23 目的

「大丈夫かしら。ツバサくん」

 懐かしい声がする。いや、懐かしいというか、とても安心する声だ。体が温かい。ふわふわした柔らかいものに包まれて、心地いい。鳥のさえずりも聞こえてきて、耳が擽ったい。

「死んでるわけじゃなさそうだから、平気だよ。医者も寝かしとけって言ってたし」

「死んでなければいいってものでもないでしょう? お医者様でも分からない、体の内側の怪我があるのかも……」

 会話が聞こえる。どうも、僕の話をしているみたいだ。

「心配しすぎだって、リズリー。あいつは変に生命力が強いんだ。今度のも、眠りこけてるだけだよ」

 リズリー。その名前を聞いて、体が勝手に跳ね起きる。バッとめくれた布団、突然起き上がる僕に、そこにいたふたりはびくっと仰け反った。

「うおっ! 起きたのか!?」

 目に映ったのは、びっくり顔のラン班長と、目を丸くして固まるリズリーさんの姿だった。

 僕は、目をぱちぱちさせて辺りを見渡した。白い布団、天井、カーテン……。見覚えのある景色だ。そうだ、ここはアウレリアの管理局にある医務室だ。僕は寝台に寝かされていたみたいだ。起こした上半身が裸である。細かい傷や痣に、包帯や湿布で手当が施されていた。

「プキュッ」

 水風船が割れたみたいな音がする。同時に、僕の頭の上にぽこんと柔らかいものが落ちてきた。膝に転がり落ちてきたのは、黒い小さな竜。ポピだ。どうやら一緒に布団に入っていて、僕が布団から跳ね起きた勢いで吹っ飛ばされてしまったみたいだ。

 ポピが膝の上で僕を見上げている。僕もポピも、お互いなにが起きたか分からなくて、目をぱちくりさせていた。

 めくれたカーテンの向こうで、ラン班長とリズリーさんが椅子に座っている。僕が起きたのを見て、リズリーさんがすっと立ち上がった。

「あの、リズリーさん」

 ここ、アウレリアですよね。どうして僕はここに、と問いかけようとしたときだ。

 パンッと、頬に平手打ちが入った。

 音と衝撃で、考えていた内容が全部、クリアされた。リズリーさんは、いつもの優しい表情を歪めている。

「都市から出ちゃだめって、言ったでしょ!」

 空気が痺れるほどの大声が、医務室に響き渡った。

「危ないから大人しくしててって言ったじゃない! どうして言いつけを守らなかったの!」

 驚いて、僕は言葉を失った。リズリーさんが顔を赤くして怒鳴るのなんて、初めて見た。

「伝言鳥を送っても返事をしてくれないし、途中からは届きもしなくなった。どれだけ心配したと思ってるの!?」

 まだ、頭は整理がついていない。だが目の前で泣きそうな顔で怒るリズリーさんを見ていると、こちらまで泣きそうになってくるのだ。

「あ、あの……ごめんなさい……」

「どうして言うこときいてくれなかったの!?」

「まあまあ、落ち着けリズリー」

 見かねたラン班長が駆け寄ってきて、リズリーさんの肩を押さえた。 冷静さをなくしているリズリーさんを両手で制止して、諭すようにゆっくり言い聞かせる。

「ツバサが起きたって、医務長と局長に伝えてきてくれ。あとジズのジジイにも。ついでにフォルクもな。心配してたから」

 リズリーさんはしばらく、黙って僕を睨みつけていた。やがてラン班長の手を振り払い、医務室を出ていく。その後ろ姿を見送ってから、ラン班長はため息をついた。

「はあ。ま、次に来るときには頭冷えてるだろ」

「ありがとうございました……」

 僕は肩を縮こませて、呟いた。ラン班長がキッと冷たい目を僕に向ける。

「リズリーが怒ってる理由、分かってんだろうな?」

「分かってます。本当に、ご迷惑おかけして、すみませんでした」

 魔族の里から帰ってきたときから、マモノの危険性を鑑みて、都市から出ないよう約束したはずだった。それを破って、管理局の運び鳥を強奪して飛び出した挙句、船で迷子になって連絡も途絶えた。本当に、リズリーさんには迷惑をかけてしまった。

「ラン班長も、大変な思いさせてごめんなさい。エーヴェではぐれたときから、連絡もできずに」

 再度頭を下げる。膝の上の竜が不思議そうに僕とラン班長を見比べていた。ラン班長が大きなため息を洩らす。

「ったく、このクソガキ。手間かけさせやがって。痛いとこないか?」

「えと、ちょっとだけ体のあちこちがズキズキします」

 こたえたあと、きゅう、と音がした。ポピが鳴いたのではなく、僕のお腹が鳴いたのだ。ラン班長は呆れ顔で、もうひとつため息をつく。

「腹減ったか。リズリーが食べ物持ってくるだろうから、もうちょい我慢してな。そりゃ腹も減るわな。お前、二日も寝てたんだから」

「二日も!?」

「そうだよ。全然目を覚まさなかった。リズリーが心配するのも分かるだろ」

 なんてことだ。完全に意識が落ちていた。そんなに時間が経っていたなんて。寝起きのぼんやり頭が、徐々にはっきりしてくる。

「そうだ。チャトは? フィーナは? イリスはどこ? ここはアウレリア? なんで? 僕は流星の霊峰にいたんですよね?」

「落ち着け。あいつらは別室にいる。チャトは元気だがフィーナは熱を出してる。イリスも体調を崩しているが、ふたりとも回復の魔導で徐々によくなってきてる。ほんで、ここはアウレリアで合ってる。お前は流星の霊峰から、イリスの竜魔導でここまで飛んできたんだよ 」

 ラン班長は、粗暴な口調で僕の質問に全部こたえた。

 ラン班長によると、僕らはアウレリアの管理局の裏、運び鳥が繋がれた辺りで伸びていたらしい。当直の局員が、外がカッと光ったのを観測し、様子を見に来て見つけたのだという。眠っていた運び鳥たちは、突然現れた眩い光に驚いて騒ぎ出し、大変だったみたいだ。着地の際に高いところから落ちたらしく、僕らは全員気を失っていたそうだ。

