三章 明けの明星 ①

八月一日。

八月に入ったと言うだけで、より一層暑く感じる気がする。


アルバイトを始めて一週間。

研修も終え、本格的に受付の仕事に入る。


「足引っ張らないように気を付けなきゃ」


私は小さく息を吐いき、頬を叩いて気合いを入れ直した。

 

挨拶を済ませ、仕事の準備をしていると、麗央さんが声をかけてきた。


「ひかりちゃん、今日何時まで?」

「十五時までです、どうかしましたか?」

「えっと、よかったらお喋りでもしたいなって! ほら、休憩時間だけじゃ短いじゃない?」


――じゃ、十五時にロビーでね!


そう言った麗央さんは、いつも通りの明るくて素敵な笑顔だったのに。

一瞬、すごく真剣な顔をしたように見えた。


……何だろう?

 

   


「ごめん、お待たせ!」

「私も今終わって来たところです!」

「立ち話も何だし、近くのカフェ行こっか」

 

冷んやりと涼しいカフェの空調は、ジリジリと暑い外から来た私たちには天国のように感じられた。

麗央さんはアイスコーヒーを、私はミルクティーを頼んで席に着いた。

一口飲めば、口いっぱいに甘さが広がって、自然と笑みが溢れる。


「ひかりちゃん」


そう呼ばれて顔を上げると、真剣な顔をした麗央さんが目に映った。


「ど、どうかしましたか?」


声をかけてみるも、麗央さんは黙ったままで。

何でか、再びミルクティーを口に含むことが出来ないくらい、その場には緊張感があった。

 

息が詰まるような、

居心地のよくない緊張感。



……私は、この空気を知っている。

 


父が、母の死を告げた時。


医者が、彼の両目は見えなくなるかもしれないと告げた時。

 


まるでその時のような空気に、私は息を詰まらせた。

何を言われるんだろう。

緊張で、上手く頭が回らない。

そう思ってた時、麗央さんは静かに口を開いた。


「ひかりちゃんがプラネタリウム苦手な理由って何?」


……え?


「それは暗い所が」

「本当に?」

 

――本当に?

 

そう聞いてきた麗央さんの目は、真っ直ぐ私の目を見つめていた。


本当ですよ。

 

そう言って誤魔化すつもりだったのに。

私の本心なんて見透かされているんじゃないかと思えるくらいで。

何か言わなきゃと思うのに。

言葉が出ない。

目を逸らせない。

時間が止まったかのように思ったその時。


「黙っててごめん、ひかりちゃんを知ってるの」


麗央さんは頭を下げてそう言った。


「ひかりちゃんは憶えてないかもしれないけど、私小さい頃のひかりちゃんを知ってるの。

……よく、一と星を見に行ってたよね」

「はじめって……」

小熊おぐまはじめ

「……」


私は言葉が出なかった。

何で、何でずっと思い出せなかったんだろう。


この人、麗央ねえのことを。

 


一くんのいとこで、年の離れた近所のお姉さん。

私はよく、一くんと一緒に麗央ねえの所に遊びに行っては、星座図鑑や星空の写真集を見せてもらっていた。


今まで思い出せなかったことが嘘のように、当時の記憶が蘇る。


「……れ、麗央ねえ……」

「憶えていてくれたんだね。久しぶり、ひかりちゃん」

 

せっかくの再開なのに。

私は……喜べなかった。


怖い。


私、

私のせいで一くんは〝両目〟の視力を失ったのに。

大好きだった星を見られなくなったのに。


四年前の事故のこと、麗央ねえは知ってるのかな?


いや、知らない訳ない。

だって、いとこだもの。

連絡は絶対してる。


じゃあ今日呼び出されたのは何のため?




……そんなの、決まってる。

 


「ごめんなさい」

「え?」

「本当に、本当に思い出せなかったんです。」

「あ、うん、私のことは…」

「一くんのこと、本当にごめんなさい。全部、全部私のせいなんです」



怒られるのが怖い。

責められるのが怖い。

嫌われるのが怖い。



〝お前のせいだ〟と、指を指されるのが、怖い。


「ひかりちゃん」


なら、せめて。

せめて、前に……



「一くんの〝両目〟を、視力を奪ったのは、私です」



私の罪を、自ら告白しよう。



「私があの時」

「ひかりちゃん!」


店内に響き渡りそうな程の声で名前を呼ばれ、ハッと顔を上げると、テーブルに身を乗り出した麗央ねえの顔が、文字通り目の前にあった。


「わっ!」

「ひかりちゃん、今〝両目〟って言った?」

「……え、はい」


そう言うと、麗央ねえは何でか大きな溜め息を吐きながら、再びイスに腰を下ろした。

そして、なるほどと一人で何か納得していた。


「あの、麗央ねえ…」

「ひかりちゃんはさ、自分のこと責め過ぎ」

「でも」

「まず、一の視力だけど、左目はほぼ回復してるよ。」

 

――え?

 

「でも両目危ういって!」

「一時はね。でも、結果回復した! 普通に生活できてるし、大好きな星空だって普通に見られてるよ」

  

……うそ、


「そして! 誰もひかりちゃんのせいだなんて思ってない」

「でも」

「他でもない、一がそう言ってるの」


「――ッ!」


一くんが、私のことを……


「やっぱりひかりちゃんは自分のこと責め過ぎだよ」

「…………」

「……でもさ、そんなに責めるのには、何か理由があると思うんだよね」

「…………」

「教えて、ひかりちゃん。何を抱えてるの?」


私が抱えているもの。

今まで父以外の誰にも話せなかった、


ううん、父……お父さんにだって、全ては話せなかった。


心配させたくなかったのもあるけど。

一番は、もう思い出したくなかったから。

思い出す度に、自分さえ気を付けていれば、


 〝星を見に行きたい〟


なんて、わがままを言わなければ。


そう思えて仕方がなかった。



苦しくて、辛かった。


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