11・土曜日【決意・サイドA】

 昨夜、宇賀神が受け取ったメールには、1枚の写真に短い文面が添えられていた。まるで悲鳴を上げているような内容だった。

『助けて。林から電話で命令された。「明美を助けたかったら宇賀神さんと2人で来い。警察には絶対に知らせるな」って』

 聡美からの電話は取らないようにマナーモードにしていたため、止むを得ずメールを送ってきたようだ。

 添付の写真は、林と明美のツーショットだった。明美は悪魔のコスプレで、林は明美の首に作り物の馬鹿でかいナイフを突きつけてニヤニヤと笑っている。その写真だけなら、コスプレ会場でじゃれ合っているアニメファンにしか見えない。だが、聡美が受けた命令を考えれば別の意味を持つ。露骨すぎる脅迫だ。しかも写真が撮られた場所は、林の部屋のようだ。

 宇賀神は聡美への返事を考える前に、まず相馬所長にメールを見せた。自分の身を守るためには、これ以上勝手な振る舞いで組織を撹乱することはできなかったのだ。

 相馬は署長と内密に相談し、本部も巻き込んだ検討課題になった。写真が林の部屋で撮られたことは、高梨が確認した。30分後に出た結論は、宇賀神に極秘捜査を命じることだった。

 署長から直接、『もう一度聡美と会え』との指示が下った。

 最大の目的は、道警本部のための時間稼ぎだ。

 本部は、偶然転がり込んできた証拠を徹底的に利用し尽くす考えでいた。証拠の検討を終えて一斉にガサ入れが開始されるまでは、林の周辺に波風を立てないでおきたい。札幌の組幹部が異常を察して対応策を講じ、取り締まりが空振りに終わることを警戒したのだ。

 そのためには公判を維持できるだけの強固な証拠固めが不可欠だ。林を中心にした交友関係、すなわち販売ルートを確定すること。特に厳重に秘匿されている組織暴力団との繋がりを暴くこと。麻薬と金の流れの全体像が明らかにできなければ、組の中枢に切り込むことはできない。これまでは構成員のガードが固く、金の経路にも近づくことができなかった。林が隠し持っていた膨大なデータは、それを可能にする力を秘めていた。

 麻薬取引の様々な断片が、データには記録されている。しかし〝点〟でしかない断片をつなげてネットワーク全体を可視化しなければ、証拠としては力を持てない。取引の1コマ1コマがカードに記録されてはいても、素人の隠し撮りなので場所すら定かではないものがほとんどだ。林も、隠し撮りを上部組織に悟られるような危険は命に関わると知っているのだ。地面しか写っていない録画も多かった。背景や周囲の音を頼りに場所を特定していくのは気が遠くなる作業だ。

 他にも、傍証を集めなければならない点が山積みだ。

 取引のビデオから関係していそうな組員を類推して声紋を採取する。エンドユーザーから得た金を組へ還流させるルートを推理して、それに携わる人物や企業を洗い出していく。逆に、組から林への薬物受け渡しの行程も解明する――。

 さらにエンドユーザーを探し出して、麻薬汚染がどこまで拡大しているかを明らかすることも重要だった。林が誰にどんな薬物を売ったかを特定できれば、学校や住宅街にまで浸透しているといわれる密売ルートを潰すこともできるのだ。

 まるで、何千というピースのジグソーパズルを組立てるようなものだ。片手間でできる捜査ではない。逆に時間をかければかけるほど、大きな成果も望める。

 本部の管理官の感触では、札幌の薬物関連の捜査員を総動員しても、目処がつくまで最低1週間から10日はかかるだろうという。しかも作業は、外部に漏れないように厳重に秘匿しなければならない。暴力団の構成員に接触しなければ必要な情報は得られないが、その際に大型の捜査が進行していることを悟らせてはならない。本部と所轄の捜査員を一気につぎ込んで証拠固めに集中すれば時間は短縮できるとしても、組の警戒心を高める危険を冒すわけにはいかないのだ。

 一方で、時間が経つほど明美の身が危なくなることは誰もが分かっていた。だが警察の方針は変わらない。最悪の場合、明美は犠牲になっても構わないというのが暗黙の了解だった。