 僕が眠っている二日間の間に、ラン班長は、僕より先に目覚めたイリスたちから話を聞いたようだ。

 イリスは魔導陣とポピの咆哮で竜魔導を完成させ、僕らを一瞬でアウレリアに飛ばした。アナザー・ウィングの元となったこの竜魔導は、空間をねじ曲げて光の届く速さで物質を転移させる。つまり、魔導陣の中のものを瞬間移動させるものだったのだ。

「ジズのジジイが言うには、どんなに魔導を極めた者でもあれほどの距離の空間転移は叶わない。目に見える範囲の空間移動くらいなら、できる奴もいるんだけど。あれほどの長距離を一瞬で飛び越えられるのは、竜魔導だけだそうだ」

 ラン班長は僕の寝台に座って、けだるそうに話した。

「つまり、竜魔導が実現した。イリスのやつ、本当に竜族だったんだ」

「そうみたいですね……」

 イリスは、本物の竜族の生き残りだ。すなわち彼女の伝える竜族の予言も、本物だろう。

「お前が寝てる間に、エーヴェから船で流されて以降のこと、チャトから聞いた。変な島に流れ着いたとか、その島が魔族の里に繋がってたとか。王室に報告するレベルの発見だ」

 ラン班長が無愛想に言う。言われてみれば、忘れ去られた島が見つかった上に、大陸との連絡通路ができていたというのだから、大ごとである。

「それにお前、アウレリアから消えた行方不明の少女も見つけたらしいじゃんか」

「あっ!」

 そうだった、兵団はミグを捜しているのだ。山脈の中でひとりぼっちの彼女を、早く助けないと。

 しかし、そう思ったと同時にミグの言葉が頭の中に蘇る。

『アウレリアには、まだ戻れない……』

 ミグはマモノに連れ去られたのではなく、自らアウレリアから消えた様子だった。どんな事情があるのかは分からない。だが彼女は、兵団に情報を流されることを嫌う。

 ラン班長が鋭い目つきで僕を覗き込む。

「直接会ってるのはツバサだけなんだよね。どの辺で会ってどの辺で別れた? どうしてお前らと一緒についてこなかった? 名前は聞いたのか?」

 今度はラン班長の方から質問攻めにされる。僕はひとつひとつ、戸惑いながら応じた。

「山をひたすら歩いてたから、出会った場所は把握できてません。別れたのは、流星の霊峰のすぐ傍でした。そこから先は、『一緒に行こう』って誘ったんだけど、自分は用がないからって……」

 話している途中で、僕は語尾を濁した。僕くらいの年齢の子供が、険しい山脈に取り残されているのだ。兵団に向かってもらった方がいいに決まっている。

 でも、ミグ本人は、アウレリアに戻りたがらない。どうしてもそれが引っかかって、全てを話すのを躊躇してしまう。

「名前は……分かりません」

 そうして僕はまた、兵団に非協力的な嘘をついてしまった。

 兵団のためにもミグのためにも、ちゃんと話して連れ帰ってきてもらった方がいい。それは分かっているのに、言えなかった。一度吐いてしまったら、取り返しがつかない。

「はあ? 直に話してんのに名前聞いてないのかよ」

 歯切れの悪い僕を眺め、ラン班長は目を閉じた。

「そうか。じゃ、流星の霊峰近辺を捜索か……しかし、そんな遠くて危ない場所に人員は割けない。今は人手不足だし」

「人手不足? あ、そういえばエーヴェで話してましたね。マモノがやけに活発だって」

 手の甲にポピが擦り寄ってくる。ラン班長は薄く目を開け、ポピの背中を見下ろした。

「そ。あのときより更に悪化してる。もう市民は都市から出ないよう、アウレリア国王から指示が出た。急だけど、あと三日後には施行される」

「都市から出られなくなるほど、危険なんですね」

「そうだね。都市の外へ伝言鳥を飛ばすのすらままならん。途中で気の立ってるマモノに襲われてしまうようで、届かないし帰ってこない」

 ラン班長の言葉にぞっとする。伝言鳥が次々に襲われているというのも悲惨だし、人間側も連絡手段を絶たれているというのだ。

「都市から出られなくなるということは、薬草拾いも森へ行けないし、商人も隣の都市のメリザンドにすら行けない。魔族の里や鳥族の牧場とも関係を絶たれるだろうな。生活の全てを都市の中で賄わなくちゃならないってことだ。絵描きのシルヴィアは、施行前に慌てて帰ったよ」

 どうやら、想像以上に凄惨な状況のようだ。

「そんなときに、エーヴェの島主からアウレリア国王宛に連絡があった。マモノの反乱が起きるから兵力を固めておけと。竜族云々については、伏せていたけどね」

「エーヴェの島主さん、動いてくれたんですね」

 日焼けした肌の、白髪頭のおじいちゃんを思い浮かべる。彼はイリスの話を真剣に聞いてくれて、行動に移してくれたのだ。ラン班長は小さく頷いた。

「残った数少ない都市から……それも、離れた島を管理してる、信頼のおけるじいさんからの連絡だ。その上、実際マモノがざわついてる。アウレリア国王も無視できない。この流れを受けてメリザンドも同じように市民の都市外行動を禁じたし、エーヴェも同じ措置を取るそうだ」

 つまり、世界に残った三つの都市全てが、鎖国状態になったというのだ。

「対マモノ用の戦闘員として動いてるのは本来駆除班だけだったが、他の兵団員やら市民の傭兵団までマモノと戦ってる」

 僕は黙って聞いていた。ことが大きく膨れ上がっている。僕が知らないうちに、都市の緊張感は高まっていたみたいだ。

「そうでなくても、昨今のマモノの荒れ具合は私とフォルクだけじゃ全然手が回らない。大繁盛だよ。お陰様で、駆除班の『窓際部署の暇人』扱いはなくなった。汚名は返上だな」

