6・逆転

 鬼嶋機長の体は衝撃で半回転して仰け反り、天井を見上げて口を開いた。額には、赤い穴が空いていた。

 銃弾はヘルメットの内部に脳漿をぶちまけ、しかし超高分子量ポリエチレン製のヘルメットを内側から突き破ることはできなかった。全ての運動エネルギーをヘルメット内部に放出し、機長の脳を粉砕したのだ。

 ヘルメットの下から、肩口に脳の破片が混じった体液が溢れ出る。機長は両目を見開いたまま、一瞬で絶命していた。

 発砲の残響が次第にエンジン音に溶け込んでいく……。

 凍りついたような時が過ぎる。

 谷垣はコックピットには入っていなかったが、通路から一部始終を目撃した。

 誰もが理解を超えた状況に思考停止に陥り、動きを止めた。

 ただ1人、発砲した長谷川だけが矢継ぎ早に行動を起こしていた。

 最初に山下船長の腕の固定ベルトを切った。そして手にしていたメスを山下に渡す。AORの備品から密かに取り出して隠し持っていたのだ。

 長谷川自身は戸口で振り返り、拳銃を谷垣の腹に向ける。その目からは、ためらわずに発砲する意思が滲み出ている。

 危機を察した谷垣は反射的に行動していた。

 背を向ければ、背後から撃たれる。体をかがめ、伸び上がるように前に出る。

 拳銃を握った長谷川の手を両手で覆い、体をひねってAORの壁に叩きつける。万一引き金が引かれても銃弾が直撃しない位置に踏み込む。だが、壁に囲まれた狭い通路の中では跳弾は防ぎようがない。

 それでも、長谷川に拳銃を持たせたままでは再び誰かが撃たれかねない。奪う以外に選択肢はなかった。

 谷垣は引き金にかかった長谷川の指を掴んで引き剥がした。その勢いで、指の関節をねじりあげる。骨が折れた感触と同時に、長谷川が悲鳴をあげる。

「畜生!」

 谷垣は行動を起こした途端、自分が冷静に状況を把握できていることに気づいた。

 理由は分からないが、長谷川はテロリストに協力して機長を射殺した。

 ならば、長谷川は〝敵〟だ。

 谷垣は拳銃を奪い取った。そして、長谷川に向けた。

 だが引き金を引く寸前、長谷川は谷垣を蹴り飛ばした。同時に身を引いてコックピットのドアを閉じる。中からドアをロックする音が聞こえた。

 背中を主キャビン扉に打ち付けた谷垣は、詰めていた息をもらした。

「なんだよ、これ……」

 横のAORのドアから、灘が顔を出す。

「銃声か⁉」

 谷垣が振り返った。

「やばい事態です。長谷川さんが機長を射殺しました」

「は?」

 灘には、理解不能な展開だった。

 現場を目撃した谷垣ですら、そうなのだ。不意に怒りがこみ上げる。

「なぜ、とか聞かないで! 俺だって分かんない! でも、間違いない。長谷川が機長を殺して、山下と一緒に立てこもった。中野さんが人質になった」

 谷垣は奪った拳銃を見せると、それをどうすべきか迷った末に、再び自分のズボンの背中に差し込んだ。

 灘も谷垣の言葉に嘘はないと直感した。思わず、うめく。

「まさか……」

 谷垣は灘をAORに押し戻していく。スライド式のドアを閉じ、中からロックレバーを倒した。手術中はAOR内部を無菌に近づけるために、ロックと同時にドアはほぼ密閉される構造になっている。

「山下はテロリストなんでしょう? だったら長谷川も仲間だ」不意に何かに気づいたように、口調が冷静に変わる。「長谷川が医官になったのって、何年前だか知ってますか?」

 谷垣はこのチームに加わってから1年しか経っていない。長谷川はすでに医官として勤務していた。いつ自衛官になったかは尋ねた記憶もない。

 一方灘は以前、長谷川に医官になった理由を質問したことがある。その際の記憶があった。

 質問の意図も分からないまま、答える。

「東日本大震災がきっかけだったと聞いたが……」

 谷垣がため息をもらす。

「そんな前から……。完全に潜伏工作員じゃないですか……。いつか行動を起こす日に備えて、ずっと俺らを騙していたんだ……」

「だが、災害救助のために自衛隊に参加したと……。きっと、脅迫されてるとか、家族を人質に取られたとか――」

「俺、あいつの顔見てるんです! 完全に確信犯――狂信者の目です!」

「だが……国の役に立ちたいって……」

 灘には信じられないようだ。

「その国って、どこですか⁉ 北朝鮮じゃないんですか⁉」

「そんな……」

「俺だって信じたくない! 身代金を要求したならテロリスト気取りの犯罪者かとも疑ったけど、隙のない準備はしているし、計画は緻密っぽいし……。金目当てなら、そんなに時間をかけられるはずがない。これ、武力攻撃の始まりなんじゃないんですか?」

