第22話 2度目の入院

 結局、脱走はできないまま2015年3月は終わった。4月になり隔離開放となり大部屋に出た。患者のヒデオさんが

「スラッシャーのジーパン返せよ!」と怒っている。

 アメリカンイーグルの服とプーマのスニーカーをあげて許してもらった。何しろ、新小岩のアパートは父親に引き払われていて、洋服や靴なども多くは捨てられてしまったのだ。財布も大崎の駅前で眠り込んでるときに盗まれてしまったらしい。現金は大して入っていなかったのだが、カード類を全部なくしてしまった。

 大部屋には患者のカオリが入院していた。社会福祉士のヒラカタも髪を金色に染めて、顔もキレイなナチュラルメイクをして勝負の格好をしていた。そして、

「私は「大学」を出ていますからね」などと言うのだ。一体何がしたいのか(笑)。

 もうひとり、看護師のシノブというコがいた。40才で、すごくキレイな感じだった。まだ、モテは続いている(笑)。


1病棟は患者向けに、朝日新聞と上毛新聞とサンケイスポーツを置いているのだが、そのうちの朝日新聞を読むと「プーチンの肖像」という連載があった。旧ユーゴスラビアについて書かれている。豪志がtwitterやfacebookに散々書いた旧ユーゴの哲学的分析。

 かつて、生前のジャック・デリダが朝日新聞のインタビューに答えていた。

「日本でも英語を国語化すべきだという議論が高まっています」

「きっと、後悔しますよ。人間は同一化が進むほど、かえってナショナリズムを強めるものなのです。旧ユーゴスラビアを見てください。チトーという重しが取れたあと、隣人同士で突然殺し合いが始まりました。急激な同一化は人間のアイデンティティーを不安定にさせるのです」

 プーチンの人たらしぶり。訪露した当時の森喜朗首相に対して、

「ヨシ、キミのお父さんはシベリアで亡くなったそうだね。あとで、一緒に墓参りに行こう」

「よく調べてるな」

 森首相は舌を巻いたそうだ。

「ゲバラの命日」という連載もあった。何か豪志がチェ・ゲバラと同じだと言いたいらしい。

 茂木健一郎先生と保守の論客との対談。

「僕たちはガンダムのジムである」

「少しくらい頭が悪くても、それぞれの個性を伸ばした方が、人間らしい人生が送れる」

 養老孟司先生、茂木健一郎先生も豪志に興味を持ってるようだ。そして百田尚樹。完全に保守対リベラルの対立に巻き込まれている。テレビには堀江さんが出演していた。

「しくじり先生。調子に乗り過ぎて逮捕されちゃった先生」

 色んなモノが「掛かって」いるのである。豪志と関係があるように思われるのだ。

大部屋ではショウジさんと同室で、ショウジさんは独り言を言うのだが、

「ゴキ、早く出ろ」とか

「コイツ、カネで買ったSEXしかしてねーから」とか言うのだ。奥の部屋では患者のヤナイ君が

「芸能人デビューしたいだけでしたー!」と叫んでいる。

 まったく掛かっているのだ。淳ちゃんが1病棟の診察室で、

「とっくに死んでるはずなのにどうやって生き返らせるのよー!」と叫んでいる。死亡診断書も書いてしまったらしい。 

 

 患者のジュンイチさんが、

「地獄の沙汰もカネ次第」と言っていた。

 ジュンイチさんというのは面白いおじいさんで、IQ140で筑波大学の大学院で理論物理を修めていて、バロック音楽にも造詣が深い。身長177cmで顔立ちも端正だった。30才で強制入院させられて73才の現在まで43年間も閉じ込められてるという話だった。多少の妄想はあるがこの人なら外に出してもやっていけるのでは、と豪志は思っていた。ただ、クスリを拒否する「拒薬」をもう何十年も続けているという。