 皮肉のような自虐のような呟きをくっつけて、ラン班長は眉間を押さえた。僕には労うしかできない。

「お忙しそうですね」

「ツバサの相手してる暇はないわけよ」

 最後に意地悪を付け足された。僕は口を結んで、ポピの頭を撫でた。暇がないなら、僕に構わなくてもいいのに。心を読んだみたいに、ラン班長は言った。

「だというのに、私がお前に構ってんのはね」

 彼女がこちらに前のめりになる。

「お前が漂着した、島について聞きたいんだ」

 え、と、僕は改めて顔を上げた。ラン班長がじっと目を捉えてくる。

「世界の危機とか、行方不明のガキとか、魔族の作った杖だとか。竜族の生き残りだとか、竜魔導でアナザー・ウィングが完成するだとか。正直言って、そんなでかい話は私にはあんまり分からん。大して興味もない」

 言ってはいけなさそうな本音を吐いて、ラン班長は更に僕に詰め寄った。

「それよりお前、毛族に会ったのか?」

 静かな迫力に気押されて、返事が震えた。

「は、はい」

「奴らの容姿については、フィーナから聞いた。だが会話ができたのはツバサだけなんだろ。なんて言ってた?」

「ええと、いろんな話をしたけど……。昔、伝言鳥が迷い込んできて、返事を出したら識族の子供がやってきたって、話してました」

 なんだろう、ラン班長はもともと目つきが良くないが、今日は一段と険しい。

「その子供に『毛族』と名付けられて仲良くなれたとも話してました。でもその後、別の人間が大陸からその子供を連れ戻しに来て、毛族を敵と認識したとも言ってました」

「それで。毛族はなんだって? 大陸の人間を憎んでるのか」

「いえ、それはありません!」

 はからずも、声が大きくなった。

「自分たちが醜いんだと知って、悲しかったみたいですが……それ以上に、識族の子供が毛族のもてなしを喜んでくれて、仲良くなれたのが嬉しかったみたいでした。人が来るのを待って、おもてなしの機会を窺ってたくらいです」

 少し早口になったのは、僕がラン班長を警戒したからかもしれない。もしも大陸の人間が毛族の怒りを買って、毛族が攻撃に出るかもしれないとなれば、兵団は毛族に先制攻撃をしかねない。最初に迷い込んだ子供を連れ戻しに来たときだって、兵団は毛族に武器を向けている。

 咄嗟に毛族を庇おうとしたのだが、ラン班長の反応は僕の予想と違った。

「そうか、そうなのか。ならよかった」

 険しい眉間の皺はどこへやら、彼女はほんの少し、頬を緩めていたのだ。

「それだけ分かればいい。じゃ、私は外のマモノを抑えてくる。お前、そっから動くなよ。じきにリズリーが戻ってくる」

 そう言い残して、彼女は寝台から立ち上がった。カーテンを払って、部屋を出ていく。

 ラン班長、と、呼び止めようとした。しかしその後ろ姿は、もう扉の向こうへ消えてしまっていた。

 閉じられた扉を、僕はしばらく凝視していた。毛族の件を聞いたラン班長の、なんとも言えない表情が目に焼き付いている。頬が緩んだと言っても、複雑な顔だったのだ。嬉しそうにも見えたし、なにかを諦めたようにも見えた。

 どうしたのだろう、と、考えはじめた直後だ。ラン班長が消えた扉が、再びそうっと開いたのである。

「ツバサ……起きたの?」

 茶色い耳がぴょこっと覗く。チャトだ。見慣れた顔を見て、妙に安心した。

「ずっと眠ってて心配かけちゃったね。もう起きたよ」

「二日も寝てたよ。ごはん食べてないでしょ? 大丈夫なの? ごはん食べないと、なんにもできなくなっちゃうんだぞ」

 チャトが医務室に入ってきて、小走りでこちらにやってくる。

「これあげる。リズリーとおんなじ仕事してるお姉さんがくれた」

 小さなバスケットを差し出してきた。中にはクッキーやマフィンに似た食べ物が四、五つほど詰まっている。

「ツバサが起きるの待ってたから、食べるの我慢してたんだからな」

「チャトに我慢なんてできるんだね。ありがとう」

 冗談を言いながら、チャトの頭をくしゃくしゃ撫でる。チャトは擽ったそうに首を竦めて、寝台の淵に腰掛けた。

 僕が下半身に布団を掛けて座って、チャトが床に足を下ろして座る。以前にも、この構図になったことがある。あれはたしか、僕がこの世界に来たばかりの頃。噛み付きトカゲに襲われた後にアウレリアへ連れてこられ、この医務室で休んだのだった。

 あのときに比べ、チャトの背中がちょっとだけ逞しくなったように見える。

「背、伸びた?」

「ん? そうかな?」

 振り向いた横顔も、当時に比べると凛々しく見えるような。そう思った矢先、彼は変わらない無邪気な笑顔を浮かべた。

「獣族は他の種族より、体が大人になるのが早いから。ツバサの身長なんて、あっという間に追い越しちゃうよ」

 ポピがするすると布団の上を這い、バスケットを不思議そうに覗いている。

 あの頃のチャトは、僕からおいしい匂いがするとかで、寝ている間に味見しようとしたと言っていた。それが今回は、一緒に食べようとしてお菓子を残してくれている。言動が子供っぽい印象のチャトだが、しっかり成長しているのだとひしひし感じられた。きっとこの子は、僕の身長を追い抜くだけでなく、僕より早く大人になってしまうのだろう。

「うーん、僕も成長期なんだけどなあ。背が伸びないんたよなあ」

「せいちょき? ふうん」

 チャトはなにも分かってなさそうな大雑把な返事をし、お菓子に手を伸ばした。

「あのね、フィノがね。目を覚ましてはいるんだけど、熱を出しちゃったんだ。イリスも、竜魔導の反動と旅の疲れで体がつらいみたい。ツバサは大丈夫?」

 そうだった、ラン班長もそう言っていた。長旅で疲れが溜まったのだろう。寒いところに行ったり、水に濡れたりもした。僕もチャトに倣って、お菓子を手にした。

「うん、たくさん寝たから大丈夫だよ。ふたりは今どこにいるの?」

「リズリーがいる移住課の近くにある、休憩室にいるよ。そこにも寝台あるから。熱出してるから、うつんないように俺とツバサとは隔離されてるんだ」

 管理局は、夜も当直がいる。だから僕も、フィーナもイリスも宿泊させてもらえているのだろう。

「チャトは?」

 チャトだけは、ひとりで元気そうである。もうおうちに帰って過ごしているのかと思いきや、彼は不服そうに眉を寄せた。

「それがね。局員のおにいさんの部屋に泊めてもらってるの。全然知らない人。今回の旅の話を全部聞き出して、文書にまとめなくちゃいけないんだって。毎日難しいこと聞かれて、疲れちゃった」

