16 海上都市エーヴェ

 エーヴェの港には、海運び鳥や他の鳥型のマモノがキャアキャア鳴いていた。港だけあって船がたくさんある。僕らが乗っているような小型のボートから大きな貨物船まで、様々だ。

 そして船から見える町の景色は、息を呑むものだった。サイコロのように四角い真っ白な建物が、ぽつりぽつりと並んでいる。その間を突き抜ける道には木をカラフルに塗装したポールが無数に立ち並んでいる。道の脇や民家の庭に咲く花はこれまた色彩豊かで、白い町並みに美しく映えていた。これまで見てきたアウレリアやメリザンドとはまた違った異国情緒のある町だ。

「ここが“楽園の島”かあ」

 チャトが船から背伸びして、広がる景色に目を細めた。フィーナも隣で目をきらきらさせる。

「人生で一度は行ってみたいと思ってたので、すごくわくわくします」

「そういえば、そんなこと言ってたね」

 僕はふたりが、行き先がエーヴェであるとを知ったときの反応を思い出した。

「おっ!? なんだ、お客さんか」

 突然声をかけられて、僕はハッと振り向いた。見ると僕らが乗った船の隣、漁船らしき船の上に色黒のおじさんがいる。おじさんは低いところにいる僕らを見下ろし、大きな声で呼びかけてきた。

「子供ばっかじゃねえか。どっから来た?」

 日焼けした顔に白い髪が眩しい。僕は小さな船から隣の大きな漁船を見上げて叫んだ。

「アウレリアから来ました!」

「子供だけでなにをしに! まあいい、船から上がって待ってろ」

 おじさんの大声が海風に広がって拡散する。僕は船上のチャトやフィーナ、イリスと顔を見合わせ、船乗りのおじさんの言うとおり陸地に上がった。繋いでいた海運び鳥の足輪を外していると、隣の漁船のおじさんもこちらに降りてきた。

「で、お前らはなんの用で? 見た感じ、行商人でも絵描きでもなさそうだな」

 おじさんはよく焼けた肌に白いシャツ姿の出で立ちで、頭の腰には青地に白の模様のある染物の長い布を縛っていた。何者かと問われて説明に迷っていると、イリスが一歩前に踏み出した。

「私は竜族の末裔、名はイリスと申す。エーヴェの島主殿に、竜族の予言を伝えるため、遠路はるばる訪ねてきたのじゃ!」

「はあ? 竜族?」

 おじさんが真っ当な反応をした。僕はイリスの腕を掴んで、横から説明した。

「この子はエーヴェを統治する人に会いたいらしくて。……本当は竜族じゃなくて獣族かなにかで、いたずらだと思ったんですけど。ふざけてるにしては行動力が本物で、ここまで来てしまったんです」

「あーっ! ツバサ殿、やっぱり私のことまだ竜族だと信じてなかった! 裏切り者め!」

 イリスが暴れ出す。ポカポカと叩かれる僕を横目に、フィーナがおじさんに問いかけた。

「エーヴェの島主さんにお会いできたら嬉しいんですけど、偉い方ですしお忙しいですよね。私たちでもご挨拶に伺うことはできるんでしょうか?」

「んー、そうだなあ。忙しいっちゃ忙しいだろうが、大陸ごと統治してるアウレリア国王ほどではねえな」

 おじさんは筋肉質な腕を組んで、宙を仰いだ。

「朝から夕方までは、エーヴェ民の様子を見るために島を回ってるんだよ」

「島主さん自らが?」

 フィーナが目を剥く。おじさんはおおと大きく頷いた。

「一応護衛はつけて巡回しているが、時々予定を無視して自由気ままに歩き回ってることもある。陽気な人で島民に慕われてるから、暗殺される心配とか、してないんだろうな。島主はそういう奴だよ」

「統率者の鑑じゃのう! 謁見すらさせてもらえないアウレリア国王とは大違いじゃ」

 イリスがキャッキャと手を叩いて喜ぶ。アウレリアが厳しすぎるのではなくエーヴェがおおらかなだけ、と僕は口の中で呟いた。イリスが手を叩くのをやめ、顎に手を添えた。

「しかし島主本人が彷徨いているとなると、どこへ行ったら会えるのか分からぬな。巡回ルートはあるのかの? 今の時間はどの辺りにいるのじゃ?」

「さあなあ。回る地域や時間は日によって違うから、俺からはなんとも」

 おじさんとイリスは共に首を捻った。

「では、闇雲に捜すしかないのかの?」

「そうだなあ、島を歩いていれば偶然会うかも分からんし、会えなくても夕方になれば邸宅に戻る」

「ふむ。では明るいうちはエーヴェを散策し、夕刻になったらその島主殿の邸宅とやらに直接行こうぞ」

 イリスが言うと、チャトがぴんっと尻尾を立てた。

「じゃ、今からのんびりエーヴェ観光?」

「そうじゃの!」

「やったあ! フィノ、ツバサ、早速ごはんにしよ!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねるチャトを見て、おじさんが微笑ましそうに言った。

「エーヴェはうまいもんいっぱいあるぞ。他の地域ではもう殆ど食べられてない水棲マモノ料理や、甘い焼き菓子もある」

 おじさんは自身の体にも巻き付けた染物の帯を手にした。

「食い物だけじゃない。エーヴェは伝統の染物産業でも有名だ。お土産に喜ばれるぞ」

「とってもきれいな青ですね。そうだ、リズリーさんへのお土産にどうでしょうか?」

 フィーナが僕に賛同を求めてくる。リズリーさんをはじめとする皆さんにはかなり迷惑をかけているので、お詫びの気持ちも含めてお土産にするのもいいかもしれない。

「そうだね。夕方まで時間はたっぷりあるし、おいしいものとかお土産とか楽しみながら、ゆっくり歩いてみようか」

「おうおう、楽しんでこいよ」

 おじさんは豪快に手を振ると、漁船へと戻っていった。

 僕らはおじさんと別れ、港から見える町並みの方へと進んだ。浜の近くは建物がぽつぽつとしか見られなかったが、町中に進むにつれて大きな建物やお店も増えてきた。人も多くなってきて、結構賑わっている。エーヴェの住民は皆、小麦色の肌をして青い染物を身につけていた。

「むう、思ったより人がおるのう。さっきの船乗り殿に島主殿の特徴を聞いておけばよかった」

 島主に早く会いたいイリスはそわそわしながら周りを窺っている。

「おじさんが言ってたおいしそうなもの、早く食べようよ」

 チャトが僕の腕を引っ張って急かす。そんな彼の肩を、フィーナが叩いて宥めた。

「まずはキュロボックルの葉っぱを売って、使えるお金を作りましょう」

「分かった!」

 フィーナに促され、僕らは「薬草」の看板の掛かったお店の扉を開けた。薄暗い店内に電球が煌々と光っている。壁沿いの棚にびっしり瓶詰めが敷き詰まっていて、その中身はチャトとフィーナが集めているような薬草や、それを加工したらしき薬だった。