「クスリを飲み続けると最後はみんな小さくなって死んでしまう。俺の彼女もそうやって死んでいったんだ」と言っていた。

 ちなみに淳ちゃんは金沢医大卒だった。やはり話してて聡明な印象を受けた。


 5月に入り、豪志が退院を希望してるということでシノブと小野先生が2病棟に送ってくれた。1病棟は急性期。2病棟は療養病棟なので、1病棟より退院しやすいのだ。


 2病棟ではスナガちゃんが担当看護師になり主治医は滝村先生だった。スナガちゃんは、

「根岸さんって彼女いるんですか?」と訊くので、

「いるよ。東大経済学部主席卒業で六本木ヒルズに住んでる」

「(笑)。そんな人とどうやって知り合うんですか?」

「twitterでナンパした(笑)」

2病棟の看護師はオノちゃん、ミナミちゃんとなかなか可愛いコぞろいで

「東大行くんですよね!」などというから、「なぜそんなことを知っている、ネットで見たのかな?」と思った。

2病棟ではテレパシーの指示で、隠れてクスリを捨てたりしていた。拒薬である。当然、滝村先生や病棟長のニカイドウさんには見抜かれていて、のちに滝村先生からの信用をなくす遠因となっていった。

滝村先生には念を押された。

「われわれの指示に従ってください」

「しかし、クスリは身体に悪いと師匠の伊東乾先生から聞きましたよ!」

滝村先生は豪志を睨むと、

「アナタは医者じゃない。例え医者であっても。決めるのはわれわれです」

 2病棟ではセイジさん、キョウヘイ君と同室。テレビではアメリカで囚人が刑務所から脱獄したニュースをやってる。上毛新聞のコラムで有限理論を学ぶ。また「戦争法」などと呼ばれた安保法制の議論が国会で始まった頃だった。

 テレビで地理や歴史の知識を問う番組を放送している。2病棟の患者たちが分からないことを豪志に質問してくる。

「そんなに何でもかんでも知ってるわけないでしょ!!」半ば逆ギレ気味に豪志は叫んだ。患者のヨウコさんに訊いてみた。

「この話、どんな話だったんですか?」

「どんな話だったっけね。忘れちゃったよ(笑)」

 

 テレパシーで伊東先生が笑いながら出てくる。

「お前はフツーの脳(笑)」

「見ろよ、コイツの顔。顔が良いぞ、顔が」

洗面所で鏡を見る。ここまでか。伊東先生が再び出てくる。OT(作業療法)で借りた知恵蔵を引く。

「何事も根拠を持つことが大切だ」いくつかのページを複合的に見たあと、行き着いたのが、

「憲法の正当性の根拠」

「8月革命説」

 要するに明治憲法から日本国憲法に切り替わるとき、論理に飛躍があり過ぎるため、1945年8月に日本で革命が起きたと考える説で、現代憲法学の主流となっている考え方である。ちょうど、国会で安保法制は憲法違反だという議論が始まった時期である。

 

 患者のクボタさんが、

「根岸さんにとってはドラゴンクエストだったんじゃないですか」

と話しかけてきた。

「もうすぐ退院支援委員会があります。そこで退院について話し合われます」

 そう言うと、クボタさんは大量の電話番号を書き出した。

「このTシャツ、ヒデオさんにもらったものなんですよ」

 豪志は気付かなかった。

「2001年宇宙の旅は観たことありますか?鉄腕アトムは?」外は雷雨。クボタさんはカーテンを開けて、

「あの雷は人工的に作っています」

 完全に美夏ちゃんだ。豪志は思った。恐らくテレパシーでクボタさんにシンクロしているのだろう。

「鉄腕アトムは最後、地球を救うために太陽に突っ込むシーンが印象に残っています。あとは手塚治虫はブラックジャックですね。初期のブラックジャックは人間を信用せず、カネだけを信用します。あれはあの時期、手塚治虫が鉄腕アトムのアニメ制作にお金を遣い過ぎて、破産し彼の周りから一斉に人が離れて行って人間不信になっていたからです。後期のブラックジャックが人情を回復するのは、手塚が再びお金を稼いで、彼の周りに人々が戻って来たからです。手塚治虫のお人好しぶりがよく分かります」

