錨星 ③


翌、八月十五日。


時計の針は、午後の四時 四十五分 を指していた。


待ち合わせは午後五時、プラネタリウムの受付前。


「ひかりちゃん、もう上がる準備しちゃっていいよ!」


麗央さんから聞いたの〜と、八木さんはニコニコしながら私にそう言った。


「大切な予定なんでしょ? ほらほら、後は私が引き継ぐから!」


八木さんにうながされ、簡単に引き継ぎをして、身支度を整えた。


四時五十五分。


待ち合わせまで、あと五分。



受付前にそれらしき影はまだ見えない。



久しぶりだから、一くん私のこと分かるかな……

心臓をバクバクさせていると、


「ひかりちゃん緊張しすぎ〜」


あはは、と笑いながら、次の上映回の準備をしていた麗央ねえ声をかけてくれた。


「言いたいこと、ちゃんと言うんだよ? いってらっしゃい」


そう言って、背中をポンッと押してくれた。

麗央ねえのおかげで、少し緊張が解れたかも。


その時だった。

 

「ひかりちゃん!」

 

声がした。

 


背を向けていても分かる。

 

少し低くなっていたけど、

でも、変わらない。

 


声のする方へ、振り返る。



 

――ああ、

 


「一くん……!」

 


「久しぶりだね、元気だった?」

「う、うん」

「そっか、よかった。僕も元気だったよ」


メッセージで連絡を取っていたのに、いざ本人を目の前にすると返事をするのがやっとなくらいに緊張していた。

そんな私をよそに〝さ、行こっか〟と私を促す一くん。

麗央ねえに見送られながら、私たちはプラネタリウムをあとにした。

 




文化総合センターを出て、駅に向かう。



隣を歩く一くんの背は、私よりずっと大きくて。

ぶつかりそうになった手は、少し骨張っていて、やっぱり私より大きかった。


私の記憶の中の男の子は、男の人になっていた。


そして、顔には眼帯をしていた。



「……一くん、その眼帯って」

「うん? ああ、これ。ちょっと眩しくって」


〝意外と似合ってるでしょ?〟

なんてキメ顔をして言うものだから、つい笑いながら似合ってるといえば、

〝も〜、本当にそう思ってる?〟

と少し拗ねながらも、笑い返してくれる一くん。

 

――昔に、戻ったみたいだった。

 


駅までの道中は、メッセージでのやり取りの延長線、という感じで。


とても、あの時の話をする雰囲気ではなかった。


話すって決めたのに、切り出せない。


帰るまでには、ちゃんと伝える。


心にそう決めて。


私は一くんの隣を歩いた。




駅に着き、電車に乗る。


「……そう言えば、どこに向かってるの?」

「ん〜、着いてからのお楽しみ」

 

会話が途切れ、無言で電車に揺られる。


目的地に着く頃には、日は大きく傾いていた。


「こっちだよ、足元気を付けてね」


そう言われて登った、長い階段の先。


そこにったのは、屋根付きのベンチが一つあるだけの、小さな展望台。


誰もいない、彼と私の、二人きり。


「間に合った、こっち!」

「え?」


一くんは優しく私の手を取ると、街の方指した。

 

大きな、大きな夕日があった。

 

「東京に引っ越してきてから、こんな大きな夕日見たことない……!」


昔は当たり前だった光景も、東京の街では大きな建物に隠れて、沈んでいく様子は見られなかった。


「ここ、天体観測をする時によく来るんだ。東京の街が一望できてすごく綺麗だからさ、ひかりちゃんにも見てもらいたくて」

 


沈む夕日に染められて。



透き通ったあま色の空は、すっかりあかね色へと変わっていた。



溜め息が出るほど、あまりにも綺麗だった。



「すごい、街に夕日が溶けていくみたい」


 

普段言わないような、ポエミーな台詞が出たのも、きっとそのせい。


「……ごめん、忘れて」

「何で?」

「いや、ちょっと、ポエミーだった……」

「そうかな?」

「そうだよ! この前読んだ小説の一説で、そんな感じの文があった、から」

 

あれ、照れてる? なんて言われて、恥ずかしくなって少し俯くと、


「夕日が溶けていく、か……それ、すごく綺麗な表現だね」


なんて言うから。


本当は、大好きな小説の一説だったから。


それを伝えようと顔を上げると、目が合って、


「僕は、好きだな」


そう言った。



ドクンッと、今までに感じたことないくらいに、心臓が大きく脈打つのを感じた。



は、え?


好き!?


いや、お、つ、お、落ち着け私!

表現、そう、表現が好きなんだ!



恥じらいやら何やらで、顔に熱が集まり、火照ほてる。


でも、それは夕日のせいにして。




東京の街に溶ける、大きな夕日を見た。

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