10 魔族の里

 魔族はこんな森の奥に暮らしているのだ。都市からかなり離れているためか、言語自体は同じなのに、話し方の癖が他と違っていた。

「前の日の前の日の前の日に、このペンダント、盗られてシマッタ」

 アルロは僕らの前を歩きながら、淡々と話した。

「ワレワレ魔族は、他種族と離れてひそひそと魔道具を作ってイル。たくさんできたら、空運び鳥を呼ぶ。ソシテ作った魔道具を運搬させて、売ってイル」

「空運び鳥って、バスケットを持った大きな鳥のマモノ?」

「ソウだ」

 僕の質問にもさらっとした口調でこたえる。崖から落ちた僕らを助けてくれた、あのマモノのことだ。魔族たちはあの鳥を、運搬のインフラとして使っているらしかった。

 アルロに案内される細い獣道は、進めば進むほど暗くなっていった。フィーナが魔導でほんのり足元を明るくしてくれて、アルロの光る目が先を照らすので、やっと進むことができる。僕はまた、素朴な疑問を呈した。

「魔族って、暗いところで暮らしてるの?」

「魔族、日の光ガ苦手。魔族には体に実体ナイのだが、焼けてシマウ。魔導で焼けナイようにすることもできる、けど、暗くて寒いトコロの方が好きナノだ」

 アルロは慣れた足取り、というか、スルスルと地を滑るように先へ進んでいく。

「体に実体がない?」

 さらっと言われて聞き流しそうになった衝撃的な事実を、僕は思わず繰り返した。アルロはさも当然のように頷いていた。

「魔族、肉体、ナイ」

 まるで幽霊みたいだ。でも、不思議な種族もいるんだなあと思うくらいで、怖いとか気持ち悪いとは思わなかった。

 しかしまさか、こんな形で魔族と出会うと思わなかった。

 アルロの話によると、アルロは数日前に作った閃光水晶のペンダントの見張りを頼まれていたそうだ。この閃光水晶は特注品だったらしく、特に丁寧に作られて、厳重に取り扱われているものだったそうだ。

 しかしうたた寝をしている隙に、マモノに持ち出されてしまったのだという。この広い森の中に消えたとなると簡単には探し出せない。不注意のために大切な里の商品をなくしてしまったアルロは、こっ酷く叱られたそうだ。

 もう見つからないだろうと諦めていたところだったが、今日になって、森のどこかで閃光水晶の火花の音が聞こえてきた。静かな森の中でその音は遠くからも聞こえ、暗い中では光も微かに見えた。それを頼りに歩いてみると、チャトが火花を打ち上げているの見つけたというのだ。

「ここのトコロ、いたずらするマモノ、多いダ」

 都市の近くなどと変わらず、ここでもマモノの被害は多く出ているらしかった。

 僕は今ばかりは毛布を持ち帰ったマモノに感謝し、閃光水晶で遊んでいたチャトにも感謝していた。これのお陰で、僕らはアルロという魔族に出会えたのだ。

 初めて見たときこそ心底驚いたが、アルロの姿はたしかにジズ老師に見せてもらった本に描かれたそれとよく似ていた。真っ黒なマントをぐるぐる巻きにして、フードを目深に被っている。顔であろう箇所は黒く陰っていて人相が分からない。そもそも実体がないとのことなので、顔自体がないのだろう。ただ、目だと思しき光る丸だけが煌々としている。まばたきはしない。年齢も性別も分からない。姿形に関しては、僕が知っている人間とはまるで共通点が少ない。だが言葉を話し、文化があるのだから、マモノではなくれっきとした人なのだ。

「時々、魔族に魔導を教えてホシイと言ってやってくる識族がイル。でも、大体来る前に倒れてシマウ。ワレワレが偶然見つけてやれレバ、森の外マデ帰してイル」

 森の奥は非情なくらいに暗くて寒い。魔族に会いに行った人たちが遭難したというのもうなずける。

「この木々も凍る森、魔族が住んでイルから、全体の波動が歪んでイル。魔族が案内しないと、他種族、里には永遠に来ることデキナイだ」

「そうなの!?」

 では、僕らはアルロに出会わなければ延々と森の中を彷徨っていたというわけだ。危なかった。

「外の種族、ワザワザこんな森の奥に来るの、魔族に魔導教えてホシイとき。ツバサも魔力欲しくて来たカ?」

 アルロがカッと光る目をこちらに向けた。眩しくて、僕はぎゅっと目を閉じる。

「魔族の人たちが作ったかもしれない魔道具があって、そのことを教えてもらいたくて来たんだ」

「魔道具、魔族、詳シイ。だが木々も凍る森、魔族でないと耐えられない寒さ、と言わレテるだ。無理をシテはいけナイ」

 それからアルロはくるんと正面に向き直り、先を照らした。

「どんな魔道具のコト調べに来たカ?」

「交わらないはずの異世界を繋げてしまう魔道具だよ。アナザー・ウィングっていうらしい。アルロ、知ってる?」

「アナザー・ウィング……ふむ。腕輪の形した魔道具」

 アルロは大声を出すでもなく、抑揚のない声で言った。僕は白い息を吐いて叫んだ。

「知ってるの!?」

「話、長くなる。アルロの工房デ話す」

 アルロの淡々とした返答に、僕は寒さを忘れて高揚した。アルロはアナザー・ウィングのことを知っているようだ。ここまで来るのは骨が折れたが、魔族に出会えて本当によかった。早く詳しい話を聞きたい。気持ちが昂って仕方ない。チャトとフィーナも、顔を明るくした。

「やった! 流石は魔族だね!」

「よかったですね、ツバサさん!」

「うん、ふたりともここまで本当にありがとう!」

 まだ詳しい話を聞いたわけではないが、確実にヒントを掴んだ僕たちは一気にテンションが上がっていた。

 ざくざくと雪の上を歩き続けると、ふいに道の先の方でふっと光る丸い玉が見えた。ちょうどアルロの目に似ている。そんな光が、現れては消え、また現れ、増えて、消える。

 アルロが立ち止まった。アルロの目の光で先が照らされている。その先に広がった景色に、僕は息を呑んだ。

 真っ暗闇の中に、家がある。みっちり並んでいた木々はこの辺りだけ少し減っていて、木々の間を縫うようにして、古い木を組んだ家々が建っているのだ。

 家の前には燭台が立っていて、家ごと違う色の炎が燃えている。建物を取り囲む木々同士には紐が括りつけられて、そこには無数の光る石や金の指輪やブレスレット、羽根飾りのネックレスなどが無作為な間隔で吊るされているのだ。それらに燭台の炎やアルロの目の光が反射し、きらきらと星を宿す。

