第4話 修行開始


 オレが師匠の家に来たその日は、何事もなく終わった。


 春行が気を使ってくれて屋敷の中を再び案内してくれた後、師匠と春行と一緒に晩御飯を食べた。

 晩御飯を作ったのは師匠だったのだが、これが中々に美味しかった。あの仏頂面からは想像もできなかったほどである。

 ……それをうっかり口に出して師匠に殴られた。痛い。本当に思ったことを言っただけだと言ったらさらに殴られた。

 ……今考えてみても、あの一言は余計だったと後悔している。


 そんなことがあったぐらいで、その後はすぐに就寝タイムだった。

 因みに、着替えと寝間着は先生が用意してくれたため、背が伸びてサイズが合わなくなるまで支障はない。

 ……ただ、先生がちょっと独特のセンスで、オレの趣味に合わないのが残念なところである。

 オレは布団に入るとすぐに寝てしまった。

 まぁ考えてみれば当然である。いくらなんでも色んなことが立て続けに起こったのだ、疲れていないわけがない。

 オレはその夜、死んだようにぐっすりと寝た。

 しかし、この時のオレはまだ知らない。次の日から始まる修行の日々が、どれだけキツいのかということを。



 翌朝五時、まだ日も完全に昇りきっていない頃。


「起きろ、光」


 ンガーーンッッ!!と盛大な音が鳴った。

 師匠に今どきフライパンで起こされた。しかも音ではなく物理的に。先程の音は、フライパンでオレの頭が殴られた時の音である。


「痛ったーーぁ!??」


 あまりの痛さにオレは、布団から飛び出て床をのたうち回った。

 すぐにタンコブができて膨れ上がったが、再生が自動的に働きれは治まる。しかし、痛みは退かない。タンコブの原因である血管の出血や脳細胞の死滅などそういった損傷は治るが、痛みという脳への信号は止まらないからであろう。

 恐らくそれが分かっててやったのだ。さすが師匠だ、自身も再生できるからか再生のことをよくわかっている。

 だがいくらなんでもフライパンで殴るなんて如何なものか。


「何すんだよオッサン!! 非道い! 痛い! この鬼め!」

「……師匠と呼べ」


 そう言ったらまたフライパンで殴られた。ついオッサンと言ってしまった。まだ慣れない。

 というか鬼であることを否定しなかった……。自覚あるのかよ……それはそれでタチが悪い。


「着替えて道場に来い。そこまで自分で行け。遅れたらまた殴る」


 師匠はそう言い残し、部屋を出て行った。まだ殴るのか……。隣を見ると、春行はもういなかった。既に着替えも済ませ道場に行ったらしい。

 朝五時に道場にいないとダメなのか……。言われた覚えがないので自主的に、ということだろう。かなり理不尽な気がするが、アレが師匠になるので仕方がない。さっさと着替えを済ませ、オレは道場へと向かった。

 結局、五時集合だったらしく、とっくのとうに遅れていたので殴られた。やはり理不尽だ。

 師匠はオレを殴ったフライパンを懐にしまうと(その懐どうなってんの? 四次元ポケット?)、オレたちに、というか主にオレに向かって説明をし始めた。


「光は初めてのためいちから説明する。先ず、お前たちには、俺が使う剣術、ひずみ流を習得してもらうために体づくりをさせる」

「ひずみりゅう……?」

「ああ、それが俺の使っている剣術の流派だ。まぁ流派と言っても、人を殺すために作られた刀で怪異を斬るために考えられたすべなんざ、この流派ぐらいだろうがな。そこら辺の話は体づくりが終わって剣術など諸々を教えるときに説明する。お前らはそれを一人前に使えるようになるまで、俺が面倒を見る。恐らく、お前らにとっては地獄のような日々になると思うが、俺は一切手加減しない。そういうつもりで死ぬ気で頑張れ」