 ああ、そうか。竜族が生き残っていたことや、竜魔導が成功したこと。毛族という謎の種族が見つかったこと、その島と魔族の里がリンクしていること……。いろんな発見があったのだ。ラン班長いわく、王室に報告するレベルだという。細かく言えば、廃棄の船が勝手に動いたことなんかも報告対象なのだろう。

 しかし女の子ふたりは体調不良、僕は爆睡。まともに話を聞き出せる状態なのは、チャトだけだったのだ。

「これからはツバサの方が、たくさん聞かれると思うぞ。ツバサは不思議な杖を持ってるし、毛族の言葉が分かる。それに、アウレリアの迷子とも会ったんでしょ?」

 チャトがお菓子を口に放り込む。そうだよなあ、と返事をする代わりに頷いて、僕もクッキーをひと口かじった。食べはじめたら、麻痺していた空腹感が感覚を取り戻してきた。

 ミグについて、僕はどこまで話していいのだろう。本来は全てを話すべきだが、どうしてもミグの言葉が引っかかって踏み切れない。あんなの気にしている場合ではないのも分かるのだが、なぜだろう。彼女の考えには深い理由がある気がして、つい守りたくなってしまう。ミグが天ヶ瀬さんにそっくりなせいで、感情が変な方向に傾いているのかもしれない。

 お菓子を持っていると、ポピが僕の手元に首を伸ばしてくる。自分も食べたいみたいだ。僕はクッキーを少しだけもいで、ポピの顔の前に差し出した。ポピはくんくんと匂いを嗅ぐと、くわっと口を開けてクッキーの欠片をひと口で飲み込んだ。ギザギザの鋭い牙がびっしり並んでいるのが見えて、ちょっと怖かった。

「ねえツバサ。都市の外に出られなくなっちゃうって、聞いた?」

 チャトが顔だけこちらに向ける。

「マモノがいっぱいで危ないからだって。俺とフィノも、薬草を拾いに行けなくなっちゃった」

「ラン班長が言ってたな。商人も行き来できないんでしょ? すごく不便になるよね」

 比較的距離の短いメリザンドにすら行けない。魔道具を生産する魔族の里や、牧場がある鳥族の谷にも、往来できなくなると言っていた。

 冷静になってみると、いろんな問題が頭に浮かんでくる。

「施行されるのは三日後なんだよね。アルロに腕輪を作って送ってもらう予定なんだけどなあ。無事に届くかな」

「だよねえ。どうなっちゃうのかなあ」

 チャトが天井を見上げる。

「都市の偉い人が、『もうアウレリアから出られないよ』って決めちゃったんだもんな、仕方ないよな。薬草拾い以外にできること探して、ここから出ずに暮らすしかない」

 特段寂しそうでもない、あどけない口調だ。

「なんか、悲しいね」

 僕はぽつっと、本音を零した。

「全然知らないところを旅をして、いっぱい怖い思いもして、それでやっと、安心できる人のいる場所まで戻ってきたのに。その町も、こんなにも変わってるなんて」

 水路に隔てられているお陰で、内側は安寧を保っていたアウレリア。町の中の人々は平和に暮らし、対マモノ戦闘員として配置されている駆除班は暇そう……少し前までは、そんな都市だった。それが今では、いつ脅かされてもおかしくないラインでピリピリしているのだ。

「アウレリアって、今までとっても穏やかだったんだねえ。ずっとここにいたから、知らなかったよ」

 チャトが耳を倒してしみじみと呟く。

「俺さ。ツバサと出会わなかったら、薬草の森より遠くの景色なんて見ずに、一生を終えたと思う」

 僕は膝の上の黙ってポピを観察していた。あっという間にお菓子を飲み込んだポピは、僕にもうひと欠片寄越せと催促する。

 チャトは言葉を探すように、ゆっくりと話した。

「そしたらメリザンドすら行かなかったし、涼風の吹く森に獣族の仲間がいるのも知らなかった。都市の外が荒れた野原なのも、魔族の里が寒くてきれいなのも、鳥族の谷がのんびりしてるのも……なんにも、知らないままだった。外の世界を知ったのは、ツバサが見せてくれたからなんだよ」

 チャトが目を伏せる。僕は黙って、ポピにクッキーを与えていた。

「獣族は大人になるのが早い分、一生が短いからな。危うくなんにも知らないで終わるところだった。ありがとう」

「なんだよ、わざわざそれ言い来たの?」

「うん。いろんな景色を見て、いろんな人に会って、今まで知らなかったものを見たらね。今まで知らなかった感情も知ったよ。俺、やっぱツバサについていってよかった。いっぱい、大人になれたと思う」

 そこへ、開きっぱなしの扉からリズリーさんが入ってきた。

「あら、チャトくん。ここにいたのね」

 手には食事の載った四角いお盆を持っている。僕は改めて姿勢を正し、頭を下げた。

「ご迷惑おかけして、ごめんなさい」

「本当にね。いくら叱っても足りないくらい。でも、事情はイリスちゃんから聞いたわ」

 リズリーさんが、寝台に食事台をかけてそこにお盆を置く。先程は僕の頬を引っぱたいた彼女だったが、今は落ち着いたみたいだ。怒ってはいるけれど、優しい言葉遣いを取り戻している。

「ごはん、しっかり食べてね。あなたには聞きたいことが山ほどある」

 お盆の上で、スープや焼いたスポンジ状の食べ物が湯気を立てている。相変わらず、イカイの食べ物は見慣れない。

「いただきます」

 食事に手をつける。温かくて、おいしい。リズリーさんが、寝台の横に椅子を運んできた。それに腰掛けて、僕の様子を眺めている。クッキーを齧っていたポピが、リズリーさんを見上げる。リズリーさんはポピにそっと指を伸ばした。

