25 終焉の足音

「『ポピ』って鳴かなくなっちゃった。鳴き声から名前をつけたのにね」

 少し寂しくなって呟きながら、荒野の上空を飛ぶ。

「小さかった頃は僕の肩とか頭に乗ってたのに、今では僕がポピに乗ってるね」

 ポピの毛皮に顔をうずめて、黒い毛並みをぽんぽんと撫でる。安全装置がなにもないので落ちそうで怖いのだが、それを気遣ってか、ポピはのんびりと安定した飛び方をしてくれる。僕はポピの頭から首にかけて、腹ばいになって進行方向を見つめていた。

 ポピはメリザンドで、暴れて建物に体をぶつけたり鳥船に狙撃されたりしたが、怪我は大したことはなかったようだ。その後は痛がるような素振りを見せず、悠々と風に乗っている。

「ポピはどうして僕の声に反応してくれたのかな」

 今更な疑問を口にする。

「さあの。どうしてか、ツバサ殿に懐いておるのう」

 イリスはポピの上に器用に座っている。

 ポピと初めて出会ったときを思い出す。あのとき僕は、仲間とはぐれて、代わりにミグと合流した。ポピが初めて僕の肩に乗ったときは、こちらからはなにもしていない。ポピ自ら、僕のところへ来た。

 イリスは淡々と話した。

「ポピ殿は親から離れて、百年のコールドスリープに入った個体じゃからのう。誰かに寄り添ってほしかったのかもしれぬの。それも、怖くない人に」

 それからイリスは、ちょっと意地悪な声色になった。

「つまりツバサ殿は、ポピ殿から『こいつなら勝てる』と思われたのじゃ。舐められてるのじゃ」

 見た目が大人になっても、生意気な話し方は変わらない。

「……まあ、あのときは隣にミグがいたからな。ミグと僕とで比べたら、僕の方がずっと弱そうだもんね」

 名前を出してから、僕はぽつりと零した。

「ミグには、マモノを服従させる力があるんだ。強いマモノである竜のポピでもミグには萎縮したんなら、ミグはやっぱり、計り知れないほどの力を秘めてる」

 世界規模のマモノの暴走を止められるのは、ミグしかいない。僕にはそんな確信があった。だからミグにどんな事情があろうと、僕は彼女を見つけ出して、都市へ連れ戻さなくてはならない。

 荒野はマモノだらけだった。小動物だけでなく、甲羅を背負った獣みたいなものや、立派な角を持ったイノシシなどが、興奮気味に歩き回っているのだ。ポピが現れれば逃げていくが、異様な数が潜んでいるのは見れば分かる。

 ふいに、荒野の途中に森が見えてきた。周囲の地形に見覚えがある。あれは、獣族と精霊族の一部が、都市に移らずに自営をしている地域……涼風の吹く森だ。その森の周辺が、やけにマモノに囲まれている。それも、獣族の狩りの対象になるような草食のマモノではない。図体の大きな、牙や爪の鋭い攻撃性の高そうなマモノばかりである。

 その中に、数人の人の姿があった。十人程度の人々が、マモノから逃げるように荒野を走っている。その中に、見覚えのある白っぽい髪を発見した。

「あ、あれってクラウスさん?」

 涼風の吹く森にいた、精霊族のクラウスさんの髪の色だ。白いマントを翻して、襲い来るマモノに魔導を浴びせている。

 僕はポピに語りかけた。

「少し低く飛べる? あそこにいる人たちの傍へ行けるかな」

「ギュウー」

 ポピは言葉を理解できるのか、或いは僕の気持ちをなんとなく汲み取ることができるのか、スイッと翼を畳んで滑空した。

 荒野の砂煙を吹き飛ばし、クラウスさんらしき人影へ近づく。彼らを襲っていたマモノたちが、すっと退散した。突然マモノが散って、集団はしばし立ち尽くし、やがて真っ黒な竜の来訪に気づいてぎょっと身構えた。攻撃される前に、僕はポピの頭の上から手を振る。

「クラウスさん! 僕です、ツバサです!」

「ツバサくん!? なぜ君が……その竜は!?」

 案の定、集団の中にいた青年はクラウスさんだった。マモノに襲われたのか、頬にかすり傷を作り、細く血を流している。彼の周囲にいたのは、獣族の親子や、精霊族が数名。皆、涼風の吹く森から出てきた様子だった。

