コロナ禍にバーンアウトした小児科医のエッセイ

@tokyonishiakitani

第1話

ここに40代後半の小児科医の男性医師がいる。彼は高血圧でインスリン依存型糖尿病、さらに脂質代謝異常症の既往歴があった。これが今回のことと関係しているかは不明だ。彼から話を聞くと、1年前から不安を覚えることがあり、最近は不安を覚えることが増えてきたそうだ。そんな彼がどんな状況に置かれているかというと、勤めて20年になる病院で小児科医として働いている。現在、小児科常勤医は4名(うち2人は定年のため嘱託医)。外来、入院に関しては彼が一人で担当をしていた。それでも、ずっと働き続けているのだから、何かが特異なことが起きなければ問題はないはずだった。

しかし特異なことは、前触れもなく訪れる。それがコロナ禍だ。これによってもともと病院の売り上げが下がってきていたところに、拍車をかけて悪化の一途をたどる。そのせいで、病院の経営方針として、院長および事務長から人件費削減と収益増加を厳命されていた。院長および事務長の考えと会わない医師や看護婦は続々と自主退職という名の解雇が行われるが、新しい医師や看護師は同じ人数を補充しないため、病床数に対しての医療従事者の数は少なく、内科医、外科医の負担が大きくなっていく。その過程で、パワハラが日常化し始め、院内は常にギスギスした空気が流れるようになってしまった。だがそれでも、院長および事務長は、それを異常事態だと思わず、売り上げを伸ばすことだけを考え続けた。


そんな中で、小児科医は、他の科とは特殊なところもあり、内科医、外科医が人手不足になっていても手伝うことはできない。なぜなら小児科医は子どもの診察はできるものの、大人の診察は経験不足のため対応ができないからだ。そのため、早番遅番勤務は免除されている。主な仕事は、勤務時間内における外来診療業務だ。上から人件費削減と言われていたが、子どもの診察はやはり小児科医しか対応ができないので、子どもの患者のために手厚い医療を提供しようと考えると、早めに出勤したり、遅めに退勤したりということをする必要が出てくる。彼も患者のためにと思い、そういったことをしていたが、院長および事務長の考えとはあっていない。院長および事務長からすると、医師が時間外勤務をするということは、人件費がかさむことになるからだ。子どもの診療が1人増えたところで、病院としての収益には繋がっていないという問題がある。

さらに悪いことは続く。小児科医で勤務していた1人の医師が産休に入った。そうなると、彼氏か常勤できない状態になるため、嘱託管理医師の独断で59歳女性の小児科医1名増員したのだ。医師は60歳で定年になるのにもかかわらずである。だが、1名増員した後、近隣に小児科クリニックが開業し、患者数が激減。他の科に比べて収益の低い診療科として見られるようになり、特に過重労働をしている医師からも目の敵にされるようになった。そんな中で院長および事務長は、どの科に対しても人件費は50%になるように通達したが、小児科で稼働できるのが彼しかいない状況では人件費を80%までにしか抑えることができなかった。その上、他の科が忙しくしている中で、勤務時間中に小児科嘱託管理医師と新規入職小児科医が人目をはばからず医局で雑談している姿も見られ、小児科はより一層院内で孤立していったのである。


雑談については彼も知っており、「このままでいいのか?」と、周りとの温度差に不安が常に付きまとうようになった。だが、何をするのにも億劫になっていたため、どうしたらいいのかがわからないのだ。それでも、子どもたちのためにと、気持ちを奮い立たせ事務長に何度も相談へ行く。自分が頑張れば、何とかこの事態を乗り越えられると思ったのだろう。だが、彼が頑張れば頑張るほど小児科全体の責務を押し付けられるだけで、小児科嘱託管理医師と新規入職小児科医はさぼるし、他の科からは目の敵にされることが増えていった。自分はいったいなんのために頑張っているのかという疑問がわき、院内で笑うこともなく、ため息ばかりが出る毎日を過ごすことになった。そして彼は、「真面目な人間だけが、辛い思いやストレスを感じる人生なんてみじめだ」と感じるようになり、この場所を離れる考えに至ったのだった。


実は彼自身は気づいていなかったが、彼はバーンアウト(または燃え尽き症候群)になっていた。バーンアウトには3の因子「情緒的消耗感」「脱人格化」「個人的達成感の低下」で構成されている。これらは並列に生じるものではなく、「情緒的消耗感」の段階から「脱人格化」に至るには、「職業人・人間としての倫理観」という大きな防波堤がある。そのため、「情緒的消耗感」が出始めた時に早急に、周りが気づけば深刻化せずに済むということだ。だが彼の場合、院内には味方がおらず、その仕事にも特殊性があったために発見が遅れてしまった。

特殊性というのは、彼が「子ども」を相手に診ていることだ。子どもは大人に比べると、論理的な話をしても難しくなるため、子どもに合わせた言葉を使い、子どもに理解してもらうことが必要になる。だがそれでも、大人である医師は子どもの心理を完全に理解することは難しく、完全な対応ができないもどかしさや統制無力感を覚えやすいというのが、もとからある点だ。


また病院経営がどこも厳しい状況にある中、元から利益性の低い小児科は少子化の影響もあって目を付けられやすい科でもある。小児科医として、地域の子どもの健康や発達に関わる業務、病院内における子供の診療やマネジメントを行っていたとしても、それは利益には反映されないため、そもそもとして小児科医を選ぶ医学生も少ない。彼はそれを理解して小児科医を選んだものの、職場で気軽に「助けて」と言える相手がいなかったのも問題だった。

彼と同じ小児科医の医師は他にもいたが、勤務中であるにもかかわらず雑談をしたり、仕事もせずに定時で帰る医師しかいなかったため、自分の気持ちを理解してもらえないと彼は思ったのだろう。そうしているうちに孤立感が強くなり、バーンアウトしてしまったのだ。


彼のように医師、特に小児科医は今の時代バーンアウトしやすいと言ってもいい。なぜなら小児科医は、何度も述べているように病院経営が厳しい現状では不採算を理由に孤立しやすいからだ。小児科医自身も孤立しないように意識を向けることが必要であるし、心細い、不安だと思った時に相談できる相手を見つけておく必要がある。それは、同じ小児科医同士でもいいし、他の医師でもいいし、医師以外の存在でもいい。そして病院の経営側も、小児科医の特性を知って、どうすれば孤立せずにすむのかを考えてほしいと思う。

今の時代、精神的にギリギリの状態で頑張っている人も多いとは思うが、小児科医は特にバーンアウトになる可能性を秘めていることを知っていただきたい。

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