第6話

「ううっ……何故だ! 神よ、我らがいったい何をしたというのだ!」


 男が血の涙を流して慟哭の叫びを上げる。

 うずくまって涙を流している男は……今よりもかなり若いが、国王エドワードだった。

 場所はリチャードの見慣れた王宮だったが、エドワードの周囲に広がっている光景は目を疑うようなものである。


 地獄のような光景だった。

 壁は真っ赤な血に染まってまだら模様になっている。大理石の床には無数の死体が散乱して、その表情に苦痛と未練を描いて底無しの絶望を訴えていた。

 死体の中にはリチャードが良く知る人間――母親や、臣下のものまである。


「どうして我が国が滅ぼされなければならないのだ! 呪われてしまえ、忌々しい蛮族め!」


 それは過去に起こった出来事の光景であった。


 フロスト王国の北方には遊牧民族が暮らす平原がある。

 異民族との関係はさほど悪くはなく、絹織物などを渡す対価として馬や羊を譲ってもらっていた。

 だが、それまで良好だった遊牧民族が突如として騎馬で攻め込んできて、王国の町々を焼き払っていったのだ。


 平和を愛する王国は外交によって周辺諸国と良好な関係を築いており、それ故に強力な軍隊を有していなかった。

 味方だと思っていたはずの遊牧民族の裏切りに対応することができず、とうとう王都まで攻め滅ぼされてしまったのである。


 遊牧民族は王都の町を焼き払い、女をさらって財貨を奪うだけ奪うと、嵐が過ぎるように去っていった。

 残されたのは焼き払われた建物と無数の死体だけである。


 国王は運良く生き残ることができたが、その対価として家族や臣下の死体に囲まれて絶望の底に落とされた。


「神よ! いや、悪魔だって構わない! どうか我が国を救いたまえ! 愚かなる蛮族に鉄槌を下したまえ!」


『ふむ……いいだろう。その願い、聞き届けよう』


「っ……!」


 エドワード王の悲痛な願いに応える声があった。

 それは地の底から響いてくるようで、鳥肌が立つような凄味を孕んだ声音である。


『我が名は冥府の王プルトンである。戯れだ、下賤な人間の願いに応えてやろう』


「お……おおっ! どうか、どうかお願いいたします!」


『ただし……1つだけ条件がある。王である貴様の息子に我が娘を嫁がせることだ。冥王たる我が血を引く子がこの地を統べていくのであれば、死した者達を蘇らせ、奪われたすべてを取り戻してやろう』


「……承知いたしました。どうぞよろしくお願い致します!」


 王は誇りも尊厳も捨てて、地面に頭を擦りつける。


『いいだろう、これで契約は成立した! もしも貴様が約束を違えることがあれば、与えた全てを奪い去られるものと知れ!』


 それから先はまさに奇跡だった。

 まるで時間が巻き戻ったかのように遊牧民族に殺された人々が甦り、炎に焼かれた王都は元通りに復元された。

 奪われた財産も戻ってきて、人々の記憶からは戦いそのものがなかったものになったのだ。


 エドワード王は冥王との契約について誰かに話すべきか迷ったが、結局、口を閉ざすことを選択した。

 何もかもが元通りになって王以外の記憶も消えてしまったのだ。下手にこのことを他者に話せば、王が乱心しておかしな妄想に憑りつかれたと思われかねない。

 自分の心に秘密を隠していくことにした王は、やがてやってきた冥王の娘を息子の婚約者として受け入れることになった。

 せめて、息子にだけは契約のことを話しておくべきだったと後悔することを知らぬまま。

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