11 鳥族の谷

「ツバサ、ツバサ大丈夫?」

 チャトの声で目を覚ました。真上に鳥のお腹が見える。僕はバスケットの中でダンゴムシみたいに丸くなっていた。どうも僕はあのまま失神したようだった。僕を乗せていた鳥は今は飛んでおらず、地にバスケットをとめている。チャトとフィーナがバスケットの淵に手を乗せて、僕の方を覗き込んでいた。空には鳥の影が踊っている。

「ここは……?」

 むくりと体を起こして、バスケットの中から周りを見渡した。

 周囲は滑らかに波打ったレンガ色の大地が広がっていた。大きな風車が回り、規則正しく立つ柵があり、その向こうには運び鳥が十羽くらいうろついている。

「ん……? 運び鳥がこんなに……」

 全く見覚えのない景色だ。

 魔族のアルロに連れられて空運び鳥に乗り込み、僕らは出荷される魔道具と共にどこかへ飛ばされたはずだった。行き先を聞いていなかったせいでここがどこだか分からない。

 とりあえず、暑い。体をくるんでいた毛布を剥ぎ取り、厚着していた防寒具を全て脱いだ。乾いた暖かい風が頬を撫でる。チャトとフィーナも既に着込んでいた上着を外していて、心地よい風に髪や尻尾を揺らしていた。

 極寒の地だった魔族の里とは随分と違う気候だ。空気がやや乾燥気味だが、気持ちのいい気温である。上空から降ってくる鳥の声と、柵の向こうの運び鳥がクルルと喉を鳴らすのだけが耳を擽る。

 広大な大地と高い空、集まっている鳥の背中を呆然と見ていると、後ろから声がした。

「気がついたようだな」

 キリッとした大人の男の人の声だ。振り向くと、知らない男が歩み寄ってくるのが見えた。

「全く。空運び鳥は人が乗るものではない。バカ者が」

 金の瞳の鋭い目つきの男だ。年齢は三十代くらいだろうか。灰色の長い前髪を垂らしたいかつい顔は、目尻や頬に赤いペイントで模様が描かれている。髪と同じく灰色に黒の斑のある箕を羽織っており、それは緻密に組まれた鳥の羽根でできていた。隙間から見えるお腹は地肌であることから、素肌の上に羽根の衣を纏っているのだろう。

 僕は灰色の髪から見える耳を確認した。僕と同じ、識族の耳だ。民族は違うようだが、この人は恐らく識族である。

「あっ、こ……こんにちは。空運び鳥に乗っちゃって、ごめんなさい」

 僕は謝りながらわたわたとバスケットから転がり出た。慌てたせいでバスケットの淵に足を取られ、べしゃっとすっ転ぶ。乾いた地面に顔面からダイブした僕を見て、チャトが吹き出した。僕は顔を擦りながら頭を上げ、そして、えっと目を疑った。

 先程までよく見えなかった、灰色の髪の男の足元が目に飛び込む。黄色い鱗でびっしり埋め尽くされ、前に三本、後ろに一本の尖った指が生えていた。

 僕は思わず、真横でバスケットの持ち手にとまる空運び鳥を見上げた。持ち手を握っている太い足には鱗と爪がある。もう一度男性の方に目をやった。鳶服に似ただぼだぼのズボンを裾をずり上げて履いているのだが、そこから伸びるこの人の足も、空運び鳥の足と同じような足なのだ。

「いつまで寝ている気だ」

 鳥足の男は呆れ顔で僕を見下ろし、それからバサッと、体を包む箕を広げた。

「だらしのない奴だな」

 広がった灰色の羽根に、僕は声が出なかった。

 箕を着ていたのではない。その羽根はたしかに、この男性の背中から伸びている。全身を包み込むような大翼が、彼の背にはあったのだ。

「鳥……」

 僕は間抜けな顔、間抜けな声で、間抜けな呟きを洩らした。僕を見下ろす男は背中の翼を伸ばし、ひとつ大きく羽ばたいた。

「ここは鳥族の谷だ。正確には、その外れの牧場」

 どうも僕たちは、空運び鳥に飛ばされて鳥族の谷に到着したらしかった。

 灰色の鳥男は金色の目で僕を睨んでいた。

「目が覚めたんならさっさと帰れ。ここから南西に向かえば都市側の草原に出る」

「はい、すみませんでした」

 威圧的な態度に、僕は大人しくここを離れようとしたのだが。

 きゅるる……と、僕のお腹が情けない音を発した。

 そういえば、お腹が空いた。気まずい空気に僕は冷や汗を垂らす。腹の虫が鳴いたのを聞いた鳥の男は、うんざりしたような顔をして大きなため息をついた。


 *


 鳥族の谷は、霧の山脈の中にある谷底の集落である。

 濃霧に埋め尽くされた岩山の中にありながら、地形と気流の関係でここだけは霧が晴れている。鮮やかな橙色の大地が広がり、豊かな牧草が育ち、きれいな水が流れる。高い空には不思議なくらい霧がなく、眩しい陽の光が降り注いでいた。

「すみません、いきなり来た上にご馳走になるなんて……」

 食事を出してやるという彼に、僕らは図々しくも甘えることにした。僕がおずおずと謝っても、前を行く灰色の羽根の彼は振り向かなかった。

「全くだ。だがこのまま放り出すのは後味が悪い」

 ぶっきらぼうに吐き捨てて僕らを率いるのは、鳥族のお兄さん、名前はカイルというらしい。谷の集落の外れで牧場を営んでおり、僕らを運んだ空運び鳥はこの人が飼育しているのだそうだ。柵の向こうにいる飛ばないタイプの運び鳥も、カイルさんの鳥である。この柵は、彼の牧場のものだったのだ。

 放牧されているのは運び鳥だけではない。羊に似たマモノが散らばり、手のひらサイズの豚みたいなものもそこらじゅうにコロコロしていて、鶏のようなものも地面を啄んでいる。木には伝言鳥もいた。マモノが密集している光景だが、どれも人に飼育されているためか凶暴な感じはなく、のんびりと過ごしている。

「わあ、見て見て、モコモコメルがいる!」

 チャトが無邪気に指をさし、フィーナが窘める。

「こら。こういうマモノは臆病なんですから静かにしなさい」

 そんな僕らを冷ややかに一瞥し、カイルさんは牧場の中に建つ一件の小屋に僕らを案内した。レンガ造りの小さな建物だ。

 カイルさんがバンッと扉を押し開ける。

「しかし……ここのところ下らん来客が多いな」

「僕らの他にも誰か来たんですか?」

 問いかけながら中に上がり込み、そして真っ先に目に入った人物に僕はあっと叫んだ。

 板張りの床に布団を敷いて、うつ伏せでぺしゃんこに潰れる女性。くしゃくしゃに乱れた髪は、見覚えのある赤。

「ラン班長!?」

 突っ伏していたのは他でもない、駆除班のラン班長である。

「大丈夫ですか? どうなさったんです!?」

 フィーナが血相を変えて駆け寄る。ラン班長は寝返りを打ち、こちらに顔を向けた。

「フィーナ……? ツバサとチャトも。なぜここに……」

 酷い顔色だ。快活な彼女の姿は見る影もなく、肌は青白く目元も気だるげである。

「そちらこそ、どうしてここに? フォルク副班長は?」

 フィーナがラン班長に治癒の魔導を当てる。するとラン班長がこたえる前に、僕らの背後で扉が開いた。

「伝言鳥の餌やり終わりましたよーって……あれ? ツバサくん?」

 扉から覗き込んでいたのは、頭や肩に伝言鳥をとめたフォルク副班長である。まさかここに駆除班がいるとは考えていなかった僕は、目を丸くして固まった。

「なんでふたりがここに!?」

「なんだ貴様ら、知り合いか」

 カイルさんが腕を組む。

「ランとフォルクは昨日からここにいる。山肌から下りてきたところを俺が偶然見つけた」

「例のアウレリアの少女を見失って以降、野宿の準備を始めようとしたら運良く鳥族の谷に辿り着いてさ。助かったよー」

 フォルク副班長が朗らかに笑う。チャトがぴょんぴょんと彼に駆け寄った。

「フォルクー! 無事だったんだな! はぐれちゃったときは心配したんだぞ!」

「こっちこそ心配したんだよ? 伝言鳥が来て君たちが山頂まで行けたことは分かった。でもその先は分からなかったし、こっちが返信の鳥を飛ばしても鳥が諦めて帰ってきちゃうし」

 フォルク副班長は苦笑いしてチャトの頭を撫でた。

「とりあえずチャトくんも元気そうでよかった。あとで詳しい話を聞かせてね」

「ラン班長はどうなさったんですか?」

 フィーナがフォルク副班長に尋ねると、彼は横たわるラン班長にちらと目をやった。

「心配ないよ。ただの二日酔い」

「二日酔い!?」

 フィーナが聞き返す。カイルさんが険しい顔をした。

「遭難してるようだったから飯を食わせたら、そのまましっかり酒まで飲みやがったんだ。それも大量にな」

「心配して損しました……」

 フィーナに冷ややかな目をされ、ラン班長はなにも言い返さずに顔を伏せた。

 ひとまず、僕は安堵のため息をついた。岩山の霧の中ではぐれて以来連絡が途絶えていた駆除班が無事だったのだ。ここで合流できた安心感も相まって、僕は体の力がへろへろと抜けた。

 カイルさんが眉間に皺を寄せる。

「どういう経緯があってこんなところに集結したんだか知らないが……さっさと食え」

 彼は部屋の床に僕らを座らせ、食事を用意してくれた。クラッカーのような固くて四角い食べ物と、野菜と穀物、それからスープである。

 僕らは思わず、わあっと感嘆した。久しぶりにまともな食事を目の前にした。自然と口の中に唾液が湧いてくる。

 カイルさんは僕らに食事を配りつつ、目線はフォルク副班長に投げた。

「次はコケケ鳥の健康状態を見て来い」

「はーい」

 フォルク副班長は素直に指図を受けて外へと出ていった。どういう関係なのかよく分からず、きょとんとしている僕の前に、カイルさんが胡座をかく。僕は彼に小さく会釈した。

「いただきます」

 食器を手に取り、野菜をひと口頬張る。途端に、僕は思わず目を剥いた。

「えっ……すごくおいしい」

 久々のしっかりした食事は、涙が出そうになるほどおいしかった。

 野菜そのものの甘みに、絡んでいるソースのさっぱりした塩気がびっくりするほど合う。野菜ひと口でこんなに驚くのも変な話だが、それほど違いが分かるおいしさなのである。今度はクラッカーを齧ってみた。これもカリカリと香ばしくて、おいしい。お腹が空いていたからだろうか、それにしたってフォークが止まらない。