「この子、流星の霊峰から連れてきたの?」

「はい。竜魔導には竜が必要だって聞いて。大きな竜は他のマモノと同じように凶暴だから、小さいのを連れてきました」

「ポキュ」

 ポピが羽根をパタパタさせる。リズリーさんの指がポピの額を撫でると、ポピはピャッと変な声を出して威嚇した。

「人間からちょっかいを出すと怒るのね」

「はい。ちょっと気難しくて……」

「名前は付けたの?」

「ポピです」

 こたえた途端、リズリーさんがくすっと吹き出した。チャトまで笑い出す。

「ツバサが付けたんだよ」

「やっぱ、変な名前なんですか? イフの人間としては、そんなに変じゃないと思うんですが」

 僕はポピにまたひとつ、クッキーの欠片を与えた。リズリーさんなら笑わないと思ったのに。

 リズリーさんは笑いを呑み込んで、柔らかな微笑みに変える。

「ごめんごめん。笑って悪かったわ。いいんじゃないかしら」

「ピイ?」

 自分の話だと分かるのか、ポピが僕とリズリーさんを交互に見ている。

 僕が眠っている間に、リズリーさんは断片的に話を聞き集めたらしい。並行する世界を繋げるほどの力はすごく強くて、一度封じられる腕輪がないと危険であること。だから魔族から腕輪が届かないといけないこと。竜魔導を使うには祭壇が必要なのも、チャトとフィーナとイリスから聞いたと言う。

「祭壇がアウレリアの王宮にもあるというのは、救いかもしれないけど……一般人は余程の理由がないと王宮には入れないわ。こんな言い方はすべきじゃないけれど、今のところツバサくんもイリスちゃんも、素性が知れない存在として私たちの監視下にある。申し訳ないけど、あなたたちは王宮になんて入れる立場じゃないのよ」

「えっ!? そうなんですか?」

 都市の中に祭壇があると知って、すっかり油断していた。ショックを受ける僕を見つめ、リズリーさんは真剣な面持ちで続けた。

「竜族の生き残りの存在は、公にはまだ認められてない。今の時点ではイリスちゃんは、戸籍はないし、管理局の運び鳥を奪って脱走した前科もある。危険な存在として扱われている以上、警備は厚い王宮になんて当然入れない」

「イリスの身から出た錆ですね……」

「イリスちゃんが本当に竜族だと証明できれば、事態は変わるはずなんだけどね」

 リズリーさんの瞳がポピを見据える。

「アウレリア王宮に入る許可を貰うには、イリスちゃんを、竜族だと証明するしかないわ。竜族の生き残りがいたとすれば、歴史的な発見になる。国王から特別な権利を与えられるし、保護される存在になる。ツバサくんは難しいかもしれないけど、イリスちゃんだけは、王宮へ入れるようになる可能性があるわ」

 僕自身が入れなくても、魔道具アナザー・ウィングさえ作られれば問題ない。

「それにね、竜魔導を使えれば、解決することが他にもあって……」

 リズリーさんが更に付け加える。

「ランから聞いたと思うけど、今、都市はマモノに囲まれてる。とても都市外に出られる状態じゃない。だけれど、都市の外との交流を絶ったら産業を賄えなくなる。ルートを確保する方法として、空を飛ぶマモノを育てるとか地下通路を建設するとか、案は出てるけれど、どれも現実的じゃないの」

 リズリーさんが神妙な顔で話す。

「そこで、竜魔導。ツバサくんたちは、流星の霊峰からアウレリアまで一瞬で帰ってきたのよね」

 そこまで聞いて、僕はなんとなく察した。

「そっか……例え都市の外へ出られなくても、竜魔導さえ自由に使えれば都市を行き来できるんですね」

 竜魔導は光の速さで物体を転送する力があった。つまり、例え都市の外へ出られなくても、竜魔導さえ自由に使えれば都市を跨げるのだ。

 幸い、アウレリアにもメリザンドにもエーヴェにも、竜魔導に必要な祭壇はある。竜魔導を使えば、少なくとも三つの都市の間は自由に往来できる。

 しかし、僕は頭を抱えた。

「でも、竜族だって証明するには竜魔導を見せないといけなくて、竜魔導を使うためには祭壇が必要で……」

「そうね。堂々巡りになるわ」

 リズリーさんもため息をつく。それから彼女は、でもね、と表情を切り替えた。

「メリザンドの魔導学園にも同じ祭壇がある。私は卒業生だからよく知っているけど、あそこは出入り自由よ。竜族なんて御伽噺みたいなものとされてたから、祭壇はオブジェくらいに思われていたの。学生たちが祭壇の前で食事してるくらい」