 灘の表情に恐怖と困惑が混じりあった。視線を泳がせ、泣き出しそうな声を絞り出す。

「どうしてそうなるんだよ⁉」

 谷垣は冷静な分析を始めていた。

「きっちり練られたテロなら、大掛かりな組織のサポートも必要です。主犯は日本に敵対する国家でしょう。北朝鮮や中国の他に考えられます? 島で工作員も捕まったんでしょう? 少なくとも、資金援助はしているはずです。今じゃ韓国だって疑わなけりゃならないけど、医師を自衛隊に潜伏させるには半島系の方が有利です。在日朝鮮人なら見た目も言葉も日本人で通せるし、経験のある医師なら医官への転身は歓迎されますから。で、いつか行動を開始するタイミングを伺っていた……っていうか、本国からの指令をじっと待っていた――。そのモグラが行動を開始したなら、宣戦布告っていうことじゃないですか⁉」

「宣戦布告って……」

 AORに入った谷垣はベッドに横たわる患者を見下ろして、考えをまとめるかのようにつぶやく。

「大臣の孫を誘拐……しかも、わざと熱傷を負わせて身代金の要求……。これってある意味、タイムリミットの設定ですよね」

 灘の頭脳は混乱し、谷垣の思考に追いつけない。

「なぜ?」

「重要人物が命に関わる怪我を負っていれば、時間稼ぎなんかしてられないじゃないですか……」さらに考えながらつぶやく。「一刻も早く病院に収容したいし、政府としては金を払うしかない。支払いを拒否すれば爆弾で機体ごと破壊、か……。爆弾は、燃料切れまで着陸させないためのフェイクかも……。だが、もし本物なら……モグラまで動かした計画なら、長谷川が爆弾を仕掛けたのか……? いや、整備に仲間を紛れ込ませていたのかも……。でも空中で爆破すれば長谷川も山下も死ぬけど……。そもそも、なぜ長谷川は正体を現した……? あ、山下が捕まったからか……。あいつがキャビンに立てこもったままなら、どのみち病院に着陸するしかないし、長谷川は医官のまま工作員を続けられたかもしれない……。計画を軌道に戻すために正体を現したのなら、すでに狂い始めてるってことか……」

 灘がすがりつくような視線を向けた。

「お前、どこでそんな考え方を学んだ?」

 谷垣がはっと気づく。

「え? あ、別に学んだわけじゃありません。謀略小説とかが好きだから、自然にこうなっちゃうんです。だいたい、そんな教育機関なんて日本にないじゃないですか」

 谷垣の冷静さに触発されて、灘の頭も働き始める。

「ま、そうだよな。防衛大学にだって諜報や防諜を教えられる教官は少ないってレクチャーされたことがある。そもそも、まともな諜報機関がないんだろう? 現場で考えるしかないってことか」

 谷垣が灘を見つめた。

「灘さんはどう思います? あなたなら、これからどうします?」

「自分には判断しようがない。こんな状況、初めてだ。そもそも、自衛官になりたてで訓練も自覚も不充分だ」

「それでも、意見を聞かせてください。ここにいる俺らでなんとかしなくちゃならないんですから」

「戦えってか⁉ 衛生隊には武器なんかないのに?」

「拳銃なら、奪ってます」

 灘が一瞬息を呑んでから、考え込む。そして覚悟を決めたように、ゆっくりと話し始める。

「……お前の見方は、正しいと思う。長谷川たちが北朝鮮の工作員なら、あるいは死ぬ覚悟で行動を起こしたかもしれない。本当に機体の爆破もありうる。だが、目的は身代金なんだろう?」

「それすら都心に侵入するための口実しかもしれません。途中で邪魔させないためにね。自爆テロなら、なんでもできますから」

「オスプレイごと重要施設に突っ込ませるとか、か……?」

「でも、この機体はそんなに大きくないですよね。機内に大量の爆薬を仕掛けるのも難しいだろうし……。旅客機とは違うから、ぶつかったところでビルは壊れないだろうし……。なんでわざわざオスプレイを選んだんだろう……」