 クボタさんは、

「私は英語とドイツ語ができます。根岸さんは?」

「物理や化学は分かりますか?数Ⅲは?」

 クボタさんが問題を出してきた。豪志は解けない。

「自分だ、自分。ツールに過ぎない」

「美夏ちゃんに手紙を書こうと思ったんだけど」

 クボタさんは便箋を出すように豪志に指示して、

「書いて」

「ごきげんよう。さようなら」

「これじゃ、ダメ?」と書いた。

 豪志は「米川総合法律事務所方村田美夏宛て」に出した数通の手紙を取り出した。米川事務所から、

「本事務所に村田美夏という人物はおりません」と返って来た手紙だった。

 豪志の目から大量の涙が溢れた。豪志は特に泣く気はないのだが、これもテレパシーの影響力か。

「泣くなって」

「とりあえず、さっきのブラックジャックの話。あれを紙に書いていただけますか」クボタさんは言った。

「twitterのアレ、カラオケですよね」

「原富男先生がこの病院は殆んど儲かってないと仰っていました。この病院は「奉仕」だと」

「私は中曽根康弘さんの血筋です。その縁でココに入れています」

「根岸さんは足音を聞くだけで誰の足音か分かるって本当ですか?」

 とりあえず、クボタさんの書いた電話番号全部に豪志は電話をかけた。全部、クボタさんの親せきだった。

 翌日、滝村先生が現れて、

「あの公衆電話、すべていつ誰が掛けたか分かるようになってるの知ってますか?」

「通信制限をかけます」と言われ、電話をかけることを禁止された。

 

 クボタさんは電話器の通信回線を見せて、

「これをよく理解してください」と言う。

 作業棟で行われる作業療法に豪志はクボタさんと一緒に行った。

 クボタさんが用意した映画、「マトリックス」を観た。キアヌ・リーブス演じるケチなハッカーが不用意なハッキングで仮想現実の秘密を知ってしまうという話である。

 豪志が主人公で、伊東先生が師匠のモーフィアス、美夏ちゃんがヒロイン。ネットの不用意な使い方から日本中を巻き込むテロ事件を起こしてしまったので、皆、ネットやパソコンの仕組みを勉強しろと言ってるらしい。

 「マトリックス」を観終わるとOTのみんながすすり泣いている。クボタさんは夏目漱石の「こころ」を、豪志は「パソコンの使い方」と言う本を借りて帰った。

 2病棟で豪志は「パソコンの使い方」を通読する。コンピュータの歴史からパソコンの仕組み、使用法まで読む。一応全部読んだが理解できないところが多々ある。

「ダメだって」2病棟の誰かが言った。

 翌日、クボタさんが「やさしい憲法のはなし」という本を持ってきた。国会で安保法制議論がいよいよ紛糾していて、安保法制は憲法違反だと多くの憲法学者が指摘していた。学生運動のSIELD'Sとか、高橋源一郎さんの「ぼくらの民主主義なんだぜ」とか、新聞もラジオも盛り上がっていた。

 J-WAVE、ジャムザワールドも聴き始めた。津田大介さんが国会前の市民デモを中継していた。

 伊東先生は、憲法は変えられないと言っていた。国会で3分の2、国民投票で2分の1の支持を集めたとして、一体何に投票するのか。新憲法を誰が起草するのか。自民党案に賛成か反対かだけでは選挙にならない。必ず野党も新憲法案を出してくる。そちらに賛成票が流れるかもしれない。そして憲法を変えられたとして、もし二度と憲法を変えられないように憲法改正条項をなくせば、革命が起きる。いずれにしろ、民意を無視した改憲は長続きしないと。