「いらっしゃい! あら、旅人さん?」

 店の奥のカウンターから声がした。艶のある黒髪を高いところで結い上げた、エーヴェ人のおばさんである。フィーナがキュロボックルの葉っぱを手にカウンターに駆け寄る。

「初めまして。買取はお願いできますか?」

「もちろんよ。あら、キュロボックルの葉っぱじゃない! すごいわね、どこで手に入れたの?」

 愛想よく話すおばさんに、チャトも駆け寄ってカウンターで背伸びした。

「アウレリアから来る途中で見つけたんだ。南の方の林にいっぱいいたんだよ!」

「あらー、これは珍しいものだから高く買い取るわよ」

 陽気に笑う薬屋のおばさんは、その後もチャトとフィーナと談笑し、ふたりがエーヴェ観光を楽しみたいことを知ると、相場より高く葉っぱを買い取ってくれた。

「お小遣い分を上乗せしたからね。行ってらっしゃい」

「わあい、ありがとう!」

 チャトが尻尾をぱたぱた振る。

「待ってね、エーヴェの地図をあげるわ。おすすめのお店や観光スポットを印してあげる」

 おばさんはカウンターの向こうで屈むと、地図を取り出して場所ごと説明しながら印を書いてくれた。

 薬屋を後にすると、チャトとフィーナとイリスが貰った地図を覗き込んだ。

「最初にどこから行きましょうか」

「ごはん!」

「荷物になるから、土産物は後の方がよいの」

 長い旅の後の、やっと辿り着いた人里だ。僕を含め、のんびり観光気分に浸っていた。島主に会うという目的があるイリスも、だんだんこの町の雰囲気が楽しくなってきたらしく観光を楽しもうとしている。

「最初にこの、薬屋のおばさんおすすめのレストランに行こうよ」

 チャトがすっかりお腹を空かせているので、まず最初に食事を摂ることにした。

 地図を見ていても、初めて来る都市なので道が分からなくなる。混乱して立ち止まって地図と睨めっこしていると、通りすがりのお兄さんが声をかけてくれた。それどころか迷っていることを伝えると、躊躇なく最後まで案内してくれたのである。

 旅絵描きのシルヴィアさんといい、港にいた船乗りのおじさん、薬屋おばさん、このお兄さんも、エーヴェの人というのは親切な人が多い気がする。陽気な気候の豊かな島で、おおらかな島主の統治の元で暮らすからだろうか。

 お兄さんの案内でテラスのあるレストランに辿り着き、僕らは食事にありついた。水棲マモノの揚げ物、というと気持ち悪いが、白身魚のフライみたいなものをパンで挟んだような、そんなものを食べる。イフから来た僕は初めて食べたはずなのに、どことなく懐かしい味で、おいしかった。特にチャトは気に入ったらしく、小さな体のくせにおかわりまで食べていた。

「カリカリしてておいしいね!」

「本当じゃの。デザートも食べたいのう」

「では私はこのフルーツのゼリー食べたいです」

 テラスで食事をしながら、追加のメニューを眺めてのんびり過ごす。暖かな日差しが心地よい。

 食事をしながら、おばさんに貰った地図を見て行きたい場所を語り合った。

「まず、お土産に染物を買いたいですよね。自分の分も欲しいな」

 フィーナがうっとりする横で、チャトはまだ食べ物の話をしていた。

「これも食べたい。これも、これも」

「チャトは食べ物ばっかりじゃのう! お、私はこれが気になるぞ」

 イリスが指さしたのは、エーヴェの島の北の海、人里から離れた浜辺の一角だった。

「船の墓場……?」

「うむ。動かなくなった古い船を、ここに打ち捨ててあるそうじゃ。その光景が実に圧巻で、観光地化しておるようじゃぞ」

「へえ、面白そうだね! 俺も行きたいな」

 チャトがパチッと手を叩いて賛成した。

 ゆっくりと食事をした後は、再び地図を手にして歩き出した。薬屋のおばさんに教えてもらった場所を巡るのだが、偶然島主に会えたらラッキーだなあなんて期待を抱いたりもした。

 エーヴェの街は広くて目新しいものも多く、僕らは完全な観光気分で歩き回った。時間を忘れて買い物を楽しんでいるうちに時間はどんどん過ぎ去り、夕方に近づいていった。

「そろそろ島主さんは見回り終えたかな」

 僕がふいに目的を思い出すと、イリスがそうだったと手を叩いた。

「もう邸宅に戻ってきているかもしれぬの」

 そこでフィーナがそろりと手を上げた。

「その前に私、市場を見ていきたいんですが、いいですか?」

「そうだよ! まだ早いかもしんないし、もうちょっと遊ぼうよ」

 チャトも飛び跳ねて賛成する。僕とイリスも考え直し、フィーナとチャトの希望どおり、島主の邸宅に向かうのは市場を見た後にすることにした。

 白い建物の間が大きく開けた市場らしき場所に出る。エーヴェの特産品がたくさん並んだ出店に、買い物客が集まっていた。

「あ、これさっきのデザートのフルーツ! 買ってくる!」

 出店の中においしそうなものを見つけたチャトが飛びつく。人混みに紛れて迷子になりそうな彼を、フィーナが追いかけた。イリスが僕の袖を摘む。

「ツバサ殿、私もあっちによき食材を見つけたのじゃ」

「へえ、どれどれ?」

 イリスについていこうとした、そのときだ。僕は視界の端に映ったその色に、思わず目を疑った。

 ミルクティー色の、長い髪。

 市場の賑わいから少し外れた路地裏に、すっと消える後ろ姿があったのだ。

「えっ!? あれは……!」

 咄嗟に、天ヶ瀬さんを思い出した。でも一秒以内に、この世界に天ヶ瀬さんはいるはずがないと思い直し、次に思い出したのはアウレリアの行方不明の少女のことだった。

 どちらにせよ、なぜここに。いや、理由はどうでもいい。とにかく僕は、弾かれたようにその路地裏に向かって駆け出した。

「ツバサ殿!?」

 イリスが驚いているが、今の僕にはそれに返事をする心の余裕はなかった。

 背中しか見えなかった。だから、僕の見間違いかもしれない。でも追わずにはいられなかった。もしもあの子が、ずっと謎に包まれていた、あの少女だとしたら。

「す、すみません、通してください!」

 人混みを掻き分けて、少女の消えた路地裏に飛び込んだ。イリスが僕を呼んでいる。その声が喧騒の中に埋もれて遠くなっていく。

 建物の隙間は陰が落ちて薄暗く、少しひんやりしていた。一本道を走っていると、洗濯物を抱えた人や市場で買ったらしいフルーツを食べ歩く人など、エーヴェに住む人々とすれ違う。