 ポピがふわりと着陸する。集団を追っていたマモノらは、竜の姿に恐れをなして踵を返していった。

 呆然としているクラウスさんたちに、僕は早口に話した。

「この竜は危険なものではありません。それより、皆さんどこへ行くんですか?」

「僕らは、これからメリザンドへ向かうところです」

 クラウスさんは戸惑いながらもこたえてくれた。

「涼風の吹く森は、マモノにバリケードを壊されて荒らされています。マモノが到達していないのは、今はもう精霊族の洞窟の奥地のみです。そこも時間の問題です。僕らは故郷を捨てて都市へ出る決意をしました」

 そうか、技術力のあるメリザンドですらマモノに破壊されたのだから、自然の中の獣族と精霊族の村なんて、あっという間に占領されてもおかしくない。

「メリザンドも、マモノの奇襲を受けてかなり壊されてしまいました」

 僕が言うと、クラウスさんをはじめ、ついてきていた獣族や精霊族は顔を青くした。

「なんだって……!?」

「今はこの竜に怯えてマモノがいなくなってるので、大丈夫です。幸い、僕らが通ったところはマモノが避けてる」

「そうか……都市にすら、マモノが攻めてきてるんですね。もうどこも安全は保証されてないと」

 クラウスさんが顔を曇らせる隣で、獣族の小さな女の子がぽつんと呟いた。

「オイゲン様とエルザ様が、喧嘩してるの……」

 僕はそれを聞いて一瞬、「またか」と思ったのだが、クラウスさんが訂正した。

「今までのような、自己中心的意見のぶつかり合いとは違います。自身の土地は捨ててでも、都市へ出るべきだというエルザ村長と、自分たちの村で死ぬのが本望、そしてここに残りたい意思がある民と共にいるべきだというオイゲン村長とで揉めていて……」

 すると、僕の背後からイリスが口を挟んだ。

「住めば都じゃ。私も故郷を失ったが、生きておるからツバサ殿に出会ってこうして次のことを考えておる」

「僕もそう思います。だから、僕らはこうしてメリザンドを目指しているんです!」

 落ち着いた彼らしくなく、クラウスさんが語気を強めた。

「エルザ村長も、人命第一ということでオイゲン村長や他の残留希望を連れ出そうとしている! 僕だって、説得した! それなのに、『私はここがいい』って。彼女はやっぱりバカだ!」

 その熱い口調を聞いて、僕はハッとした。クラウスさんと共にいる集団の中に、獣族のサラの姿がない。僕はおずおずと尋ねた。

「サラも、残留を希望してるんですか?」

「むしろサラを筆頭に、頑固者が残ってます。オイゲン村長も、彼女を見捨てたくなくてサラ側についてる」

 クラウスさんが、声を震わせた。

「生まれ育った場所を捨てたくない気持ちは、僕にだってある。あそこは大切な場所だ。フィーナとだって約束した。フィーナがいつでも帰ってこられるように、復興して素晴らしい村にするって。でも僕はそれを諦めて、フィーナを裏切ってまでここにいる」

 打ち震える彼を、村の人々が心配そうに眺めている。クラウスさんは、少し、声を詰まらせた。

「僕は弱い自分を認めて割り切った。それなのに獣族は、一生が短いからって、生きる場所より死ぬ場所を選びたがる。僕は……僕は、もっとサラと生きたかった」

 それからクラウスさんは、眉間を摘んでしばし黙った。そしてまた、落ち着いた口調を取り戻す。

「とにかく、僕は説得中のエルザ村長に代わって、ここにいる皆さんのリーダーになってメリザンドへ向かわなくてはならない。ツバサくんはどこへ向かうのですか?」

 冷静を装って、僕の進路を問うてくる。僕は奥歯を噛み締めた。涼風の吹く森の獣族と精霊族は、関係を修復したばかりだ。折角交流できるようになったのに、こんな別れ方はあまりにも残酷である。

「僕は、これから」

 僕はクラウスさんにこたえるのと同時に、自分自身に誓った。

「これから、世界を変えます」

 クラウスさんとサラがまた会えるように、僕が変える。ポピがパサッと翼を広げた。大きく扇いで、羽根と砂埃を撒き散らして浮かび上がる。ぽかんとしているクラウスさんに向かって、僕は叫んだ。