 師匠はピクリとも笑わずそう言う。冗談ではなさそうだ。オレなんでこんなところ来たんだろ……。泣き言言っても事すでに遅し。やるしかない。

 師匠から渡されたのは、これからの二ヶ月間のスケジュール表だった。内容は腕立て伏せや腹筋、走り込みなど基本的な筋トレに加え、木刀の素振りなど剣術の基本的な練習、屋敷の傍にある小さな山での訓練など、およそ小学校低学年にやらせるとは思えないような内容だった。しかも二ヶ月間。

 これ疲労で何度も死ぬんじゃなかろうか。しかも自炊しなきゃいけない。え、奴隷じゃね? そうげんなりしていたオレを、春行がつつく。


「キツいかもしれないけど、一緒に頑張ろう?」


 そう言って笑う春行。なんだろう、春行の言葉聞いたりとか顔を見てるとポカポカする。まさに春みたいなやつだ。……なんか頑張れる気がしてきた。よし、二ヶ月頑張るぞっ!



 そして、二ヶ月が過ぎた。

 辛いのは最初だけだろうとか思っていたが……トレーニングに慣れていくにつれさらにメニューが追加されるという鬼畜仕様だったので終始辛かった。

 春行……ハルはというと、最初の二週間で慣れてオレよりも速いペースで修行をこなしていった。そのためハルはオレより先に剣術の修行を始めている。

 それでもハルは、オレを見捨てずいつも一緒にいてくれた。本当に、嬉しかった。やはりハルといると暖かい。

 進むスピードは違ったものの、オレとハルは親友と呼べるような間柄になった。


 そして昨日、体づくりの修行を終え、この日ようやくオレも歪流の基礎を学べるようになった。

 それに際して、先日師匠が言っていたように歪流の術理や歴史から教えてくれるらしい。それを聞くため、オレはだだっ広い庭の真ん中で正座していた。

 裾が汚れるだろと思われるかとしれないが、オレにとって、膝が汚れる程度の汚れは気にならない。そんなのを気にしていたら体づくりの修行にあった、けもの道すらない、足元が不安定な山を駆けずり回ることで体幹を鍛える、という修行なんかできない。

 泥で汚れるし虫多いし木の枝で身体中傷だらけになるしという最悪な環境で鍛えたのだ、多少のことは気にならなくなる。

 そんなことを考えている内に、師匠がやってきた。師匠が話し始める。


「お前も今日から歪流剣術を習う立場になったため、歪流のことを一から説明する」

「はいっ!」

「歪流剣術とは、今から千年以上前、江戸時代初期におこった流派だ。開祖の名前は物部 八房やつふさ、お前の祖先だな。血は繋がっていないとは思うが」

「!」


 歪流の開祖がオレの祖先……。実感は湧かないが、オレの祖先は凄い人たちなんだなぁとしみじみと思う。


「その物部八房だが、剣士でもあったが名前の通り霊能者でもあった。しかし、当時の霊能者の戦法は霊力を帯びた刀や弓で攻撃するという手段しかなかったようでな。そんなことで太刀打ちできる怪異ばかりではなかったため死者が相当な数だったらしい。それを変えるために考案されたのが、歪流だ。歪流は霊力を刀に流すだけでなく、その霊力を刀の形のまま飛ばして斬るというのが主な術理だ。それからわかるようにこの術はどちらかと言うと中遠距離に向いている。だが、当時の者からすれば画期的だっただろうな。刀だけでなく刃のある近接武器であれば何でも弓のように遠くのものにまで攻撃を当てることができるからな。まぁもちろん霊力を扱えないと意味はないが、当時は術も何も使えず霊力しか使えない霊能者が多かったためこぞってこの歪流を体得したらしい。このおかげで霊能者の死者数がかなり減ったと言われている」

「そうだったんですね……」


 流派を興すだけでなく霊能者のことまで考えていたとなると、予想以上に凄いことをした人のようだ。

 血が繋がっているかもわからない祖先の話ではあるのだが、自分のことのように嬉しく感じている自分がいる。


「まぁ、そんな歪流も現在体得しているのは俺一人になってしまったがな。そろそろ人数を増やさないと冗談抜きで途絶えそうだが……お前と春行がいれば問題ないだろう。両方ともそうそう死ななそうだからな」

