第15話 好きでいること

 ※

 文芸部、夏の合宿の夜。民宿から出た俺と梔子さん。

 梔子さんに連れられ、俺達は夜の海へと繋がる砂利道を歩いていく。


「………」


 先行する梔子さんは無言だ。

 俺も緊張のためか、何か話そうにも良い話題が思いつかない。

 瞬間、波の音が大きく聞こえる。

 浜辺に出ると梔子さんは、わざとらしく置かれた流木に腰を掛け、俺もそれに続く。


「……それで、話って?」


 ドクンドクンとうるさく鼓動する心臓。

 これは恐怖か期待か。

 梔子さんは話さずに俯いたまま。……流石に急に話すのは難しいのか。


「なんで海が青いか知ってる?」

「……え?」


 俺の口から出た唐突な言葉に、梔子さんは驚く。

 本来なら梔子さんから切り出すはずなのを、俺が先に切り出したからだろう。


「水って透明じゃなくて青いんだって。俺らが今見てるのって、三原色のうちでその物体に吸収されなかった色なんだ。例えば、リンゴなら青と緑。葉っぱなら赤と青。そんでもって水って赤と緑を吸収するらしい」


 俺はどっかのテレビで見た知識を用いて説明する。


「でも少ししかない水は透明に見える。それはそもそも水自体があんまり色を吸収しないから。だから水が増えれば、色を吸収する量も増える。だから海は青いんだって。それでさ……」

「……はい」

「それって人間に似てるって思わない?だって水が沢山集まれば、色を変えることができる。……つまり、何が言いたいのかって言うと……」




「誰かと一緒にいることで変われるんだよな、人って」



 潮風を感じながら、俺はそんなことを呟く。

 それは、梔子さんを好きになった俺のことだ。


「わ、私も……変われました…桐生くんのおかげで………」


 梔子さんは自分の膝に握りしめた拳を置き、俯いたまま精一杯に声を出す。


「俺?」

「はい。……もしあの日、桐生くんが声をかけて……くれてなかったら……。今の私はいません」

「そうかな?」

「そうです。……だから────」


 梔子さんは顔を上げ、俺を真っ直ぐ見つめる。そして少しぎこちなさの残る笑顔を見せると言った。



「桐生くん…………ありがとう」



 そう言われた瞬間、ブワッと胸の奥から込み上げてくる熱い感情。

 本当にこの人は……。俺を何度も君に惚れされてくれる。


 梔子さんが好きだ。これ以上ないくらい好きだ。好きで好きでしょうがない。

 きっとこれは神様がくれたチャンスなんだ。

 告白するなら今しかない────



「こ、告白されたんです……」



「え……?」


 今までの熱気に満ちていた体が急激に冷えていく。

 波が強く浜辺へ打ちつけられ、引いていく。

 告白された……?

 唐突のカミングアウトに頭が理解をしてくれなかった。いや拒んでいたと言うべきか。それでも梔子さんは続ける。


「い、今から…一週間くらい前……文化祭準備で学校に行った時に……」

「…………そっか」


 込み上げる涙を堪え、俺は立ち上がる。一人舞い上がっていた自分に嫌気が指す。

 こんな顔、見せたくない。


「わ、私はどうしたら……いいのかわからなくて……。今までそういう……好き、とか考えたことなくって……」


 助けを乞う梔子さんに俺は背を向けながら言う。


「梔子さんが決まればいいと思う。今は好きじゃなくても、いずれ好きになるかもしれないし。だったら付き合うのもナシじゃないと思う」


 嘘だ。

 本当は付き合ってほしくない。俺と付き合ってほしい。

 だけど、今すぐ告白できない臆病な俺がいる。


「梔子さんが選べばいいと思うよ」


 情けない。

 助言っぽいこと言っても結局、突き放すようなことを言って逃げているだけ。自分が梔子さんの意思に介入してしまうのが怖い。気持ちを変えてしまうのが怖い。嫌われるのが怖い。


「そう……ですか…」

「ごめん、部屋帰るね」

「え、は、はい……」


 一緒にいたくない。

 弱い自分を見せたくない。情けない自分を見せたくない。

 これ以上は、傷付きたくない。



 背中に波の音を聞きながら、俺は掌に食い込んだ爪痕を眺めるしかなかった。




 ※

 帰りの電車。

 先輩達は皆、遊び疲れたのか寝てしまっている。

 てか、結局文芸部らしいこと何もしなかったな……。

 静かに寝息を立てる先輩達から通路を挟んだところに座る俺と梔子さん。


「………」


 ……話しかけづらい。なんせ昨日あんな話をしたばかりだ。


「………桐生くんは、好きな人……いますか?」

「へ?」


 不意に梔子さんが聞いてきた。

 ……もちろんいる、今目の前に。

すると俺の反応に梔子さんは慌てて弁明する。


「あああ、あの、なんかそれ知って貶めようとかそういうのじゃなくて……!人を好きになるってどういう感じなんでしょうか……?」

「あぁ、そういうこと」


 人を好きになるってどういうことか。

 俺はふと、匠とぶつかった時のことを思い出す。


「……好きって、綺麗な言葉で言えば『愛』。だけど汚い言葉で言えば『嫉妬』とか『独占欲』とかそういうのなんだと思う」

「……はい」

「綺麗と汚いは表裏一体で、『愛しているから嫉妬する』『愛しているから独占したい』ってことなんだと思う。人の感情で表裏一体なものなんて『好き』くらいじゃないかな?だからこそ恋ってすごくて、尊くて、……人を好きになるって難しいんだと思う」


 もしかしたらすぐにでも、梔子さんの決断次第で、俺の恋の終止符は打たれるかもしれないのに。

 痛い。胸が締まる。悔しい。


「梔子さんに告白してきた人、すごい頑張ったんだと思う」

「え?」

「俺は告白したことないけどさ、成功するか失敗するか、答えは二つに一つしかないんだよ。だから怖くて、怖いけど好きで、自分のものにしたくて。だからそんな感情に打ち勝ったその人はすごいと思う」


 俺とは大違いだな……。


『まもなく──。──。』


 アナウンスが流れる。

 俺達の降車駅だ。もうすぐこの旅もおしまいになる。

 別に俺と梔子さんの関係が変わるわけじゃない。


「……俺は応援するよ、梔子さん」


 この嘘吐きが……。



 ※

 そして後日、梔子さんから初めて送られてきたメッセージには、


『付き合うことにしました。相談乗ってくれてありがとうございます。』


 と、ただその文字だけ書かれていた。


 こうして俺は、初めての失恋をした。

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