 僕はクリスマスのイルミネーションツリーを思い出した。吊るされたオーナメントが暗闇の中で輝く。僕はこの幻想的な景色に目を奪われていた。寒さを忘れるような美しさだ。

「ここが、魔族の里……!」

 僕は消えかけた無声音の声で呟いた。

 ずっと目指してきた魔族の里だ。何日もかけて、ようやく辿り着いた。ひっそりと身を寄せる民家の数は少ない。両手で数えられるくらいしか建っていない。その小さな小さな里は、星の煌めく夜空を小さく切り取って、森の奥に隠した場所のように思えた。

 あまりの美しい光景に、アナザー・ウィングのことを聞きに来たという目的を一時的に忘れてしまったほどだ。

「きれーい!」

 チャトがパタパタと尻尾を振った。大きな黒い瞳に光の粒が反射して、目の中に星屑が生まれている。フィーナもうっとりと見入っていた。

「この吊るされてるものは、魔族の皆様が作ってらっしゃるという魔道具ですか?」

 フィーナの亜麻色の髪と海色の瞳が、景色の輝きに当てられて更に煌めいている。生きているのに、美術品みたいだ。

 アルロは光る目で吊るされた石やアクセサリーをなぞった。

「そうダ。ああして吊ルして、空気に晒して、魔力高めタラ完成」

 地獄のような極寒の森の果てに、こんなに美しい場所があるとは。これは工芸品を作っている過程の景色だそうだが、僕が今までに見てきたどんなイルミネーションよりも輝いて見えた。

 その美しさもさることながら、フィーナは吊るされた道具自体にも興奮しているようだった。

「すごい……! あれもこれも、本では見たことがあるけれど、実物は見られないものばかり」

「魔族の魔道具、超一流品。買えるの、宮廷魔導師ナドの貴族。でも、魔族の里ではどの家でも作っテル」

「私もいつか、こんな高級品の魔道具を持ってみたいです」

 ジュエリーショップを楽しむ女の子は、こんな感じなのだろうか。フィーナはきれいな魔道具を見てはうっとりとため息を洩らす。

 吊るされた魔道具に目が行きがちだったが、よく見ると暗闇に溶け込む真っ黒な影がある。アルロと同じ目をした、黒ずくめの魔族たちだ。建物から出てきて持ってきた青い石を外の紐に吊り下げている人や、空気に晒し終えた魔道具を収穫している人など、真面目に黙々と作業しているのだ。たまに、木々の隙間からウサギ顔のマモノがやって来る。干されている魔道具を盗もうとしたようだが、魔族のひとりがポンッと魔導の火の粉を放つと、マモノは驚いて逃げ出した。ああいうのを追い払い損ねて、アルロは閃光水晶を盗まれたといったところか。

 マモノを追い払っていた魔族が、こちらに気がついた。

「アルロ……誰を連れてキタだ?」

 帽子もマントも背格好も、アルロと殆ど変わらない。ただ、光っている目の色が微妙に違うようで、アルロは青白いが話しかけてきたこの魔族は少しピンクがかった光だった。お陰で辛うじて見分けがつく。

「お疲れ様ぞ、ヌム。コノ人たち、ツバサとチャトとフィーナ」

 アルロがこたえる。フィーナが丁寧に頭を下げた。

「初めましてヌムさん」

 彼女は魔道具で興奮気味で、魔族ふたりに生き生きと話し出した。

「私、精霊族でして。生まれつきちょっとだけ魔導を使えるんですけど、魔導学園で勉強してはいなかったので成長してないんです。魔族さんに魔導を習ったら、私も強くなれますか?」

 ヌムと呼ばれた魔族は訝しげにフィーナに薄いピンクの光を向けてきた。

「魔導、習いにキタのカ。そういうのよく来るだ。魔力がナイ者も来る。魔道具を求メテ来る」

 ヌムは抑揚のない話し方や声の雰囲気まで、アルロと似ていた。

「だが、来訪者は所詮魔族ではナイ。魔族に教われば魔族並の魔力をイキナリ手に入れることができる、というワケではナイ」

「そうなんですか……」

 フィーナがしゅんと下を向いた。ヌムは彼女を慰めているのか、それにしては感情的でない声で続けた。

「魔道具ナラバ、都市に出荷したモノよりは、安く売ってやロカ?」

「本当に!?」

 フィーナがぱっと顔を上げる。アルロも頷いた。

「都市で買うと高級品ナノは、運搬費用がかかるカラ。里で買えば、運搬費かからナイ。ダカラ、無謀にも森を探検して、ここマデ魔道具買いに来る他種族イルだ」

「ぜひ買わせてください」

 フィーナは目を潤ませて喜んだ。寒さなんて感じていないみたいに、無垢な笑顔を咲かせている。

「でも先にアナザー・ウィングの話、スル」

 アルロが冷静に言い、それを聞いて僕たちは当初の目的を思い出した。不思議の塊みたいな魔族の姿、里の絶景、魔道具などいろいろなことに気を取られてうっかりしていたが、そうだった。アルロの工房でアナザー・ウィングについて詳しく聞かせてもらいたいのだった。

 ヌムと別れ、アルロは僕らを工房の方へといざなった。僕らは地を滑るように歩くアルロの背中を追いかけた。アルロがスルッと直角に方向転換した。青白い炎の燭台が立つ家に入っていく。チャトが楽しげに飛び込んだ。

「お邪魔しまーす!」

「失礼します」

 フィーナもお辞儀をして入った。僕もあとに続く。扉に手を添えると、シャリッと氷が削れる音がした。朽ちかけた木造の建物は、外壁や扉の表面に薄く氷の膜が張っている。

 建物に入ってすぐ目に入ったのは、壁にかけられた魔道具の数々だった。暗い部屋の中がアルロの目の光で照らされ、きらきらしている。部屋の真ん中には大きな木製のテーブルがあり、そこには作りかけの魔道具らしきものや、作るのに使う道具が散らばっていた。

 壁がある分、風はないのだが、外と変わらないくらい寒くて暗かった。寒くて暗いのが魔族に適しているのだから、屋内でもこの環境なのだろう。

 暗くていまいち周りを確認できない。ものを踏んだり体をなにかにぶつけたりしないように、僕は慎重に部屋の中をすり足で歩いた。そこへ、部屋の奥からひとつ、丸い光が現れた。

「アルロ……なにを連れてきたカ?」

 また新たな魔族がやって来たようだ。光る目の色はやや緑っぽい。手にはお盆を持ち、そこには閃光水晶に似たようなきらきらした鉱石がたくさん乗っていた。アルロがそちらを振り向く。