「じゃあ、アウレリアの王宮の中に入れてもらうより、メリザンドの方がずっと入りやすいんですね」

「ええ。社会的な信頼の厚いジズ老師が証人になってくれれば、竜魔導はすぐに認められると思うわ」

 よかった、それならひとまず安心だ。

「メリザンドで竜魔導に成功すれば、イリスは公に認められるし、上手く行けば三つの都市が繋がるんですね!」

 僕が手を叩くと、リズリーさんは一瞬顔を強ばらせ、言いにくそうに言葉を繋いだ。

「そうね……ただ残念ながら、その三都市以外との交流は途切れた。つまり、魔族との流通はもう、諦めるしかない……」

 彼女の重々しい声色に、僕はすっと血の気が引いた。

「それじゃ、腕輪は……」

 魔族と繋がることができなくなれば、どんなに待ってもアルロから腕輪が届かない。リズリーさんは、腫れ物を触るように慎重に言った。

「一度道具に落とし込まないと暴走するほどの力、なのよね。大丈夫、上手く制御する方法を一緒に考えましょう」

 折角アナザー・ウィングの材料が揃いはじめたのに。折角、アルロにお願いしたのに。僕は俯いたまま、声が出なくなった。

 リズリーさんもしばし下を向き、再び顔を上げた。

「それとね。ツバサくんが魔族から貰ったという杖、少し調べさせてほしいのよ」

 あの、羽根になる杖のことだ。僕は寝台の横に立てかけられたリュックサックに目を向けた。横のポケットから、杖の先がはみ出ている。

「フィーナちゃんが起きてるときに聞いたんだけど、その杖、マモノの暴走を止められるのよね?」

 リズリーさんの言葉に、ハッとなった。僕が貰った杖なら、マモノを静められる。つまり、都市の傍まで攻めてきたマモノたちを、一掃できるかもしれないのだ。

 黙っていたチャトも気が付き、耳をぴこんと立てた。

「そうじゃん! ツバサ、怖いマモノ全部追い払っちゃおうよ! そしたらまた、都市の外へ遊びに行けるようになるよ。アルロの腕輪も届くよ」

「そう言いたいところだけど、これはあなたたちの証言以外になんの証拠もない。信憑性が弱くて、自信を持って外へ放り出すなんてできないわ」

 リズリーさんは眉間に皺を刻んだ。チャトがリズリーさんの袖を掴む。

「本当だよ! 俺、見たもん」

「作った魔族のアルロだって、そういう能力で間違いないと言ってました」

 僕も頷いて加勢したのだが、リズリーさんは首を捻るままだ。

「信じてないわけじゃない。でも説得力が足りないの。『意志の形』というのも、ぼやっとした定義だから効果が変わってしまうこともあり得るし」

「うーん、絶対強いのに」

 チャトがつまらなそうにむくれた。リズリーさんが苦笑する。

「だけどさっきも言ったとおり、私はあなたたちの言葉を信じてる。イフから来たツバサくんにしか扱えないものだとか、意志の形になるものだから、ツバサくんの性格ありきでそういう能力なるのだとか……情報は煩雑だけれど。本当にそんな力があれば、同じように戦える武器を新たに作って、兵団で共有できないかなって考えてるの」

 たしかにそれなら、マモノを無駄に殺さずに追い払える。そうなれば、都市の外に出るのも禁じられる必要もなくなる。

「杖の力が本当だろうと怪しかろうと、どっちにしろ一般人であるツバサくんを大量のマモノと応戦させるなんて絶対に許されない。杖があっても都市の外へ飛び出したりしちゃだめだからね」

「分かりました」

 頷いてから、僕は頭の中を整理した。

 腕輪については、ひとまず置いておくとして。まずはイリスの竜魔導を、公に認めさせることが第一だろう。アウレリア王宮には入れないが、メリザンドの魔導学園なら僕やイリスでも入れる。

「それじゃ、次に向かうのはメリザンドだな。都市外行動の禁止が施行されるのは三日後だから、それまでに……」

 僕がそう呟くと、リズリーさんはふっと頬を緩めた。

「すぐ次のこと考えるんだから。とりあえず、まずはしっかりご飯を食べてもう少し休みなさい。あんまり力みすぎちゃだめよ」

 柔らかな声に包まれて、僕はふっと肩の力を抜いた。そうだ、あまり焦って行動すると、大事なものを見落とすかもしれない。

 僕はふと、羽根の杖よりすごそうな力の存在を思い出した。

「あの、リズリーさん。マモノが特定の人間とコミュニケーションをとることって、あるんですか?」

 山の中で出会ったミグは、野生の狼のようなマモノと意思の疎通をとっていた。

「伝言鳥のドリーくんがリズリーさんに懐いてるのとは、ちょっと違って。完全に野生のマモノが、迷子に道案内をする……とか」

 マモノが都市に攻めてきているとしても、ミグのひと声で全部引くのではないかと思う。リズリーさんは、顎に指を添えて宙を仰いだ。

「人に育てられたのではないマモノが? あまり聞かないわね。マモノの行動については、私よりランやフォルクの方が詳しいと思うけど……。そんなことが起きたの?」

「僕にじゃないんですが、ええと……仮に、それができる人がいたら、今の状況は好転するんじゃないかなって……」

 ミグについては、まだ口にするのが憚られる。僕の含みのあるもやっとした言い方を、リズリーさんは静かに聞いていた。はっきりした言葉に直すのを、待っていてくれるようだった。

「……そうね。もしもそんな力があるのなら、世界は大きく変わるわ」

 そう言うと、リズリーさんは医務室を出ていってしまった。

 湯気を立てている食事に、視線を落とす。スープを口に運びながら、僕は考えた。

 やっぱり、ミグを連れ戻すべきなのだろうか。

 ミグさえいれば、世界じゅうで荒ぶるマモノたちを一気に大人しくさせられる。彼女はまるで、マモノと会話をするように狼を手懐けた。彼女が通れば、マモノが道をあけた。ミグの能力は、僕の持つ羽根よりもきっと、強力だろう。

 ミグにどんな事情があるのか知らないが、ミグひとりのわがままよりも、世界の危機の方がよっぽど重大だ。

 決めた。食事を終えてリズリーさんと話す時間が取れたら、しっかり話そう。

 腹を決めてから、ぐっとスープを飲み干す。隣のスポンジみたいな食べ物も、口に詰め込んだ。

「ねえツバサ。メリザンドに行くときは、俺も連れてってね」

 チャトがお菓子を食べながら声をかけてくる。僕は彼のふわふわの尻尾を眺めて唸った。

「うーん……都市の外への外出が禁じられるのは三日後だけど……すでにもう危ないんだよね。初めてメリザンドに行ったときとは状況が違う」

「ツバサの羽根があれば、怖くないよ」

 メリザンドも、アウレリアと同じ政策をとる。同じように、外に出られなくなる。ふたつの都市が直接繋がるのは、あと三日間だけ。

 チャトはニーッと自慢げに笑って、人差し指を立てた。

「仮にメリザンドから出られなくなったとしても、いっそのこと、そのまま移り住んじゃおうぜ。もうすぐアウレリアから出られなくなるって聞いて、俺は本当は真っ先に、メリザンドに移り住もうかなと考えたんだ。フィノがメリザンドの魔導学園で勉強したいって言ってたのを思い出したの。アウレリアから出られなくなったら、一生叶わないでしょ」

 そういえば、初めてメリザンドへ行って魔導学園に入ったとき、フィーナは学園内を興味深そうに見ていた。チャトはちゃんとそれを覚えていて、彼なりに実現する方法を考えていたのだ。