 路地裏を抜けて広い通りに出る。住宅街らしきそこは、相変わらず白い建物が立ち並び、カラフルなポールがそこかしこを彩っていた。ベランダで布団を叩いている人がいる。生活の営みを感じるその中で、僕は一旦立ち止まり、周りを見渡した。少女はどこへ行ったのだろう。キョロキョロと見ていると、吊り下げ花壇のある家の前を横切って曲がり角に入るミルクティー色が見えた。

「いた」

 無声音で言って、僕はまた走り出した。勢い余って染物を運ぶ女性とぶつかって、僕はふらつきながら頭を下げた。

「すみません!」

「こちらこそ。そんなに急いでどうしたの?」

 親切な問いかけが聞こえたが、慌てていた僕は無礼にも返事もせず駆け出していた。

 少女を追って角を曲がってみたが、そこにもう彼女の姿はない。僕は闇雲に曲がった道を真っ直ぐ進んだ。

 住宅のある坂を登ると、徐々に建物はなくなっていき、やがて明るい森の中に迷い込んだ。樹木の向こうからは波音が聞こえる。すぐ傍に、砂浜が見えた。よく見ると老朽化した船が陸に乗り上げていたり、傾きながら周辺に浮かんでいたりした。イリスが地図を指さしていたのを思い出す。きっとあそこが、船の墓場だ。

 しかし今は、少女を追うのが先だ。僕は来た道を引き返して、森の中で少女を探した。住宅街を離れたこの場所は、人影がない。ただ潮風がさわさわ、背の高い木を揺らすばかりだった。

 はあはあと荒い息をし、また足を止める。どこだ。どっちへ行った……。

 木々のざわめきに耳を澄ませ、呼吸を整える。風の通り道を見つけ、ふいに、木々の向こうに見える白い大きな「なにか」に気づいた。僕はそれに向かって、よたよた歩き出した。

 近づいてみると、「なにか」は神殿のようだった。見上げると首が痛くなるほどの、巨大な建造物に息を呑む。二等辺三角形の屋根を、何本もの太い柱が支えている。よほど古いものなのか、屋根も柱も土台も、ちょっとずつ削れていた。人の手入れが入っていないのか、蔦が蔓延り、苔むして、割れた石板の隙間から花が咲いていた。

「こんな場所があるんだ……」

 地図にはこんな場所は載っていなかった。いや、あったのかもしれないが、見逃していた。あまりの壮大さに一時呆然とし、ハッと我に返った。こんなものより先に、今はあの少女だ。

 どこかに影はないかと見回し、バササッという羽音に肩を竦めた。見ると、神殿の柱の隙間から、空運び鳥らしき羽根の色が見えた。僕は迷わず駆け寄り、そしてそこに見えたミルクティー色の髪を捉えて加速した。空運びに向かって歩み寄る、後ろ姿。僕は手を伸ばした。

 パシッと、彼女の腕を掴む。

「捕まえた」

 息を切らしてようやく出た言葉は、それだった。

 ぶわ、と海風が吹いた。周りの木々が葉を重ね、音を鳴らす。少女の長い髪が空気を孕み、舞い上がる。スカートの裾がひらりと浮かぶ。

 少女が振り向いた。びっくりしているかと思ったら、人形のような無表情だった。

 背中に広がる特徴的な色の長い髪に、ガラスのような鳶色の瞳。白い襟に黒いリボンを結んだ、深緑色のエプロンドレスを着ていた。

 心臓がどくんと跳ねた。やはり、天ヶ瀬つぐみにそっくりだ。そっくりというよりもはやそのもので、ただ服装だけがイカイの恰好なだけに見えるほどだ。

「……なに……?」

 少女が声を発した。声まで、天ヶ瀬さんと同じである。

「あのっ……君、は、えっと」

 冷静さを欠いた僕は、なにから聞けばいいのか分からなくなっていた。天ヶ瀬さんなのか、尋ねようとした。だが以前イフの人間が僕の他に来ている可能性は低いと聞いていたのが頭のどこかに引っかかり、質問を躊躇う。

 空運び鳥の顔を見て、一旦深呼吸する。

「君、もしかしてアウレリアから来たの?」

「え……」

「アウレリアで、女の子が行方不明になったって大騒ぎになってる。それが君の特徴と一致してて、空運び鳥に乗ってたというのも手がかりだったんだ」

 思い起こせば、僕は一度アウレリアの市場で彼女によく似た少女を見かけている。あのときは気のせいかと思ったが、きっとあれはこの子だったのだ。

 少女は腕を掴む僕の手を一瞥し、抑揚のない声で言った。

「うん……たしかに、私はアウレリアからこの空運び鳥でこの島に来た」

「やっぱり! アウレリア政府の兵団も動いて、大騒ぎになってるんだよ」

 早口にまくし立てる僕を、少女が冷ややかに見据える。

「でも、連れ去られたのでもなんでもないから。気にしないで」

「君はそうかもしれなくても、兵団は必死に捜してるし、アウレリア市民はマモノが人攫いをしたんだと思って警戒してるんだ。アウレリアに戻ろう」

「そう……」

 分かっているのかいないのか、彼女は歯切れの悪い返事をするばかりである。

 僕はというと、この少女をやっと見つけた思いから、言いたいことが溢れて止まらなかった。

「君、鳥族の谷でも会ったよね。僕のこと見てたでしょ。話しかけたのに、どうして無視したの」

 あれだってきっと、幻ではなかったはずだ。

「この空運び鳥は、どこから連れてきたの? 空運び鳥は、鳥族や魔族が決まった区間しか飛ばしてないはずなんだけど……」

 僕が一気に喋ると、少女は下を向いてしまった。困ってしまったのか、口を噤んで喋らなくなってしまった。

「あっ、ごめん。ええと……」

 僕は慌てて、彼女を掴んでいた手を離した。こちらとしてはずっと捜していた少女だが、彼女からすれば訳が分からなくても仕方がない。初対面の人にいきなり腕を掴まれて、驚かせてしまっただろう。

 アウレリアからいなくなったこと、そこに家族がいないこと、鳥族の牧場で僕が声をかけても反応しなかったこと……不自然だらけのこの少女には、そうなってしまう理由があるはずだ。話してもらうには、ゆっくり、順を追っていく必要がある。

「そうだ、これから僕の仲間と合流しよう? それで、一緒にアウレリアに帰ろうよ。その間に、少しずつでいいから、君のことを教えて」

 彼女が天ヶ瀬さんにそっくりであることも、なにか理由があるのかもしれない。この少女の謎は、時間をかけて解明していかなくてはならない。しかし彼女は、下を向いて僕と目を合わせようとはしなかった。