「機体を奪いたいのかもしれないな」

「だったら、大臣の孫まで誘拐してこなくても……。しかも離島にまで運んで重傷を負わせたってことは、この機を病院に着陸させたいってことでしょう?」

「だったら、爆弾はやっぱりフェイクか?」

「目的が身代金だけなら、自分も生き残りたいのが普通ですもんね。爆弾って、本当にあるのかな……?」

「あるとしても、長谷川には仕掛けられないと思う」

「なぜ?」

「あの人、けっこうな機械音痴なんだよ。最新装置にはいつもまごついている。やはり整備関係者にスパイが入り込んでいるんだろう」

「政界やマスコミほどじゃないにしろ、自衛隊にだって協力者はたくさん潜入してるって噂されてますしね」

 灘が不意に気づく。

「いや、違う! 山下の手荷物だ!」

 しかし谷垣は賛同しない。

「それも考えましたが、手荷物なら機外に捨てて終わりです」

「だが、拳銃は隠していた!」

 谷垣は虚を突かれたようにうなずく。

「確かに……確認はしますか」

 2人はキャビンに出た。

 3人の民間人たちが一斉に不安げな視線を向ける。

 森がおずおずと言った。

「また銃声がしたみたいでしたけど……」

 灘が嘘をつく。

「山下が長谷川さんを人質にしてコックピットに立てこもった」

「なんでそんなことに⁉」

 民間人には、機長が殺されたなどとは教えられない。

 恐怖を煽りたくないという灘の配慮を察して、谷垣が言う。

「俺の失敗です。目を離した隙に」

 灘が膝をついて、山下が残していったドラムバックのジッパーを開く。上には、着替えなどの衣類が詰まっている。それを退けると……。

 灘は谷垣を見上げ、緊迫した表情で小さくうなずいた。爆発物らしきものが発見されたという合図だ。

 灘は衣類を元に戻してジッパーを閉める。そして、そっとバッグを持ち上げようとした。しかし、バッグは動かない。手提げを引っ張っても、ピクリとも動かない。

 無言で谷垣が変わる。思い切り引っ張り上げる。やはり手提げベルトが伸びきってもバッグは動かない。と、不意にバックが軽くなって、谷垣は思い切り尻餅をついた。

 バッグの底が外れ、外側だけがすっぽり抜けてきたのだ。

 周囲に、バッグの中身が散らばる。たくさんの衣類の下に、何本ものチューブや黒のペイントスプレー缶が転がった。

 灘が衣類を退けると――その下から、金属の箱が出てきた。

 灘が、そっと箱に触れる。しかし箱は、押しても動かない。なぜか床にがっちり固定されている。

 灘が森を見上げ、あえてゆったりとした口調で言った。

「いろいろ心配でしょうけど、飛行は順調に進んでいます。そのままでお待ちくださいね。この荷物には触らないように」

 森が落ち着いた声で問う。

「それ……なんですか?」

 しかし表情には、明らかな恐れが滲み出している。

 工藤由香里は圭子に顔を埋めて抱きしめられている。圭子は固く唇を結んで、無言だ。緊迫した機内では頼れるのは身内しかいない。

 灘は彼らを見つめ、厳しい口調で命じた。

「絶対に触らないで!」

 立ち上がった谷垣が灘を見て、顎でAORを示す。

 そして2人はAORに戻ってドアを閉めた。

 谷垣がつぶやく。

「爆弾で間違いないですね」

「あの箱、床に固定されている。強力な磁石か何かでくっつけたのか?」

 谷垣の呼吸は、緊張で荒くなっている。引きつった笑みを浮かべていた。

「やだな、灘さん。そろそろ機体の勉強もしてくださいよ」

「どういうことだ?」

「オスプレイの機体は、半分近くが複合素材です。単純な鋼材なんて重いし弱いし、役に立たないことが多いんです。だから機体がバカ高いんじゃないですか……」

 オスプレイの胴体や補強材は、主にプラスチックで補強された特殊炭素繊維複合材料――AS4グラファイトと呼ばれる素材で成型されている。金属疲労のような劣化が少なく、腐食への強さ、高い衝撃耐性が特徴で、墜落時でも乗員の生存性を高めることができる。特に薬品の使用が多いAOR型では、より重要な効果を上げている。