 たまたまイフの僕の舌に合う味だったのかと思ったけれど、チャトとフィーナも目をきらきらさせているので、イカイの人にとってもご馳走であるようだ。チャトなんか涙ぐんでいる。

「こんなおいしいもの初めて食べた!」

 感涙する彼を、カイルさんは冷ややかに見据えた。

「谷の気候は農耕に向いてるんでな。ここで育てた新鮮な素材で作るから、美味いに決まってる」

 それから彼は、猛禽類のような鋭い目で僕とチャトとフィーナをそれぞれ見比べた。

「で。お前らは何者だ? 商人じゃなさそうだな。かといって、ランとフォルクのような兵団員ということもなさそうだ」

 僕はクラッカーを齧り、こたえた。

「僕らは魔族に用事があって、魔族の里を訪ねてたんです。その帰りに、魔道具を搬出するついでに僕らも空運び鳥に乗せてもらうことになって、ここに着きました」

 アナザー・ウィングに関することまで話すと長くなるので、その辺りは省略した。カイルさんが面倒くさそうに腕を組む。今度は逆に、僕の方から質問した。

「鳥族の谷には、他の種族はあまり来ないんですか?」

「たまに識族の商人が来ることはあるが、長く滞在することはない。都市のものを売ったり逆にここのものを買い上げて都市に持ち帰ったりするだけだ」

 魔族の魔道具も、魔族の里から一旦この谷を経由して各地へ売られるということだろう。カイルさんは冷たく言った。

「基本的に、我々鳥族は他種族が好きではない。嫌いでもないがな。必要最低限の関わりだけあればいい」

 あっさりと本音を言い、彼は続けた。

「俺は空運び鳥を使って流通の媒介をしてるからまだ他種族と交流がある方だ。集落の方に住む鳥族は、他種族なんか全く興味がないぞ。テリトリーに他種族が入ってくることを不快に思っている者もいるくらいだ」

 チャトがクラッカーをポリポリ食べながらふうんと鼻を鳴らす。

「だから鳥族は住んでる場所を地図にはっきり示さないんだね」

 カイルさん個人も、他種族があまり好きではないのだろう。僕らに対しいい感情で接しているのではないということが直球に伝わってくる。僕は居心地の悪さを感じながら、お皿の上の野菜を口にした。フィーナが口を挟んだ。

「流通のやりとりがあるのだから、他種族を完全に遮断しているわけではないんですよね」

「当然だ。商人の往来は我々にとっても都市にとっても必要なことだ。魔族の魔道具に関しては、ここだけが唯一の窓口を担っている」

 カイルさんは目を閉じた。

「独立と孤立は違う。人は助け合わねば、生きていけない生き物だ」

 僕は手元のお皿に目線を落とした。カイルさんは僕ら他種族に冷たいが、こうして食事を食べさせてくれる。余所者が不愉快ということとは別に、お腹を空かせていれば手を差し伸べてくれる。それが、鳥族の距離の取り方なのかもしれない。

 小屋の外からフォルク副班長の声がする。

「カイルくーん、コケケ鳥が暴れる! 柵からどんどん出てくー」

「トロくせえな。分かった、行く」

 カイルさんは舌打ちをし、それから僕らに目線を投げた。

「食べ終わったらお前らも来い。運び鳥のブラッシングを教える」

「んっ?」

 僕はクラッカーを口元で止めて固まった。カイルさんが冷ややかに言う。

「当たり前だろう。働かざるもの食うべからず。食った分は労働で支払え。その皿を洗ったら、俺の牧場の手伝いをしろ」

 彼は冷たい目で言い残し、外へと出ていった。

 夢中になってガツガツ食べてから、その代償を知る。そして僕たちは、いろいろと理解した。なにやら牧場の仕事を引き受けているフォルク副班長に、二日酔いのラン班長。これらが物語る可能性が見えてきた。

「そういうことだ」

 ラン班長がむくりと上体を起こした。

「食べ物と酒を出されたらご馳走してもらえたと思うだろ? たらふく食って飲んだ後で、支払いを要求されて、今に至る。あの焼き鳥野郎、先に言えよ……」

 彼女が毒づいた瞬間、再び扉が開いた。

「誰が焼き鳥だ、酒乱女。貴様が飲み食いした分なんだから働いて当然だろう。お前が動けないうちは部下に尻拭いをしてもらうからな」

 農具を取りに戻ってきたカイルさんは、ラン班長の悪態まで聞いていたようである。ラン班長は取り繕うことなく噛み付いた。

「理屈は分かってるよ! ただ後出しってのが卑怯なんだ」

「鳥族の文化では常識だ」

「知らん! なぜならば私は識族だから!」

「だがここは鳥族の谷だ。鳥族の常識に従ってもらう」

「くっ……! 大声出したら頭が痛い」

 唇を噛むラン班長を尻目に、カイルさんは再び扉の外へ消えた。駆除班とカイルさんの関係を悟った僕らは、ひとまずモソモソと食事を再開した。フィーナがぽつっと呟く。

「お酒飲んで多額の請求を発生させたのはラン班長なのに、本人は二日酔いで動けなくてフォルク副班長が働いてると……」

 ラン班長がボスッと布団に体を倒す。

「うるさい、それも分かってる。あいつには散々蔑まれたし、体調戻ったら倍働くつもりだよ」

「みっともないですよ!」

「分かってるって!」

 フィーナに叱られて、ラン班長が逆上した。僕はそんな彼女に苦笑する。

「どのくらい飲んじゃったのか分かんないけど……僕も、自分の分の返済が終わったらお酒の分までお手伝いしますよ」

 ラン班長がもそりとこちらに顔を向ける。目つきは悪いが縋るような目だ。僕は改めて言った。

「ラン班長は命の恩人ですから。お手伝いさせてください」

 森クラゲに襲われそうになった僕を助けてくれた恩は忘れない。布団に半分以上顔を埋めて、ラン班長は呟いた。

「お前いい奴だな……」

 チャトが口に運んでいた野菜をぽろっと零した。

「えっ、ラン班長の分も、自動的に俺とフィノも巻き込まれた!」

 不服そうに声を上げたが、すぐに気が変わったらしく彼は皿に落ちた野菜を拾って口に放り込んだ。

「まあいっか。マモノ牧場のお仕事って面白そう」

「飼育されてるマモノの質も、相当いいみたいだしね」

 ラン班長が寝返りを打ち、仰向けになった。

「鳥族は牧畜民族でな。谷に住んでる鳥族の殆どが、カイルのように牧場を持ってる。人間の生活に欠かせないものになってるマモノは、大概が鳥族の牧場が原産地なんだ」

「そうなの!? 伝言鳥も、運び鳥も?」

 チャトが尻尾を膨らめる。マモノに詳しいラン班長は天井を見上げて続けた。

「言葉を覚える鳥を飼い慣らして、大陸の地図や人を見分ける性質を付けて、伝言鳥として世界じゅうに普及させたのは鳥族だ。アウレリアとかメリザンドの鳥牧場にいる運び鳥も、この谷から送られてきたもの。それを都市の牧場で繁殖させてるんだよ。都市生まれの運び鳥は霧を知らないから、山脈の方までは怖がって来られないんだけどな」

 そういえば、駆除班がアウレリアから連れてきた運び鳥は霧が怖くて岩山に入ることができなかったと聞いた。ラン班長は目を瞑り、うわ言のように言った。

「コケケ鳥産業に関しては、メリザンドで品種改良されたブランドコケケ鳥の方が上質ではある。けど、ここの方が土地が広いから、大量に育てて世界じゅうの需要をほぼ賄ってるんだ」

 フィーナがスープを口元に傾ける。

「そういえば聞いたことがあります。鳥族は世界で初めて、マモノと人間が共存する生活を提案した種族なんだそうですね」

「鳥族が生み出したマモノもいるくらいだ。モコモコメルとか、豆ブタとかな。しかもそれらはこの土地でしか育たない」

 ラン班長の言葉から、僕は牧場にいたマモノを思い浮かべた。羊みたいなモコモコしたマモノや、手に乗ってしまう大きさの豚がいた。フィーナが新鮮な野菜をフォークで刺した。

「マモノに限らず、畑の作物もここでしか採れないものがあるそうですね」

「酒も美味い」

 ラン班長がぽつっと付け加える。ちょっとした言い訳に聞こえた。チャトがふうんと、関心のため息をつく。

「そうなんだ。鳥族が他種族との流通をやめないわけが分かったよ」

 僕もそれには大きく頷いた。

「鳥族の産業が回らなくなったら、世界が止まっちゃうね」

 生活に必須となったマモノの牧場があり、ここでしか採れない野菜の生産をして、魔族の魔道具産業を都市と繋げる仲介もおこなっている。鳥族の谷は都市とは離れていても、必要不可欠な存在なのだ。

「牧畜といえばラン班長、空運び鳥は見ました?」

 僕はふいに、あのバスケットを持った鳥のことを思い出した。ラン班長が寝そべった姿勢で目線をこちらに向ける。

「見た。初めて見た。あんなのがいるなんて驚いたよ。カイルに聞いたら、あれはまだ未完成のマモノだそうだ。魔族とのやりとりにだけ使って、試運転してるところらしい。そういうの開発してるんなら、都市の兵団にも報告してほしいんだけどな……」

 マモノの対策が仕事である駆除班にとっては、新種のマモノの情報は開示してほしいに決まっている。チャトが身を乗り出した。

「空運び鳥って、アウレリアで連れ去られた女の子が乗ってた鳥だよね?」

 駆除班もチャトも見失ってしまった、あの少女のことだ。チャトが言うには、例の少女は鳥が持つバスケットの中に座って髪を靡かせていたのだという。

「ああ、飛んでたのが高すぎてしっかりは見えなかったが、シルエットは似てると思う。私も初見でカイルに確認したよ。あれは人を攫うことはあるのかと」

 ラン班長はのそっと体を起こした。

「まず、アウレリアから人を攫ってくるように指示した者はいない。それは断言された。鳥族は他種族を好まないから、わざわば招き入れるようなことはしない」

 そう言い切ってから、彼女は続けた。

「しかしカイルが言うには、たしかに鳥に外を覚えさせるために牧場外へ放鳥することはあるんだそうだ。だが空運び鳥は鳥族の谷と木々も凍る森の一定のスポットの間しか飛ばないように躾られてるんだと。だから空運び鳥が飛ぶ区間を大きく外れてアウレリアに行くとは考えにくい」