「涼風の吹く森の村も、サラも、全部今までどおりにします! だからクラウスさんは、必ず生きて待っててください!」

 この世界を、終わらせてはだめだ。改めてそう思う。

 クラウスさんと、彼と共に逃げてきた村人数人は、ポピを見上げて固まっていた。なにか言ったのかもしれないが、ポピの羽音で聞こえなかった。

 彼らの姿が小さくなっていく。僕の意志に従うように、ポピが大空を突き進む。真っ直ぐに、北にそびえ立つ山脈へ。

 草原の上空を越え、薄い霧が出た傾斜を過ぎると、霧はみるみる深まっていった。夕暮れの山脈は、相変わらず濃霧に埋め尽くされていた。

 山脈の上空を泳ぐように飛ぶ。僕は霧に包まれた下界に、視線を落とした。

「ひとまず、人里に向かおうと思うんだ。ミグはこの山の中で出会ったけれど、ひとりで手荷物なしで生活してるなんて不自然だからさ。どこかに人が住める場所があるんじゃないかなって」

「ふむ、一理あるの。この霧の上から探すというのも困難じゃが、山脈を歩き回るよりはこうして俯瞰する方がまだ探しやすい」

 イリスの賛同を得て、僕はポピに語りかけた。

「もう少し低く。できるだけ霧を払いながら、山脈の中を調べよう」

「グルル」

 ポピが返事をするみたいに喉を鳴らした。黒い頭が角度を低くし、霧の中へ潜り込んでいく。地面が近づく。顔がしっとりと、冷たい霧に濡れた。

 ポピの羽ばたきが霧を払う。時折キリ大腕らしき姿が見え隠れしたが、ポピに霧を吹き飛ばされると残った霧に逃げ込んでいく。

 低空飛行で周囲を見渡しても、山脈は枯れた大地が続くばかりで、人里は現れなかった。人が通る道のようなものもなく、生活の形跡らしきものもない。

 風の隙間を縫って、イリスの声が聞こえてくる。

「やはりこんなマモノの巣窟の山脈に、わざわざ里を築く者はそうおらぬじゃろう。特に識族なら、識族が建設した安全な都市に集中しておる」

「そうだね。人が住んでるところがあれば、道ももっと整備されてるはずだし……」

 山脈は広すぎて、全てをくまなく確認するのは難しい。だから百パーセントないとは言いきれないのだが、それにしたって人の気配がない。

 僕はポピの頭の毛に顎をうずめて、考えた。

「ミグはたしか、空運び鳥を利用してたな。ということは、空運び鳥を飼育してる鳥族の谷に出入りしていた可能性が高い」

「そうなのじゃな。では鳥族の中には顔を見た者もおるかもしれぬ」

 そうだ、空運び鳥を借りているのなら、あの谷には近づいているはず。ポピがひと鳴きして、上昇する。僕とイリスは振り落とされないようポピにしがみついた。

 山脈は白く煙っている。その中でも、霧の濃度は部分部分でムラがある。ひたすら自然の岩や枯れた木々が霞む景色の中、山々の谷間に位置する、霧のない場所を見つけた。広がる牧草や風車があり、上空には鷹のような鳥が二、三羽飛び回っている。

「あそこだ!」

 指をさすと、ポピが一旦翼を止めて首を捻った。僕の指が湿す法へと、急降下していく。飛んでいた鳥たちは、ポピが突っ込んでくるなり散り散りになって逃げた。ポピが山間やまあいの集落へと降下する。人里に近づいてきて、気づく。牧場がからっぽだ。飼育されているはずマモノがいない。それどころか、血の痕跡が点々と残っている。嫌な予感がする。

 集落の外れの牧場に、ぽつんと立つ人影を見つけた。僕はポピを急かして、そこへと向かわせる。

「カイルさん!」

 姿をはっきり確認するなり、名前を叫ぶ。

 彼は目を閉じて、西を向いていた。背中の羽根を大きく広げて、内側に西日を受けるようにして立っている。ポピが日差しを遮るようにして上陸する。目の前に黒い竜が現れても、カイルさんは羽根を広げた姿勢のまま、動かなかった。