「アウレリアには、まだ戻れない……」

「えっ?」

 彼女は僕を警戒したのか、腕を放されるなり後ずさった。

「鳥と私の姿を見られてたのは、計算外だった。私は今、アウレリアの人たちに捕まって時間を取られている暇はないの。兵団が動こうと市民が怯えようと、私はあの街には戻らない」

 空運び鳥が翼を広げる。その風圧で少女の髪がふわりと巻き上がり、顔が影になる。

「どういうこと……? どうして戻らないの?」

 僕の問いには返事をせず、彼女はすっと色白の手をこちらに伸ばした。冷たい指の腹が、僕の頬に触れる。

「皆が捜しているのなら、せめてあなただけは、私の味方でいて」

 頬から離れた少女の指には、鳥のうぶ毛が摘まれていた。いつの間にか、僕の頬にくっついていたみたいだ。

 うぶ毛を取ると、彼女は僕から逃げ出すように空運び鳥のバスケットに乗り込んだ。直後、空運び鳥が羽根を広げる。ここでこの子を野放しにしてはいけない。しかし鳥が宙を掻けば、もう僕の手には届かない。

 僕は浮き上がるバスケットに向かって尋ねた。

「待って! 君、名前は?」

 せめて、名前だけでも。見上げる僕に、少女はようやく言葉を落とした。

「……ミグ」

 その名前を聞いて、僕は少し目を伏せた。

 心のどこかで天ヶ瀬さんなのではないかとありもしない期待を抱いていたが、名前を聞くと別人であることを認識させられた。瓜ふたつなだけで、この子は僕のクラスメイトではない。

 やがて、羽ばたきで森の木の葉を巻き上げて、空運び鳥は天へと舞い上がった。ミグを乗せたバスケットが、空中を飛んでいく。

 鳥族のカイルさんが言っていたが、空運び鳥は人が乗る用のものではない。実際、安全装置がなにもない状態で鳥が掴むバスケットに乗って飛ぶなんて危険極まりない。あの少女はあんな危ないものに乗って、どこまで行くのだろうか。

 アウレリアではあんなに捜されているのに、ミグは帰る気がない様子だった。兵団が捕まえられないのも、もしかしたら彼女が意図的に逃げているからなのだろうか。なんにせよ、僕はミグと接触したのに、なんの役にも立てなかった。

 僕はひとつため息をつき、元いた市場に向かった。

 どこか心に風穴か開いている感じがする。どう見てもそっくりな天ヶ瀬さんのことが、何度も頭の中を過ぎる。

 イフとイカイは、裏と表で、同じ人物が違う人生を歩んでいるのではないか。一時期そんなふうに考えていたのを思い出す。きっとミグは、イカイで生まれた天ヶ瀬さんなのだ。考えても結論の出ない謎を勝手に完結させて、僕は少し駆け足になった。


 市場に戻ると、チャトとフィーナとイリスとすぐに合流できた。

「あーっ、いた! どこに行っておったのじゃ!」

 イリスが僕を見つけるなり叫ぶ。僕は苦笑しながら駆け寄った。

「ごめんごめん、急用ができちゃって」

 そして僕を待つ三人を見て、絶句した。全員が全員、フルーツやらマモノ肉やら、染物の帯、アクセサリーなど、大量に買い込んで抱えていたのである。

「たくさん買ったね」

「キュロボックルの葉っぱを高く買い取ってもらえましたから」

 たくさんお買い物ができて、フィーナがほくほくしている。それから彼女は僕に尋ねた。

「ツバサさん、急用とは? なにか見つけたんですか?」

「あっ、あのね。さっき僕……」

 アウレリアから行方不明になった少女を見つけたこと、その名前まで聞き出せたが彼女の身を確保できなかったことを、相談しようとした矢先だ。

 突然、後ろからがしっと肩を掴まれた。

「見つけた……!」

 僕はびくっと固まった。正面でチャトが絶句し、フィーナが口に指をあて、イリスが青ざめる。僕は咄嗟に、市場の人混みの中に混じる怖い人に絡まれたのだと直感した。

 が、振り返って謝ろうとしたとき、その顔を見てあっと叫ぶ。

「ラン班長?」

「ったく、お前ら……! 何回も伝言鳥突っ返しやがって。もう逃がさねえからな」

 怒りで顔を歪めたラン班長が、僕の肩をがっちり掴んで指に力を込める。僕は思わず身をよじった。

「痛い、痛い痛いです!」

「班長、気持ちは分かるけどやめてあげて」

 救いの手を差し伸べるように、柔らかな声が重なる。見ると、ラン班長の隣でフォルク副班長が苦笑していた。イリスが腰を屈めて威嚇する。

「なんでお主らがエーヴェにおるのじゃ!? エーヴェに向かったことは伝言鳥には言わなかったはずじゃぞ」

 こんなところで会うと思っていなかった僕も、混乱しつつもラン班長を見上げた。ラン班長は依然として僕の肩を取り押さえてこたえる。

「今日の昼前に、アウレリアにシルヴィアという旅絵描きが訪ねてきた。お前らが盗んだ運び鳥と荷車に乗ってな」

「あ!」

 僕は反射的に叫んだ。

 シルヴィアさんが僕らが乗っていた荷車をアウレリアに返してくれている。そのときにアウレリアの管理局が僕らの居場所を確認し、シルヴィアさんは僕らがエーヴェに向かっていたとこたえる。当然の流れだ。フォルク副班長が付け足す。

「君たちがエーヴェに向かったと聞いて、班長が兵団用の高速船を無理矢理準備してさ。アウレリア運河から一気に飛ばしてきたわけ」

 僕はアウレリアを囲う水路を思い起こした。そういえば、あの水路は海に繋がっている様子だった。フォルク副班長がにっこりする。

「俺も怒ってるからね。君たちが勝手なことしたの」

「ごめんなさい……」

 僕とチャトとフィーナは巻き込まれてしまっただけとはいえ、ここまで来ていれば同じだ。フィーナが深く頭を下げ、下げるついでにチャトの頭も一緒に押さえつけている。イリスは不満げに唇を尖らせて、謝罪を頑なに拒んだ。

「お、お主らが私をアウレリア国王に会わせないから悪いのじゃ」

「このクソガキ、国王に会わせろってだけでもわがままなのに鳥と荷車盗んでこんなとこまで来て、こっちの手を煩わせやがって」

 ラン班長が鋭い目つきでイリスを睨む。その怖い顔にイリスは若干腰が引けている様子だったが、それでもラン班長からそっぽを向いて反抗的な態度をとっていた。ラン班長が僕の肩から手を離す。