「お師匠様。この人たち、旅ノ人」

 それからアルロは今度はこちらに、お師匠様と呼んだ魔族を紹介した。

「この人、アルロのお師匠様。一緒に魔道具作っテル」

「初めまして」

 僕らが挨拶をすると、師匠らしい緑の目の魔族は小さく会釈をした。それからアルロに緑の光をカッと迸らせる。

「アルロ、お前、遊んデル暇ナイはず……閃光水晶盗らレタ分、いっぱい働かんとダ……」

 そういえばアルロは、見張りを怠ったせいで折角作った魔道具をマモノに奪われ、叱られたと言っていた。アルロは一応慌てているような、それでも抑揚のない声で反論した。

「それガ、この人たちがこの閃光水晶、取り返してクレタ」

「でもアルロ居眠りした、事実、消えナイ。働ケ」

「分かタ……」

 アルロの目のライトがしゅんと暗くなった。お師匠様は作った魔道具を外に吊るすのか、お盆を持って外へ出ていった。魔族の話し方が無感情に聞こえるせいで分かりにくいが、アルロはどうもとても怒られているらしい。マモノに道具を盗まれるという過失は、魔族の中では結構大きなミスだったようだ。

 アルロはスススッとテーブルに寄ると、僕らに丸太の椅子を勧めた。実体がないという魔族だが椅子には座るらしく、アルロはシュッと座ってテーブルに前屈みになった。

「お喋り、手短にする。サボってるとお師匠様に叱らレル」

 アルロの声が、静かな室内で反響せずに落ちていく。

「アナザー・ウィング。時空を超エル魔道具の話」

 どくんと、僕の心臓は早鐘を打った。これだ。僕はこれを求めて、こんな秘境までやってきた。自分の無力さのあまりに自己嫌悪に陥ることもあった。命を落としそうになることもあった。そうやって、やっとここまで辿り着いたのだ。

「アナザー・ウィング、世界にたったひとつしかナイ、伝説の魔道具」

 ひとつしかない……。なぜそんなものを僕が学校で見つけたのだろう。

「魔族の記録にヨると、百年くらい前に作られたとサレテル。詳シイことは、魔族の間でもよく分からナイ」

 魔族にとっても謎の多いもののようだ。でも、存在さえも認識が広まっていない都市に比べれば、魔族の方が詳しいことは明らかだ。

 僕はなにから言えばいいか、頭の中を整理した。問いたいことが山ほどある。

「アナザー・ウィング……頼んだら、魔族は作ってくれるの?」

 僕は震える声で、慎重に尋ねた。僅かな空気の振動にさえ緊張する。チャトがごくりと唾を飲み、フィーナは真剣な瞳でじっとアルロを見つめ、各々がこたえを待っていた。

 アルロは眩しく光る目をふるふると左右に振った。

「残念ながら、魔族には、あれは作ることデキナイ」

「え!?」

 耳を疑った。僕は裏返った声で叫ぶ。

「そんな……! そんな魔力を持ってるのは魔族くらいしかいないんでしょ?」

「今という時代デハ、魔族の魔力が最強ダ。だが、魔族の魔力でも、時空間、たとえ歪められたとシテモ、平行スル異世界とは繋がらナイ」

 なんてことだ。魔族に望みを託してここまで来たのに。ショックで無言になった僕の代わりに、チャトが身を乗り出した。

「文献には魔族が作った可能性が高いって書いてあったぞ!」

「文献、間違ってはナイ。魔族が持っテル記録でも、魔族、アナザー・ウィング作るの、携わっタ。鉱石を加工して、魔力閉じ込めらレル腕輪作ッタ。その技術、魔族のモノ」

 アルロは落ち着いた声でこたえた。

「ただ、閉じ込めた魔力、魔族のものじゃナイ」

 フィーナが眉を寄せて尋ねる。

「じゃあ、誰の魔力が込められてるんですか?」

「アルロも当時のコト、知らナイが、ワレワレ魔族の間では、語り継がれテル……」

 アルロは顔の青白い光をゆらゆらさせていた。

「竜族……百年前、最強の魔導ヲ編み出した、竜族」

 僕は引き続き、言葉を失っていた。

 竜族。涼風の吹く森を出たときに、精霊族のクラウスさんから聞いた名前だ。

 アルロが続ける。

「魔力自体は、竜族ヨリ魔族の方が圧倒的アル。でも、竜族ニハ竜型のマモノ使った新たな魔導『竜魔導』というのがアッタ。それ、魔族が魔導するより強大な魔導」

 魔族を更に上回る力を、竜族は手にしていたという。

「竜魔導の魔力ヲ結晶にし、魔族が作った腕輪に入レタ。それがアナザー・ウィング」

 クラウスさんから聞いた話では、竜族は。

 僕はようやく、言葉を絞り出した。

「竜族って……今は、もう」

 アルロは、淡泊な声でこたえた。

「うむ、百年前、滅んでシマッタ」

 頭の中が真っ白になった。

 アナザー・ウィングの持つ、ふたつの異なる世界を繋げる魔力は、竜族の竜魔法でないと実現できない。しかしその竜族はもう滅んでいて、会うことはできない。アナザー・ウィングを新たに作る人はもういないのだ。

 完全な手詰まりだ。

 死ぬ気でここまで来たのに、僕が得られたのは「帰る方法がない」という絶望的な事実だけだった。

 表情を失った僕の横で、フィーナが尋ねた。

「竜魔導というのは、竜族でないとできないんですか? 他の種族が再現することは?」

「竜族だけに伝わる、極秘の魔導ダッタ。他の種族、やり方知らナイ。魔族も、竜のマモノを使うトイウことしか、聞いてナイ」

「竜魔導に匹敵する威力のある魔導は、他にはありませんか?」

「残念ながらナイ。歴史の中で最も魔力アル魔導、竜魔導。コレ、桁違いの魔力だったラシイだ」

 聞けば聞くほど、竜魔導というものが遠くなっていく。強大な力を持ち、そして、もうそれを使う竜族は存在しない。

 再現できる人もいない。代替になる魔導もない。アナザー・ウィング自体、ふたつとあるものではない。

 僕にはもう、元の世界に帰る手段はないのだ。

「……ツバサ、大丈夫?」

 チャトが心配そうに僕を覗き込む。

「ドウシタ? アナザー・ウィング見てみたかったカ?」

 詳しい事情を知らないアルロは不思議そうにしていた。声が出せない僕の代わりに、フィーナが話してくれた。

「お伝えしてなくてすみません。実は、ツバサさんはイフという別の世界から来たそうでして。アナザー・ウィングの力で飛ばされてきたようなんです」

「ヌ! ではアナザー・ウィングの実物を見たことがあるノカ」

 心做しか、アルロの目がカッと強く光った気がした。フィーナが小首を傾ける。

「私は見てないんですが、でもツバサさんが別の世界の人だということは本当だと思うんです。そうなると、世界を繋げるはアナザー・ウィングしか考えられません」

「そうだったカ……。力になれナクテ、申し訳ナイ」

 アルロの目の光が、しゅんと縮んで見えた。僕はしばし、放心状態で自分の呼吸音を聞いていた。頭をゆっくり整理して、心を落ち着ける。は、と息を吸って、なんとか声を出した。

「……ううん、ありがとうアルロ。貴重な話を聞かせてくれて」

 精一杯笑ってみたけれど、やはりショックは大きくて整理なんかつかなかった。


 *


 その後、僕たちはアルロに里を案内してもらい、完成済みの魔道具をたくさん置いている建物に連れていってもらった。ボロボロの木のテーブルの上に絢爛豪華な魔道具が整然と並べられた光景は、なかなか壮観である。