「えー、でも俺は間違いないと思うよ。あの子、バスケットに乗ってるように見えたもん。獣族は目だっていいんだぞ」

 チャトが食い下がるも、ラン班長は首を捻った。

「しかしなあ、人を乗せることは基本的には教えてないらしいし。それにあの鳥を扱えるのは主に鳥族、あとは魔族が魔道具運搬の指示を出すくらいなんだよ。それがアウレリアから識族の小娘を攫うメリットがどこにあるんだ?」

「ううーん……待って、考える……」

 チャトが少ない脳みそを必死に回しはじめた。僕もスープを飲みながら考えてみた。

 チャトが目にしたのは、バスケットに乗せられたアウレリアの女の子だ。人違いということはまずないだろう。バスケットに少女を乗せて飛ぶ鳥が空運び鳥であることも、疑う余地はない。

 しかし鳥族は空運び鳥をアウレリアまで飛ばすことはしないし、人を乗せることも教えていないという。僕の経験からすると、高いところから落ちてくる人間を見つけるとバスケットで掬って助けてくれる良心のあるマモノのようだ。が、アウレリアの少女は落下などしていないので、わざわざ乗せたことになる。空運び鳥は、それはしないはずなのだ。

 辻褄が合わない。どちらも間違いない事実なのに、双方の事実が食い違っているのだ。

「どちらにせよ、やっぱ見つけた段階で撃ち落としておけばよかった」

 ラン班長が舌打ちをする。フィーナが苦笑いした。

「いやいや……撃って失敗して少女に当たってしまったら駆除班という部隊自体が抹消されてしまうかもしれませんよ。あの場ではとり逃してしまっていても、例の鳥が空運び鳥であれば、鳥族の証言で一気に前進します。違ったとしても、連れ去ったのが山脈のマモノだということが判明しただけでかなり前進だと思います」

「まあな。一応、この牧場の伝言鳥で兵団長に報告してこっちに兵団員を回してもらった。都市近辺ばっか探してる要領の悪い奴らがこんなとこ来たら、真っ先に遭難すんじゃないのかと思うけどね」

 ラン班長はそう吐き捨て、難しい顔で眉間を押さえた。

「なんかおかしいことが続くよなあ。森にいないはずのトカゲが出たり、アウレリアまで来ないはずの空運び鳥が来たり……」

 僕もそれには同意だった。おかしなことばかりで、全容が掴めない。もう少し情報を集めてみないと、真実は分からない。空運び鳥がキーになっていることはたしかなのだが。

「そんなことよりお前ら、アナザー・ウィングっていったっけ? 例の腕輪はどうなった? 魔族には会えたのか」

 ラン班長に尋ねられ、僕はうっと首を竦めた。

「魔族には会うことができました。でも、アナザー・ウィングは魔族でも作ることはできないそうです……。なんでも、あれを作ったのは今は亡き竜族なんだそうで」

 説明を求められると、今の自分の状況を振り返らなくてはならない。

「竜族だと? じゃあ実質もう作れないってことか」

 ストレートな言葉がぐさりと胸を突く。

「そうなります」

「そうか……振り出しか」

 また、胸がずきりとした。時間をかけて、危険も乗り越えて、どれだけ無駄なことをしたか、痛いほど認識させられる。

「はい。しかも、アナザー・ウィングは世界にふたつとないものなんだそうです」

「じゃあどこかに別のアナザー・ウィングが保管されてることもないってことか」

 ラン班長が腕を組む。

「しかし……なんでそんな特殊なものが、ツバサのいた世界に落ちてたんだろうな」

「分かんないですよ、そんなの」

 僕はスープをひと口啜った。どうであっても、僕が元の世界に帰るためのアナザー・ウィングが手に入らなかった事実は変わらない。気持ちはささくれて、投げやりになっていた。

 ラン班長が唸る。

「全くの収穫なしだったわけだ」

 ばっさり言ってのけた彼女に、チャトが噛み付いた。

「そんなことないぞ! フィノはすっごい魔道具のピアスを貰ったし、ツバサだって杖を作ってもらったんだよ」

 興奮気味に自慢するチャトを見て、ラン班長がふうんと鼻を鳴らした。

「ピアスはたしかに収穫だな。で、杖ってなんだ」

「う、うーん……杖といっても、ちょっと変わった魔道具で……」

 僕は苦笑いしながら、アルロに貰った杖をリュックサックから取り出した。思い起こすのは、銀世界グマを前にして危機が迫っていたというのに、訳の分からない羽根になってしまった事態である。

「意志に合わせて、姿が変わる杖だそうです」

「すげーじゃん」

 ラン班長がシンプルに感嘆した。その反応を見て、僕はふと思い直した。あの羽根は単なる不発かもしれない。もう一度落ち着いて、丁寧に念じてみる。相変わらず感情を通わせるという感覚が難しくて時間がかかったが、数分粘ると杖がパキパキ砕けはじめた。破片が光りながら形を変える。チャトもフィーナもラン班長も、興味深そうにこちらを見守る。が、僕の手に出現したのは、やはり白い大きな羽根だった。

「またこれか……。これ一体の羽根なんなんだ?」

 変化に項垂れる僕に、フィーナが苦笑する。

「相手がいないせいで、闘志がないからかもしれませんよ」

「銀世界グマがいても、これだったよ?」

「う、うーん……」

 手に羽根を握る僕を見て、ラン班長はケタケタ笑った。

「意志の形になるっていうから……どんな武器にでもなるすっごい魔道具かと思ったのに! なんだそれ! ふわっふわじゃんか。はあ、頭がガンガンする。体調悪いんだから笑わせんなよ」

「僕だって最初はすごく強い武器になったりするのかと思いましたよ! でも実際使ってみると変なものになっちゃうんです……!」

 アルロも言っていたが、別の世界の異物を無理矢理使ったせいで失敗作が生まれてしまったのだ。僕はもうこれに関しては開き直っている。

「いい! これはもう、ただのきれいな棒。お土産。家に持って帰ってオブジェにする!」

「ごめんごめん、笑って悪かったよ」

 ラン班長は口先だけ謝ってきたが、まだ笑って布団に突っ伏していた。僕はふわふわな羽根を見てため息を洩らした。同時に、羽根はガラスの屑のようになり、くっついて杖に戻った。

 必要な腕輪は手に入らなくて、得たのはこのよく分からない杖だけ。この状況を理解すればするほど、虚しくなってくる。この先のことなんて、なにも考えたくなくなる。

 杖をリュックサックに戻したら、おいしい料理を平らげ、僕は調理場を借りて食器を洗った。そういえば、イカイに来て初めて洗い物をした。水は汲み取ってきた井戸水をタンクに溜めてあり、それを魔道具で浄化して使っているのだそうだ。

 片付けを終えたら、僕たちは荷物と顔色の悪いラン班長を残して外の牧場へと向かった。小屋の外ではフォルク副班長が鶏のようなマモノ、コケケ鳥を両手で掲げて触っている。その隣にはカイルさんがいて、コケケ鳥の健康チェックの仕方を指導していた。短い牧草の上に二十羽以上ものコケケ鳥がぱらぱら散らばって、彼らの周りを気ままに動き回っている。

 自分の置かれた状況にため息が出た。僕はなにをしているのだろう。イフに帰りたくてできることを精一杯やったつもりだった。それが、帰る方法はゼロに等しいという絶望的な結論だけ持ち帰る結果になった。挙句、この知らない土地の知らない牧場で、訳の分からないマモノの世話をする流れになる。ものすごく遠回りしている気分で、そんな要領の悪い自分が嫌になる。

 カイルさんは僕らが小屋を出たことに気づくと、フォルク副班長を置いてこちらにツカツカと歩いてきた。

「来たな。これから運び鳥のブラッシングを教える」

 彼は数メートル先で十羽ほどの群れを成す運び鳥の方へと僕らをいざなった。

「運び鳥は人間に改良されて生まれた品種だ。馬力を高めるために体格を大きくした代わりに、自分でする羽繕いが行き届かない」

 僕は目が合った運び鳥の、茶褐色の羽根をよく見てみた。風切り羽根や尾羽根の先、うなじの羽根は一部ぱさぱさしている箇所がある。カイルさんは腰にさしていたブラシを取り、運び鳥の乱れた羽根を撫でた。運び鳥の割れていた毛先がきれいに整っていく。

「これだけだ。やってみろ」

 カイルさんは持っていたブラシを僕に向けた。柔らかい毛のブラシだ。

 正直、腕輪の件で気持ちが重くてマモノのブラッシングなんかしている気分ではない。だがやらないわけにもいかないので、乗らないながらもブラシを受け取った。

 大人しくこちらを窺っていた運び鳥に、僕はそっとブラシの毛先を当てた。しかし、なにが気に食わなかったのか、大人しかった運び鳥はバッと羽根を広げたかと思うと、走って逃げてしまった。

「あれ……!?」

「撫で方が弱い。こそばゆくて気持ち悪かったんだろう」

 カイルさんはチャトとフィーナにもそれぞれブラシを手渡し、彼に群がる運び鳥の背中を叩いた。

「運び鳥は数が多い。ここにいる分だけじゃなく鳥舎にも倍近くいる。お前ら素人でも頭数稼ぎにはなるんだから、さっさと全部を終わらせてこい」

 かなり雑に突き放されたが、僕らはとりあえず頷くほかなかった。カイルさんが動くと彼に懐いている運び鳥たちがついていってしまう。チャトがその一羽の背中に手を乗せたが、鳥は嫌がって群れから外れ、逃げ出す。

「待ってよ、ブラッシングするだけだよ」

 チャトが追いかけると運び鳥はもっと逃げた。フィーナも彼を倣ってそっと運び鳥にコンタクトを取ろうとしたのだが、大きなくちばしでカッと威嚇され、ブラシを引っ込めている。カイルさんはお手本として楽々とこなしていたのに、いざ自分がやってみようとすると意外と難しい。僕はアナザー・ウィングを再製できなかったショックで相当落ち込んでいるのに、鳥はそんなことはお構いなしに素っ気ない。ため息が出た。上手くいかないことばかりだ。