「まあいい、後で泣くまで叱り飛ばす。じゃあお前ら、アウレリアに帰るぞ」

「待つのじゃ! 私は島主殿に会いに来たのだぞ。それを達成せずに帰るのだけは絶対嫌じゃ」

 イリスがバッとラン班長を見上げる。ラン班長は怪訝な顔になった。

「島主? なんの用事だよ」

「アウレリア国王に会えぬから、国王の次くらいに権力のある島主殿に話を聞いてもらうのじゃ」

「迷惑だからやめろ! お前の竜族ごっこに権力者を巻き込むんじゃない。アウレリア管理局が巻き添えくらってるだけでもいい迷惑なのに」

 ラン班長がポコッとイリスの頭を小突く。イリスは肩を竦めてギャッと短く叫び、また果敢にラン班長を睨んだ。

「じゃあ竜族の予言はどうなるのじゃ!? 私はコールドスリープさせられて未来を託された身なのじゃ。なにもしないわけにはいかぬのだ!」

「あのなあ……」

 辟易した様子のラン班長の肩に、フォルク副班長が手を置いた。

「まあまあ班長、いいんじゃないですか? エーヴェの島主はおおらかで子供好きだと聞きますし。俺と班長が頭下げれば、島主も許してくれますって」

「お前はまたそうやって甘やかす!」

「それにここで無理に連れ帰ってもイリスちゃんの気が収まりませんよ。また鳥と荷車を強奪されて、局を脱走されてしまいます。見張り続けるのもコストかかります」

 フォルク副班長ににこやか且つ冷静に諭されて、ラン班長は口を閉じた。イリスがニッと口角を吊り上げる。

「副班長殿はよく分かっておるの」

「さっきも言ったけど、俺も怒ってるからね」

 調子に乗ったイリスに、フォルク副班長は笑顔のままピシャリと言った。ラン班長が面倒くさそうに頭を掻く。

「しょうがないな……ほら、さっさと済ませるぞ」

 そうして、僕らは駆除班のふたりも加えて島主の邸宅に向かうことになった。


 島全体の地図の、真ん中からやや東に、その邸宅はあった。夕方の街中は相変わらずガヤガヤしていたが、住宅地に入るに連れて徐々に静かになっていく。道程の途中で、不機嫌そうなラン班長が呟いた。

「ったく。こっちは通常業務のマモノ退治が忙しくなってんのに、こんなことにまで付き合わなくちゃならんとは……」

「ごめんなさい」

 なぜか僕が謝った。隣にいたフィーナが班長を見上げる。

「駆除班さんがお忙しいってことは、マモノが増えてるんですか?」

「今までこんなことなかったのにな。ここんとこ町の近郊にマモノがやたらと現れる」

 ラン班長の返答を聞き、僕はイリスの言葉を思い起こした。百年前のマモノの凶暴化は、世界滅亡の序章。これからもっと、大変なことが起こると。詳しくは聞いていないが、イリスのいう「竜族の予言」というのはそういうものだそうだ。

 詳細を聞いてみようかとも思ったが、イリスは駆け足で先の方に進んでチャトとフォルク副班長とお喋りしていたので、僕はそのまま口を閉じた。

 ラン班長が更にため息をつく。

「その上、アウレリアの迷子ちゃんの一件もあるしな。なんでこんな一気に忙しくなるかな」

 アウレリアの迷子ちゃん、というのは、空運び鳥に乗ったあの少女のことだろう。僕はあっと思い出して、ラン班長を見上げた。僕、その女の子と接触しました。と言おうとして、呑み込む。

『せめてあなただけは、私の味方でいて』

 ミグは、そう言って飛び立っていった。アウレリアに戻りたくないのには、なにか理由があるようだった。

 もちろん、あれだけ騒ぎを起こしている少女なのだ、無理にでも捕まえておくべきだったかもしれない。

 でも、ミグ側にもなにか事情がある。あんな風に言われた僕は、ここでラン班長に彼女のことを話すかどうか、迷ってしまった。

「なんで家族の情報も名前もなにも出てこないんだろうな」

 ラン班長が頭を抱えている。僕は咄嗟に、ミグ、と名前を言いそうになった。だが、それさえもミグにとっては隠したいようだし、板挟みになった僕はつい、ミグを庇うように口ごもった。

 歩いているうちに、周りに建物が減っていって薄暗い林に入っていった。こんなところに島主の邸宅があるのかとちょっと訝ったが、地図を見ると間違っていない。ひっそりした静かな林を進んでいくと、やがてその門が見えてきた。

 その建物は薄暗い闇にどっしりとした威厳を放っている。白い外壁の豪邸に、広がる庭、咲き乱れる花。どこからか弦楽器らしき音が聞こえてきた。

 庭の前には大きな門があり、番人がふたり立っていた。ラン班長が気だるそうに、上着の内側から身分証を取り出す。

「アウレリア政府兵団の者だ。島主に取り次いでほし……」

「私は竜族、名はイリスと申す! 島主を出すのじゃ!」

 ラン班長が折角話を通そうとしてくれていたのに、イリスが横から邪魔をした。番人がふたり同時に身構える。僕らも全員、ぎょっとした。ラン班長はイリスの頭の角を引っ掴んだ。

「お前は黙ってろ!」

「うるさい、私の用事じゃ!」

 そうこうしているうちに、チャトがぴょこんと耳を立てた。

「なんかおいしそうな匂いがする!」

 あろうことか、チャトは番人の間をすり抜けてジャンプし、大きな門を飛び越えて庭に入り込んでいった。一気に庭を駆け抜けて、窓から建物の中に転がり込んでいく。フィーナが目を見開いて絶句していた。僕も声が出なくなった。イリスだけが元気よく叫ぶ。

「チャト殿ー! よいぞ、そのまま島主殿を連れてくるのじゃー!」

「おい! あの子供を捕まえろ」

 番人が慌てて叫んだ、そのときだ。

「いやあ、元気のいい子が飛び込んできたな」

 まったりとした、おじいちゃんの声がした。白い建物の扉が開き、青い染物のマントを羽織った男が現れる。色黒の肌に白髪を生やした、海色の目のおじいちゃんだ。腕には、コッペパンほどもある大きな焼き菓子を加えるチャトを抱いていた。

 おじいちゃんがこちらにゆっくり歩いてくる。番人ふたりが振り返り、門の向こうの彼に向かって頭を下げた。

「島主様! すみません、我々が侵入を許してしまって……」

「申し訳ございません」

「いや、いいんだ。メリザンドに移住した孫を思い出してなあ、かわいくてたまらんよ」

 朗らかに笑うそのおじいちゃんこそ、エーヴェの島主だったのだ。


 *


 イヴァン・エーヴェ・グローフェ。それがエーヴェの島主のフルネームだそうだ。

 朗らかなこのおじいちゃんは、僕らを和やかに迎え入れて邸宅の中でお茶までご馳走してくれた。

「すみません、いきなり押しかけてきた上にお茶まで……」

 フォルク副班長が頭を下げるのを見て、島主は手をひらひらさせて豪快に笑った。

「いや、いいんだよ。わしは客人を迎え入れるのが好きなんだ」

 その腕にはすっかり懐いたチャトを抱え、好きなだけお菓子を与えている。

 僕らは島主の邸宅の中の応接間に案内され、大きなガラスのテーブルを囲んで座らせてもらった。美術館みたいな白くて美しい壁と高い天井に囲まれていて、なんだかちょっと落ち着かない。壁際には使用人の初老の男性がひとりと、弦楽器を持った演奏家のおねえさんがいた。突然の来客に驚いている。島主となにやら話をして、ふたりはすっと部屋を出ていった。

