第2話 ~白の章~

 私は、時折お客様が消えてしまう現象を不思議に思っていました。


 警察が行方不明事件の捜査として、Caféまで事情聴取に来ました。ですが、私たちスタッフには何も答えらませんでした。


 なぜなら、お客様が忽然こつぜんと姿を消す瞬間を、誰も見ていないのです。


 3日ほど前だったでしょうか。

 天気が良く、空気が澄んだ朝のことです。


 白いエプロンの紐を背中で結んでいると、また1人のお客様が消えました。


 私は厨房ちゅうぼうに身を隠して震えました。


 お客様が消えた日は、本棚から必ず『黒の牢獄』という一冊の本が落ちていました。なぜか、お客様が身につけている衣類が、本の周りに落ちているのです。


 最初の頃は悪戯いたずらだと思い、警察にも話しませんでした。


 ですが、私はとうとう見てしまいました……。


『黒の牢獄』を本棚に戻そうとした瞬間。表紙に描かれた両目が動きました。確かに動いたのです。

 その両目には、何かを訴えかけるような迫力がありました。


 私は、なぜだか本の内容を確認せずにはいられなくなりました。


 この時、『黒の牢獄』がお客様の失踪しっそう事件の真相を解く鍵だと確信しました。


 私は本を手に取り、表紙の両目を見つめました。


 息を大きく吸い、しおりが挟まれたページを思い切って開きました。


 次の瞬間――。


 本が私におおかぶさりました。

 四六判ほどの大きさの本が、地球を飲み込むほどの勢いで、口を大きく開けたのです。

 私は声を失ったまま、闇の中に飲み込まれました。


 右手が偶然にも本棚に引っ掛かり、私は最後まで抵抗しました。ですが、床に倒れているお客様を見て、手を離してしまいました。


 イカスミのタリアテッレを注文された黒岩様で間違いないと思います。夏なのに厚手の黒いコートを着ていたので、印象にありました。


 倒れている黒岩様は、全裸でした。


 私はすぐには何が起きたのか理解できませんでした。


 全裸になった黒岩様は、発狂したかのように泣き叫び、私を見てガタガタと震え始めました。


「黒岩様! ご無事で良かったです」

 私はそう叫びました。


 ただ、黒岩様の視線はかなり高い位置から私を見下ろしているようで、私はこの時、床のすぐ近くに私の視界がある事実に気付いたのです。


 ――そう。


 


 解放された黒岩様と引き換えに。


 泣き叫ぶ黒岩様に、Caféのマスターが保管してあった衣類を何着か持ってきて、声をかけようとしていました。

 ですが、黒岩様は涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにし、理解不能な言葉を発しながら、四つんいで逃げるように店を出て行きました。


 私はマスターに向かって助けを求めましたが、声になりませんでした。


 かすむ視界の向こうで、白い埃がキラキラと店内を舞っていました。


 私の存在に気付かないマスターは、私をそのまま店の本棚に戻したのです。

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