「ツバサが元の世界へ帰ること、イリスが竜族と認められること、フィノが魔導を勉強すること。皆で、それぞれの目的を叶えよう。全部叶うのが、俺の夢だから」

 チャトがぴょこんと寝台から飛び降りる。

「リズリーにも言ってくる! このままアウレリアに閉じ込められるわけにはいかないよ」

 ご機嫌な足取りで医務室を出ていくチャトの背中を、僕は黙って見送った。


 *


 翌日の朝。窓から見える空は、朝焼けに染まっていた。医務室には、僕とチャト、リズリーさん、それからフィーナとイリスが呼び集められていた。

「運び鳥の荷車を用意してもらったわ。護衛の兵団員はふたり確保できた。ジズ老師のところへも、なんとか伝言鳥が辿り着いてくれて話をつけることができたわ。あとこれ、食糧ね。こっちの袋には飲み物が入ってる。これは向こうでの生活費の足しに……」

 リズリーさんがてきぱきと僕に荷物の説明をする。フィーナは、突然のことにぽかんとしていた。

「あ、あの、私まだなにも聞いてないのですが」

 イリスも目を白黒させている。

「どこへ行くのじゃ?」

「メリザンドだよ! 話そうと思ったのに、ふたりともぐっすり寝てるんだもん。よく寝たお陰で体調良くなったみたいだから、結果オーライだけど」

 チャトが呆れ顔で言う。そりゃ、眠くもなるよ……と、僕は口の中で苦笑した。僕自身も、二日間ぶっ通しで眠っていた身だ。体力のなさそうなフィーナや、竜魔導で強大な魔力を使ったイリスはきっと、僕よりもっと疲弊したのだろう。

 ここまでに、リズリーさんを中心にいろんな人が動いてくれた。リズリーさんが上司を説得し、その間にラン班長やフォルク副班長が兵団に相談した。僕とチャトは、メリザンドへ出かけるための旅支度を整えた。向こうに永住することになってもやっていけるように、生活に必要な最低限のものを買い集めたのだ。

 フィーナとイリスを叩き起こしたのは、全ての準備が整った後。幸いふたりとも、熱が引いていた。

「道中でちゃんと説明してくださいよ?」

 ちょっと不服そうなフィーナの肩に、リズリーさんが手を置く。

「久しぶりに休めると思ったのにねえ。病み上がりなのにごめんね。でも、あなたたちもいないと意味がないのよ」

 そうだ。

 チャトはフィーナを魔導学園に連れていきたいのだし、イリスがいないと竜魔導を使えない。

「どういうつもりなのかさっぱりじゃが……なにか考えがあるのじゃの?」

 イリスが寝癖でくしゃくしゃの髪を余計に掻き乱す。

「それなら、どこまででもついていくまでじゃ」

 諦めとも覚悟とも、期待とも取れる口調だった。


 運び鳥の荷車に揺られて、明け方の空の下を、僕らはメリザンドに向かって進んでいた。

 しかし、道のりは決して平坦ではない。先に言われていたとおり、道中はマモノで溢れていた。アウレリアのすぐ傍に広がる薬草の森は、マモノの巣窟と化している。

 荷車の真上に、巨大な獣が飛びかかってくる。フィーナが悲鳴を呑んで縮こまった。それを躱したと思ったら、次はゆらゆらと黒い煙を放つ鳥の大軍が襲ってくる。運び鳥はパニックを起こし、荷車は大きく揺れた。

「くっ、思った以上だな」

 兵団員のお兄さんが舌打ちした。

 前に一度メリザンドへ向かったときはもっと穏やかだったのに、今やあんな安全な道ではない。都市外への外出が禁じられるのも納得するしかなかった。これほどまでとは想像できていなかった。僕の覚悟は足りていなかったのだと思い知る。

 僕は荷車の隅で、カゴを抱えて小さくなっていた。カゴの中にはポピが入っている。どこかへ飛んでいったり、外のマモノに襲われたりしないよう、リズリーさんが用意してくれたカゴだ。

 護衛についてくれている兵団員二名は、ふたりともラン班長の後輩だそうだ。マモノ対策用の銃器やナイフを握り、荷車の前後に立ってマモノを威嚇する。

 ラン班長の後輩と聞いて、もっといろんな話をしたかったのだが、この状況ではそれどころではない。

「お前ら、しっかり伏せてろ」

 威嚇射撃の音の隙間で、怒鳴り声が響く。

「上から絶対死なせるなって言われてんだよ。余計な動きすんじゃねえぞ」

 森クラゲの蔓がびゅんと頭上を通り抜ける。手前に立つ護衛の兵士がナイフで蔓を切り裂くと、べたっとした緑色の液が荷車の中に飛び散った。後方からも、獣のマモノが追ってくる。

 僕らは言われたとおりに荷車の隅に縮こまっていた。下手に動くと、却って迷惑がかかる。

 荷車がまた、がくんと揺られた。木々の隙間を割いて現れた、巨大な怪鳥の羽ばたきで煽られたのだ。形はフクロウに似ていたが、運び鳥の二倍はあろう体躯を持っていた。

「先輩! こっち無理っす」

「くっ……」

 兵団員ふたりでは対処しきれない数が、同時に襲ってくる。

 大きなフクロウがくちばしを広げる。ギザギザとノコギリ状の刃が口内に並び、大きさは人の頭ひとつ分、丸呑みしそうだった。

 僕は咄嗟に、ポピのカゴを隅に置き、立ち上がった。リュックサックから杖を引き抜く。

「おい、お前、隠れてろっつったろ!」

 兵団員が怒鳴るのも、今は聞こえないふりをする。無我夢中になった僕は、杖を羽根の姿へ変化させ、襲い来る鳥の首筋を貫いた。

 一瞬、鳥の動きが止まる。そして我に返ったように、ホオオと鳴きながら高く飛び去っていった。

「は? 今、なにを」

 後方を守る兵団員が僕を振り向く。まさに目を疑うといった顔だ。彼がぽかんとしているうちに、後ろから追ってくる獣のマモノが加速した。少し距離があったのに、大ジャンプで一気に荷車の上空まで飛びかかってくる。兵団員がもとの険しい顔に切り替わった。