伊東先生の出す問題が解けないので、豪志は自分で問題を作って解くことにした。3つの問題を複合的に解いて村田美夏さんに電話すること。

「3つ解いて美夏ちゃんに電話」

 以前買った「夜回り先生」と宇多田ヒカルの「For You」、そして東大生たちとの友情。

「許す。それが教育だろ」と、

「だからI sing this song for you」そして、

「東大に来い、ゴキ」と。

「いいぞ」とテレパシーで伊東先生がうなずく。そしてサクセスワイズに電話した。

「7回目のベルで受話器を取ったキミ」宇多田ヒカルの「Automatic」が流れるが、美夏ちゃんは出ない。

「8時まで待つか」伊東先生。ひょっとしてサクセスワイズの固定電話だから出ないのか。美夏ちゃんのケータイ番号は名刺がどこかに行ってしまったので分からない。

「あーあ、やんなっちゃうよな、やり直しだってよ」

隣の病室のコイケさんが出てくる。クボタさんに会いに行くが同室のコイケさんが

「入ってくんじゃねーよ!テメエ!」と吠える。

 

 テレビで「テレ東歌謡祭」をやっていた。槇原敬之さんや近藤真彦さんなどがビビりながら歌っていた。マッチが豪志であると。研ナオコさんが怒っていた。

「アタシ何しにここに来たの?」

「研ナオコさんに申し訳ない」と考えていると、視聴者からの投稿を張り出しているジャニーズジュニアが、

「碩学のゴキ君、意外といい人ですね」と言っていた。もう何でもありだ。翌朝のNHKニュースではお天気お姉さんの女子アナが

「ゴキ君、私も見てね!」と言っていた。

 クボタさんが、

「来週、退院支援委員会があります。私の後見人になってください」と言う。

 看護師を呼び、

「友人代表としてクボタさんの後見人になります」と言うと、翌日、滝村先生が来て、

「少し仲良くし過ぎてるようですね」と言って、クボタさんとの接触を禁止されてしまった。まったく理不尽な命令なのだが精神病院ではしばしば医者の強権発動が行われる。

 そして、偶然、問題が解けたらしく離院(脱走)のチャンスがやってきた。洗濯物を干すのに外に連れていかれて職員が目を離した隙に逃げ出した。だが、本館の受付あたりをウロウロしていたところを捕まり、敢え無く1病棟の隔離室に入れられた。


 原淳子先生が来た。

「どうしたー(笑)、もう少しだったのにー」豪志は首筋とか胸とか、淳ちゃんの色気が気になってしょうがない。神経過敏気味。道行先生に野村先生も来る。

「六本木ヒルズに行かせてください。村田美夏さんに逢えなかったら諦めて帰ってきますから」

「それは・・・」と、却下された。

 朝日新聞を読む。津田大介さんのコラムが載っていた。

「人のウワサも75日、忘れられる権利」と。

隔離室があるのは1病棟。再び小野先生が主治医となる。


 隔離室から段階的に出る、「時間開放」となり、朝日新聞の読者投稿欄にハガキと封書で投稿を始めた。「意見」には出口のない金融緩和、リフレ論者の批判を書き、川柳も書いた。根岸豪志の実名で載れば伊東先生たちに気づかれるのではないかという考えだった。

あまりにも大量にハガキを買い込んだため小野先生や看護師たちからは訝しがられた。

「アベノミクスは失敗だったと思う。金融緩和と市場介入で株高円安は進んだが市場は歪んだ。特に為替は1ドル=106円から財務省が無限介入しているため不自然な円安が続き、市場は価格弾力性を失った。本来、1ドル=50円程度が適正であるのに、為替はまったく動かなくなってしまった。

 安倍政権では、財務省主導で緊縮財政、中間層への増税、富裕層、大企業への減税政策がとられ、中間層は没落し、格差は拡大し、成長力のないゾンビ企業が生き残った。財政投資は手控えられ、経済成長は殆んどなく、日本はGDP比で世界でもドンドン貧しい国になっていった。

 だが本来自民党政権で虐げられている若い中間層は熱狂的な自民党支持者となっている。このパラドックスはやはりグローバル化とアイデンティティーの喪失が原因だろう。豪志の家は高収入高学歴で自民党政治のほうが得だ。だが父親はリベラル支持で労働者階級が報われる社会民主主義的な政治を正義としてきた。

伊東先生や津田さんなど多くのリベラル派も同様なのだが、エリートの欺瞞と貧困層には映る。もう保守政治でいいんじゃないかとも思う。頭の悪い貧乏人は勝手にしろと。だが伊東先生や豪志の父親は正義にこだわる。うーん、となってしまう(笑)。