 魔道具を欲しがっていたフィーナは、目をきらきらさせていた。

「これすごくきれい。これもかわいいです」

「この赤いの、摩擦の波動、一気に練ル道具。こっちは魔力強メル。コレは……」

 アルロも一緒に回って、魔道具を説明している。

 僕とチャトも、カラフルできらびやかな道具の数々を眺めてはほお、と感嘆して回った。都市で売る値段を書いた値札が付いていて、それを見ては目が飛び出しそうになる。アルロが割り引き価格を口にするが、それでもまだ値が張る。運搬費がかからない分を安く売ってくれるということだったが、元々魔道具作りには手間がかかっていて高い技術を必要とするので、高価になるのは仕方ないことのようだ。

 建物の中には、数名の魔族が行ったり来たりしていた。新しく作ってきた道具を持ってきたり、値札を書いたり、どこかへ運び出したりと忙しそうである。一応ちらりとこちらを見ていくが、僕らに話しかけたりする者はおらず、関心がなさそうに去っていく。アルロ曰く、魔族は他種族が来れば受け入れるが、積極的に関わろうとはしないそうだ。複数の魔族の往来で、その目の光で魔道具が眩しく反射する。僕はその輝く魔道具たちをぼんやり見ていた。

 アナザー・ウィングの件が頭の中をぐるぐるする。魔族に望みをかけて過酷な道を歩み、ここまで来た。だが、結局アナザー・ウィングは手に入らなかった。それどころか、希望が絶たれる事実を突きつけられただけだったのだ。

 未だ受け入れられない。きれいな魔道具の列を目の前にしていても、感動する心の余裕もなかった。

 ふいに、出入りする魔族がいなくなり、建物の中に僕らとアルロだけになった。途端にアルロが若干声を潜めて言った。

「ヒトツ選べ。一個だけ、タダであげル」

「えっ!?」

 フィーナが真っ先に、そして僕とチャトも顔を上げた。アルロは更に声を小さくした。

「閃光水晶、取り返してクレタお礼……。バレたらお師匠様に叱らレル。早く選ぶダ」

 淡々とした話し方のくせに、言っている中身はやけに人間くさい。アルロの言葉に甘えて、ひとつ譲ってもらうことにした。

「フィーナが選んでいいよ」

 アルロに合わせて僕も声のトーンを落とした。フィーナがパッと顔を輝かせ、それからおろおろと遠慮する。

「いいんですか? でも、魔導を発動するタイプの魔道具があればツバサさんとチャトも魔導に近いことができるようになるのに」

「いいよいいよ。僕は魔導を使いこなせる気がしないし、チャトが魔道具なんて持ったら閃光水晶のときみたいにあっちこっちに撃って遊びそうだし。いちばん価値を分かってて、いちばん大切にするのはフィーナだと思うよ」

 それに、いちばん目をきらきらさせているのがフィーナなのだ。チャトは新しいおもちゃを貰い損ねたみたいな顔をして僕を恨めしそうに見ていたが、自分でもすぐに飽きると自覚したらしく、大人しく頷いた。

「魔道具ってたしか、魔力を底上げするものと、道具自体が魔導を起こすものがあるんだよね。フィノはどういうのがいい?」

 チャトが尋ねる。フィーナは嬉しそうに迷っていた。

「どうしましょう……」

 そこへ、外からふっと覗き込んでくる緑色の光があった。

「アルロ、いつマデ遊んデル。仕事セヨ」

 アルロの師匠である。アルロはしゅっとそちらに顔を向け、またこちらに向き直った。

「怒らレタ……欲しいノ、決まったらアルロのトコ来てクレ」

 アルロはスルスルと移動して師匠の方に向かったが、僕の隣をすり抜けるときにピタッと止まった。

「ツバサは、イフの道具持ってルカ?」

「えっ? うん、大したものはないけど」

「アルロ、興味あル。イフの物質使って、魔道具作っタラどうなるカ、気にナル」

「ふうん、いいよ。なんかあげるよ」

 アナザー・ウィングのショックから立ち直れない僕は、ちょっと投げやりになっていて色々とどうでもよくなっていた。リュックサックを降ろして、元の世界から持ってきた小物をいくつか取り出す。ペンケースや教科書類ばかりだが、ジズ老師が興奮していたのと同じでアルロも興味深そうに目の光を当てた。マントの隙間からぬっと枝のような手指が現れたかと思うと、ペンケースの中の薄汚れたシャープペンを絡めとった。

「これ、貰ってもイイカ」

「そんなものでよければどうぞ」

「感謝スル」

 機械的な声でお礼を言うと、アルロは古いシャープペンを大事に持っていなくなった。

 フィーナが自分の魔導で周囲をほんのり照らす。その光がふわふわと拡散して、魔道具の色や輝き、形をくっきりと浮かばせた。周囲を明るくしたフィーナは、魔道具の置かれた机の周りをうろうろして、魔道具を吟味している。僕とチャトは建物の隅っこで並んで壁に寄りかかり、フィーナの無邪気な横顔を眺めていた。

「ねえツバサ、これからどうする?」

 チャトが視線をフィーナに置いたまま、声だけ僕に向けてきた。

「アナザー・ウィング、魔族でも作れなかったよ」

「そうだねえ……どうしようかなあ」

 中身のない相槌で、その場を凌ぐ。どうしたらいいのか、僕にも分からなかった。心がどこかに飛んでいってしまったみたいな気分で、次のことを考える気にもならない。どうにか動かなくてはならないのに、どうしたいという気持ちも起こらないのだ。

「一旦アウレリアに帰ろっか……」

 次の目標が立つまでは、動きようがない。チャトとフィーナが暮らしていた都市に戻って、ここまで付き合わせたふたりを帰すことくらいしか、今は思いつかない。

 チャトが珍しく、静かな声で言った。

「ツバサ、どうしてもイフに帰りたいのか?」

「ん?」

 チャトの方を見下ろすと、彼は黒い瞳で僕を見上げていた。

「一緒にこっちで、アウレリアで暮らすのもいいんじゃないかな」

「ああ、なるほどね。いっそのことね」

 チャトらしい思い切った方向転換だ。僕はくすっと吹き出したが、チャトは案外真顔だった。でも僕が笑ったのを見て、彼もへにゃっと口角を吊り上げた。

「一緒に薬草拾って、リズリーのとこ遊びに行ったりして、毎日遊んで過ごすのも楽しいよ」

「あはは……いざとなったらそうしよっか」

 元気づけてくれているのだろうか。僕はチャトの頭に手のひらを乗せて、くしゃくしゃに撫でた。チャトの耳がぴくぴくっと震える。髪と耳の先にうっすら張り付いていた氷の粒が、フィーナの魔導の光できらきら光りながら零れ落ちた。

