10・金曜日【専行・サイドB】

 死体は、中島さちえだった。

 林大輝が肩に担ぐように抱えて、薄暗い寝室に入る。死体の重さに耐えているらしく、足元がふらついていた。

 林は支笏湖から部屋に戻るなりケタミンを注射し、その後も何度か補充している。それからすでに1日以上が過ぎ、今も感覚の半分は幻覚の中を漂っている。

 支笏湖温泉からの帰りには、何一つ問題は起きなかった。

 行きとは別の中国人たちに混じって、昼前には部屋に戻っていた。中国人ツアコンも別の人間だったが、話は完全に通っていた。ツアコンは林たちの顔をスマホの写真で確認すると、サンルームに置いていたトランクまで進んで運んだ。バスの中には目立たない席も準備されていたし、同伴の女についても何も詮索されない。金銭も要求されない。言葉も交わさないまま、自分のマンションに帰ることができたのだった。

 悪魔の手配は、見事なまでに行き届いている。中国人同士のネットワークを掌握し、操っていた。林の悪魔に対する信頼感は、感嘆とともに増すばかりだった。

 だが、あろうことか自分の部屋で思いもしないトラブルに見舞われてしまったのだ。

 その結果が、さちえの死体だ。

 防水シートが広げられたベッドで眠っていた女が、林が部屋に入る物音で目を覚まして身じろぎする。ぼんやりとした視線を林に向けた。だが林が肩に担いだ人間に気づくと、緊張して体を起こしかける。驚きの声を上げた。

「それ……誰……⁉」

 林は死体を床に降ろしてつぶやく。

「急にこいつが居間に入って来たんで……殺すしかなかったんだ……ケタミン注射してるところ……見られてよ……」

 よく見ると、女の死体の口には、べったりとガムテープが貼られている。

「誰なの……?」

「商売女だよ。最近……時々抱いてる。自分じゃ俺の恋人のつもりでいたのかもな……連絡もなしにいきなり入ってくるなんて……。合鍵を見つけて盗んで行ったらしい……小遣い目当てで抱かれに来たのかもしれないけどな……。それとも……悪魔が連れてきたのか……」

 しばらく黙って林を見つめていた女が、関心を失ったかのようにぐったりと力を抜いた。

「そうなの……」

 林が死体を見つめながら呆けたように説明する。

「こいつにもケタミンをたっぷり打って、口をテープで塞いだ……しばらく鼻をつまんでいたら……あの世行きだ……これが悪魔のやり方なんだろう……? 人間って……呆気なく死んじまうもんだな……」

 しばらくすると、悪魔の声が聞こえた。

『よくやった。頼もしい下僕だ』

 林は顔を上げた。

「よう……悪魔さんよ……。この女……あんたが……よこしたのか……?」

『そうではない。だが、問題でもない』

「嬉しそうだな……死体が増たからか……?」

『まあ、ないよりもマシだといったところだな。不可抗力であることは分かっている。おまえは危機をうまく凌いだ。褒めてやろう。ただ、その娘の苦痛と絶望、そして喜びが入り混じった姿を楽しめれば、なお一層私の力も増幅させることができたであろう。勿体なかったな。しかし、もはや済んだことだ。その女の魂も、貢物として受け取ってやろう』

 だが林の顔には悪魔に褒められた喜びよりも不安が滲み出している。

「だがよ……こいつが部屋に入って来たところ……神の手先に見られていたら……まずくないのか……?」

 ルシファーが淡々と答える。

『構わぬ。奴らは一度、心ゆくまでこの部屋を捜索したはずだ。再び訪れるとしても、今日明日ではないだろう。そのためにわざわざ面倒な手間をかけて部屋を開けたのだ。あと数日、時間が得られれば充分だ』