「それが終わったら、次はモコモコメルの毛を洗ってもらう。俺は豆ブタの世話をしてるから、終わったら来い」

 カイルさんは苦戦する僕らを放置して立ち去ってしまった。僕は無表情でこちらを見る運び鳥と目を合わせた。やることは羽根の先を整えるだけなのに、すごく気だるい。とにかく、恩返しのために働くのだから牧場の仕事の足を引っ張るなど言語道断である。なんとしてでも終わらせなくてはならない。

「大人しくしててね……」

 鳥に声をかけて意思の疎通をはかろうとしたが、生憎そっぽを向かれた。一羽に長い時間をかけるわけにはいかない。慎重に歩み寄ってブラシを当てようとしたときだ。

「コココッ」

「待て待て待て、こら!」

 コケケ鳥の声とフォルク副班長の声がこちらに向かってくる。振り向くと、フォルク副班長に追われるコケケ鳥がこちらに突進してくる。

「コケーッ」

 コケケ鳥は近くで見ると意外と大きくて、五十センチはあるであろう体で飛び上がり僕に体当たりしてきた。僕はその勢いに吹っ飛ばされて、コケケ鳥もろとも運び鳥の背中に倒れ込む。

「クアア!」

 運び鳥が悲鳴をあげる。

「わ、ごめん」

 咄嗟に謝る僕を、興奮したコケケ鳥がくちばしで啄いてくる。

「痛いよ! やめてよ」

「イタイヨ、ヤメテヨー」

 なにか聞こえると思ったら、宙を飛んでいた伝言鳥が真似をしたようだ。更に、運び鳥は来ないのになぜかコケケ鳥が集まってきて、皆で僕の脚を啄きはじめた。

「なんで!? 痛い! なんで啄くの!?」

「ナンデツツクノー」

 運び鳥の背中に抱きついて嘆く僕と、嫌がって首を振る運び鳥、わらわらと集まるコケケ鳥に、バカにしているみたいに真似る伝言鳥という酷い光景になる。フォルク副班長はというと、お腹を抱えて笑っていて助けてくれない。

「あははっ、なにやってんのツバサ……うわっ」

 しかしそんな彼も突進してきたモコモコメルに後ろから突撃されて吹っ飛び、その上を運び鳥の背に乗ったチャトが通り過ぎた。

「わーん、止まれー!」

 チャトもうっかり運び鳥の背中に乗ってしまったまま降りられなくなっているようだ。チャトの乗った運び鳥は突風のように駆け回る。

「よしよし、いい子ね」

 フィーナだけはようやく鳥を一羽落ち着かせてブラッシングしていた。が、チャトの運び鳥がそこに突っ込んでいき、フィーナが折角落ち着かせた鳥が暴れ出す。

「カアー!」

「きゃあっ! ちょっとチャト! この子やっと落ち着いたんですよ!?」

 叫び声や呻き声、マモノの鳴き声があちこちからあがってくる。僕はコケケ鳥に囲まれて、平和な牧場の惨劇に呆然としていた。

「カイルさんはすごいなあ。これをひとりでやってるんだ……」

「こうはならないけどな」

 カイルさんが豆ブタを数頭連れて僕の後ろを通り過ぎた。


 *


 一時間くらい粘っただろうか。マモノに引きずり回されながら、ようやくぼくらは運び鳥のブラッシングを終えた。

 これだけでもうヘトヘトだった。慣れない作業で神経をすり減らし、逃げたり暴れたりする運び鳥を必死に取り押さえ、コケケ鳥をはじめとする暴走するマモノにいたずらされる。

 もっと大変な作業なのか、フォルク副班長は引き続きコケケ鳥の健康観察をおこなっている。それでもニコニコしている彼は、きっと普段と違う形でマモノに触ることができて楽しいのだろう。

 カイルさんは水の入ったバケツを持ってきて、僕たちを冷たく睨んだ。

「遅い。運び鳥だけでどれだけかけるつもりだ。次はモコモコメルの毛を洗う」

 彼が連れてきたモコモコメルというマモノは、外見も大きさも殆どイフの羊と変わらなかった。ただ、羊でいう角のあるところに大きな桃色の花が咲いていて、尻尾は植物の芽や花である。首にベルを下げているように見えたのだが、それも花弁を下に向けた花だった。

「モコモコメルは意思を持って動けるタイプの植物系のマモノだ。この毛は世界のありとあらゆる布製品に使われている。餌、気候、性格なんかで毛質が全く違うから、鳥族の谷の牧場経営者はどこもこいつをたくさん飼ってる」

 他では見られない珍しいマモノに、チャトが飛びつく。

「わーい、かわいい!」

 驚いたことに、チャトがモコモコメルの綿毛に顔をうずめると、どんどん吸い込まれて頭が半分以上毛に埋まった。なによりモコモコメルは大人しく、顔を突っ込まれてもじっとしていた。暴れないマモノのようなので、僕もそっと、モコモコメルのふわふわの頭を撫でてみた。見た目どおり、ふんわりしている。羊毛のような触り心地ではなくて、植物の綿の感触に似ていた。

 カイルさんがモコモコメルの上で容赦なくバケツをひっくり返す。

「モコモコメルの毛は素手で洗う。こうやって水で濡らして……」

「わぷっ」

 顔を毛に埋めていたままだったチャトも水を被り、慌てて飛び退いた。水をかけられたモコモコメルの毛は、一瞬で水を吸い込みジュッと小さく萎んだ。ふわふわだった姿はやせ細った。

「こうしたら、手で細かいゴミを取る。毛を傷つけないように丁寧にな。分かったらとっとと、そこの井戸から水を汲んでこい」

 カイルさんは相変わらず雑な説明だけして放り出した。

 モコモコメルと一緒に水を被ったチャトがぶんぶんと首を振り回す。

「冷たい! カイルいじわるだなあ」

「ふふふっ! チャトが遊んでるのが悪いんですよ」

 フィーナが楽しそうに笑う。チャトは耳を絞って水を垂らしていた。

 言われたとおりに、僕は井戸から水を取ってきた。たくさんあったバケツにそれぞれ水を汲んでおき、チャトとフィーナに配る。そして三人ばらけて、牧場のあちこちで自由にしているモコモコメルの元へとバケツを運んでいった。

 僕も、柵に寄り添ってぼうっとしているモコモコメルを見つけて歩み寄った。

「失礼しまーす」

 一応声をかけて注意を引いてから、モコモコメルの背中に水をかける。ふかふかの毛がじゅうっと水を吸って小さくなっていく。これだけでお腹から滴り落ちる水は薄茶色になったので、多分この毛は汚れを吸着しやすいのだろう。

 萎んでいく毛を見ながら、僕はまたため息をついた。先程からため息ばかりだ。上手くいかないことだらけで、ひとつひとつの作業がいちいちしんどいことに感じる。これからどうしたらいいのだろう。そんな不安が頭の中を付きまとい続けるのだ。

 じっとしているモコモコメルの瞳から、僕は上空へと目線を上げた。谷間の空は高く感じて、自分の小ささを思い知らされる。

 ふいに、視界の端におかしなものが飛び込む。

「えっ!?」

 僕は思わず、濡れた手で目を擦った。

 小屋の屋根の上に、女の子がいる。

 牧場はとても広いので小屋はかなり遠いのだが、小指の爪くらいの大きさで屋根の上に人の姿が見えるのだ。淡い茶色い髪を靡かせている。カイルさんの小屋の屋根で、脚を投げ出して座っているのだ。僕は口をあんぐりさせて呆然とその少女に目を奪われていた。

 しかし、ぼうっとしている場合ではないことに気づく。僕は濡らしたモコモコメルを放って、バケツも放り出して駆け出した。あの子だ、アウレリアからいなくなった謎の少女だ。

 牧草の大地を歩き回るコケケ鳥を避けて、横切るモコモコメルと衝突して、豆ブタを踏みそうになり、小屋まで一気に駆け抜ける。風が頬を掠めた。頭や胸がぞわぞわする。

 なんでここに、しかも屋根の上なんかにあの女の子がいるのだ。

 僕は小屋の傍まで来ると、屋根を見上げて叫んだ。

「ねえ! 君、なんでそんなところにいるの!?」

 息をぜいぜいさせながら問いかける。少女は屋根の上から僕を見下ろした。確実に目が合う。

 その瞬間、僕の脳は停止した。

 なんで。まさか、そんなはず。

 背中で揺れる、ミルクティー色の長い髪。僕に向けられた、大きな目。見間違えるはずがない。

「天ヶ瀬さん……?」

 僕のクラスメイトの、天ヶ瀬つぐみ。

 髪も、瞳も、顔もなにもかもが、いくらなんでも、そっくりだ。

「天ヶ瀬さんだよね? なんでここに……なんで君がイカイにいるの?」

 しかし、彼女は無表情だった。学校で最後に話した天ヶ瀬さんは僕を見て微笑んでいたのに、この少女は僕のことなんか知らないみたいにぴくりとも表情を変えないのだ。

「天ヶ瀬さん!」

 もう一度呼んでみた。が、少女はすくっと立ち上がり空に片手を広げた。なにを示しているのだろうと僕もその指の先を目で追った。

 すると、徐々に大きな羽音がしてきて、一瞬僕の頭上が暗くなった。屋根の上に空運び鳥が止まる。天ヶ瀬さんらしき少女は、空運び鳥のくちばしをひと撫ですると、鳥の足が持つバスケットに乗り込んだ。空運び鳥がぶわっと羽根を広げる。

「待って……天ヶ瀬さん!」

 僕の声掛けも虚しく、彼女を乗せた鳥は高く飛び上がった。

 僕は鳥の影を追おうとして、足を止め、周りを見渡した。追っても絶対に追いつかない。駆除班への報告の方が大事だ。

 しかし牧場はあまりにも広くて、フォルク副班長が見つからない。僕は小屋の周辺を駆け、引き返して小屋の扉を開けた。フォルク副班長は見つからなくても、小屋の中にはラン班長がいたはずだ。