 そもそも明美は、林の仲間だと考えられている。麻薬盗難の実行犯であることはもはや誰も疑っていない。仮に明美が傷つけられたとしても、それは半グレ仲間の内部での諍いに過ぎず、警察が守らなければならない一般市民には関わりが薄いのだ。

 ただし、聡美が妹の身を案じて半狂乱になれば、林の周囲で人目を引く騒ぎを起こしかねない。実際に千歳中央署では署員の注目を浴びている。それが組の情報網に引っかかることだけは絶対に防がなければならない。

 つまり宇賀神は、聡美の暴走を防ぐために〝手綱〟の役目を命じられたのだ。宇賀神も、明美を切り捨てても構わないという署の方針を了解していた。そして、それが正しい判断だと確信している。

 相馬は言った。

「林が君たち2人を呼びつける目的は、まだ分からない。明美さんがらみだけなら、わざわざ警官のおまえまで指名するとも思えんのだ。本部もひどく困惑している。だから、臨機応変に対応してもらうしかない。最優先の課題は、聡美さんを落ち着かせて絶対に騒ぎを起こさせないようにすることだ。可能な限り、林から遠ざけて欲しい。とにかく、証拠固めの時間を稼がなければならない。トラブルを起こして警戒心を掻き立てるような事態は阻止しろ。最悪でも、札幌の組には捜査が進行していることは絶対に悟らせるな。林は今、自宅で大人しくしている。マンションの玄関は見張っているから、奴が外出したら君にメールで連絡を入れる。聡美さんに気づかれないように読んでくれ。判断しかねる事態が起きたら、私に直接指示を求めるように」

 無論、宇賀神自身には多少の後ろめたさはあった。できることなら、一度は関係を持った明美は助けてやりたい。明美を心配して右往左往する聡美にも協力してやりたい。偶然とはいえ、麻薬取引の重要な証拠を探り出すという大手柄も、彼女たちがいてこそ得られたのだ。だが過度の肩入れは、警察の利益に反する。宇賀神個人の利益にも反する。大浜姉妹とはこれを最後に関係を立たなければならないと、自らを戒めていた。

 宇賀神は、積極的に命令を受け入れた。

 そして、聡美に返信メールを送った。

『返事が遅れてすみません。署内で監視を付けられているもので、自由に動けません。返事は電話ではなく、メールを使ってください。林は具体的にどうしろと言ってきたんですか?』

『メールが来てます。「次に連絡するまでカフェ・フォレストで2人一緒に待機しろ」と言ってきました』

『何とか署を抜け出して合流します。行ける時間は遅くなるかもしれませんが、必ず待っていてください』

 宇賀神はいったん家に帰って着替えをすませると、聡美の喫茶店へ向かった。

 それが昨夜の10時頃のことだ。

 宇賀神は、『証拠物件が認められてまた自宅謹慎に変わったので、やっと出て来られた。自宅も監視されなくなった』と説明した。

 聡美と合流してからは、林からのメールを待って2人で夜を明かした。だが、連絡はなかった。その間宇賀神は、聡美を落ち着かせるためにずっと話しかけ続けていた。だが2人はいつの間にか、店のテーブルに突っ伏して仮眠していた。

 聡美が、窓から差し込んだ朝日で目を覚ます。キッチンカウンターの奥に回って入ってコーヒーを入れる。

 その物音と香りで、宇賀神も起きた。

「あ、おはようございます……」

 宇賀神にコーヒーを出した聡美が、不意に思いついたように問う。

「レンタル倉庫から出てきた証拠って、役に立ちそうなんですか……?」

 聡美からは似たような話題を何度か持ち出されていた。だがその度に、はぐらかしていたのだ。それも限界だ。

 宇賀神はどこまで話すべきかをしばらく考えた。あまり話をそらし続けて聡美を逆上させるのも、まずいと思う。

「おそらく、林の犯罪は検挙できるでしょう。量が多いもので時間はそれなりにかかるでしょうけどね。でも、あの中に明美さんの居所が分かる情報があるかどうかは微妙ですね……」