「無事だったんですね。なにしてるんですか? 牧場はどうなっちゃったんですか? 谷の他の住民は?」

「うるさい。恒星の光を遮るな」

 カイルさんがカッと目を開けた。金色の瞳で僕を睨む。僕はびくっと身じろぎした。カイルさんの左の翼が、なくなっている。平然とした顔をしているが、血だらけだったのだ。

「えっ、羽根が! マモノに襲われたんですか!? 牧場のマモノも暴れたの!? なんでほっといてるんですか!? 手当ては!?」

「うるさいと言っている。ギャーギャー囀るな。今、信仰する恒星へ最期の祈りを捧げている。邪魔をするな」

 カイルさんが迷惑そうに低い声で僕を制した。鳥族は恒星への信仰のために識族から別れた種族である。沈んでいく真っ赤な恒星に祈る姿は、彼らが全てを諦めているように見えて、胸がずきずきする。

 カイルさんが泣きそうな僕を一瞥する。意地でも立ち去らないと分かったのだろう、彼は面倒くさそうにため息をついた。

「なにをしに来た?」

「あの、識族の女の子が来なかったかなって聞こうと思ったんですけど……それより今は、その背中の……」

 もげてしまっている左の翼の、痛々しい傷を窺う。カイルさんは鬱陶しそうにこたえる。

「お前の言うとおり、マモノが集落を襲った。まあ、今に始まったことではないが、ここ二日は随分酷い。牧場のマモノも興奮してはいたが、あれは人を襲っても大した威力はない。むしろ、あいつらも外から来たマモノに襲われた」

「マモノがマモノに襲われたんですか?」

 畜産マモノは野生のマモノとは違う。人の生活に根付いている分、野生のマモノの攻撃対象になったのだろう。胸がぐっと苦しくなって、泣きそうになった。カイルさんがひとつ、まばたきをする。

「昨夜、魔族から伝言鳥が来た。魔族の里もマモノに襲われて、今はもう里を捨ててなんだか知らんが海の向こうの島に移住することにしたそうだ」

 僕は海の中の透明のトンネルを思い出した。アルロのお師匠様が大陸の外を探索していたのはもしかして、もう里が安全でないことを分かっていて、新しい居住地を探していたのだろうか。

 カイルさんが冷ややかな目をする。

「貴様には言いたいことが山ほどある。魔族から聞いたが、また空運び鳥を有人飛行に利用しただろう。それから俺が出した伝言鳥に返事をしなかったな」

「すみません。でも今はそれどころじゃないですよ。その背中の怪我を手当てしないと」

「会ったら叱り飛ばすつもりだったが、今はもうどうでもよくなった」

 カイルさんは、僕の言葉を遮った。風向きが変わると、ほんのりとだけ、血の匂いがした。

「鳥族はもともと、滅亡を首の皮一枚で免れた種族だ。根っからの死に損ないだ。だから今更死を恐れることはない。今もすぐそこに野生のマモノがいたが、お前が竜を連れてきた故にどこかへ逃げた。ようやく、恒星とひとつになれると思ったのにな」

 すると黙っていたイリスがいきなり身を乗り出してきた。

「バカなことをぬかしておるでない! 死に損なったんじゃなくて生き残ったのじゃ!」

 自分も滅亡した種族の生き残りだ。イリスにとっては聞き捨てならない言葉だったのだろう。

「折角生き残ったなら、どこかへ避難するのじゃ! それが失われた者への安息の祈りじゃろう!」

「誰だ貴様。暑苦しいな」

 カイルさんが呆れ顔になる。

「避難するってどこにだ。どこなら安全なんだ。逃げ惑った挙句に野垂れ死にするくらいなら、俺はここで死ぬまで恒星に祈る」

「斜に構えておる場合か!」

 イリスが怒鳴るのを、僕は手で抑えて止めた。

「やめてイリス。誰もが君と同じ考え方をしてるわけじゃない」

 カイルさんが再び目を閉じる。風が、彼の羽根を揺らす。

 バサバサッと、羽音がした。牧場の建物の影に一羽、褐色の大きな鳥がいる。空運び鳥だ。

「クウー……」

 喉からか細い声を出して、カイルさんを見守っている。彼を心配している様子だが、ポピが怖くて隠れているようだ。

「あの鳥は助かったんですね」

 カイルさんに言うと、彼は目を閉じたまま頷いた。

「あれは、今朝方帰ってきた鳥だ。数日前にいなくなって、そのままどこかで迷子になったのだと思って諦めていた個体でな。別の小屋にいたために、あいつだけ助かった」

 それからカイルさんが、ゆっくりと瞼を上げる。

「お前ほどの歳頃の……長い髪の娘が、返しに来た。今まで借りていたと」

「えっ……空運び鳥を返しに来た、女の子……!?」

 僕はポピの頭の上から、ずり落ちそうなほど前のめりになった。

「名前は聞きましたか!? その子はどこへ行きました!?」

「知らん。なにも聞いてない。返しに来たというよりは、一度挨拶をしに来たのだ。昨晩、『もうしばらくだけ貸してくれ』と言ってこの鳥でどこかへ行って、今朝になって鳥だけ帰ってきた」