 ラン班長がお茶を口元に運んでイリスを横目に睨んだ。

「島主が心の広い人でよかったな」

「私は遊びでここまで来たのではないからな。ラン殿もよく聞いておれ。ただし、混乱を起こさないためにもむやみやたらと口外するでないぞ」

 イリスも強気にラン班長を睨み返す。島主が早速切り出した。

「それで、アウレリアから兵団員を引き連れてやってきたなんて、どういう要件だ?」

 正確には兵団員を連れてきたのではなく、追いかけられて合流しただけだったのだが、その説明より先にイリスが語り出した。

「竜族の予言じゃ。アウレリア国王に取り合ってもらえぬから、お主を頼りたくて訪ねてきたのじゃ」

「ほお。竜族の……?」

 島主はにこっと笑いながら首を傾げた。子供の冗談に付き合うような対応で、話を聞いてくれている。イリスは大真面目に続けた。

「信じてもらえぬかもしれぬが、私は流星の霊峰から来た竜族の末裔なのじゃ。流星群の夜、竜族は星の占いで見つけた、この予言を伝えに来たのじゃ」

 イリスは小さく深呼吸して、改めて言った。

「私がひとりで触れ回っても、ここにいる兵団の者たちのように信じてくれない者が殆どじゃ。仮に信じてくれたとしても、今度は混乱を招いてしまう。だからこそ、権力と判断力を持つ者に伝えたかった」

「そうか。話してくれるか?」

 島主が受け入れてくれるのを確かめて、イリスが真剣な声を出す。

「うむ。単刀直入に言う。この世界は近く、滅亡する」

 彼女の声は、静かな部屋にしんと沈んだ。

 僕は先に彼女からこの話は聞いていたが、島主はもちろん、駆除班ふたりも、チャトとフィーナも初めて聞いたのだ。全員が半信半疑で静まり返る中、イリスは落ち着いた口調で話した。

「まず、百年前に突如発生し現在もなお続くマモノの暴走。これは単なるマモノの癇癪ではない。人間が、なんらかの魔力によって引き起こした現象じゃ」

「本当か!?」

 これにはラン班長が反応した。彼女自身も考えていた仮説がここで浮かび上がり、驚いたのである。イリスがラン班長を一瞥し、頷く。

「あれはある者による魔導で、マモノたちが突き動かされたのじゃ」

「でも、世界じゅうのマモノを一斉に興奮させるなんて一体どんな魔導? そんな魔力、誰がどうやって……」

 ラン班長が、自らの仮説に付随していた疑問点をイリスにぶつける。イリスは神妙な面持ちでラン班長と島主の両方に目を向けた。

「竜魔導じゃ」

「竜魔導……」

 僕も、その言葉を口に出して繰り返した。

 竜魔導。魔族の里で、アルロから少しだけ聞いた言葉だ。竜族が独自に生み出した新たな魔導で、それは圧倒的な魔力を持つ魔族より、強い効力を持つ。アナザー・ウィングに閉じ込められた魔力も、竜魔導の魔力の結晶なのだと聞いた。

「じゃあ、マモノを暴れさせたのは竜族だったんですか?」

 フィーナが聞くと、イリスは首を振った。

「竜族はマモノによって滅ぼされておる。仮に竜族が意図してマモノを興奮させたのなら、自分たちの自治区は襲わせない」

「では、竜族の竜魔導を利用した、他の誰かがいるんですか?」

「そうじゃろうな。何者かが流星の霊峰を訪ねてきて、竜魔導を受け並々ならぬ魔力を授かった。その力の主が、マモノを操り、世界の破壊を押し進めた」

 イリスが指を組み、目を伏せる。

「しかし私も、いつ誰が竜魔導で魔力を手に入れたのか知らぬ。私が生まれるより前のことだったのかもしれぬ。過去の文献はもう残っておらぬしな」

「マモノを操って、そいつはなにがしたかったんだ?」

 ラン班長が、またも自身が抱えていた疑問を呈した。イリスが少し、声を低くする。

「そんなこと、私には分かりかねる。何者だったのかも分からぬというのに」

 それからイリスは、目を上げて僕らを見渡した。

「結果、マモノに追い詰められて大半の自治体が破られ、土地の形状や産業力で奇跡的に三つの都市が生き残った。それが知ってのとおり、アウレリア、メリザンド、エーヴェじゃ。都市の外では、百年経った今も尚、マモノたちが人間を襲っておる」

 都市に残った人々はマモノへの危機感を覚え、対策を講じた。お陰で都市の中にいれば安全にはなったが、結果、こうして都市が隔離された世界ができあがっている。

 イリスは真剣に話し続けた。

「そしてこれは序章に過ぎぬ。マモノを操った“何者か”は、百年の時を経て、魔力を回復させた。今度はこの、残った三つの都市を壊滅に陥れるぞ」

「ふむ……」

 島主が白い眉を寄せる。最初はイリスの遊びに付き合うような表情だった彼も、今ではその壮大な話に呑まれたように、真面目な顔になっていた。やんちゃなイリスも今はかなり慎重な顔をしている。ラン班長は眉を顰めて口を結び、フォルク副班長はそんな彼女の顔を窺う。フィーナは驚いた顔で下を向き、少し震えていた。チャトは、彼には難しかったのか、分かっていなそうな顔で島主の顔を見上げている。

 僕も、言葉をなくしていた。

 イリスの話を全部真に受けたつもりはない。竜族は滅んだというのが通説で、イリスが竜族だとか予言だとか言っているのはただの空想遊びのはずだった。

 でも、なぜだろう。ラン班長の仮説と一致したせいだろうか。島主が真剣な顔をするからだろうか。僕らはいつの間にか、イリスの話に引き付けられていた。

「うーんと、俺、ちょっと分かんなかったんだけど……」

 沈黙を破ったのは、チャトだった。島主の膝に抱っこされて、テーブルのお菓子に手を伸ばす。

「そんじゃ、マモノを操った人っていうのは、少なくとも百年以上生きてるんだよね?」

「そうじゃの。意志を継ぐ者がいたのでなければな」

 イリスの返事を受け、チャトは続けて言った。

「百年以上生きてるとしたら、そんなに寿命が長くない獣族じゃないし、識族でもないな。鳥族も違うね。あれは識族の派生種だから、寿命も同じくらいだし。となると、精霊族?」