 ギイ、と建物の扉が軋んで、青白い光が射し込んだ。

「ツバサ、これヤル」

 アルロが戻ってきた。魔道具作りの仕事を一時的に抜け出してきたようだ。細い手指には透き通ったガラスの棒みたいなものを持っていた。

「ツバサに貰ったイフの道具、使って杖を作っタ。アルロのオリジナルの魔道具」

「早いね、もうできたんだ」

 シュルシュルとこちらに進んできて、僕にそれを手渡してくる。

 アルロに渡したシャープペンより、長さが二倍くらいになっている。ただ全体が透明のガラスのようで、その内側には砕いた鉱石がたくさん閉じ込められていた。

「うわ……きれい。でもこれ僕がアルロにあげたペンだよね。僕が貰っていいの?」

 材料だけ渡して、加工されて戻ってきた形だ。アルロはスッと頷いた。

「お師匠様ガ、商品にならナイって言っタ。売り物にならナイんじゃ、仕方ない。ツバサが持っテタ方が役に立つ」

「そうなの? ありがとう」

 魔族の感性はちょっと変わっている。作ることには興味があったようだが、作り終えたこの道具にはなんの未練もなく僕に返してしまうのだ。僕のシャープペンは見る影もないくらい、きれいなロッドになって帰ってきた。

「これ、どういう魔道具なの? これで魔導が使えるとか?」

 見た目はきれいな杖である。ゲームの魔法使いが使うように、指した方向に魔導を放ったりするのだろうか。アルロは細い指でぬっと示した。

「あらゆる武器にナル」

 衝撃の説明に、僕もチャトも目が点になる。アルロはあっさりと続けた。

「正確ニハ“意志”の形になるダ。戦う意志、強ければ強いほど、形になってくる武器ダ」

「意志……?」

 全くイメージが湧かない。アルロは説明を加える。

「ツバサに『強くなりたい』と思う気持ちがアレバ、剣にも銃にも弓矢にもナル」

「これが!?」

 僕の声は裏返った。シャープペンが加工されてできたこのきらきらした棒が、そんな変形をするなんて考えられない。チャトが尻尾をぶんぶん振った。

「すっげー! ツバサ、俺もそれやってみたい! 貸して貸して」

 しかしアルロが一蹴する。

「チャトには無理。イフの素材、どうやらイフの人の体温にシカ反応しナイ」

「えーっ。じゃあ実質ツバサしか使えないじゃん!」

「ソウダ。だからツバサに返シタ」

 不服そうなチャトとサラッと受け流すアルロに、僕はくすっと笑った。

「マモノに襲われそうになったら使ってみるよ。ありがとう」

 説明を聞いてもよく分からない不思議な道具だが、便利そうである。こんなすごいものを貰ってしまっていいのかと思うが、アルロがこう言っているのだからお言葉に甘えよう。

「あの、アルロさん」

 まだ魔道具と向き合っていたフィーナは、アルロに向かって手招きをした。

「これかこっちか、もしくはこれで悩んでます。さっきアルロさんに教わりましたけど、これは魔力を強めるピアスで、こっちのは煙火の魔導を起こせるんですよね。これは光るからランタンになって便利ですし」

 三択で悩んでいるようだったが、そこでアルロは即座にマントから腕を伸ばした。

「フィーナなら、コレ」

 腕はにゅっと一メートルくらい伸びて、放物線を描くように湾曲し、テーブルの奥の方にあった魔道具を指さした。思いがけない腕の長さに、傍にいたフィーナはもちろん、離れていた僕とチャトまでもびっくりして言葉をなくした。

 が、アルロが指さしているものを見て、フィーナがあっと呟く。

「このピアス……ですか?」

「その三つ、どれもイイと思ウ。特にオススメ、これ。アルロはこれがいちばんいいと思ウ」

 アルロが指さしている魔道具が気になって、僕とチャトもそちらに駆け寄った。アルロの黒いガリガリした指は、淡い青色の石が付いたピアスを指していた。クリアブルーの小さな粒の中で、青白い炎のような光がゆらゆら揺れている。その石が繊細な線の銀色の金具で飾られていて、目が奪われるほど美しかった。

 アルロが丁寧に詳細を話す。

「これ、精霊族が住むようナ場所にアル水晶と、綿ピクシーが産卵スル植物の朝露と、魔族が見た夢と、樹木の恋心、使って作ッタピアス。精霊族の脈の音に反応スル」

 それを受け、チャトが首を傾げる。

「精霊族の脈に、ってことは、精霊族が付けないと効果が出ないの?」

「ソウダ。精霊族の魔力を強くスル。それとたまに、幸運エラーが起こっテ、使えないはずの魔導、発動するときアル。精霊族にはコレがいちばんイイ思ウ。それに」

 アルロはほわっと、目の光をフィーナに向けた。

「それになにより、これがいちばんフィーナに似合ウ」

 アルロの指がピアスを摘んだ。チャリッと涼しげな音と共にピアスが浮かび、フィーナの顔の横に吊り下げられる。たしかに、フィーナの亜麻色の髪と海色の瞳、色白で端正な顔立ちによく似合っていた。

 耳元にピアスを寄せられたフィーナは、一瞬驚いた顔をしていたがすぐに照れ笑いを浮かべた。

「ふふっ。このピアスの色、アルロさんの目と同じ色ですね」

 フィーナの耳にピアスを当てていたアルロの手に、フィーナはふわりと自分の手を被せた。

「これにします。アルロさんありがとうございます。大切にしますね」

 微笑むフィーナがとても嬉しそうで、僕もちょっとだけ心が晴れた。アナザー・ウィングのことを思い出すと気持ちが暗くなるが、フィーナが満足そうならここに来たことも無駄ではない。

 アルロは周りをちらちら見渡し、他の魔族が出入りしてこないことを確認すると、ピアスを左右ともフィーナの手の中に押し付けた。

「他の魔族になにか言われタラ『アルロから買った』とこたえるダゾ」

「分かりました。いただいたことは秘密にしますね」

 フィーナは元から付けていたピアスを外し、新しいピアスで尖った耳を飾り付けた。白金の髪に青い光がゆらりと落ちる。本当に、よく似合う。アルロはあっさりした物言いで選んでいたが、あれでいてちゃんとフィーナのことを見ていたのだ。精霊族である彼女にぴったりの能力を持つ魔道具であり、色やデザインもフィーナに合っている。