「まずい」

「どいてください!」

 僕は彼の横腹に体当りして、荷車の中に着地しそうな獣へと羽根をかざした。途端に、獣は憑き物がとれたみたいに空中で動きを止め、そのままどさっと地面に転がった。

 再び、武器を構えた兵団員が目をぱちくりさせた。

「お前……何者なんだ」

「まだちゃんと信頼されてないですが、マモノの暴走を止められる者です」

 急いで返事をしたせいで、まるで召喚された勇者みたいな自己紹介になってしまった。

 背後でもうひとりの兵団員の声がした。

「あっ、こら! 座りなさい!」

「うるせー! ツバサばっかずるいんだもん! 俺だって負けてられないんだよ!」

 振り向くと、伏せろと言われているのに、チャトが立ち上がっていた。尻尾を大きく膨らませて、襲い来る黒い鳥のマモノを威嚇している。ちょっと呆れ目で見ていると、伏せていたフィーナが転がり起きた。

「ツバサさん、横!」

「へっ?」

 慌てて顔を上げると、これまた見たことないマモノが特攻してきていた。拳大の石の礫のようだが、目玉がある。それが五、六匹浮かんで、木々の間から突っ込んでくる。

「なにこれ……!」

 咄嗟に動けなかった。思わず目を瞑る。

 と、ひゅっと頬の辺りが冷たくなって、直後にゴトゴトと固い音がした。

 目を開けると、荷車の通り過ぎた後の道にコロコロと転がる礫たちの姿があった。

「お怪我は、ありません、か……」

 息を切らせたフィーナが、しゃがんだままこちらに手をかざしている。魔導で風を起こし、マモノを吹き飛ばしてくれたのだ。

「ありがとうフィーナ」

「いえ、無事でよかった」

 兵団員が啖呵を切る。

「いいから頭下げてろ!」

 叱られても、僕らはもう座り込んではいられなかった。

 荷車が揺さぶられる。イリスが荷車の先端ギリギリまで歩み寄り、運び鳥の背に投げかける。

「落ち着くのじゃ、このまま真っ直ぐでよい。む、正面からなにか来る!」

 イリスの声で兵団員の片方が正面を警戒する。運び鳥を気にかけながら周囲を見張り、イリスはフィーナにも声を投げた。

「フィーナ殿、なるべく魔導で敵から壁を作るのじゃ!」

「はい!」

 荷車が森を突き抜ける。木々の影から解放されると、外はパッと明るく感じた。森の外に広がる荒野も、以前よりずっとマモノが多い。

 森のように木々が道を遮らないぶん、大きなマモノや群れを成すマモノが闊歩している。三メートルくらいの砂の塊みたいなものがズルズルとこちらに向かってくるし、鹿のようなマモノが一斉に突っ込んできたりもした。以前ここを通ったときはこちらには見向きもしなかったマモノも、今は目を血走らせて突撃してくる。

 兵団員ふたりが威嚇射撃をし、それでも近づいてくれば攻撃態勢に入る。攻撃が間に合わなければフィーナが魔導で壁を作って、それさえ突破されたら僕が羽根で突く。羽根が当たらなかった小さなマモノが荷車の中にまで入ってくれば、チャトが素早く噛み付いて外へ投げ出す。怯える運び鳥には、イリスが的確に方向指示を飛ばす。妙なチームワークが確立されてきた。荷車は荒野を駆け抜ける。

 先に巨大な岩山が見えてきた。この山の向こうがメリザンドだ。

 背後からは荷車の二倍はあるであろう大きなマモノが追ってきていた。ネズミっぽい顔をしているが、体躯がそんな比ではない。僕の身長ほどはある前歯を剥き出しにして、こちらに突っ込んでくる。

「まずい、あいつ速いな。それに射撃音に動じない」

 兵団員が汗を滲ませる。あのマモノが荷車に飛び乗ってきたら、僕は腰を抜かさずに羽根を振られるだろうか。焦燥で額に汗が吹き出る。心臓がばくばく跳ね上がる。

 正面には岩山が差し迫る。岩穴の入口になる穴を見つけ、イリスが鳥に叫んだ。

「ここに逃げ込むのじゃ!」

「クエーッ」

 荷車が穴の中へ滑り込む。巨大なネズミも穴に鼻先を突っ込んだが、巨体が災いしてそこで詰まった。

 岩穴の中は、ムシムシと暑かった。フィーナが息切れしながら魔導で周囲を照らす。荷車の足元には、岩石の細い道と湯気を立てる水面が広がっていた。以前も通った、熱水の岩穴である。

 フィーナの手から放たれる光に、黒い影がぼんやりと照らされている。あれはたしか、クロコゲというマモノだった。光が苦手な彼らは、水面から目だけ出してじっとしていた。

 兵団員ふたりが、ぺたっと座り込む。

「はあ……お前ら、座ってろと言ったのになぜ暴れた」

「おい! 俺たちが暴れなかったら荷車ごと食べられてたぞ」

 チャトが大声を出すと、洞窟の中でわんと反響した。フィーナがチャトの口を塞ぐ。

「こら。大声に驚いてクロコゲや運び鳥が荒れたら大変でしょ」

 運び鳥は、暑さでくちばしを開いてハアハアしていたものの、落ち着いて通路を進んでいた。荷車のタイヤがカラカラと鳴る。

「メリザンドに着いたら、ジズ老師が迎えに来るそうだ」

 先輩の方の兵団員が言う。

「お前らを老師に明け渡したら、俺らはすぐにアウレリアに帰るからな」

「人手不足のところ、ありがとうございました」

 僕は暗がりの中の彼の姿へ、深く頭を下げた。彼らは命懸けで僕らを守ってくれた。僕は彼らにリスクを追わせてまで、メリザンドへと発ったのだ。メリザンドに着いたら、絶対になにか、結果を残さなくては。

「まあ、お前の持ってるその羽根の形の杖は、メリザンドの魔導学園が間違いなく興味を持つだろうな」

 兵団員先輩から言われて、僕は手の中の杖に目を落とした。いつの間にか、ガラスのように透き通る棒きれに戻っている。

 やがて出口をすり抜けたら、広がる淡く赤い空と、青い屋根の並ぶメリザンドの街並みが見えた。

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