「いや、分からぬ」

「あ、でももしかしたら俺の知らない別の種族かもしれないのかな? そもそも百年も時間かけてなんでマモノ操って世界を壊すの? 今どこでなにしてるんだろう?」

「だからあ、そういうことはなにも分からぬと言っておろう!」

 チャトの疑問攻めに、ついにイリスが声を荒らげた。チャトがびくっと尻尾を膨らめた。イリスがテーブルに両手をつく。

「竜族も流星の占いでそう予言したというだけなのじゃ。ただ、過去に何者かが竜魔導の力でマモノを動かしたこと、それがまた近いうちにもっと強大な力となって世界を襲うこと、これだけが分かっておる状態。分からぬことだらけじゃが、分かっておることだけでも対策した方がよいじゃろう!?」

 興奮気味のイリスを見据え、島主が重々しく口を開いた。

「つまり君は、土地の権力者であるわしにこの予言を伝え、来たる壊滅に備えて自治体を整備しておけ……と言いに来たのだな」

 陽気なおじいちゃんだった島主は厳格な顔つきになり、イリスも、彼の静かな声を受けて落ち着いた。

「そうじゃ。大陸の自治を担うアウレリア国王には会えなかったがの。エーヴェの島主であるお主からアウレリア国王に伝えてくれれば、大陸の二都市も守られるかもしれぬ」

「そういうことなら……」

 島主は顎の下で指を組み、目を閉じた。

「わしからアウレリア国王にも伝えておこう。メリザンドの魔導学園や大企業の上層部にも連絡しておく。竜族の予言、というといたずらだと思われてしまうというのが厄介だが……わしからの連絡であれば、少しは真面目に聞くはずだ」

「本当か!?」

 イリスがぱっと顔を明るくする。ラン班長がぎょっと目を剥いた。

「信じるのか!? この小娘が竜族の生き残りだなんて……!」

「班長だってちょっと真剣に聞いてたくせに」

 フォルク副班長が隣で呟くと、ラン班長はなにか言い返そうとして、なにも言えずに結局口を閉じた。島主がうむと唸る。

「信じがたい話だが、警戒するにこしたことはない。わしの発言にどれほどの者が耳を貸すか、分からんが。『あのジジイついにボケた』と思われかねん話だからな」

 難しい顔で顎髭を撫でてから、島主はまた穏やかな顔に戻った。

「できることはやってみよう。伝えにきてくれて、ありがとうな」

 その微笑みに、イリスはほっとしたように頬を緩ませていた。


 *


 島主の邸宅を後にし、僕らは市場の方面に向かっていた。考え事をしているのか、チャトとフィーナは無言だ。駆除班のふたりも、静かになっている。

 夕焼け空から顔を伏せて歩くイリスに、僕は声をかけた。

「君は本当に本当に、本当に竜族なの?」

「何度言わせるのじゃ」

 イリスは面倒くさそうに返し、顔を上げなかった。

 キュロボックルがいた雑木林で、考えていたことを思い出す。

 もしも、ラン班長の仮説が正しいのなら、世界をめちゃくちゃにして、マモノたちを変えて、人と人、人とマモノ、様々な繋がりを壊した人がいることになる。

 僕は、そんなことをした人間を許せない。

 僕の背後で、ラン班長がだるそうな声を出した。

「イリスが竜族だって信じるのか? 竜族はとっくに……」

 この論点に戻ってくると、イリスがキッと目を吊り上げてラン班長を睨む。が、彼女が噛み付く前に、フォルク副班長が口を挟んだ。

「俺は、信じますよ」

 冗談でも言うみたいな口調で、彼は続けた。

「だってツバサくんだって異世界から来てるんだし、竜族が生き残ってるくらいありうる気がしますよ。それにマモノが一斉におかしくなった理由も、竜族の竜魔導の力だとしたら説明がつく」

「まあ、そうだけど……」

「というか、班長の仮説、的中じゃないっすか。これ、班長こそ信じるところなんじゃ?」

「私のは仮説にすぎない。だいたい……」

 ラン班長が少し、声のトーンを落とす。

「だいたい、的中してほしくなかった。誰かが意図して、世界を壊そうとしてる……そんな人、いてほしくない」

 彼女らしくない、しんみりした声だった。

 僕も、竜族の予言なんてイリスの妄言であってほしい。イリスが竜族でもなんでもなくて、ただふざけているだけなら、救いがあった。

 でもイリスは下を向き、嘘だと否定してはくれなかった。

「あっ、ねえねえ! ランとフォルクはもうこれでアウレリアに帰っちゃうの?」

 突然、チャトが明るい声で重たい空気を壊した。フォルク副班長が微笑む。

「そうだねえ、俺たちだけでなく君たちを引き連れて帰るんだけどね」

「もともとあんたたちを連れ戻しに来たんだからな」

 ラン班長が怖い声で言うも、チャトは無邪気にニコニコしていた。

「それじゃあさ、帰る前に提案があるんだけど」

 彼が振り向いて、両腕を大きく広げる。

「船の墓場、見に行こうよ! 廃船がたっくさんあるんだって。探検してみたい!」

「お前なあ! 立場分かってんのか?」

 ラン班長が声を荒らげたが、チャトは怯まない。

「折角エーヴェまで来たんだぞ、楽しいところは全部見ておかないと勿体ないよ!」

「面倒くせえな。けどここで無理に諦めさせても、後々引きずるか」

 ラン班長は頭を抱え、薄暗い空を見上げて唸る。

「あまり暗いと帰りの航海が大変だから、長居はしたくないけど。少し見るくらいなら時間取れるかな」

「やったあ!」

 チャトが耳を立てて飛び跳ねる。僕は貰っていた地図を広げ、ラン班長に渡した。

「船の墓場、僕さっき見かけました。あっちの方です」

 ミルクティー色の髪の少女……ミグを追いかけていたとき、それらしいものを目にした。ラン班長はやはり面倒くさそうに、僕から地図を受け取って、目的の方向へと歩き出した。


 船の墓場に着く頃には、夕焼け空は星空に変わっていた。

「うわおお! すっげえ!」

 浜にとまった無数の船を前に、チャトが叫ぶ。僕も、圧巻の光景に目を奪われた。

 波が寄せる砂浜から海の上まで、その使命を終えた船が打ち捨てられている。クルーズ客船みたいな大きなものから、ひとり用のボートまであれば、まだ捨てられたばかりと見えるきれいなものから、腐りきって面影もないものまで様々だ。いろんな船が、アスレチックみたいにごちゃごちゃと重なって、繋がって、砂浜から海面まで埋め尽くしている。流されないように、太い綱でそれぞれを絡ませているようだ。