 チャトがぱあっと目を輝かせた。

「フィノ、似合うよー! きれい!」

「ありがとう」

 恥ずかしそうに笑うフィーナは、やっぱり美人だ。

 一緒に選んであげたりもせずにただ待っていた僕は、そんなつまらない感想を頭に浮かべていた。

 魔道具をプレゼントしてもらった僕らは、再び屋外へ出た。雪の積もった樹氷の森と、吊り下げられて乱反射する魔道具が僕らを出迎える。

「本格的に魔導の修行をしに、ここに住むのもいいかもしれないです……」

 フィーナがぽつんと零した。強い魔力を持つ魔族、そしてまばたきもできないような光景に、彼女は心をすっかり奪われたようだ。

「魔族の皆さんはいい人たちですし、里の景色もとってもきれい。寒くて暗いのだけなんとかなったら、私、ここにずっと住みたいくらいです」

「なんとかなりそうだよね。それこそ魔導や魔道具があれば、フィーナの周りだけあったかくしておうちを明るくすることもできるよ」

 僕も周囲を見回して言った。強い魔力を持つ魔族なら、どんな場所にでも誰にでもに最適な環境を作り出すことができそうである。都市から離れすぎているというデメリットはあるが、住むこと自体は案外不可能ではないと思う。フィーナは夢を膨らませ、目を輝かせた。

「それならもう、永住してもいいかも」

「フィーナがこっちに住むなら俺も一緒に住むぞ」

 チャトも尻尾をパタパタさせて笑う。

 しかしアルロは、光る目をスイスイさせて首を振った。

「その気になれば、他種族も魔族の里、住メル。でもソレはよくない。魔族と他種族、共存して暮ラスの、よくない」

「そうなの? どうして?」

 僕は目をぱちくりさせた。もしかして、他種族を嫌悪して見つからないところに隠れて暮らしているのだろうか。そう言われてみれば、魔族たちは僕らに話しかけてきたりはしない。

 アルロは光る目で僕を見据えた。

「アルロは他種族のコトあまり知らないガ、住み分ける理由、聞いたことアル。魔族の魔力、強すぎる。他種族ト一緒に暮ラス、危ない」

「魔力が強いと危ないの?」

「生まれつき魔力が強い者は、魔力ナイ者の気持ち、分からナイ」

 声の様子は、先程から全く変わらない感情のなさそうな声だ。でも、今のは少しだけ、孤独な印象に聞こえた。

「魔族、生まれたときカラ既に強大な魔力、持ってイル。努力もなしにいきなり大きな魔力を持って生まレル。心の成長、追いついてナイのに、持て余すほどの魔力、持ってしまってイル。ダカラ、自分たちより魔力ナイ人たちに、接し方分からナイ。魔族本人がそれほど大きな力、使ったつもりナクても、そんな魔力、持ち合わせてナイ人からすれば、とんでもない脅威になってシマウ……」

 有無を言わさず強大すぎる魔力を持って生まれる魔族は、その使い方を誤らないよう、他の種族とはなるべく関わらないということか。

 たしかに、生まれて間もない赤ちゃんの魔族が、有り余る魔力で訳も分からず魔導を放ったら危険で仕方ない。魔族自身が大きくなったとしても、魔力と正しく向き合える精神的な強さがないと、ちょっとした喧嘩なんかで途方もない魔導を発動してしまいかねない。

「無自覚に人を傷つケルの、怖い。でも、自分の魔力の強さ自覚して、高慢にナッテ人を傷つケルの、もっと怖い」

 雪を乗せた風が吹く。アルロのマントが靡いた。

 他種族を嫌ったり、下に見ているのではない。自分たち魔族が持って生まれてしまった強大な力に、他種族を傷つけたくない。だから、他種族から離れて暮らす……それは、魔族の優しさからの選択だったのだ。

「魔族、他の種族と暮らシタとして、傲慢にならズにいられる自信、ナイ。アルロ、優シイ魔族でいたい。魔導とは精神学。魔導を正しく使える、社会性アル大人にならなくちゃイケナイ」

 アルロが機械のように言った言葉が、僕の胸にやけにストレートに落とし込まれた。

 僕はこのイカイの人間ではないので、魔導のことには親しみがない。でも、アルロが言っていることはきっと、魔導に限らずいろんなことに共通する倫理だろう。

 人が嫌がることをしてないけない、という簡単なことを理解できていない人が、権力という強い力を持った。その事例をひとつ、僕は知っている。たとえ力のある人だとしても、それを正しく使える思いやりがあれば、傷つけられる人はいなくて済む。それなのに人というものは、力を手に入れると高慢になるのだ。

 まあ、抵抗もできずにされるがままになっていた弱い僕が、いちばん悪いのだけれど。

 話を理解しているのかいないのか、チャトがニコッと笑う。

「アルロは優しい魔族だよ。君だったらきっと、誰とどこで過ごしても優しいアルロでいられると思うよ」

「感謝スル……」

 アルロが俯いただけのような小さなお辞儀した。

 アルロは数秒席を外し、手に大きめの籠を持って戻ってきた。中には袋詰めされた魔道具が詰まっている。

「さっきお師匠様に頼まレタ。これから空運び鳥呼ンデ、この魔道具、出荷スル。ツバサらも乗せていってもらうヨロシ。霧の山脈の方マデしかついてイケナイが、そこまで送ルダ」

 僕はここまで来る前の岩山のことを思い出した。崖から落ちてここまで来たわけだが、帰りもあのときと同じように、空運び鳥が乗せてくれるというのだ。そして、森の中はアルロが案内してくれる。

「魔族の案内なしデハ、森は迷宮と化スル」

「そう言ってたね」

 お言葉に甘えて案内してもらい、そろそろ帰ろうかと思ったときだった。

「オオオオー!」

 地響きみたいな音が、冷たい空気をドゴンと振動させる。僕の心臓は跳ね上がり、チャトの尻尾はボンッと膨らんで、フィーナは肩を弾ませた。アルロは光る目でくるんと周りを見渡した。

「……マモノ来ル。銀世界グマの声がスル」

 ドシンドシンと大きな足音がする。だんだん大きくなってくる。僕は無意味に息を止めた。

 静かな里を貫く雄叫びを聞き、各々作業していた魔族たちが立ち止まる。そして各々が若干早足になり、吊るされていた魔道具を片付けはじめた。屋内で魔道具作りをしていた魔族たちも外に顔を覗かせ、様子を見ている。アルロが淡々と語る。

「昔、銀世界グマに里ヲ荒らさレテ、作った魔道具壊さレタ。タチ悪いマモノダカラ、皆あれ嫌イ」

 ドシンドシン、ドシ、ドシドシドシと、足音が大きくなり、更に間隔も狭くなるのが分かる。そして木々の間の暗闇を切り裂いて、白い体の巨大なマモノが突進してきた。

「うわああっ!?」

 僕はその巨体に悲鳴をあげた。

 全体の形は、ホッキョクグマに似ている。大きくて白く、毛が長い。ただその顔は、上下に鋭く伸びた牙が四本口から突き出し、鼻はイノシシに近い。ずっしりした太い脚は六本もある。それが首を振り回して興奮し、里に突っ込んでくるのだ。

 あんな大きなマモノが暴れたら、この里の素朴な建物や吊るされた魔道具はひとたまりもないだろう。マモノは僕らの目と鼻の先まで突っ込んできた。僕はどこかに隠れなくてはと思ったのに、足が竦んで咄嗟に動けなかった。体の実体がないという魔族はどうなるか分からないが、僕はあれに踏んづけられたら一瞬で潰れてしまう。

