第4章 ④ タキシードを着る

高級デパートメントストアは、なんともステキな香りがする。

来ている人の層も確かに違うと、子どもの僕でも感じる。

並んでいる商品も、いかにも富裕層が好みそうなものばかりだ。

おばさんとママは、おじさんの会社が主催するチャリティーパーティーで着るドレスを選ぶのに盛り上がっている。


「こんなドレスを着てパーティーなんて、本当に久しぶりだわ。

そうだ、カイトにもタキシードを用意しなきゃね。」


「そんなの買っても、日本じゃ着る機会もないのに。」

と僕が呟くと、おばさんがこんな事を言ってくれた。


「カイト、またいつでも来ればいいのよ。

ニューヨークにも、おじさんとおばさんのところにも。

わたしたちには、子どもがいないから、主人もあなたのこと、いつでもウェルカムだって言ってるわ。留学にでも来させたらどうなんだって言ってるくらいよ。

無理にとは言わないけれど、あなたが、アメリカやこのニューヨークに興味を持ったなら、こっちの学校に行ってみるのも一つの選択肢よ。

そうなれば、またタキシードも着る機会はたくさんあるわよ。」


おばさんは、ママにウインクして見せた。

それを受けてママが言った。


「そうよ。カイト。人生はどうなっていくかなんて、分からないものよ。

ママもそうだったし、お姉さんなんて、その究極な生き証人でしょ。

カイトだって、今の環境のまま、生きていくかどうかなんて、分からないのよ。

あらゆる可能性の中からチョイスしたっていいのよ。

ママは、あなたが何を選んでも応援するわ。

タキシードを買えば、タキシードが必要な場に行く機会が、不思議と出来るものよ。

そんな風に人生を考えれば面白いでしょ。」


僕は、そんな突然の提案にドキドキした。


'ドキドキすることは、ワクワクすること'


いつも、ママは、僕にそう言ってきた。


'ワクワクすることは、チャレンジするべきこと。

やってみればいい。

経験しないと分からない。

何もしないことは、あの時やっておけばよかったっていう後悔を残す。

やってみて、やめておけばよかった、っていう後悔もあるけど、それは、人生の勉強だから、やっぱり、経験してよかったってこと。'


ニューヨークに来てみたいとワクワクした僕が、ここに本当にやって来て、この数日の間に体験したことでも、すごく刺激的だった。

初めて聞く両親のアメリカ時代の話もたくさんあった。

ここへ来て、おばさん夫婦に会わなければ、そんな会話すら聞くことがなかったかもしれない。

ジャーナリストに興味を持つ自分は、日本を出発する前にはいなかった。


「タキシードを着て、パーティーに出席するのが楽しみになって来た。」

と呟いた僕に、おばさんとママは、同時に言った。

「That's it!」

そして2人は、顔を見合わせて、同時に笑った。


お父さんは、おじさんと一緒に別行動で、紳士服売り場に行ってタキシードを見立ててもらっていたから、僕たちもそこに合流することになった。


紳士服売り場に着くと、お父さんがタキシードを試着していた。

僕が初めて見るタキシード姿のお父さんは、ものすごくカッコよかった。

おばさんが、僕のサイズのタキシードがあるか店員に聞くと、子供服のフォーマルコーナーの方が、身体に合うタキシードの種類が豊富だと教えてくれた。

子供用のタキシードが幾種類も売られているなんて、日本ではあり得ない。

やはり、自分の常識なんて、ところ変われば、そして付き合う人が変われば、全て吹き飛ばされることが想像できる。


僕のタキシードを数点、おばさんが見立ててくれて

試着することになった。

試着用の更衣室のコーナーには、5つの小部屋のドアが並んでいた。

親子で入れる少し広めの更衣室4部屋と、1人で入る更衣室が1つだ。

僕は、ママに付き添って入ってもらう様な年齢ではないから、一番奥にある1人用の更衣室に二点のタキシードを持って入った。


中に入って後ろ手でドアを閉めた。

カチャッと閉まる音がしたその時、何か香木の様な、とても芳しい香りのガスが、天井から、ミストシャワーの様に降り注いだ。


その瞬間、眠気が一気に襲って来た。

悪寒が背筋に走った。

"叫ばなければ!!"

心でこう叫んだけれど遅すぎた。

声を出せないまま、僕の意識は遠のいていった。

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世界の終わりと世界の始まり 風乃音羽 @kazenootoha

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