 また主翼は、ハーキューリーズM6と呼ばれる、名称からして頑丈そうな素材の一体構造だ。グラファイト/エポキシのソリッド積層により、あらゆる方向に対する最大引っ張り強度を実現していた。

「だったらなぜ、くっついている?」

「瞬間接着剤が何本も入っていたじゃないですか」

「あのチューブか!」

「バッグに、床に置いてから底を外せるような仕掛けがしてあったんでしょう。多分底は、ジッパーか何かで止めていたんだと思います」

「そういえば山下は、ゴソゴソ中身を探っていたな……」

「世間話でみんなの気をそらしながら、そんな準備をしていたんでしょう……」

「お前が言った通り、スプレー缶も入っていた。そういうことには頭が働くんだな」

「知恵を絞ったのは、奴らの方ですよ。俺は手荷物は最初から除外して考えてましたから。あの箱、開けられそうですか?」

「天板はネジ止めされていた。外せば、中が見えるんじゃないか?」

「それ、多分トラップですね。迂闊にいじるのはまずいです。外した途端にドカン……ってことはないでしょうけど」

「なぜだ?」

「ここまで計画を詰めているんだから、予想外のアクシデントで墜落はさせたくないはずです」

「なるほど」

「民間人にはどう説明します?」

「正直に話してパニックを起こされても困るが、目の前に爆弾があるんじゃ隠しておくわけにもいかんだろう。下手にいじって爆発させたら目も当てられないしな……」

「で?」

「自分が決めるのか? お前の方が先輩だぞ」

「規定ではあなたが上官です」

 灘が仕方なさそうなため息を漏らす。

「できれば、コックピットに知られずに統括に連絡を取りたいが……」

「できるじゃないですか。AORですよ、医療データの通信設備は整っています。衛星通信で、コックピットとは別系統です」

 灘がようやく微かな笑みを浮かべる。

「だよな。お前、通信できるよな?」

「それも救命士の仕事です。灘さん、後ろの乗客に説明して、大人しくしてもらってください」

「そっちが自分の役目のようだな」

 灘はキャビンへ向かう。

 谷垣が、ベッドに投げ捨てたヘッドセットをもう一度装着する。

 統括の医療サポートチームとの通信が開くと、相手からいきなりの質問が飛び込んだ。

『そっちは誰だ⁉ コックピットで何があった⁉』

「谷垣二尉です。機密保持は万全ですか?」

『こちらは隊長の高須。この回線で問題はない』

「ハイジャックされました」

『詳細を報告せよ』

「鬼嶋機長が射殺されました。犯人は長谷川医官。現在は中野一尉を人質に取り、山下船長とともに立てこもり。キャビンに持ち込まれた手荷物に爆弾らしき物を発見。外見は金属製の箱。床に接着されていて、移動不能。対応策の指示を乞う。送れ」

『やはりか……』

「コックピットの映像は見ているんでしょう?」

『キャビン同様、画面がブラックアウトした。事態がそこまで悪化していたとはな……。以後の連絡は私がここで受ける。山下船長の声でハイジャックの宣言あり。機長死亡に疑いはないか。送れ』

「間違いありません。額を撃ち抜かれました。コックピットはロックされ、侵入不能。山下から追加の要求はありましたか? 送れ」

『正体不明の人物から官邸に再度要求あるも、身代金の支払いを繰り返したのみ。支払い準備を終えたら送信先を通知、入金が確認できるまで東京上空を旋回し、燃料が切れる直前に爆破すると宣言。望月氏の容態に変化はないか? 送れ』

「全身麻酔にて昏睡状態維持。バイタルは小康状態を保っているも、一刻も早い本格治療は不可欠。身代金支払いは進行していますか? 送れ」

『それは我々には知らされていない。爆発物扱いの指示を送る。金属の箱の内部構造を知りたい――』

「開けろって⁉」

『落ち着け。爆発物があると分かった時点から習志野を中心にEODで対応を検討していた。AORの後方散乱X線レントゲンなら、内部構造を透視できる可能性が高い。試みろ』

「なるほど!」

『各種ファクターを変えながら、少しでも透視が可能ならデータを送るように。こちらで精査して、構造を明らかにする。対応策はそれから指示する。送れ』

 EODは、爆発物処理を意味する。自衛隊では、陸上に不発弾処理部隊、海上に掃海部隊、そして特殊作戦群に対テロ部隊などが存在している。習志野は、特殊作戦群の本拠地だ。