「ラン班長! 来てください!」

 ラン班長はちょうど起き上がっていて、僕を見るなり険しい顔をした。

「どうした」

「今、天ヶ瀬さっ……えっと、アウレリアでいなくなった少女だと思われる女の子がいました!」

「なんだって!?」

 ラン班長は血相を変えて駆け出し、僕と一緒に小屋から飛び出した。

「どこだ!?」

「さっき、あっちの空に飛んでいきました!」

 しかしその方向にはもう鳥の影はない。ラン班長が眉を顰める。

「本当に見たのか?」

「見ました。空運び鳥に自ら乗ってくのも見ました!」

 騒いでいるのを聞きつけて、カイルさんが近づいてきた。

「どうした? 空運び鳥がどうかしたのか」

「カイルさんも見ませんでした? 今、女の子が小屋の屋根にいて、空運び鳥に乗って飛んでいった!」

 僕は夢中になって伝えたのだが、カイルさんは怪訝な顔をするばかりである。

「それはありえないぞ。俺はたった今、自分の牧場の空運び鳥を数えてきたが、全部いる」

「えっ!?」

「他所の牧場の空運び鳥ということはありうるがな。だが他の牧場の鳥が敷地に入ってくることは滅多にない」

 そんな、そんなはずはない。僕はたしかに見た。

「絶対見たよ! しかも、その子は僕と同じ世界から来た天ヶ瀬さんだった!」

「はあ? ツバサと同じ、異世界から来た少女?」

 ラン班長が眉を寄せる。

「そんなんあるわけないだろ。大丈夫か?」

「僕だっておかしいと思ってます。でも絶対そうだった!」

 騒いでいるのが気になったのか、チャトとフィーナも駆けつけてきた。

「どうしたの?」

「今、アウレリアの女の子を見つけたんだ。しかも僕と同じイフから来た人だった。間違いないよ、あんな目立つ容姿だもん、絶対天ヶ瀬さんだったよ!」

 無我夢中の僕を、フィーナが宥める。

「落ち着いてください。カイルさんも言ってたとおり、空運び鳥はアウレリアには飛んでいかないはずです。それに、イフの人なら尚更、空運び鳥を乗りこなすなんて信じられないです」

 チャトも僕の腕にしがみついた。

「そうだよ、イフの人ってツバサと同じおいしそうな匂いがするんでしょ? そうだったら俺が真っ先に気づいてるよ」

 僕は我に返ったように黙った。たしかに、彼らの言うとおりだ。僕の証言はいろいろと不自然な点が多い。たしかにこの目で見たのだけれど、見たということ以外になんの証拠もない。

「本当に空運び鳥が人を乗せて飛び回ってるんだとしたら一大事だ……。俺の方から、他の牧場主に変わったことはないか聞くだけ聞いておく」

 カイルさんが頭を掻きながら立ち去った。ラン班長が首を傾ける。

「ツバサ、お前ちょっと疲れてんだよ。私もそろそろ作業手伝うから、そしたら休んどけ」

 僕が変なことを言い出した、という形で収まってしまったようだ。でも言われてみればその可能性もある。僕は今身も心も疲れているし、ぼうっとしていた。チャトとフィーナは各々モコモコメルの水浴びに戻り、ラン班長は小屋に引っ込んだ。僕も、放置していたモコモコメルの元へとぼとぼと歩き出した。

 僕が水をかけたモコモコメルは、大人しくその場から動かずにいた。お腹から水滴を滴らせているモコモコメルの脇に座り、僕はその濡れた繊維を眺めていた。

 僕が見たのはやはり、見間違えだろうか。アウレリアの少女が空運び鳥を乗りこなすこと自体がまずおかしくて、その上それが天ヶ瀬さんだなんてめちゃくちゃである。天ヶ瀬さんであればイフの人間なのだから、チャトが「おいしそうな匂い」に気づく。彼女が僕を見て無反応なのもおかしい。知らない世界に飛ばされてひとりぼっちでいたのだとしたら、知っている人である僕を見たらもっと反応があるはずだ。

 なにもかも辻褄が合わない。きっと今のは、疲れてしまった僕が見た幻だったのだろう。もう忘れよう。それより、今は牧場の仕事に集中しなくては。

 ふと目を上げると、フォルク副班長がコケケ鳥を抱っこして、指に伝言鳥を乗せているのが目に入った。彼もマモノに踏んだり蹴ったりにされていたが、今はそんな惨状は感じられないほど平穏な様子で鳥に囲まれている。彼が伝言鳥を乗せた指を空に掲げると、伝言鳥はパタタと軽い羽音を立てて飛んでいった。

「なにか託したんですか?」

 僕が声をかけると、彼もこちらに顔を向けた。

「うん、リズリー先輩に連絡。ツバサくんと鳥族の谷で合流、怪我人なし、但しラン班長は二日酔いってね」

「リズリーさん、きっと心配してますもんね」

 伝言鳥が南の空へ飛んでいく。僕はその小さな背中をじっと見つめていた。

「モコモコメル洗ってるの? かわいいよね、モコモコメル」

 フォルク副班長が歩み寄ってくる。彼のゆったりした話し方を聞いていると、こちらまで体の力が抜けていく。なんだかサボりたくなってしまい、僕はゴミ取りをしようとしていた手を止めた。

「このモコモコメルって、鳥族が生み出したマモノなんだそうですね」

「よく知ってるねえ」

「ラン班長から聞きました」

 この谷で鳥族によって作られ、ここにしか存在しないマモノだと聞いている。フォルク副班長はモコモコメルの額を撫でた。

「布製品が毛皮しかなかった時代に、鳥族が生み出したマモノなんだよ。毛皮ばかり使ってるとマモノが絶滅してしまうから、生きてるマモノから繊維を生産できるようにしようと考えたそうだ」

 そういえば、鳥族はマモノと共存する生き方を初めて提唱した種族なのだと、これもラン班長が言っていた。

 フォルク副班長は抱いていたコケケ鳥を抱え直した。

「鳥族はたしか、ルーツは識族なんだよ。大昔には恒星信仰という、空の恒星に神様がいるとする宗教があってね。現代の識族にはもう信者はいないけど、当時の識族の中でも熱心な恒星神の信者が、空に憧れて高山に引っ越してきたのが鳥族の始まり」

「恒星の、神様かあ……」

 つまり、太陽神といったところだろうか。僕はふんわりした紅色の空を見上げた。まだ見慣れない変な色の空には、白っぽい太陽が照っている。フォルク副班長はすやすや眠るコケケ鳥を優しく撫でた。

「彼らの信仰の中で、マモノは恒星神の化身だと考えられてたから、むやみやたらと毛皮にするために殺したくなかったんだろうね」

 鳥族は他種族とあまり関わりたがらない。しかしそれは孤立とは違って、尊大な矜恃が彼らを真っ直ぐに自立させている。だから芯が通っている感じがするし、彼らも自信を持ってその生き方を貫くのだろう。

「俺もマモノ好きだし、生まれる時代が違ったら鳥族になってたのかな。そしたら背中に羽根があったのかも」

 フォルク副班長はぽつっと言ってから、あ、と小さく声をあげた。

「見て見てツバサくん。コケケ鳥が腕の中で寝ちゃったよ」

 嬉しそうに声を潜め、抱いているコケケ鳥を僕に見せる。コケケ鳥は彼の胸に首を預けて、静かに眠っていた。

「抱っこの仕方が上手だから、安心しちゃったんですね」

「ふふ。かわいいね」

 起こさないように声を小さくする副班長は、愛おしそうにコケケ鳥の背中を撫でていた。僕はその穏やかな光景をモコモコメルと共に見つめる。

「フォルク副班長、マモノが好きなんですよね」

「うん。だから鳥族の牧場は夢のようだよ。マモノと共存して暮らすなんてさ」

 その言葉が、皮肉のようにさえ感じた。マモノとの共存を大切にする人が、マモノを対策する駆除班の仕事をしているのだ。僕はモコモコメルの濡れた毛に手を乗せた。

「副班長は、本当は違う仕事を希望してたのに、手違いで駆除班になったんですよね? 駆除班のお仕事は、マモノを殺さなくちゃいけないときだってあるんでしょ」

 つらいときは、ありませんか。上手く問うことができず、僕の語尾は萎んでいった。フォルク副班長は、それでも僕の言いたいことを汲み取ってくれたようだった。

「そりゃあねえ、武器を向けることもあるし、殺さなくちゃならないときもあるよ。胸が痛む」

 それから彼は、ふっと微笑んでコケケ鳥のくちばしを撫でた。

「だけどそれは、形は違えどカイルくんとやってることは同じだと思ってる。人間とマモノが共存していく上で必要な仕事なんだ。だから俺は、この仕事を不服に思ったことはないよ」

 言った後に、苦笑いで付け加える。

「班長があんななのを除けばね!」

「それは……はは」

 僕もつられて苦笑した。

 気楽に生きているような振る舞いだけれど、この人は本当は結構ストイックだと思う。

 僕もいつか、こんな風に自分を信じられるようになるのだろうか。そうなれたら、アルロに貰った杖も格好いい武器になったりするのだろうか。いや、あれはヘナチョコ魔道具だから、それはないか……。

 フォルク副班長はちょっと真顔になった。

「前にさ、うちの班長が酔っ払ったときに喋ってたことなんだけどね。百年前にマモノがいきなり凶暴化した背景には、マモノを操る人間がいたんじゃないかって」

「あ、それ僕もちょっと聞きました」

 マモノの凶暴化についてどう思うか、僕からラン班長に尋ねたときに聞いたことだ。フォルク副班長はふうと息をついた。

「酔っ払いの発想だし、そんなわけないだろと思ったよ。でも、アナザー・ウィングみたいなめちゃくちゃな魔力の道具があるとしたら、そんな力を持った人間もいるのかな。もし俺がそんな力が使えたら、腕に伝言鳥たくさんとめるなあ」

「そこ! サボってんじゃねえぞ」

 遠くからカイルさんの声がした。フォルク副班長はびくっと肩を弾ませ、僕に目配せして去っていった。

 僕もついつい、手を止めてしまっていた。濡らしたモコモコメルのゴミ取りをはじめる。ちまちました細かい作業をしつつ、フォルク副班長の話を振り返った。

 ラン班長の仮説について、僕も本人から聞いた覚えがある。ラン班長本人も、裏付けがないから説として弱いとは言っていた。でも、僕も思うのだ。マモノがいきなり凶暴になったことには、きっとなにか理由がある。ラン班長が言うように、人間の陰謀が絡んでいる可能性だって捨てきれないのだ。