 宇賀神の答えに、聡美は違和感を感じたようだった。

「林の犯罪って……警察には、明美を探すよりそっちが重要なんですか?」

 宇賀神のそれまでの曖昧な態度が、聡美に疑念を抱かせていたようだ。

 宇賀神は口ごもるしかなかった。

「それは僕ごときにはなんとも……下っ端の交番勤務にすぎませんから」

「でも、あの証拠を探し出したのはわたしたちですよ。ちゃんと教えてくれたっていいじゃないですか」

「警察は、上下関係が厳しい組織ですからね。秘密が漏れないように気を使うことも多いです。部署の間でも手柄を取り合って捜査情報を隠すことがありますし」

「でも、それじゃ明美が……。もしかして警察は、明美の身の安全はどうでもいいと思ってるんじゃないんですか?」

「そんなことは……」

 聡美は悲しげ身ため息をついた。

「確かに、あっちゃんが麻薬を盗んだようにしか思えないですものね……だったら、逃げ回っていても当然だし……林に命令されたんだとしても、犯罪は犯罪ですしね……。でも、明美はたった1人の妹なんです。お願いです、何としても助けてください。明美が罪を犯したなら、わたしが更生させます。わたしも罰してください。林に傷つけられているんじゃないかと思うと、苦しくて苦しくて……」

「林が僕らを呼びつける理由にもよります。僕は謹慎を破ってここに来てますから、もう警察の上層部が何を考えているのか知りようがないですしね。そもそも、林の狙いが分かるまでは対処しようにも何もできません。出たとこ勝負なんです……」

 2人は気まずい空気に包まれながら、林からの連絡を待ち続けた。

 その間宇賀神は、時々聡美の隙を見て署にメールをし、現状を知らせると同時に捜査の進捗状況を確認した。

 林からの連絡がないまま、午前中が過ぎる。

 聡美は憔悴した表情でつぶやいた。

「宇賀神さん、お腹が空いたでしょう? 今、何か簡単なものを作ります」

 宇賀神は席から腰を浮かせた。

「僕がそこのコンビニで何か買ってきます。聡美さんは休んでいてください」

 聡美は悲しげに微笑んだ。

「大丈夫。動いていないと、気が変になりそうで……」

 宇賀神が坐り直す。

「確かに……。分かりました、お任せします」

 食材を取るために裏の冷蔵庫に向かった聡美は、しかしすぐに戻ってきた。慌てて血相を変えている。

「裏口で物音がしたんで見に行ったら、こんなものが雪の上に置いてありました……」

 一抱えもありそうなアマゾンのロゴが入った段ボール箱だ。使い古しらしく、ガムテープで封がしてある。

 眠そうだった宇賀神の目が真剣に変わる。

「今、置かれたんですね⁉」

「たぶん……昨日はありませんでしたから……」

 宇賀神が慌てて玄関から外へ飛び出していく。

 数分後、肩を落として戻った。

「辺りを見てきましたが、怪しい人物はいませんでした」そしてスマホを出す。「署に連絡します」

 聡美は急に怒鳴った。

「やめてください!」

 宇賀神が意外そうに聡美を見つめる。

「持ってきたのが林かどうか、確かめたいんです。もう謹慎破りがどうだとか言ってられません。あいつの部屋は、この間一緒に入った喫茶店から仲間が見張っていますから――」

「ダメです! 見張りもやめてください! そんなことが林にバレたら、あっちゃんが何をされるか……あいつ、警察に知らせるなって言ってきてるんですから……」

 涙目になっていた。

 宇賀神も、今は聡美を刺激するべきではないと考えた。

 報告は、聡美の隙を見て後で行えばいい。

「分かりました。まず、箱の中身を調べましょう」

 段ボール箱を開けて真っ先に出てきたのは、A4のコピー用紙に大きく印刷された命令だった。

『警察には絶対に知らせるな。千歳中央署は仲間が見張っている。妙な動きがあったら、すぐに明美を処分する』

 宇賀神がつぶやく。

「やっぱり林が来たのか……」

 同時に聡美が息を呑む。

「処分、って……」

 宇賀神の表情にも、緊迫感がにじんでいた。

「まさか、殺されることはないと思いますけど――」

 聡美は宇賀神の両肩を掴む。

「なぜ⁉ あっちゃんが林に麻薬を盗まされたなら、証人になっちゃう。それって、生きていたら邪魔だってことじゃないんですか⁉」

「だとしても、盗んだのはケタミンがたった1箱でしょう? 口封じの人殺しが見合うほどの重罪じゃありませんよ」

 宇賀神は言いながら、箱の中身を出し続ける。上には、くしゃくしゃに丸められた北海道新聞が詰め込まれている。新聞紙を取ると、黒っぽい衣類が現れた。広げてみると、明美が好んで着ていた悪魔のコスプレ衣装だった。