 僕がびくびくしていると、アルロが言った。

「ツバサ、今、杖使ってみるヨロシ」

「あっ……」

 僕は左手に握っていた、アルロに貰った杖にハッとした。意志の形に変形するという魔道具だそうだが、説明を受けた今でもピンとこない。

「その杖、手に握っテ、体温滲まセル。温度に感情乗セルと、形、変ワル」

 アルロが普段よりちょっと早口になっている。僕はまだ混乱していたが、突っ込んでくるマモノは僕を待ってくれない。アルロの指示どおり、杖を左手でぎゅっと握って、その上に更に右手を被せた。

 感情を乗せるというのは、どういうことなのだろう。感覚が掴めないが、とにかく僕は今、このマモノから里を守りたいという気持ちはある。その闘志が形になるはずだ。ぐっと強く指に力を注いだ、その瞬間だった。

 それまでうんともすんとも言わなかった杖が、いきなりパンッと爆ぜた。壊したかと思った僕は顔面蒼白だったが、しかし割れた破片や杖の中に閉じ込められていた鉱石は宙に浮かんでいる。それらは白い光を煌々と放ちながら、勝手に弾けたり集まったりを繰り返した。

 なにが起こっているのか、よく分からない。傍で見ていたチャトが口をあんぐりさせ、フィーナが口元を覆う。僕も自分の手元で起こっている現象に、ただただ絶句した。

 ほんの数秒間のことだったと思う。眩しく煌めいた杖の破片、鉱石、光の糸が凝縮されて、スッと僕の手の中におさまった。

「成功ダ。ソレがツバサの意志……」

 アルロが呟くのが聞こえた。どうやら魔道具はアルロの計算どおりに動いたようだ、が。

「これが、僕の意志?」

 僕の手の中にあったのは、剣でも銃でも弓矢でもない。ふわふわの羽根だったのだ。

 大きさは立派なものである。クジャクの尾羽根くらいのサイズだ。暗くてしっかりとは見えないが、多分色は白っぽく、ところどころにきらきらと光の粉が散らばっている。

 少なくとも、武器ではない。これで目の前にいる巨大なマモノに立ち向かえるはずはなく。

「あ……アレ?」

 アルロでさえも、びっくりしている。

「なんだソレ……」

「アルロも分かんないの!?」

 謎の羽根を持たされた僕は思わず大きな声を出した。チャトが加勢する。

「アルロ、もしかして作るの失敗した!?」

「かもシレナイ……」

「もー! アルロって喋った感じ落ち着いてるけど結構おっちょこちょいだな!」

「デモそれがツバサの意志の形なのカモ」

「僕の意志が鳥の羽根ってどういうことなの!?」

 ぎゃあぎゃあと騒いでいるうちに、六本足のクマは僕らの真正面にまで迫ってきた。

 フィーナが両手を手前に突き出した。

「皆さん、下がってください!」

 銀世界グマの方へ手のひらを向けられたかと思うと、パキンと音が響く。そしてみるみるうちに、銀世界グマの正面に氷の柱が生み出されていった。目の前に氷柱の檻ができ、銀世界グマはその向こうに足止めされる。

 四方八方から突き出す細長い氷を、僕は目を剥いて見ているしかできなかった。

「すごい……これがピアスの力!?」

 自分で魔導を放って、フィーナがいちばん驚いていた。

「波動の感触が全然違う。今までよりはっきりして、触っている感覚があります。発動した魔導もかなりイメージに近づいてます……!」

 フィーナのピアスが煌めく。精霊族の魔力を高める魔道具だ。

 僕は左手に握っていた羽根に目を落とした。僕の杖はよく分からない形になってしまったが、フィーナのピアスはしっかり作動したようだ。僕はひとりで羽根を持っているのが情けなくなってきた。

 銀世界グマは里に突撃してくる直前で、目の前に突如出現した氷に行く手を阻まれた。しかしそれで興奮がおさまったわけではないので、上下に伸びた牙を氷や周辺の木々にガンガンとぶつけはじめる。氷柱のバリケードに、パキッとヒビが入る。

「まずい、破壊されます」

 フィーナが腰を低くする。次の魔導を撃とうと身構える彼女の前に、ひゅっと黒い枝みたいなものが伸びてきた。

「後は任セロ……」

 フィーナの前にスススッと出てきたのは、緑色に光る目の魔族。アルロの師匠だ。

 バキッと音を立て、フィーナが作った氷柱の檻が叩き割られた。先の尖った氷の槍となり、こちらに降り注いでくる。アルロの師匠は黒い腕をぬっと振り、指先で光の筋を描いた。同時に、落ちてきていた氷の刃が粉々に砕け散った。粉雪になった氷がぱらぱらと僕の頬にかかる。ダイヤモンドダストと言うらしいが、降りかかる粉は星屑が降ってきたみたいに煌めいていた。

 間髪入れず、アルロの師匠はくわっと指を広げた。その瞬間、巨大な火花が爆ぜる。銀世界グマの鼻先で、直径にして五十センチは超えるほどの炎の玉が爆発する。ボンッという大きな音と共に細かい稲妻が周囲に迸り、揺らめく陽炎にマモノの顔が歪む。

「グア……」

 銀世界グマは首を引っ込め、喉をぐるぐる鳴らして唸る。アルロの師匠はもう一度手のひらで宙を叩いた。今度は二発、空中爆発を起こす。びくっと縮こまった銀世界グマは、そろりそろりと後ろ歩きをしたかと思うと、やがて暗闇の中に逃げ出していった。

 僕は気がついたらチャトと身を寄せ合っていた。マモノが怖かったということもあるが、それ以上にアルロの師匠の魔導に恐れをなした。

 少し手を振るだけの小さな仕草ひとつで、巨大な炎の玉を爆発させる魔力。巨体のマモノもその圧倒的な力に屈し、逃げ出すほどだ。

 フィーナが感嘆のため息とともに声を絞り出す。

「これが魔族の魔力……!?」

 アルロの言ったことが、今更理解できた気がした。魔族が他種族と混ざって暮らすことをしないのは、恐ろしいほどの魔力を自分で完璧にコントロールできるとは限らないかららしい。事実、今まさにものすごい力の差を見せつけられた。こんな力を持った人が日常の中にいたらどうだろう。その人物がどんなに心優しい人だったとしても、脆弱な僕は多分、怯えてしまう。