 林が、対等な立場の共犯者にでもなったかのようにニヤつく。

「充分って……世界をぶち壊す儀式に、か……? 楽しみだな……」

 男の馴れ馴れしい態度が気に障ったのか、悪魔が不意に冷たく言い放つ。

『下僕は主人の意図を理解する必要などない。ただ、従え』

 林は、叱責された犬のように首を縮める。

「分かったよ……。だが、この死体はどうすればいい……? 助けてくれるんだろう……?」

『もちろんだ。おまえはここで待っているがいい。トランクをもう1つ用意させる。その抜け殻を詰め込んで、他の2つと並べておけ。これまでと、何一つ変わらぬ』

 林は悪魔が言った通りに死体を処理できることに疑いを抱かなかった。

「なるほど……なんでも思うがままか……」

『残念だが、なんでも、とはいえない。少なくとも、神の目を欺くための策略は欠かせないのだからな』

「だが……見事に神の上を行ってる……。すでに死体は3つ……神はあんたを止められずにいる……」

『それはそうだ。だが、せっかく若い女が手に入ったのに、惜しくはある。魂を喰らうだけでは、多少物足りぬな』

「こいつがいきなり入って来たんだから……仕方ないだろう……防ぎようがないアクシデントだ……」

『それでも、悪魔は人間が苦しむ姿を見たいのだ。せめて、美しく飾ってやりたいものだな』

 林はわずかに身を乗り出す。

「飾るって……方法はあるのか? どうすればいい……?」

 ルシファーはしばらく思案した後で、さも可笑しそうに命じた。

『焼印を押せ。全ての体毛を剃り、皮膚を露出させろ。そしてペンダントで焼くのだ。美しいぞ』

 林もニヤニヤと笑う。が、すぐに考え込んだ。

「毛を剃れっていわれても……道具は電気剃刀しかないな……」

『買ってくればいい』

「見張りはいいのか……? 今時の時間帯は……民泊の中国人も少ないから……誤魔化しにくいんだが……」

『堂々と出て行って構わん。神の手先は、おまえがどこかに姿をくらまさぬかを見張っているだけだ。後はつけられるだろうが、邪魔はされまい。女どもが好みそうな菓子でも一緒に買ってくれば、疑問も抱かぬに違いない』

「そんなもんか……」

 事実、そうだった。

 尾行があったかどうかは気づかなかったが、林は誰にも邪魔されずに目的の道具を買って部屋に戻った。

 アニメキャラのキャンピングシートに文房具のハサミとシェービングクリームが数本、そしてT字カミソリが必要な道具だった。その他にも偽装のためにポテトチップスや缶チューハイ、サンドイッチや焼肉の材料、アイスクリームをごっそり買い込む。何も知らない者が見れば、ホームパーティーの準備でもしているとしか見えないはずだった。

 だがそのパーティーは、凄惨で直視に耐えないものだった。

 最初に林は、女が眠るベッドの傍にキャンピングシートを広げた。その上にさちえの死体を横たえると、慣れた手つきで服を脱がせて全裸にする。剥ぎ取った服は大きめのゴミ袋に詰め込んで居間に出した。

 次は体毛の処理だった。肩まで伸びて脱色していた金髪を、根元からハサミで切っていく。切った髪は散らからないように、すぐにレジ袋に詰め込む。

 さちえの顔はあっという間に幼い少年のように変わった。

 同じように淫毛も皮膚の際までハサミで切る。その横には、湯を張った洗面器とカミソリが用意されていた。短くなった頭髪にシェービングクリームを塗って、皮膚を軽く引っ張りながら丹念に剃っていく。眉まで剃ると、まるでマネキン人形のようにも見えてくる。

 それが終わると淫部を処理し、最後は全身の体毛もくまなく剃っていった。

 麻薬でかなり朦朧としている林の手つきは、ふらふらと安定しない。一つ一つの作業にも異様に時間がかかる。時たま、滑った刃先が皮膚を浅く切りつける。それでも、生命を失った体からは血が流れない。わずかな血液が滲むだけで、軽く拭けばすぐに止まってしまう。