 滅多に見られない景色を前に、チャトだけでなくフィーナやイリスまで興奮気味になった。

「なんだか幻想的ですね」

「中はどうなっておるのじゃ!?」

 つい先程まで真剣に世界滅亡の話をしていたのに、イリスは無邪気な子供に戻ってはしゃいでいる。彼女はチャトと一緒に、砂浜に上がったボートに飛び乗り、更にそこから隣の漁船に移りと、自由に遊びはじめた。心配したフィーナもふたりを追って船をのぼっていく。僕はボートの横から声を投げた。

「危ないから乗らない方がいいと思うよ」

 チャトが高いところから顔を覗かせる。

「大丈夫だって! 腐ってるところは避けて歩けばいいんだから。ツバサもおいでよ」

「あんまり遠くまで行っちゃだめだよ」

 すぐにでも帰る予定だった駆除班を案じて言ってみたが。

「えっ!? これ五十年前に大陸の外周を回って航海路を確立させた伝説の船じゃん!?」

「班長見て! これ光に反応する水棲マモノを寄せる、メリザンドの高級機器じゃないですか!?」

 ラン班長とフォルク副班長まで、珍しい船にはしゃいでいた。この人たちまで楽しみだしたら、止める人がいない。僕はしばらくぽかんとしていたが、僕自身も船の中を見たくなって、漁船の縁から見えるチャトの耳を追いかけた。

 船から船へと、その朽ちた甲板を渡り歩く。帆の欠片が落ちていたり、お酒の瓶があったりと、どことなく過去に人がいた息遣いを感じる。廃墟と化した船で楽しげに飛び跳ねるチャトたちの後ろ姿は、静と動のコントラストのように見えて、不思議な気持ちになった。

 自由に探検する彼らについていくと、クルーズ客船らしき船に辿り着いた。ところどころ塗装が剥げている。

「ツバサ、来て来て。こっち、すごいのあるよ」

 クルーズ客船の甲板に、船の内部に続く階段がある。チャトはそこから顔を出して僕を手招きした。チャトに続いて階段を下りてみると、そこは船を動かすエンジンルームらしきものがあった。船の仕組みは、社会の教科書で見た覚えがある。だがこの船はどうも、それとは造りが違う。イカイの船は、イフのそれとは丸ごと違っているようだ。

 大人だったらやっと頭を下げずにいられるくらいの低い天井に、ぐにゃぐにゃに曲がりくねった機械が壁を覆う、狭い部屋だ。僕とチャト、フィーナ、イリスが四人入ると、殆ど身動きが取られなくなるくらいである。

 部屋のいちばん奥に、フィーナの頭が見える。覗き込むと、壁に暖炉みたいにぽっかり空いたスペースがあり、彼女はその中を見ているようだった。

「これ、船を稼働させていた燃料の残骸ですね」

 フィーナが魔導で周囲を照らした。室内がほわっと光に包まれると、彼女の手元にあった燃料の残骸が、僕からも見えた。真っ黒な石コロ、というか、石炭にそっくりである。温めると火が起きる、クロコゲの着火燃料かと思ったが、それよりも少しきらきらしている。

 僕がそう考えていたのが分かったみたいに、フィーナは振り向いて言った。

「クロコゲの燃料を元にして、加工したものです。他のマモノの毛とか鉱石とか練り込んであるそうですよ。そうするとエネルギー効率がよくなって、長く使えるんだとか」

 フィーナの言葉を聞いて、チャトが首を傾げた。

「ふうん。じゃあこの残骸も、もしかしたらまだ使えるのかな?」

「どうでしょうねえ……流石にもう、枯れてしまってると思いますけど」

 フィーナがそっと、燃料をひとつ手に取った。そのときだ。

 彼女のピアスがきらっと光った。同時に手の中で、燃料がカッと光り出す。

「えっ!? きゃあっ!」

 驚いたフィーナが、持っていた燃料を元の場所に向けて放り投げる。するとたちまち、隣合う他の燃料までもに光が移り、全体がピカピカと赤く燃えはじめた。

 なにが起こったのだろう。そこにいた全員の思考が止まり、硬直していると。今度は周囲で、ゴゴゴゴと妙な音と激しい振動がはじまった。ぎょっと見渡すと、エンジンルームの壁を埋め尽くす機械の数々が、揺れ動いている。

 最初に声を発したのは、チャトだった。

「やばくない?」

 そして我に返ったように、チャトが僕の腕にしがみついた。

「なんか動いてるよ!? 絶対動いてる! ここから出よう」

 チャトの甲高い声で僕も硬直が解け、チャトの手を取って弾かれたようにエンジンルームの階段を駆け上がった。目の端で後ろを確認する。呆然とするフィーナを、イリスが引っ張って走り出していた。

 なにが起こったのか、正確には理解できていない。だがなんとなく分かるのは、フィーナの手に灯っていた魔導の光が、あの燃料を反応させたのだということだけだ。ラッキーなエラーを起こすことがある、といわれていたあのピアスが光った。その力も加わって、彼女の魔力が図らずとも燃料に力を与え、船が稼働したのだ。そんな気がする。

 甲板に上がる頃には、その振動は更に大きくなっていた。僕らの乗っていたクルーズ客船が、周囲を取り囲む他の廃船を押し退ける。なんとか柵に捕まって海を覗き込むと、隣の船と繋がっていた綱が千切れているのが見えた。もともとだいぶ、古くなっていたようだ。

 ぐらぐら揺れる甲板で柵に掴まっていると、ラン班長の悲鳴が聞こえた。

「うわっ!」

「班長! 立てますか」

 声の方を見ると、僕の乗ったクルーズ客船が動いたせいで傾いた隣の漁船があった。客船よりずっと小さな漁船から、ふたりが見上げている。尻餅をついたラン班長と、その横で班長とクルーズ客船を見比べるフォルク副班長。

 ラン班長がぺたんと座り込んだまま、頭をもたげて怒鳴った。

「お前らなにしてんだ!」

「分かんないです!」

 僕もそれしか言えなかった。船はぐらぐら動いて、少しずつ沖の方に流されていく。

「ランー! 助けて!」

 チャトが僕の横に駆けつけ、柵から身を乗り出して叫ぶ。ぶつけられて揺れる船の上で、ラン班長がよろっと立ち上がった。

「こっち跳べるか!?」

「えっと……」

 僕はチャトとラン班長を交互に見た。

 チャトなら飛び移れるかもしれない。フィーナの魔導があれば、なんとかなるかもしれない。いろいろ頭を過ぎるが、頭が混乱して、冷静な返事をできない。船はもう、隣合っていたはずの漁船から十メートルは離れている。

 チャトが柵に足を乗せ、飛び降りようとした。だが僕は咄嗟に彼の腕を掴まえた。

「危ない!」

「でもこのままじゃ流されるよ!」

「だけど……!」

 周りの船をぐいぐいと押し退けて、クルーズ客船は勝手に沖へと進んでいく。

「くっそ……! お前ら、どこまで私に面倒かけたら気が済むんだよ!」

 ラン班長の怒鳴り声は、みるみる遠ざかっていった。

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