に退魔士の特徴たる黒が無いことを確認し、女は安堵あんどの息をいた。これだけの異常に最早もはや隠蔽いんぺいは不可能と諦めたのか、それとも惑わされてこの場所に到達出来ないのか――おそらくは後者だろう。

やがて幾台もの車が門前に止まる。中から出てきたマイクや大きなカメラを持った人間が女を囲み、そして硬直してしまった。

女は金につやめく髪をなびかせ、頭頂部の獣の耳をピクリと動かす。だがマスコミのリポーター達が動きを止めたのは、女の見てくれのためなどではない。女の雰囲気にこそ原因がある。

ただそこにいるだけで伝わってくる圧倒的な存在感。人など及びもつかない上位存在。女を前にした人間がいだいたその感情こそが、『おそれ』である。

微動だに出来ない人間達を前にした女はたおやかに微笑み、そして一台のカメラに目線を合わせる。

一九九九年七月七日、午後三時十一分。女の言葉が日本を揺るがした。



「遅くなった。初にまみえるの。わしが『恐怖の大王』じゃ」



およそ、二十年も昔の話である。

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