 肉付きのいいさちえの体はひんやりと冷たかったが、まだ充分に柔らかく、林の手のひらに吸いつくようだった。

 体毛を剃り終えて全身を濡れたタオルで拭った林は、つぶやく。

「なんだよ……この感じ……妙にエロいな……」

 ルシファーが言った。

『何をためらっている? この娘はおまえの女だったのだろう? おまえが殺したのだろう? 肉体は自由にするがいい。犯したいのなら、犯せ。おまえの女だった印を刻み込んでやるがいい』

 林には、その言葉が悪魔のものなのか、自分の中から湧き上がった衝動なのか区別がつかなかった。まさに自分の密かな望みを抉り出すように言い当てていたのだ。

 屍姦に対するわずかな嫌悪と抵抗感が、あっさりと吹き飛ばされた。

「そうだな……それが男の責任だよな……」

 淫部はいつの間にかいきり立っていた。

 すでに朝から、ベッドの女には何度となく注ぎ込んでいる。目の周りには深いクマが淀んでいる。にもかかわらず、性欲が限りなく湧いてくる。生来の絶倫がケタミンの作用で強化されている感じだ。

 林はさちえの肢体に覆いかぶさった。冷たく、ぐったりとした肉の塊に、欲望を吐き出す。

 さちえの淫部も、冷えている。その冷たさが、脳髄に電流のような快感を走らせた。林にとって屍姦は初めての体験だったが、それはかつて感じたことのない興奮をもたらすものでもあった。

 2度、犯した。そして林は、満足して次の仕事にかかった。

 カセットコンロを傍に置き、その上で悪魔のデザインのペンダントを赤く熱する。熱したペンダントをペンチでつかんで、死体のへその上に押し付ける。

 そしてつぶやく。

「悪魔に気に入られるように……俺が飾ってやる……。あんた、次にどこを焼いて欲しい……?」

『どこでも構わん。おまえが望む場所に、好きなだけ焼印を押すがいい』

「大雑把だな……迷うじゃねえか……じゃあ、仕方ねえ……全身……くまなく……飾ってやるか……」

 そして、頰に焼印を押す。さらに額にも、目蓋にも、唇にも……丹念に焦げ跡を付けていく。その作業は次第に手慣れたものとなり、模様のバランスを考えてペンダントのどの位置でどんな〝絵柄〟を加えるまでを考えるようになっていった。耳の後ろや耳たぶの中のような細かい部分にまで、ペンダントの角を押し付けて焦がしていく。

 その度にかすかな煙と肉が焼ける匂いが漂う。

 顔が終わったら首に、胸に、腹に、〝悪魔の形〟を焼き込んでいく。腕を持ち上げながら脇を焼き、脚を開きながら淫部を焦がす。色白の若い体は、作業が進むごとに異形の生物のように禍々しく変化していく。

 その作業は数時間に渡った。自分では気がつかなかったが、林はあえて時間をかけて楽しんでいたのだ。ケタミンを打ち、サンドイッチを食いながら黙々と死体に焼印を押し続ける。

 死体の前面を焼き終えると、体を裏返して背中を焼く。休んでは焼き……ケタミンを打っては焼き……居間で短い仮眠をとっては焼く……。

 林の顔からは、べったりと張り付いたような薄笑いが消えない。死体を汚していく作業が、至上の喜びと化していた。漂う匂いがさらに食欲と性欲をかきたてる。林の淫部は再び硬くなっていた。もはやためらうことはなかった。全体に焼印を押された背中をもてあそびながら、死後硬直が目立ち始めた死体を背後から犯す。

 それが終わると、再び焼印を押す作業を続けた。

 黙々と、しかし薄笑いを貼り付けたまま。そしてケタミンを追加し、また食事し、また犯し、作業を続ける――。

 作業を終え、うたた寝をしているとドアチャイムが鳴らされた。中国人の悪ふざけかと苛立って廊下に出た林は、ドアの横に大きなトランクが置いてあることに気づいた。

 トランクは空だった。

「なるほど……悪魔は嘘はつかないってことか……。悪魔ってのは、こんなに几帳面だったんだな……」

 林は硬直した死体を苦労してトランクに押し込み、空いたスペースにさちえの衣類や切り取った髪、そしてキャンピングシート畳んで押し込んだ。

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