 やはり、あの子はここへ来ていたのだ。

「どっちの方向へ向かったかも、分かりませんか?」

「生憎、俺は他人に興味がなくてな」

「あの鳥を見せてください」

 僕はポピの頭から飛び降りようとした。ポピが気づいてすっと頭を下げる。地面に足がつくなり、僕は小屋の影に隠れる空運び鳥に駆け寄った。バスケットにとまっていない空運び鳥は、やけに小さく見える。

 なにか、ヒントがあるかもしれない。大人しく羽根を畳んでじっとしている空運び鳥を観察すると、足に青い布切れを巻き付けられていることに気づいた。怪我でもしているのかと、しゃがんで覗き込んでみる。見ただけでは傷や打撲らしき痕は見当たらない。布を摘んで調べてみる。青い生地には白い模様が描かれ、そして、黒い汚れがあった。

 僕は空運び鳥のくちばしを撫でて、小声で言った。

「カイルさんを、お願いね」

「クウウ」

 空運び鳥が返事のように鳴く。僕は鳥を残して、ポピの元へ戻った。頭を下げているポピに這い上がり、相変わらず恒星の光に羽根を広げているカイルさんを振り向いた。

「ありがとうございました。もう行きます。でも最後に、もうひとつだけ、いいですか?」

 カイルさんは黙って目を閉じていた。僕は返事を待たず、勝手に話す。

「僕は、僕が信じるものを、僕を信じたものを、絶対に裏切らない。僕の名前はどこまでも羽ばたけるって、カイルさんが言ってくれたから」

 夕日に抱かれたポピの黒い毛は、ふんわりと温まっていた。

「カイルさんが信仰を貫くのと同じで、僕も僕の意志を貫く。僕を信じてくれる人のために、この世界を終わらせない。絶対に」

 震える声で言い切ったら、カイルさんがふっと笑った。

「よく言うよ、軟弱者が。だが、そうだな。お前はなにかを成し遂げそうな気がする」

 風が砂煙を起こす。突然、カイルさんがズボンのポケットに手を入れた。そしてなにか手に取り、ひゅっとこちらに投げてくる。なにかが、空中でキラッと光った。

「昨日、魔族から空運び鳥で送られてきたものだ。都市に出荷するつもりだったが、もう流通は止まるからな」

 飛んできたそれを、僕は虫を捕まえるみたいに両手で受け止めた。西日に輝くそれを見て、絶句する。

 カイルさんは、腕を組んで西の恒星を見つめた。

「やれるものならやってみろ」

 カイルさんの言葉には背中を押されるのは、これで二度目だ。

「やります。そしたらもう一回会いに来るから、空運び鳥で移動したこととか、伝言鳥を無視したこととか、叱ってくださいね」

「はいはい。早く行け。小娘を捜すんだろ」

 ポピがバサッと羽ばたく。黒い羽根が舞い、牧草が波打つ。カイルさんの右の翼も、ふわふわと揺れた。

 鳥族の谷を発つと、イリスはしばらく不満そうにむくれていた。

「なんじゃ、あの鳥男は。恰好つけておるが、つまるところ諦めておるだけじゃろう! 気に食わんの」

「信仰は道標だからね。あの人にとっては、あれが正解なんだよ」

 西の日差しが眩しい。僕は風で乾いた目を閉じた。

「イリスが言ってた竜族の予言……『世界の滅亡』ってやつ。最初はさ、なに言ってんのかなって思ったんだよ」

「ほんと、そういう態度じゃったのう」

 イリスがつっけんどんに返事する。僕はまだ、目を開けられなかった。

「今なら分かるよ。イリスの言うとおり、マモノが暴れ出して人々の生活を壊してる。それだけじゃない。誰もが持ってる、ひとりひとりの“世界”も、終わってしまうんだ」

 いろんな人に出会って、いろんな人の見てきた、生きてきた世界の欠片を見せてもらった。

 それは郷土愛だったり、信仰だったり、プライドだったり、悩みだったり、思い出だったり、形は様々だった。

「まだ終わらせたくないんだ。涼風の吹く森の獣族と精霊族はこれからも仲良く適度に距離を取って共存してほしいし、シルヴィアさんに満足する絵を描いてほしいし。ラン班長には、毛族に会いに行ってほしいし……」