 彼らはいずれも爆発物に精通したプロフェッショナルで、特に沖縄では現在でも毎日平均2件近くの不発弾処理が行われている。

 谷垣は、統括の対応の素早さに安堵のため息をもらした。どれほどの効果が望めるかは別にしても、自分たちが孤立していないという安心感は得られる。

 反面、もう一つの可能性に気付かぬわけではなかった。爆発物の中にX線を感知するセンサーが組み込まれていれば、それが起爆のスイッチになるかもしれないのだ。しかし、それを問いただしたところで、統括が答えを持っているわけもない。実地に試す以外に、解答は得られない。

 医師である長谷川がテロリストの仲間なら、X線走査の可能性にも気づいているはずだ。センサーを組み込めば、逆に想定外の爆発でプランが崩れる恐れもある。そんな危険は犯さないだろうと期待するしかない。

 谷垣は間髪を入れずに答えていた。

「了解。その他の指示はないか? 送れ」

『当面は現状を維持。コックピットに変化があれば、連絡せよ。終わり』

「了解」

 背後に灘が戻る。

「箱が爆発物だと説明してきた。身代金を要求されていることも明かしたが、仕方なかろう。ハイジャックされたことも長谷川が犯人だということも、話さないわけにはいかなくなった。この密室では隠し事も難しいからな。で、統括からはなんと?」

「レントゲンで爆弾の内部を調べろって」

「できるのか?」

「たぶん可能です。このレントゲンは衛生ユニット用に開発されてますから、小さいですけど超強力ですので」

「でも、X線を感知して起爆したりしないか?」

「それも、やってみないと知りようがないんですよね……」

 賭けではあったが、最初の賭けに勝ちさえすればその先の展望も拓けるだろう。テロリストの言い成りになって鼻面を引き回されるより、反撃を試みるべきだ。戦う気概がなければ、国を守ることなどできない。

 谷垣は、そう決意していた。

 医療活動に特化した衛生隊に武器は装備されていない。それでも機内にはAORという特殊な〝装置〟がある。それを武器として、反抗のチャンスを拡大していくほかはないのだ。

 今は、後方散乱X線型レントゲン装置が最も有効な対抗手段だ。

 谷垣が空きベッド側にあるコンソールを操作してシステムを起動する。同時に壁面にセットされている大型モニターに明かりが灯った。システム起動を知らせる文字が浮かぶ。

 次に手術台の上部のアームにセットされていたレントゲン装置本体を取り外す。一抱えもありそうな白い〝箱〟だ。一見、魚市場の発泡スチロールケースのようにも見えるが、持ちやすいように左右にグリップが付けられている。AORのコンピュータとは無線で繋がっているために、アームから外しても使用可能なのだ。屋外活動用に、内蔵バッテリーも装備されている。

 谷垣が言った。

「灘さん、オペレーティングをお願いします」

 灘は不安げだ。

「人体なら問題ないが、無機物が相手じゃ自信ないぞ」

「人間に使う方が難しかったテクノロジーですから、できるはずです。統括もそう言ってたし。波長を色々変えてみれば、機能するポイントが見つかると思います」

「まあ、やってみる他はないがな」

「俺は爆弾の方を担当します。そっちから指示をください」

「いや、やはりそれは上官の自分が――」

 谷垣が腕の包帯を見る。

「その腕で? レントゲンを爆弾の上に落とされたら、危ないじゃないっすか。そうじゃなくても、俺の方が力がありますから」

 灘は苦笑いを返して操作パネルに向かう。

 谷垣はレントゲンを抱えてキャビンに入った。

 レントゲンを見た森が、震える声で尋ねる。

「何をするんですか……?」

 谷垣は一瞬、真実を告げるべきかどうか迷った。

 この狭い室内では危険をごまかすことは難しい。協力を得なければならない時に、パニックで暴れられても困る。

 しかも彼らは、すでに灘から事実を説明されている。

 ならば、正面から向き合うべきだ。

 レントゲンを金属の箱の横に置いて、正座して森たちに対面した。工藤たちは、抱き合って必死に震えを抑えている。

 谷垣は、彼らの目を順に見渡した。

「これ、爆弾だって聞かされましたよね。怖いのは分かります。でも、この機体はテロリストにハイジャックされました。長谷川先生も犯人一味です。有無を言わせずに機長を殺しました。彼らは、死ぬ覚悟があって爆弾まで持ち込んだんだと思います。国が身代金を払う保証もありません。それが現実です。自衛隊の仲間たちは、俺たちを助けたくても助けられない状況なんです。生き残るためには、自分たちでできるだけのことはしないとなりません。協力をお願いする時は、ぜひ力を貸してください。これから、爆弾の構造を調べるためにレントゲンで透視してみます」