 アルロの師匠は、里の魔族らの方を振り向いた。

「マモノ追い払ッタ。魔道具作り再開してヨロシ」

 そのひと声で、片付けをしていた魔族たちは再び魔道具を吊るし、中断していた作業を開始したりしていた。師匠はくるりと光る目をアルロにぶつけた。

「アルロ……お前はまた遊んでタカ」

「違ウ、作った魔道具の作動、確認シテタ」

「作動したモノ、あの羽根カ。役に立たナイもの作るなとアレホド言ッタ」

 声のテンションはブレないが、会話の内容を聞けばアルロはまた怒られているようだった。

 僕は手の中にある羽根に目をやった。羽根はパキッと変な音を立て、サラサラと粉になった。突然のことに目を疑っていると、粉になった羽根は再び光に包まれ、勝手に形を整えはじめる。発光が落ち着くと、アルロが持ってきた状態、つまり鉱石が閉じ込められた透き通った杖に姿を変えた。

「元に戻った……?」

 結局なんだったのか、よく分からなかった。恐らくこの世界のものではない素材を使って作ったせいで、ヘンテコなものが生み出されてしまったのだろう。おかしなものを作ってしまったアルロは、しばらく師匠に叱られていた。

 ひとしきり叱られたのか、アルロと師匠のやりとりは終了した。師匠が立ち去ると、アルロはこちらにスッと近づいてきた。

「スマヌ。魔道具、早く出荷しナイと、これまたお師匠様に怒らレル。行コカ」

 アルロに急かされて、僕らは促されるまま里をあとにした。最後にもう一度だけ、暗がりに輝く里の美しい景色を目に焼き付けておく。

 樹氷の中にひっそりと佇む静かな里は、冷たく、暗く、そして美しかった。胸が震える光景を前に、僕は長めのまばたきをする。なんだか泣きそうになるのだ。単に美しいからというのもあるけれど、このきれいな風景は、アナザー・ウィングが遠のいたショックを余計に掻き立てる。

 アルロがいちばん前を行き、その後ろをチャトとフィーナが並んで追う。僕はしんがりをつとめた。前を歩く三人の背中を眺めて、僕はため息をついた。

 アナザー・ウィングは遠くなり、僕はいたずらにチャトとフィーナを連れ回しただけになった。更にはマモノが現れたときも僕は全く役に立たず、フィーナの方が恰好よく活躍した。

「やっぱり僕、全然だめだなあ……」

 ぽつっと呟いた言葉は、先を行く彼らには届いていない。僕の声は雪の中で静かに溶けて消えた。


 *


 アルロに案内されて、凍てつく森を歩いた。行きはあんなに歩き回ったというのに、今度は数十分もすれば森に光が差してきた。だんだん明るくなっていくのがはっきりと分かる。魔族が案内してくれているというだけで、こうも違うのか。

 同じようなことを思っていたようで、チャトがアルロに尋ねた。

「木々も凍る森って、たしか魔族が住んでる関係で空間捻れてるんだよね? 魔族には道が分かるのか?」

「日によって道は変ワル、歩く長さも違ウ。今日は短イ。でも、魔族は感覚デどっち行けば出るか分かル」

 日の光が差してきたからだろうか。日差しに弱いというアルロは、歩く速度が落ちてきた。突如ブンと妙な音がして、アルロの周囲だけが薄暗くなった。アルロを包むように、暗闇の球が生まれている。魔族が光から身を守るための魔導なのだろう。自然光の陰影を全く無視した闇がそこに存在し、見ていて不思議な気持ちにさせられる。

「ツバサ、魔道具作ルノ、失敗してスマヌ……」

 アルロが僕に謝ってきた。シャープペンを加工して作った、あの杖のことだ。僕自身の心に合わせて変形しどんな武器にもなるという、聞いた限りではすごい道具だったのに、いざ蓋を開けてみたら謎の羽根になってしまったあれのことである。

「いいんだよ、この杖きれいだもん」

「要らなかっタラ捨ててクレ」

「捨てないよ」

「でも一生懸命作ッタ……」

「捨てないってば」

 失敗作を作ってしまったことはアルロもショックだったようだ。僕はというと、たしかに期待していたような魔道具ではなかったけれど、古くて汚れたシャープペンが宝石みたいになっただけで充分嬉しい。お土産として大切にしようと思っている。

 森の木々が疎らになっていき、やがて、岩山の頂上から鳥に拾われて降り立った場所へと戻ってきた。空はよく晴れた薄紅色だ。森の暗さに慣れてしまって時間感覚を失っていたが、どうも今は明るい時間帯だったらしい。

 アルロが空中に向かって手を伸ばすと、それを合図にキャアキャアと鳥の声が集まってきた。高い空に鳥の影が集結し、こちらに向かって下りてくる。バサササと羽音がみるみる近づいてきて、爆風が巻き起こる。細かい雪が散らされ、髪と毛布が風に吹き上げられた。そして僕らの前に、四羽の空運び鳥が舞い降りてきた。

「わ、来た! かわいいね」

 チャトが物珍しそうに鳥を見上げる。鳥たちは全員、足に子供がひとり乗るくらいのサイズのバスケットを握っていた。連れてきてくれたときと同じように、バスケットで立っている。

 気が早いチャトは、その中の一羽のバスケットに真っ先に飛び乗った。フィーナもわくわくした顔で乗り込む。僕ももたもたしていられず、近くにいた鳥に会釈してからバスケットに腰を下ろした。バスケットの中で小さく体育座りをしていると、アルロが残った鳥のバスケットへと持ってきていた魔道具を積み込んだ。

「空運び鳥、物を運搬するマモノ。有人飛行、ホントはダメ」

「えっ!?」

 僕はぎょっとアルロに叫んだが、アルロは驚くでもなく平坦な口調で続けた。

「そりゃそうダ。乗ってる人間、落っこちテモ誰も責任とれナイ」

 そうだ、魔族は魔道具の搬出にこの鳥を呼んでいるとは言っていたが、自分たちが乗っているとはひと言も言っていない。

 アルロは言うだけ言って、ひゅっと大空へ手を伸ばした。その合図で鳥が羽ばたく。

「ちょっ、ちょっと待って、人が乗る鳥じゃないって今……。それにこれ、どこ行き? この鳥、どこに向かって飛んでくの?」

 そういえば行き先さえも確認していなかった。僕が慌てて身を乗り出しても、声は鳥の羽音の轟音に掻き消される。

「じゃあ、お気を付ケテ」

 アルロは枯れ枝みたいな細い手を振って見送る。チャトが無邪気に手を振り返し、フィーナも「またいつか」と声を投げていた。

 鳥の羽ばたきで浮かび上がるバスケットに、僕は死ぬ気でしがみついた。

 崖の表面を目の前に、鳥の上昇がぐんぐん加速する。風圧で顔が歪む。ジェットコースターは下に落ちていくものだが、これはその逆でものすごい速度で上に引っ張られるのだ。

 頭の中から「怖い」以外の感情が全部吹き飛ばされた。

 風の速度と単純な恐怖で鳥肌が立つ。高いし速い。どこへ連れていかれるのか分からない。それ以前に息ができない。今、バスケットの底が抜けたら死ぬ。下なんか見られない。

 そのうち僕は、ふっと意識が途切れてなにも考えられなくなった。

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