「そ、そんな適当で良いんですか……」

「別に歪流が途絶えようが俺はどうだっていい。指南書も一応あるからな、途絶えても意欲と熱意があるやつなら指南書からでも体得できるだろ」

「は、はぁ」


 唯一歪流を体得している人が言っていい言葉なのかそれは。師匠は大分自分勝手なので仕方ないと言えば仕方ないが。


「ではまず、霊力のことを考えずに技の型を見せる。お前はそれを真似しろ。変なところがあれば俺が適宜指摘して矯正する。上手くいったら次の型へ……とどんどん先に進む形式だ。いいな?」

「はい!」


 オレが返事をすると、師匠は持っていた二振りの刀の一つをオレに投げて渡してきた。オレはそれを危なげなく受け取る。

 そして、師匠はオレから少し離れた所で刀の柄を右手、鞘を左掌で持ち、腰に納めた。

 いわゆる、居合……抜刀術の構えである。


「歪流一刀いっとうじゅつ神剣あめのつるぎ


 師匠は素早く刀を抜き、振り抜く。

 これだけを聞けば普通の抜刀術と変わらないのだが、振り抜く動作が普通と違い、横一閃に払うのではなく上へと振り抜いたのだ。

 切っ先が地面に刺さりそうで刺さらない、そんなスレスレの軌道で振り抜いており、最初から難しそうな技であった。

 師匠は刀を再び鞘に納めると、オレへ顔を向ける。


「この技は、初代当主、開祖が得意としていた技で、この技から歪流が始まったと言われている。開祖の異名が『神剣しんけん』であったのも、この技から来ている。最初に覚えるのに相応しい技だ。お前はまずこれを実践しろ」

「はい!」

「とはいえ、お前らの身長では無理があるため二人には脇差を渡した。その他の技は普通の日本刀を渡すが、この技だけは脇差で練習だ。身長が伸びて無理がないレベルに成長したら日本刀で練習させる。いいな?」

「はい! ……師匠! 質問、いいですか!」


 オレは挙手して質問の許可を求める。少し気になることがあったからだ。


「ん……なんだ」

「さっき師匠は技を出すとき、歪流『一刀術』と言いましたけど、剣術とは違うのですか? もしくは二刀を使う術もあるためにそう付いているんですか?」

「気づいたか。そうだ、お前の言ったように二刀術も存在する。また、剣術と名に付く技は一刀でも二刀でも両方でできる技で、逆に両方でできないと未熟と言われる」

「なるほど……」

「いいから早くしろ。先に進まないだろう」

「は、はい! すみません!」


 気になるととことん質問してしまうのはオレの癖だ。今は挙手して許可を求めることが出来ているが、最初の内は師匠の話している途中で質問して殴られたこともある。

 そんなことよりも、師匠の機嫌を損ねる前に早くやらなくては。

 オレは脇差を腰にあて、構える。


「……、いきます……!」


 そうして、オレは剣を振った。師匠の動きと、寸分違わずに。

 それを見て、師匠は片方の眉をピクリと上げる。


「……上出来だ。次、やるぞ」

「はいっ!」



 そして、全ての技の型を教えてもらった。

 師匠は愕然としていた。

 オレが、一日もかからずものの一時間で、たった一度しか見ていない全ての型を、オレは時間が経っても寸分違わずに動けるようになっていたからだ。

 変な癖も無く、完璧に。


「……お前、能力でも使っているのか?」

「? いえ、使ってませんけど……。あ、でもオレ、一度見れば大体のことはできますよ。オレの特技なんです!」

「……そうか」


能力スキルではなく特技か。たしかにこいつは能力スキルを使ってはいなかった。しかし、ただの特技でここまでは普通できない。『普通』であればだが。こいつは、思ったよりも化け物だな。予想以上だ……)


「なら、あとは技の型をひたすら反復して体に覚えさせろ。いくら完璧にできても、咄嗟とっさに出なくては意味がないからな。……昼休憩までそれを繰り返した後、次は霊力を物に流すことから始める。心してかかれ」

「はい!」


 そしてオレは、想像していたよりも早く、次の修行段階に突入したのだった。

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