 モコモコメルが大人しくしてくれたお陰で、ゴミ取りはすぐに済んだ。水で萎んだ体を手櫛で整えて、僕は別のモコモコメルの世話をしに、新しいバケツを取りに行った。

 バケツを置いておいた井戸の傍に行くと、ラン班長が仁王立ちしていた。

「お疲れさん。ここに置いてある水は使っていい?」

「いいですけど……ラン班長の体調は、もう大丈夫なんですか?」

「ああ、フィーナの魔導のお陰で回復が早まった。あと、さっきお前が大声で喝入れてきたからかな。完全回復だ」

 僕に笑いかける彼女は、元の血色のいい肌に戻っている。

「モコモコメルの水浴びだね。私に任せな」

 ラン班長はバケツを持って駆け出した。重たいバケツを持って走るのだから、相当元気である。

 そこへ、カイルさんが歩いてきた。

「ランが復活した。今、お前の連れを交代で休憩させてる。次はお前が休憩する番だ。井戸で手を洗ったらついてこい」

 それを聞いて、途端に体の力がくたっと抜けた。ようやく休むことが許された。

 促されるまま手を洗い、カイルさんに連れられて、僕は小屋の裏のベンチにやってきた。建物で日陰ができており、チャトとフィーナがベンチに腰掛けておやつを食べていた。

「あ、ツバサ来た。この蒸しケーキおいしいよ」

 チャトはおやつを頬張り、手を振ってくる。僕はフィーナとの間にチャトを真ん中に挟んで、ベンチに腰を下ろした。チャトの向こうに座っていたフィーナが、膝に乗せていたバスケットをこちらに向ける。

「カイルさんからの差し入れです」

 中には黄色や桃色の蒸しケーキがたくさん詰まっていた。食べた分だけ働くのは分かっているが、慣れない仕事に疲れていた僕はおやつに自然と手を伸ばした。

「いただきます」

 カイルさんに挨拶してから、ひと口齧る。全身の力がくたっと抜けるくらい甘くておいしかった。チャトも追加でひとつ手に取っている。鳥族の食べ物はたちが悪いくらいおいしいのだ。

 カイルさんはベンチの横で小屋の壁に寄りかかり、そんな僕らを眺めていた。

 蒸しケーキを手に、ひと息つく。体を折り曲げていると、眠くなってくる。

「だいぶお疲れですね、ツバサさん」

 フィーナがふふっと笑う。僕はベンチで足をぷらぷらさせた。

「うん……なんかドッと疲れが押し寄せてきてる」

 いるはずのない天ヶ瀬さんの幻を見るほどだ。フィーナは可笑しそうに笑って僕に手をかざした。ふんわりと温かくなって、節々の痛み、それから疲れも取れていく。

「治癒の魔導? ありがとう」

「ピアスを新しくしてから、魔導の調子がとってもいいんです」

「うん、すごく心地いいよ」

 肩から足まで、全身が楽になっていく感じがする。フィーナも満足げだ。

 僕はチャト越しで揺れるフィーナの青いピアスを眺めた。フィーナの髪や瞳の色と鉱石の色がよく似合っている。繊細なデザインも彼女らしくて、それを付けているフィーナはうっとりするくらいきれいだ。

 すごくきれいなのだが、ちょっと複雑な気持ちになってきた。僕がアナザー・ウィングのヒント欲しさにこの長い旅路にチャトとフィーナを付き合わせ、結果、なにも得られなかった。このふたりには散々がんばってもらっておいて、手に入ったのはフィーナのそのピアスくらいのものなのだ。

 牧場仕事に夢中になっていて頭から消えていた、無気力感が蘇る。胸の奥が燻ってきて、どうしようもないやるせなさが押し寄せる。

「このピアス、すごく気に入りました」

 フィーナはご機嫌な表情で耳に指を添えた。僕も合わせるように笑う。

「うん、さっきの治癒の魔導、今までと違う感じしたよ。そのピアスすごくフィーナの魔力を高めてると思う」

「ふふ。魔族の里に行けてよかったです。ツバサさんも杖を貰いましたしね」

 フィーナはちょっといじわるく、いまいち使えなかった杖の話を蒸し返してきた。僕は小屋の中に置いてきた杖のことを思い浮かべ、苦笑した。

「なんで羽根になっちゃうんだろう。せめて銀世界グマと対峙したときくらいは、剣や銃になってほしかったなあ」

 あのときは本当に恰好悪かった。新品の武器が今こそ使い時、というタイミングだったのに、まるで役に立たないものが生まれてしまった。戸惑ってなにもできない僕よりも、素早く判断して魔導で氷の檻を作ったフィーナの方が何千倍も恰好よかった。

 思えばあのときだけではなかった。魔族の里へ向かうまでの道程でも、僕はなんの役にも立っていない。マモノが来る前に見つけてくれるのはチャトだし、魔導で道を照らしてくれるのはフィーナなのだ。僕は長旅の原因でありながら、助けてもらうばかりでなにもしてこなかった。

 勝ち目がないから、噛み付かない。最初こそそう言っていたけれど、僕はリズリーさんからダガーを貰ってもそれを抜く発想がなく、理由は言い訳に変わった。アルロの杖に関していえば、失敗作という可能性もあるが、本当に意志に合わせて変化しているとすれば僕の意志はへニョへニョなのである。

 魔族の里まで行って僕が得たものはなんだろう。なにもできない自分の不甲斐なさを、痛いほど思い知らされただけではないか。

 考えてしまうと、顔に出るほど落ち込んでしまう。しゅんとした僕を見て、フィーナが眉間に皺を作った。

「そうですよ! たまにはいいとこ見せてくださいね」

 フィーナがいろいろとはっきり言うようになってきた気がする。彼女はベンチから腰を上げ、膝に抱いていた蒸しケーキのバスケットをチャトに預けた。

「せめて、新しいピアスを褒めてくれるくらいにはなってくださいよ?」

「ん? 魔力高めてていいと思うって……」

 つい先程褒めたつもりだったのだが。フィーナはむっとむくれた。

「そうじゃなくて。似合うとか、かわいいとか、言ってほしいんです」

「あっ! そういう……ごめん、えーっと」

 気の利いたことが言えなかった僕に、フィーナはベッと舌を出した。

「時間切れ! 私もう、牧場のお手伝い行っちゃいますから」

 フィーナはすたすた早足で去っていってしまった。一部始終を見ていたカイルさんがあーあと低い声を出す。

「怒らせた……ああいう女は怖いぞ」

「うわー、似合うってずっと思ってたのに! 言えなかった。僕、ダメダメだなあ……」

 旅の役に立たず、成果もなく、その上女の子を怒らせてしまうなど、どこを取ってもダメダメである。

 カイルさんが目を瞑る。

「ランみたいな気性ならまだしも、フィーナのような性格はいつなにが蓄積されていつなにが引き金になるか分からない……。そういう繊細なことが分からないお前のような奴の末路が、俺のような奴だ」

「よく分かんないけど、不安を煽られてる気がする」

「その上貴様は、牧場仕事の手伝いにもやる気が見えない。だらだらしやがって」

「それは……」

 僕は蒸しケーキを手に、がっくりと項垂れた。

「でもカイルさん、言い訳をさせてください。僕には余裕がなかったんです」

 それもこれも、アナザー・ウィングのせいだ。

「詳しく話すと長くなるんですが……僕は自分の目的のためにチャトとフィーナを巻き込んで、アウレリアから何日もかけて、魔族の里を訪ねたんです。そうやって頑張ってきたのに、結局なにも得られなくて」

 僕は膝に顔が付きそうなくらい俯いて喋った。

「得られないと、もう一歩も動けなかったのに……」

 アナザー・ウィングがないと、僕は元の世界に帰ることができない。

 だというのに、僕は世界にひとつしかなかったアナザー・ウィングをなくした。そしてアナザー・ウィングを新たに作ることはできない。

 もう学校にも行けないし、お母さんにも会えない。

「そういうショックがあって、付き合わせたチャトとフィーナに申し訳なくて、役立たずな自分が嫌いで。フィーナの気持ちに気づく余裕も、お仕事に気持ちを切り替える余裕もありませんでした……」

 ちらと顔を上げると、チャトが口の前で蒸しケーキを止めて僕を見ていた。不思議なものでも見つけたみたいにきょとんとしている。

「チャトも、ごめんね。大変な思いさせたのにこんな結果で」

 暑いも寒いも痛いも苦しいも味わわせて、収穫がないなんて酷い話だ。おおらかなチャトでもうんざりしているに違いない。チャトはしばらく僕を見ていたが、目線を逸らし、なにもこたえずもぐもぐと蒸しケーキを食べはじめた。

 カイルさんが首をもたげた。

「……なるほどな。役に立てる特技がなく、結果も残さず、ジメジメと言い訳をする……。とんだウスノロだな。これはフィーナが怒る理由も分かる」

 歯に衣着せぬ物言いがグサグサと連続で僕に突き刺さってきた。僕はバッと顔を上げた。

「そこまで言わなくたって! 言い訳をさせてと先に前置きしたじゃないですか!」

「前置きをすればいいというものではない」

「そのとおりですけど! そのとおりですけど傷心してるんだからもう少しくらい優しくしてくれても……!」

 嘆く僕の顔面に、カイルさんは片翼を開いてぶつけてきた。風切り羽根で口を塞がれて、僕は強制的に黙らされた。

「別のことをするのに対して、それまでの無関係の事柄への感情を引きずるな」

 カイルさんが鋭い目をちらりと向けてくる。僕は口を塞ぐ羽根を手で押し退けた。

「そんなこと言ったって、皆が皆あなたみたいにサバサバしてるわけじゃない……!」

「切り替えられないのは、単にお前の心が子供だからだ」

 再び、バシッと羽根が僕の口を止めた。グレーに黒の模様の羽根が僕の顔を覆う。つやつやさらさらの羽根から、鳥の独特の香ばしい匂いがする。なにも言い返せなくて羽根の中に顔をうずめていると、チャトが横から手を伸ばしてきた。なにをするかと思えば、彼は遠慮なくカイルさんの羽根の先を鷲掴みにした。

「カイルの羽根、いいなあ。すべすべしてるんだね」

 それまでの会話を全く無視した流れで、チャトはカイルさんの羽根を触りはじめたのだ。いきなり羽根を握られたカイルさんは、びくっと両翼を弾いて僕の口を塞いでいた翼を引っ込めた。開いていた羽根を閉じ、箕を着ているみたいに体を覆う。

