第25話 怨讐は誰が為に6


 降魔 達彦は、降魔家最後の一人として生を受けた。

 父はいたが母は物心ついた頃には他界しており、男手ひとつで育てられた。

 達彦の父、降魔 道一みちかずは厳しかった。一族の血、秘術を絶やすまいと必死だったからだ。

 父の妄執めいた言動、指導に達彦は嫌気がさし、自立できる歳になると逃げ出すように家を出た。

 実際、逃げたも同然だった。


 彼には秘術を扱える度量、理解の良さはあったものの、霊力は一般人と変わらなかった。当初は父の期待に応えようとしていたが、年を経るごとにその考えは薄れた。

 霊能者になろうとしても、他人の数倍、十数倍の努力を重ねてもなお、高みに至ることはできないと気づいたからだ。そして、そんな努力が自分にはできないことも、わかっていた。

 結果、家を、親を捨て、単身で上京した。

 家を出たかっただけで特に目的もなかった彼は路頭に迷いながらも、地方の小さい企業に就職。

 家も、親のことも忘れ、充足感のある労働をし続けた彼に転機が訪れる。


 それが、壽松木 薊との出会いである。

 営業の取引先で知り合った彼らは、仕事として何度も会う内に互いを意識し合うようになり、プライベートの交際に発展。数年の付き合いを経て、彼女からのプロポーズにより結婚した。

 その際夫婦別姓の選択肢もあったが、"降魔"という家自体を好いていなかった彼は彼女の苗字に名を変えた。

 そこに深い意味は特になかった。ただ、彼にとって降魔はその程度のものでしかなく、降魔という宿業から解放されたいといった深層意識の影響が大きかったと言える。


 幸せだった。彼だけでなく、彼女も。

 共働きのためゆっくりできる時間は少なかったが、それでも。


 そんな生活にかげりが見え始めたのは、去年の暮れ頃だった。

 勤務中、父の訃報が届いた。

 死の間際に立ち会っていないためか、泣くことはなかった。それを、親不孝と言う者もいるだろう。

 しかし、父のしがらみから抜け出せたという嬉しさもなく、悲しみの感情もなかった。ただ、何かを失ったという空虚感のみが、彼を襲った。

 もっと話しておけば良かったとか、最期に会いたかったとか、後悔といったそういう感情すら芽生えなかった彼はある意味幸せであり……誰よりも不幸と言えるだろう。


 そして、不幸は続いた。

 訃報から数日たったある日、勤務後で疲れていてもいつも明るい彼女がその日は空元気のような態度で帰宅したのだ。

 彼女の違和感に彼はすぐに気づき、その原因を問いただした。

 そんな彼の必死の説得によりやっとの思いで口を開いた彼女は、職場内で起きたイジメを打ち明けた。当初は気にしていなかったのだが、最近になってエスカレートしてきたのだと言う。


 彼は、明るい彼女にそんなことが起きていたことに驚いた。そして、憤った。

 彼はそのイジメを行った彼女らに対し法的に訴えることを提言した。

 人間の歴史は差別と虐めの歴史と言っても過言ではない。故に、この時代の法整備に差別、イジメに対する厳罰は存在していた。それを利用すれば、全員は無理でもイジメを行った大多数の者を蹴散らすことはできる。