 聡美がつぶやく。

「これ……あっちゃんのだ……」

 衣装の下には、さらに小さなダンボール箱があった。中身は、アクセサリーなどの小物類だ。目玉がついたコウモリの髪留めも入っている。髪留めには、明美のものらしい髪も絡んでいた。

 宇賀神も驚きを口にする。

「なんだよ、これ……」

 聡美が息を呑む。

「いやだ……まさか、もう殺されてたり……」

「だったら、なぜこんな物を持ってくるんですか⁉」

「でも……」

 箱の底には2つに折りたたまれた紙が入っていた。

 開くと、明美の写真が印刷されていた。悪魔のツノをかたどった、お気に入りの髪型だ。コウモリの髪留めを使っている。その下に命令が印刷されていた。

『大浜聡美に命じる。明美の写真と同じ髪型にしろ。同封の衣装を着て、明日の朝9時に俺のマンションに来い。宇賀神も一緒にだ。警察に知らせてはならない。マンションに来たことを気づかれてもならない。警察署には仲間を潜入させて、見張っている。妙な動きがあれば、明美にあらゆる制裁を加える。覚悟しておけ』

 その命令を呆然と読んでいた聡美が、ぼそりと言った。

「あっちゃんが通っていた美容室に行ってきます。あなたはここで待っていてください。冷蔵庫のものは好きに食べてもらって構いません。それと……お願いですから、このことは絶対に警察には知らせないでください」

「だけど……」

 聡美は、宇賀神のつぶやきを無視した。

「わたし……悪魔って、本当にいるんだと思います。悪魔が人間の形をしているのか、人間が悪魔の形をしているのか……わたしなんかには分かりませんけど……」

 宇賀神は、何も言い返せなかった。


    ✳︎


 宇賀神は聡美が出かけている間に署に現状を報告したが、林が外出した連絡は受けていないということだった。張り込みには、宇賀神のアパートを見張っていた新人を1人だけ付けていたという。

 だが実際に、カフェ・フォレストには林からの荷物が届いている。林が民泊客に紛れて監視の目を破ったか、誰かに荷物の〝配送〟を依頼したようだ。それを見逃した新人刑事は厳しく叱責されるだろう。今後は人員を厳選して監視を強化するとの方針が伝えられた。

 夕方、聡美はカフェ・フォレストに戻った。予想外に時間がかかった理由は、メールで宇賀神に伝えられていた。美容室のオーナーが、最近明美の姿を見かけたという客を知っているというのだ。聡美はその客の住所を聞き出し、話を確かめに行っていたという。

 聡美は髪を脱色し、失踪した時の明美と同じショートボブに変えていた。眼鏡も外していた。慌ててコンタクトを買ってきたという。じっくり見れば体型は明美より痩せてはいるが、宇賀神の目からは明美本人のようにも見えた。化粧もキャバ嬢風に変わり、顔つきがそっくりになっていた結果だ。

 聡美たちは、実はそれほど顔立ちが似ていたのだ。

 2人が好む服装や化粧は、正反対ともいえた。漂わせる雰囲気があまりに違っていたために、観察力が鍛えられているはずの宇賀神でさえ、それに気づいていなかった。

 宇賀神が、軽い驚きを振り払うように言った。

「明美さんの消息はつかめましたか⁉」

 聡美の表情は暗い。

「駅でゴスロリの若い子を見かけたらしいんですが、どうやら人違いみたいでした。苫小牧でやってるコスプレイベントの参加者を遠目で見ただけだったらしくて……」

「こんな真冬にコスプレイベントですか?」

「苫小牧は雪が少ないですからね。それに他の地域は真冬を避けるんで競合イベントがないって、以前明美が言ってました」

「明美さんが参加してた可能性はないんですか?」

「いつも一緒にイベントに出ている仲間にメールしてみました。今年はあっちゃん、来てないですよ、って。参加を予定してたのに、先週から連絡が付かなかったって言ってました」