 森がつぶやく。

「X線を当てても大丈夫なのか……?」

 谷垣はきっぱりと言った。

「それを調べるのも目的です。万一爆発したら……多分、俺は死ぬでしょう」

「こんな狭い場所じゃ、僕らだって……」

「どうせ、墜落したら逃げようがありません。高度3000メートルですからね。ただし、うまくいけば爆薬を無力化する方法が見つかるかもしれません」

「それでも、やるのか?」

「やらなければ、言いなりにされるだけですから。反撃のチャンスに備えて、情報はできるだけ多く集めておかないと。それに、敵は長谷川です。俺たちがレントゲンを持ち出すことだって予測してるはずです。その程度で爆発するんじゃ、身代金要求とか台無しじゃないですか。ま、当てずっぽうには違いないんですけどね」

 工藤由香里が涙声で訴える。

「そんな、いい加減な……それじゃ、わたしたちに死ねって――」

 意外にも、叱責したのは圭子だ。

「由香里、やめなさい。男の人が腹をくくっているんです。邪魔してはいけません」

 立ち上がった谷垣が微笑みかける。

「おばあちゃん、ありがとう。けど、大丈夫ですよ。超窮屈ですけど、あなた方はAORに入ってドアを閉めていてください」そして、複雑な目で森を見上げる。「先生、俺はやっぱりあなたが許せません。でも、今は個人の感情なんか出していい場合じゃない。協力お願いします。工藤さんたちをよろしく」

 森はうなずくと、シートを立って工藤たちをAORに押していく。そして、ドアを閉じる前に振り返った。

「お姉さんのことは済まないと思っている。僕は未熟だった」

 谷垣は、森の目を直視することができなかった。

「あれから俺も、いろんなことを学びました。これでも医療の現場で働いていますから……。世の中には予測不能な患者もいるし、未熟な医師がいることも分かりました。あなたに過失があったわけじゃないと思います。運が悪かったんです。姉ちゃんも、不運な体質に生まれついただけです。許せない理由は、俺が未熟だからなんでしょう。でも……身内のことになると、どうしても気持ちが先に立っちゃうんです……」

「それは誰だって……」

「何も言わなくていいですって。今は俺たちも、悪運に見舞われてます。これで運が尽きることを祈りましょう。さあ、ドアを閉じて」

「僕たちの命は君に預けた」

「ちゃんとお返ししますよ」

 森がAORのドアを閉めると、谷垣は壁のスイッチを押した。

 微かなモーター音とともに後部ランプが割れて、上下に開いていく。エンジン音が一気に高まり、外気が激しく吹き込んでくる。その先に、真っ青な水平線が見える。

 谷垣はタラップが降りきる前にスイッチを切った。

 それは、万一爆弾を起爆させしまった場合に備えた措置だった。狭い空間に密閉したまま爆発させれば、圧力は内部にこもって機体を切り裂き、中の人体も爆死する。後部を開いて圧力を逃せば、機体の前半分には破壊が及ばない可能性も残るのだ。それでオスプレイが生き残れる確率が、何パーセントかは高まる。

 ほんの数パーセントは……。

 目の前で爆発が起きれば谷垣の命はないだろうが、全てを失うよりは望ましい。

 ヘッドセットから灘の声がする。

『ランプを開いたのか⁉』

「爆発した場合の備えです」

 その言葉だけで、灘は谷垣の決意を悟ったようだ。それ以上は質問しなかった。

『こっちの準備は整った。走査を開始してくれ』

「箱に乗せます」そして谷垣は息を詰めた。「スイッチを入れます――今、入れました。X線を照射しています」

 爆弾に変化はなかった。

 谷垣が、詰めていた息を吐き出す。

 わずかな間があって、返事がくる。

『見えた! だが、これじゃ配線とかまでは見分けられないな……今、微調整している……お! あったぞ! 内部が鮮明に見えるセッティングが分かった。上部からの画像は保存した。次は四方向から側面を見せてくれ』

 そうして彼らは爆弾の内部映像を集め、スマホで撮影した爆弾の周囲の画像と合わせて統括へ送信した。

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