 しかし、知っての通り、彼女は首を縦に振らなかった。

 確定的な証拠はなく、相談できる相手であるはずの上司もそのイジメに加担している状況から勝てる確証がなかったからだ。

 そして何より、今の職にやりがいを感じていた彼女は、職場に居づらい空気を作りたくなかった。

 そんな彼女に根負けし、彼は静観を渋々納得する。

 だが、彼はこの時の決断を、一生後悔することとなる。


 後は知っての通りである。

 彼女はイジメに耐えきれず、居間で首を吊って自殺してしまった。

 彼が帰宅した時には既に手遅れで、穴という穴から体液、脂、排泄物がしたたり落ち始めていたと言う。


 彼は泣いた。むせんだ。涙が枯れてもなお、叫び続けた。喉がイカれ、声が出なくなってもなお、叫び続けた。

 一日を過ぎてもそうし続けた彼であったが、予想外のことが起きる。


 目の前に、怨霊となった彼女が現れたのだ。

 ひかるらの見立て通り、彼女は生前多量の霊力を持っていた。そしてそこに怨念が加わり、普通の霊よりも力を持った状態になっていた。

 彼女の霊力が多いことには彼も気づいていたが、話すようなものでもなく気に止めていなかったので驚愕した。

 そして同時に、歓喜の涙を流す。

 幽霊でも、怨霊でも、嬉しかったからだ。また会えた、それだけで。


 彼はすぐに、意思疎通を試みようとした。

 しかし。


「……しテ」

「え?」

「アイツらヲ、殺しテ。オ願い、だカら。殺シて、あイつラヲ。憎いノ。悔シイの。悲しイの。許サない。許さナい。許サナイ! 殺シテ、アイツラヲ!」

「…………薊」

「殺シテ! 殺シテ! 恨メシイ! 怨メシイ! 殺シテ!! オ願イダカラオ願イオ願イ殺シテ許セナイ許サナイ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺█テ█ロ█テコ██テ██シ█殺█████████!!!」


 怨念に呑まれてしまったからか、彼女は怨嗟しか口にしなかった。後半の言葉は判別できなかったが、「殺して」を連呼していたのは間違いない。


 故に、彼は復讐を決意した。

 他ならぬ、彼女の頼みだから。死して尚、叶えたかった願い。それを叶えずして、何が夫か。


 ……だが彼も、言われたからそれを行っただけ、というわけではない。

 もちろんのこと、彼女を死に追いやったイジメ主犯格らを憎んだ。恨んだ。怨んだ。彼女の言葉は、それを後押ししたにすぎない。

 そのため、その後の彼の行動は迅速だった。

 父の訃報が届いたときでさえ訪れなかった生家に赴き、自身でも行える霊能術や人を殺す方法を探し回った。

 その時に見つけたのが、降魔家に伝わる蠱毒であった。

 降魔家の蠱毒は、物理的にだけでなく結界などでも密閉した空間に降魔の呪符で複数の怪異を招き寄せ、その空間で食い合わせて残った怪異を使役するというもの。


 それを実行するために――先ず彼は彼女の肉体内で、本来の蠱毒を行った。

 そうした理由は三つ。


 一つ目は、彼女を使役するため。

 彼は復讐を決意した際、虐められた張本人である彼女の手で行って欲しいと考えた。その方が、本人の為になると思って。

 だが、怨霊のままでは、ただ周囲に怨念をばら撒くだけの存在でしかない。だから、それを自在に、そしてイジメ主犯格らに全て集中できるように使役する必要があった。


 二つ目は、彼女に強くなってもらうため。

 彼女には通常の状態ですら他の怪異を凌ぐ強さがあったが、複数の怪異と殺し合わせれば殺られる可能性も少なくない。その可能性を限りなく小さくするためにも、彼女には強くなってもらう必要があった。

 また、これは彼女の死体で蠱毒を行うことで怨霊である彼女を使役できる理由でもあるのだが、光が言っていたように死体と霊には霊脈のようなパスが繋がっており、その体内で蠱毒を行えばその呪いの力全てが彼女のものになると考えたからだ。

 実際、彼女を使役できるようになり、彼女の怨霊としての強さを増した。


 そして三つ目であるが――彼女は彼によって操られている、という構図を作るため。

 つまりは、彼女にとって彼は加害者であるという状況をわざと作ったのだ。それは何故か?