 チャトはバスケットをベンチに置いてぴょんと立ち上がった。

「ねえねえ、羽根があるってことは空を飛べるんだよね。飛んでるとこ見たい。見せて見せて」

 無邪気にせがむチャトが、カイルさんの羽根にベタベタ触ろうとする。カイルさんは羽根の角度を巧みに操ってチャトから羽根を守った。

「触るんじゃない。やめろ。触るな」

 そんな攻防戦を横目に、僕からも頼んだ。

「僕も見たいな。カイルさん、飛べるんですよね」

 体が人でありながら鳥の羽根を持つ鳥族の飛行はぜひ見てみたい。しかしカイルさんは、チャトの手を躱しながらこたえた。

「悪いが我々鳥族は飛べない」

「えっ!?」

「ふぇ!?」

 僕とチャトが同時に叫ぶ。チャトが驚いて手を引っ込めたので、カイルさんは羽根を定位置に戻した。

「鳥族の羽根は、空を飛ぶための羽根ではない」

「じゃあ邪魔なだけじゃない? 仰向けで寝られないよね」

 びっくり顔のチャトが容赦なく言うと、カイルさんは険しく眉を寄せた。

「邪魔なんて言うんじゃない。この背中の翼の重さは、我々鳥族の歴史の重さ、そして誇りの重さだ」

「歴史と誇り?」

 ピンとこないチャトは、目をぱちくりさせて繰り返した。カイルさんが、伏せ目で自身の翼角を見る。

「我々の祖先は英智の民、識族だったことは知っているか? 我らの神への信仰が強い者が、空の恒星に近づくために、高いところへより高いところへと移り住んだ。今ではマモノ来襲なんかのせいでかなり減ってしまったが、当時はこの東西に長い山脈のあちこちに、恒星信仰の村が点在していた」

 僕はベンチから彼を見上げていた。そういえば、フォルク副班長もそんなようなことを言っていた。

「祖先は常に、より高く、より恒星に近い場所を目指した。そして空を飛ぶ鳥と同じ翼を手に入れれば、空の恒星に近づけると考えた。流通の仲介地点として交流するようになった魔族の協力、それから識族としての優れた知恵で、我らの祖先は長い年月をかけて背中に羽根を授かった」

 チャトがカイルさんに尋ねる。

「恒星信仰をしてると、恒星に近づきたくなるの?」

「空の果ての恒星に身を燃やすことを夢見たのだ」

 カイルさんがあっさりこたえる。僕は自分の耳を疑い、チャトも眉を顰めた。

「身を燃やす? どうしてそんなことしたいと思うんだ?」

「自身の体を神への供物として捧げる。恒星神の信者なら、それが最も素晴らしい最期だからだ」

 目線を落としていたカイルさんが、顔を上げた。空高く輝く太陽を見つめている。チャトも一緒に空を見上げた。

「ふうん。カイルもそうしたいの?」

「もちろん。この翼で空を自由に飛ぶことができたら、俺は真っ先にあの星へ飛び込むだろう」

 カイルさんの即答を、僕は唖然として聞いていた。チャトが不安げに小さな声で言う。

「燃えたら死んじゃうぞ……?」

「ただ地を這って死ぬのとは違う。聖なる陽に燃え聖なる灰となるならば、それは来世の幸福を約束されるんだ」

 カイルさんも含め恒星信仰の鳥族は、来世の幸福なんて確証のないもののために、その体を捧げることも厭わない。神様のためになると信じていることであれば、自らの死さえも恐れないのだ。

 僕に宗教のことは分からない。神様の存在を本当に信じていたのだって、小学校に上がる前までだ。だから、その実物を見たこともない、話したこともない神様のためにそこまでできる感覚が、僕にはよく理解できない。

 乾いた風で、カイルさんの翼の細かい羽根が逆立つ。チャトの毛並みもふわふわと揺られた。チャトが首を傾げる。

「でも、その羽根で空は飛べなかったんだよね?」

「ああ。鳥の形に近づきはしたけれど、それで飛ぶことは、どんな技術と魔力をもってしても叶わなかった」

「じゃあ、意味がないんじゃないの?」

「はたから見たら、飛べない翼など意味がないだろう。だが我々にとってはこの翼はプライドだ。我々鳥族の翼は、神を信じ続けた証であり、いつか飛べる日を信じる希望なのだ」

 そうこたえたカイルさんの瞳は、真っ直ぐで淀みがなかった。

「恒星信者でない他種族にはこの感覚が理解できんらしい。だから鳥族は他種族と相容れないのだ」

「たしかに分かんないや。どういうことなの?」

 チャトは素直に言って、ベンチに座り直した。カイルさんも、チャトに無理に教えこもうとはしなかった。

「簡単に言えば……飛べるか飛べないかではなく、飛ぶことを夢見て羽ばたくことに意味がある、ということだ」

 僕にはやはり、信仰とか、よく分からない。でも、カイルさんの強い志は伝わってくる。彼には彼の信じるものがあり、その信仰こそが彼の生き方なのだ。彼はその羽根を風に靡かせる。

「いつか飛べると信じるのだ。自分に正直に、信じたいものを信じて生きたい」

 他人からとやかく言われることではない。鳥族は、彼らが信じたいものを信じて、それが正しかろうが間違いであろうが、信じているという事実がなによりの誇りなのだ。そしてその証が、背中に伸びたふたつの翼。

「自分に正直に、かあ」

 チャトはベンチで新しい蒸しケーキを手に取り、おもむろに食べはじめた。

「俺はいつでも正直にやりたいようにやってきたし、我慢なんかしたことないんだけどさ……」

「それは……すごいね」

 僕は隣でもそもそと食べているチャトに苦笑した。でも、チャトは真面目な顔をしていた。

「一個だけ、もやもやしてることがある」

 チャトがぽつりぽつりと話す。

「実は魔族の里に着いたとき、ちょっと胸がチクッてしたんだ。ここでアナザー・ウィングが手に入って、ツバサが帰っちゃったら、ツバサは俺の隣からいなくなっちゃうんだって気づいた」

 大きな目が、ぱちりとまばたきをする。

「ツバサがイフに帰りたいから、俺も協力してるつもりだったのにさ。ツバサがいなくなっちゃうって思ったら、ちょっと嫌だった。自分でもなにがしたいのか、分かんなくなってきてる」

 僕は呆然と、チャトの横顔を見ていた。そういえば彼は僕に、このまま帰らないのもいいのではないかと投げかけてきていた。僕はあのとき、冗談みたいなものだと受け止めて笑ってしまったが、チャトはきっと真剣な気持ちをぶつけてきていたのだろう。

「そうだったんだね……気づかなくてごめんね」

 申し訳ないと同時に、チャトが寂しがることが純粋に嬉しい。

「ありがとう。大丈夫だよ、アナザー・ウィングがあればイフとイカイを行き来できる。だから僕は何度だってここに戻ってこられるよ」

 笑いかけると、チャトはハッと顔を上げ、それからふんわりと目を細めた。

「そっか! じゃあ寂しくないね」

 どうやら僕は、こんなに近くの大切なものを見落としていたみたいだ。自分を責めることに忙しくて、こんな風に思ってくれていた人に気づいていなかったのだ。自分が頼りない存在だったということは、裏を返せばチャトとフィーナがいてくれたから、ここまでやってこれたということだ。こんな僕を支えてくれるふたりに出会えたことは、なによりも嬉しいことだったはずだ。

 チャトは手にしていた蒸しケーキの最後のひとかけを頬張り、ぴょこんとベンチから立ち上がった。

「よっし、おいしいもの食べたら漲ってきたぞ! モコモコメルのお世話、行ってきまーす!」

 両手を振り上げて、チャトは小屋の面へと駆け出した。

 小屋の日陰には、僕とカイルさんだけが残された。ちらとカイルさんに目をやると、彼は壁に背中を預け、寝ているみたいに目を瞑っていた。風が吹くと、彼のつやつやの羽根が膨らむ。「自分に正直に、信じたいものを信じて生きろ」という、彼の言葉が僕を刺す。

「ねえ、カイルさん」

 話しかけると、彼は目を閉じたまま、ん、と短く返事をした。僕は彼を包み込む羽根を目でなぞった。

「僕の名前、翼というんです」

「知ってる」

「あー、えっと……」

 僕は口元に指を当てて考えた。そうだ、イフとイカイの言語は本来は違うのだが、アナザー・ウィングの放った光の影響でお互いの言葉が知っている言葉に聞こえるエラーが起こっているのだと聞いていた。言い方を選んで、もう一度言う。

「僕の名前は、イフの言葉でカイルさんの背中にある翼と同じ意味の言葉なんです」

「ほお、そうなのか」

 僕の言いたいことが通じたようで、彼は薄く目を開いた。

「それは縁起がいいな。神に祝福された名だ」

 力強い声が、僕の胸に響いてくる。

「お前が信じるものを、お前を信じたものを、絶対に裏切るなよ。ツバサ、その名はどこまでも羽ばたける」

 カイルさんの瞳に、僕の間抜けな顔が映る。

「まずは足元を固めろ。今のお前の気の持ち方ではできることもできん。一旦頭をリセットして、モコモコメルと一緒に洗い流せ」

 僕の中で、なにかのスイッチが切り替わった気がした。僕を見下ろす金色の瞳に、僕はお腹から声を出して返事をした。

「……はい!」

 そうだった、くよくよしている場合ではない。

 アナザー・ウィングが遠のいた今だからこそ、次に打つ手を考えなくてはならない。

「モコモコメルの水浴び、行ってきます!」

 僕はベンチから勢いよく立ち上がった。カイルさんが冷たい口調で突き放す。

「おう。さっさと終わらせてこい」

 気持ちを切り替えるために、この広大な牧場で脇目も振らず働きまくろう。夢中になったら、頭がリセットされるかもしれない。

 僕は小屋の表に向かって、駆け出した。


 僕はバケツを取っては乾いているモコモコメルを捜し、見つけ次第水をぶっかけた。井戸に何度も行き来していると、同じ作業をするラン班長と遭遇した。

「お、随分と生き生きしてんじゃん」

 ラン班長が水のたっぷり入ったバケツを僕に突き出す。

「いい調子だな。さくっと終わらせるよ」

「元はと言えばラン班長が飲みすぎたせいですからね」

「うっせ。お前らもガツガツ食ってたろ」

 回復したラン班長が参加してからは、作業の進みが爆速で上がった。流石は駆除班班長といったところか、マモノの扱いに慣れるのが早いのだ。

 そのうちチャトとフィーナも含め、互いに声掛けをするようになった。

「小屋の西側に、モコモコメルがすんごく集まってるところがあったよ!」

「分かった、そっち行く!」

 チームワークが生まれ、作業効率が高まってきた。フォルク副班長も、大量にいてしかも盛んに動き回るコケケ鳥を全てチェックし終わったらしく、こちらの作業に合流する。

 作業はみるみる早くなり、夕方までに全ての世話が完了した。

 僕らが小屋に戻ってくると、カイルさんは夕飯の支度をしていた。

「はい、お疲れさん」

 キッチンから漂ういい匂いに、唾液が溢れ出しそうになる。チャトに至ってはもう目がうるうるしていた。

 アナザー・ウィングの一件を置いておいて、頭をからっぽにして働いたお陰だろうか。体の疲労はあっても、気持ちはかなりスッキリした気がする。お陰様でお腹はペコペコである。