「連絡なしに友達との約束もドタキャンですか……」

「そんなことする子じゃないんで、余計心配になってしまって……。それに、コスプレのことに関しては人一倍熱心だったのに、イベントをすっぽかすなんて考えられません。絶対、普通じゃありません」

 宇賀神がつぶやく。

「感じとしては、何かから逃げているみたいですよね……」

「やっぱり、麻薬を盗んだのはあっちゃんなんでしょうね……わたしには林が黒幕で、捕まっているとしか思えないんです」

 宇賀神がうなずく。

「僕もそう思います。奴が何らかの犯罪に引きずり込んでいるんでしょう。麻薬密売を手伝わせたりしているかもしれません。最悪の事態になる前に、助け出さないと……。でも、林は何であなたに明美さんの真似をさせるんでしょうね……」

 聡美の目には不安が渦巻いている。

「わたし、あっちゃんの身代わりにされるんじゃないでしょうか……」

「身代わり?」

 聡美が、淡々と答える。

「林があっちゃんを連れ去ったことを隠すために、殺されてどこかに捨てられる、とか……」

 宇賀神が断言する。

「そんなことはさせません。僕だって一緒に来いって命じられているんですから」

「でもあいつが何を企んでいるか、全然分からないんでしょう? 林の部屋に行っても、一緒に居られるかどうか決まってないじゃないですか」

 宇賀神が聡美を叱責するように語気を強める。

「そんな物騒なこと言っちゃダメです!」

 だが聡美は、既に諦めているようだ。

「わたし……殺されるのなら、それでもいいんです。そりゃあ、痛い思いや苦しい思いをするのは嫌ですけど……。でも、あっちゃんの身代わりになれるなら、あっちゃん自身は無事だってことですから……。それであっちゃんが幸せになれるかどうかは、分からないけど……」

「そんな後ろ向きなことを考えないでください。僕は警官です。今は連絡を取ることを禁じられてますけど、いざとなったら仲間に助けを求めることだってできるんです。明美さんの居所さえ分かれば、そうするつもりです」

「ありがとうございます……でも、自宅には戻らなくても大丈夫なんですか? 謹慎中なんでしょう?」

 宇賀神は肩をすくめた。

「倉庫から出た証拠のおかげで疑惑が晴れて、監視はなくなりましたから。それでも、僕をこれ以上林には関わらせないというのが署の方針でね。本当は、ここにいちゃいけないんですけど……」

 聡美はうつむいた。

「そうですよね……。元はと言えば、全部わたしのわがままからご迷惑をかけているんですものね……」

 宇賀神はあえておどけたように付け加える。

「あ、ご心配なく。褒められこそすれ、処罰されるような恐れはなくなりました。謹慎っていうのは名目だけで、実際は休暇扱いです。有給が少しあるんでね。署内では表向き、東京に遊びに行っていることになっているんです」

 その言葉に嘘はない。

 林関連の捜査は極めてセンシティブな極秘捜査に入っている。千歳中央署内でも、知る者は幹部と今まで関わりがあった宇賀神たち数人の捜査員のみなのだ。他の署員からの情報漏れを防ぐために厳しい箝口令が敷かれ、宇賀神は休暇を取ったことにされている。

 疑い深い署員でも、規律破りを咎める謹慎が継続しているとしか考えていない。

 聡美が宇賀神を見上げる。

「じゃあ……今日も部屋には帰らない方がいいんですか?」

 宇賀神は困ったようにつぶやく。

「相変わらずの厄介者で、あまり外を出歩いて仲間に姿を見られるのは歓迎されないんですよね……」

「あの……ここでよければ、もう1日泊まって行ってください」

「ありがとうございます。そうさせていただけると、助かります」

 そして2人は、翌日の林との対決に向けての準備を進めた。

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