 元来、霊は死した魂であり、生前の姿をし、生前の記憶を持ち、生前の性格をしている。

 つまりは生前の本人そのままと言われるのだが、それは正しくもあり、間違いでもある。

 とは言っても本人であることには変わりはない。しかし、霊は殆どの場合、死した瞬間の感情が強く影響する。影響というよりは、その感情に乗っ取られると言った方が良い。


 例えば、生前は優しいと評判だった男が何らかの事故で亡くなる際の感情、考えが「死にたくない」であったならば、その「死にたくない」という感情に突き動かされ、「自分はまだ半死なだけ、生きている者から力を貰えば助かる」と思い込み人を殺した場合、その霊は「優しい男」だろうか? 生前そのままの本人と言えるだろうか?


 もちろん、生前の記憶や人格は大抵ある。

 しかし、大抵の霊は死した瞬間の感情を行動源にするため、生前はしなかった言動をする可能性があるのだ。

 大雑把に言えば霊は、その人の死んだ瞬間の感情、考えを切り取って増幅させたコピー。それは本人であって、本人ではない。


 よって自殺した間際の彼女は、普段の彼女ではなかった。少なくとも彼には、幸せの時を過ごしていた彼女からは想像が出来なかった。人を怨み、さらには殺してほしいと言うなどと。

 彼は霊がそのようなものであると知っていた。だから、そのような状態で出た言葉は、本来の彼女の本音ではないのかもしれないとも考えられた。本音ではあるが、本心ではないかもしれないと。


 それでも、彼はその言葉に従った。

 彼も、許せなかったから。それは、イジメ主犯格らのことだけではない。


 彼自身、自分自身もだ。


 そのようなことを言わせるまで彼女を弱らせたのは何か?

 もちろん、イジメもある。

 だが、彼女が自殺するまで何もしなかったのは誰だ? 異変に気づいていたのに踏み込まなかったのは誰だ?

 彼だ。自分だ。そこまで追い込んだ自分にも、責任がある。明るく優しかった彼女を歪ませた罪が。


 故に、彼は呪殺を決意した。

 例え本来の彼女が許しても。殺すと決めた。

 彼女を利用し、彼女の手で殺させたとしても、殺人の罪を背負うのは自分だ。その罪は、自分が背負わなければならない。それが自分への罰だから。

 だから彼女は被害者でなければならない。無理矢理呪殺に利用された、哀れな霊だと。悪いのはアイツらであり、自分だから。


 そして彼は、イジメ主犯格らを全て呪い殺した後には、最後の目標である、自身の殺害も考えていた。

 死体を弄り、呪いを帯びさせ、使役したのも、彼女の怨念を自分に向けさせるため。


 その為に、彼は彼女の死体を損壊した。彼女の死体をけがした。死者の尊厳を冒涜した。

 そして逆に、彼はそれだけ、彼女を愛していた。狂気ともとれる愛を、持っていた。


 ――彼の怨讐は、彼女の為に。





 対して、霊となった彼女はどうだったか?


 彼女、薊は実の所、怨念に

 霊となったことで怨念も増幅されてはいたものの、それ以上に、彼が心配だったから。

 彼女は自殺する程に溜め込み、身勝手に自殺したが、それでも死の間際、想った。想ってしまった。想えることが出来た。

 「あぁ、私がこのまま死んでしまったら、彼はどうなってしまうのだろう」と。

 その未練により、彼女は現世に留まった。


 そして、その心配は的中する。

 彼女の目の前には、彼女が死んでから一日経ってもなお、喉が潰れながらも叫んでいる夫がいた。

 そして、彼女は気づいてしまった。このままでは、彼が自分を追って死ぬことを。


 故に、夫に復讐という道を示した。少なくともその間は、彼は生き続けるから。

 その原動力が、怨みや憎しみといった、人をダメにする感情だとしても。彼女は、彼に生きていて欲しかった。少しでも。ほんの少しの期間でも。

 彼が生きている姿を見たかった。そして、恨みの感情は彼女自分も持っていたから、彼と分かち合えると信じて。


 彼を唆し、復讐をさせたのは彼女自分だ。殺人の罪を背負うのは、彼女自分だ。それが、彼を一人にした罰。


 ――彼女の怨讐は、彼の為に。



 ――この怨讐は、互いの為に。

 ――この怨讐は、愛によって、生まれた。

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