 アベノミクスは出口がない。国債と株と為替を永遠に買い支え続けなければいけない。すでに、国債も株も日銀の保有比率は突出していて、マーケットは完全に歪んでいる。介入をやめれば、株は暴落し、長期金利は跳ね上がり、日本は財政破綻する。リフレ論者は都合の悪い議論には口をつぐんでいる」

 川柳には、

「何事も根拠を明示、師の教え」などと書いていたら、テレパシーで津田さんが

「無理をして無理を重ねて来た道を、振り返らずに去り行くキミかな」と詠んで、伊東先生が、

「弁証法、避けては通れぬ論理性」と詠んだ。全部、朝日新聞社に送ったがそれでも掲載されなかった。風刺画には、

「トカゲの尻尾切り、身が持たない」と描かれた。

「何で載らないかなあ」掲載される基準が分からなかった。次第に問題を出すこともできなくなり、普通の退院を目指すことになった。


9月に主治医の小野先生とPSWのヒラカタと担当看護師のシノブとともに、1病棟の医務室で退院支援委員会が開催された。

「退院後はどうするつもりですか?」と訊かれたので、

「六本木ヒルズで村田美夏さんと暮らします」と答えると、小野先生は

「そ、それは結婚するということですか!」と驚いていた。

 新聞広告に「アベンジャーズ、世界を救うヒーローたち」と掲載された。

 

 伊東先生はテレパシーを使った遠隔治療で、電気を流して、豪志の「クラッシュシンドローム」を治してくれた。事故などの後遺症で筋肉から毒素が出る病気らしい。豪志の長年の闘病生活の中でいつの間にか筋肉から毒素が出るようになっていたのだ。

 東大ではもう電気治療が中心で薬物治療は危険なのであまり行われてないとのことだった。

 薬物治療を行ったうえで電気を流すと薬物の効果が倍増することも、豪志は実感として分かった。

 伊東先生は退院に向けた生活指導をしてくれた。朝は6時半に起床。布団をたたみ体操する。食事は姿勢よく作法を守り品よく食べる。NHKのニュースと新聞で政治経済文化をチェック。

 テレパシーで「テロ特措法」と伝えられた。オウム真理教の地下鉄サリン事件のときに定められた法律で、権力が恣意的に濫用できる極めて危険な法律だという。そして、戦前の「大逆事件」にもなぞらえられていた。幸徳秋水以下十数名が処刑されたテロ事件を引き合いに出されていたのだ。


1病棟ではヒデオさんとジュンイチさんと同室になった。ジュンイチさんは退院請求を群馬県にかけるという。

「これが最後のチャンスだ」

 2ヵ月待ってようやく群馬県から退院請求の申し立てを聴く役人が来た。そこでジュンイチさんは、

「人間はねえ、人間はやり直せるんです。いまさら病院に対して恨みつらみはない。出して頂けませんか」

 役人の人たちは

「なんて高潔な人だ」と感激していた。

 だが、結局、退院の許可は下りず。

 それから、ジュンイチさんはすっかり元気をなくしてしまい、塞ぎ込むようになる。


 ジュンイチさんが死んだ。便秘をこじらせ多臓器不全で最期は口から泡を吹いて死んでしまった。便秘薬すら拒薬していたのだ。同室だった豪志が第一発見者である。すぐに看護師を呼んだのだが、当直の医師と看護師二人でのAEDを使った救命措置も実らず、帰らぬ人となった。本当にすごい人だったが、30歳から73歳まで43年間も強制入院させられていた不幸な人生でもあった。

 

 11月と12月に、精神病院から一時帰宅する「外泊」を松戸の自宅でして成功させた。精神病院では「外出」や「外泊」を成功させることが退院への近道なのだ。外泊に出かける日、朝日新聞のコラム、哲学者の鷲田清一さんの「折々のことば」に伊東乾の「聴能力」の一節が載った。掛かっている。タイミングが良すぎる。

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