「鳥族の郷土料理を作った。あと、地酒も用意した」

 カイルさんがしれっとした態度でテーブルに豪華な料理を並べていく。脂の乗った肉の炒め物、ソースのたっぷりかかった野菜など、見たことのない料理だが見るからにおいしそうだ。

 ラン班長が眉間を押さえる。

「騙されるな、これ食ったら明日は倍の労働だ」

 お酒に釘付けになりながらも自制を利かせようとするラン班長に、カイルさんはふっと笑った。

「いや、お前らじゃ大した戦力にもならん。明日はさっさと帰れ。これは、なにやら大変そうなお前らへの労いだ」

 途端に、ラン班長の目が輝く。

「そんなら始めっからそうしなさいよ、焼き鳥野郎」

「誰が焼き鳥だ」

「うるさい、朝まで飲むよ!」

 これは大変なことになりそうだ……と思いながらも、僕はどこか晴れ晴れとした気持ちでテーブルについた。


 *


 たくさん体を動かしたお陰で、おいしい料理は更においしかった。ここのところ備蓄食を細々と食べるような食事ばかりだったので、こうして倍の人数でわいわい食事をするのがすごく楽しく感じる。牧場の仕事の話やこれまでの旅路の話など、話題は尽きない。

 カイルさんがラン班長と共にお酒を傾けながら、ふいに言った。

「そうだ。ツバサが、空運び鳥が識族の子供を運んでるのを見たというから、空運び鳥を扱ってる牧場に一応尋ねておいたぞ」

「あっ! ありがとうございます。どうですか?」

 僕は食べていたスープを一旦置いた。カイルさんは難しい顔でこたえた。

「結論から言うと、分からなかった。どこの牧場も、空運び鳥が若いうちは放鳥に同行して飛行範囲を躾けるんだが、躾が完了して範囲を覚えたら野放しにするのだ」

「じゃあ、放鳥されてる間にアウレリアまで行ってしまった可能性も、ないことはないんだ」

「教えてない範囲まで飛んでいくとは、考えにくいけどな……理屈としては有り得なくはない。何日も戻ってこないことも、ちょくちょくあるしな」

 カイルさんはそこまで言ってから、でも、と首を振った。

「そうはいっても、やはりアウレリアまで飛んでいって意味もなく人を攫うとは考えられない。空運び鳥は肉食ではないから、人間を獲物にして狩りなんかしない」

「やっぱそこなんだよなあ」

 ラン班長がテーブルにドンッとジョッキを置いた。だいぶ酔っている。

「もう兵団員を多めに山脈近郊に派遣して、現行犯で現れたところを捕まえるしかないな」

「忙しくなりそうですね」

 フォルク副班長も、鳥族の地酒を手に言った。

「そうなったときは、この鳥族の谷を行動拠点にするかもしれないな」

「おい。こっちは静かに暮らしてるんだ。巻き込むな」

 カイルさんがギロリと厳しき目をする。フォルク副班長は誤魔化すような笑いを浮かべた。

「ふふ。とりあえず班長、一旦アウレリアに戻りましょう。ここで闇雲に捜しても少女が見つかるとは思えません。状況を上に報告して、指示を仰ぎましょう」

「そうだね、山脈探査の兵団員を増やすように頼まないとな」

 ラン班長が僕らに向き直った。

「お前らはこれからどうすんの?」

「どうしようかな……今、完全に手詰まり」

 僕は肉料理に手を伸ばしつつ、眉間に皺を刻んだ。

 アナザー・ウィングを作り出す存在と信じて、魔族を頼ってこうして旅をしてきた。しかし作ることは不可能。まだ、次の一手を決めていない。

「私はどうも、アナザー・ウィングがツバサが元いた世界であるイフに落ちてた理由が気になるな」

 酔ったラン班長が真っ赤な顔で大きめの声を出す。僕はやたらとおいしいスープを口元で傾けて、考えた。

「アナザー・ウィングはイフとイカイを行き来する道具だから、もしかしたら誰かがイカイからイフに行っているのかな。その人がイフでアナザー・ウィングを落として、それを僕が拾って、こっちに来た」

 つまり、僕と逆のパターンだ。ラン班長が眉を顰める。

「だとしたら、イカイからイフに行った『誰か』もお前みたいに異世界に閉じ込められてるじゃんか」

「ほんとだ……」

「もっと言うと、お前がイカイの森の中で落としたアナザー・ウィングを更に別の誰かが拾って、今度はそいつがイフに飛ばされてるかもしれない」

「だとしたら、アナザー・ウィングは今はイカイにはなくてイフにあるってことじゃないですか!」

 思わずスープで噎せる。ラン班長の仮説は最悪の事態だし、その上現実味がある。事実、僕は落ちていたアナザー・ウィングを興味本位で拾ってイカイに来ており、そして森にあるはずのアナザー・ウィングはなくなってしまった。誰かが拾った可能性は高いのだ。

 頭を抱えた僕を見て、フィーナが言う。

「でも、そんなことになってたら誰かがイカイから消えてるってことじゃないですか? だったらもっと大騒ぎになると思います」

「あ、そっか」

 ラン班長が間抜けな声を出す。それから真剣な顔になって首を捻った。

「ツバサが落としたアナザー・ウィングを誰か別の人が拾ってイフに消えたと仮定すると……あの森で拾ったんなら、アウレリアの住民である可能性が高い。まずはアウレリアの管理局で住民の行方不明情報がないか確認しよう」

「そうだ、そうしましょう」

 僕は大きく頷いた。

 やっと、次の行動が見えてきた。アナザー・ウィングを作ることができないのであれば、僕がなくしたアナザー・ウィングを捜すしかない。そして、捜す第一歩として、アウレリアに戻って情報を集めるのだ。

 酔っ払いのくせに冴えていたラン班長は、その後いきなり後ろに倒れて爆睡してしまった。


 *


 夕食の後、僕らはカイルさんの小屋で一泊した。翌朝は更に甘え、南の草原まで運び鳥を出してもらった。大きめの荷車に、魔族の魔道具や牧場で採れたモコモコメルの毛などを積み込み、空いたスペースに僕とチャトとフィーナ、それから駆除班のふたりも乗り込んだ。

「カイルさん、ありがとうございました!」

 僕は荷車から身を乗り出して、下に立つカイルさんに頭を下げた。彼は無関心そうな目つきで、僕らを見ていた。その冷ややかな瞳に、僕は熱いものを感じていた。

「本当に、ありがとうございます。僕、もう言い訳しない」

 お前が信じるものを、お前を信じたものを、絶対に裏切るなよ。

 飛べるか飛べないかではない。飛ぶことを夢見て羽ばたくことに意味がある。

 まずは、その言葉を信じてみる。

 カイルさんはゆっくり目を閉じた。

「お前の名前は縁起がいいからな。その名と神に恥じぬよう潔く生きろ」

「はい」

 僕が頷くと、カイルさんはふっと口角を上げた。

 運び鳥が動き出す。目指すは、アウレリアだ。岩山の麓には駆除班がアウレリアから連れてきた運び鳥が待機しているので、そこまで行ったらまた荷物を積み替える。この鳥を牧場に返して、アウレリアの鳥でアウレリアに戻るのだ。

 鳥族の牧場から借りた運び鳥はアウレリアで繁殖した運び鳥とは違い、霧を怖がらない。岩山のゴツゴツした道も慣れたもので、軽やかに走っていく。荷車に乗せられた僕らとしては、霧で全く前が見えないところをものすごい速度で駆け抜けるので、結構スリリングである。視界が奪われるタイプの絶叫マシンみたいで、僕は荷車の壁にしがみついて耐えていた。チャトは怖くないらしく、忙しなく動いていた。

「すげえ、速い速い!」

「バカ、動くな。落ちるよ」

 ラン班長が叱ってもチャトは聞かない。落ち着かないチャトを、駆除班ふたりがかりで取り押さえようとしていた。

「チャトくん大人しくして。班長また二日酔いで機嫌悪いから、ね!?」

「お前だって普段使わないとこ使ったから筋肉痛ー……とか言ってただろ」

 ぎゃあぎゃあやっている彼らのやりとりを聞き、フィーナはくすくす笑った。

「チャトは元気ですね」

「本当だねえ」

 僕もふふっと笑って、それから霧の中のフィーナの横顔を見つめた。運び鳥のスピードで靡く髪の隙間で、青いピアスがきらきらと揺れる。

 きれいだ、と、胸の中で呟く。

 凛とした横顔なのに、どこか壊れてしまいそうな危うさがあって、だからこそなのか、秘められた美しさが滲み出す。それがピアスの儚い光に表れているようで、吸い込まれるように目を奪われる。

「やっぱり……すごくきれいだね」

 自然と、素直な気持ちが口をつく。フィーナがきょとんとしてこちらを向いた。僕はなんだか急に照れくさくなったが、今更引っ込みがつかなくて、改めて言うことにした。

「言うの遅くてごめんね。ピアス、すごく似合ってるよ」

 するとフィーナは、青い瞳を細めて微笑んだ。

「本当、言うの遅すぎ。とっくに時間切れですよ」

 霧の山の中を掻き分けていく。晴れた空が見えるまで、あと少しだ。

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