 風が頬を掠めていく。イリスがはあ、とため息を洩らした。

「私も、お主らと過ごして初めて、そういう意味まで理解できたかもしれぬの」

 西日が明るくて、瞼の裏まで赤く見える。

「私自身、竜族の予言を伝える使命さえ終えたら、あとはどうなってもいいと思っておったのじゃがの。私は私の世界を、もっと見ていたいと思えるようになったのじゃ」

「そうだね。僕も自分から見える世界をもっと見たいし、広げたい」

 僕はゆっくり、瞼を押し上げた。眩しい日の光が顔に降り注ぐ。

「イリス、頼みがあるんだ」

「む?」

 少しだけ顔を後ろに向けると、目をぱちくりさせるイリスが見えた。

「これから向かう場所についたら、僕を置いてポピと一緒にメリザンドに戻ってくれないかな。チャトとフィーナが心配なんだ」

 爆風で吹き飛ばされていたふたりが怪我をしていないかとか、ポピが学園の一室を壊したせいで代わりに罪に問われていないかとか、気になって仕方ない。

「それから、ジズ老師に事情を話してほしいし、更に言えばアウレリアに戻ってリズリーさんにも説明しておいてもらいたいな。もうこれ以上、余計な心配かけたくないから」

「ツバサ殿は?」

「僕はミグのところへ行かなきゃ。時間がない」

 のんびりメリザンドに戻っていたら、危険なところに残っているサラや大怪我のカイルさんが間に合わない。

 イリスが少し、声を大きくした。

「ツバサ殿は鈍臭いんじゃ! ひとりにして大丈夫なのかの!?」

「それは否定しないけどさあ。ふたりいるんだから、手分けして事を進めた方がいいと思う」

 苦笑いして、僕は人さし指を立てた。

「あともうひとつ頼みたいんだけど……これは、余裕があったらでいいんだけどね」

 後ろを向くと、東の空は星空に染まりかけていた。

「たしかイリス、流星の霊峰にいたとき、流星の夜が七日は続くって言ってたよね。それなら今日も星が降るよね?」

「うむ……そのはずじゃが」

 戸惑う彼女に、僕は手を伸ばす。

「これ、ポピと一緒に完成させて」

 手には、カイルさんから受け取ったもの。透き通るガラスのような円。西日で煌めくそれには、「ツバサへ」と書かれたタグがついている。

「アルロが作ってくれたみたい。これに竜魔導の魔力を封じ込めてアナザー・ウィングにしてほしいんだ。メリザンドにあった紋章の祭壇は壊れちゃったけど、もしアウレリアの王宮に入れるようであれば……」

 ポピは大きな竜になったし、それに、今夜は星が降る。

「それどころじゃなかったら後回しでもいいからね。そもそも、アウレリア王宮に入れないかもしれないし」

 笑いながら言うと、イリスはしばらく目をぱちくりさせ、それからニッと自信ありげに口角を吊り上げた。

「仕方ないのう。必ず取りに戻ってくると約束できるなら、作ってやらぬこともないぞ」

 イリスがこちらに手を差し出してくる。僕は透明の腕輪を、彼女の手のひらへ置いた。腕輪が正面の西日と背面の夜空の色を反射して、不思議なマーブル模様が浮かぶ。

 風に舞い踊るイリスの髪が、暗くなりかけた空に映える。ポピの羽根がまた数枚、はらはらとどこかへ飛んでいった。

 イリスは腕輪をしっかり掴むと、前髪を払いながら改めて僕を見つめた。

「それで、ツバサ殿はどこへ行くのじゃ? ミグ殿のいそうな場所の目星がついたのじゃな?」

「うん」

 日の沈んでいく西の空、そしてその真下に広がる水平線。

「僕は、エーヴェに向かう」

 僕はいつも彼女に導かれている。だから突き動かされるようなこの感覚も、きっと彼女からの信号なのだ。

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