生意気な女の子

増田朋美

生意気な女の子

雨が降った後というのは、不思議なことに文字通り季節が変わるものである。ひと雨くれば、春が来る、夏が来る、秋が来る、そして冬もやってくるのだ。そんな中でも着物という衣服ほど、季節に対して、敏感な衣服は無いかもしれなかった。着物を着ていると、春夏秋冬に渡って、同じ形のものを着続けるのであるが、、、。

その日製鉄所に浜島咲が、一人の若い女性を連れてやってきた。名前を梅木加奈子といった。

「ねえ、杉ちゃん。彼女の着物の着方で間違っているところを、ちょっと教えてやって頂戴。今日、彼女がこの格好でお稽古に来たら、苑子さんが、そんな格好でお稽古に来ないでと、怒ったから。何を叱ったのか私も、彼女も正直わからないわ。だから、杉ちゃんに間違っているところがあるかどうか、見てもらいに来ました。」

と言って、咲は梅木さんを四畳半へ入らせて、自分の隣に座らせた。その間に杉ちゃんと水穂さんは、彼女の着物を観察した。確かに、紺色の地色に、小さな梅の花を、ぼかしで染めたウール着物を着て、オレンジ色のヘチマ襟の無地のベルベットコートを着ている。

「そのベルベットのコートは、だれにもらったのですか?」

水穂さんがそうきくと、

「おばあちゃんに借りました。いくらウール着物は冬用だから暖かいといわれましても、私には寒かったので。」

と、梅木さんは答えた。

「はあ、なるほどね。そのベルベットのコートは、おばあちゃんのもので、お前さんくらいの年齢の女性が着るもんじゃないんだ。着物用のコートというのはだな。襟の形で対象年齢を示すようにできている。それを間違えたから、お前さんは苑子さんに叱られたんだよ。」

杉ちゃんが、答えを出した。

「そうですね、着物用コートは、仕立てで対象年齢が決まってしまうので、羽織よりも選ぶのが難しいと、聞きました。それに言及している書物も少ないですし、一度や二度は、間違えても仕方ありませんよ。あまり落ち込まずに新しいベルベットのコートを買って、着物を楽しんでください。」

水穂さんが彼女を応援するように言った。

「ちなみに杉ちゃん、20代の若い女性がベルベットコートを着る場合、どんなデザインのコートを選んだらいいの?」

咲がそうきくと、

「えーとねえ。道行衿という四角い額縁のような襟だったり、都えりという、その角を丸くした襟だったり、学生服のような、スタンドカラーというものもあるよ。だめなのは、着物のような形をした、千代田襟、ヘチマ襟、着物衿。こういうものはお年寄り向き。」

杉ちゃんはすぐ答えた。そうやってすぐ、答えられるのはさすが杉ちゃんだ。

「教えてくれてありがとう。おばあちゃんにこれから頼らなくてもいいように、通販かなにかですぐに探しましょうか。」

咲はそう言って、タブレットパソコンを出した。杉ちゃんもベルベットコートは人気があるから、早く買うといいよなんてアドバイスしていたのだが、

「でも、このコート、色とか、すごく気に入っているんですが。」

と、梅木さんが言った。

「まあそうなんだけどね。着物の格は守らなくちゃいけないし、対象年齢も守らなくちゃ行けない。お前さんまだ二十代だろ。おばあちゃんのヘチマ襟のコートは、八十歳を過ぎたおばあさんが着るもので、二十代のお前さんが着るのはルール違反。」

杉ちゃんは彼女の言うことにすぐ首を突っ込む。

「でも、あたし、これが好きなので。」

という彼女。

「そうなんだけどねえ、好き嫌いの問題じゃないんだ。着物の格というのは、好き嫌い関係なく守ってもらわなきゃいかん。洋服だって、いつでもどこでもジャージで居られるわけが無いよな。それに、同じジャージを、何歳の人でも着れるかというと、そうは限らないだろう。着物もそれと同じ。それに、着物コートは、外へ出て着るものだから、対象年齢から外れちまっていることが、外の奴らに知られちまったら、大笑いされて赤っ恥をかく。だから、対象年齢は守らないとね。」

「ほら、和裁屋さんがそう言ってるんだから、もうそのヘチマ襟のコートはやめて、他のものにしましょうよ。」

杉ちゃんも咲も二人で彼女を説得したが、

「でも、着物って、お高いんでしょう。何十万もするって、聞いたことありますし。」

と、彼女は言った。

「いや、それは大丈夫だ。今はリサイクル着物があるから、それで、コートや着物は1000円で買える時代だよ。」

「でも、千円じゃ。」

そういう彼女に、

「なにかおばあさまに借りたとき、トラブルがあったんですか?無理やり借りてしまったのですか?」

と水穂さんが優しく彼女に聞いた。

「実はそうなんです。お琴教室の先生に着物で来るようにといわれたのが、あまりにも急だったので、とりあえず、母が持っていたウールの着物を着たんですけど、コートがなかったので、おばあちゃんに電話して、借りてしまったんです。其時、おじいちゃんがものすごく怒って。着物は、簡単に着られるもんじゃないって。」

「ほんなら、リサイクルで一式買っちゃってさ。おじいちゃんに、もう安く買えるんだって、証明して見せればいいじゃないか。その手伝いなら、僕達もしてあげられるよ。なんの着物になんの帯とか、そういうスタイリングなら、僕は得意だよ。」

彼女がそう答えると、杉ちゃんが言った。

「そうねえ、いっそのこと、杉ちゃんたちに任せちゃったらどう?杉ちゃんこう見えても、かなりの目利きよ。着物の種類だって、すぐに分かってくれるし、一緒に手伝ってもらったほうがいいわ。」

咲も彼女を応援した。できることなら、彼女にも着物を着てもらいたかった。

「確かに、着物は着られるようになるまで手間がかかりますし、通販で入手できたとしても、なかなか理想の着物には出会えません。それは着物というものがそういうものであると理解しなきゃいけませんよね。柄は可愛いけど素材が悪かったとか。そういうことは非常によくあることなので。」

水穂さんが不安そうにしている梅木さんを見ながらそう言った。

「まあそれもあるけどさ。とにかく、百聞は一見にしかず。今から着物屋へ言ってみようぜ。カールさんの店なら、1000円で大丈夫。一式揃えても一万円で揃うよ。じゃあ、支度して、みんなで行ってみるか。」

杉ちゃんにいわれて、咲もそして戸惑った顔をしている梅木さんも、出かける支度を始めた。咲が呼び出したタクシーで、カールさんの店、つまり増田呉服店に行った。水穂さんは製鉄所に残った。

店に行くと、店の看板には、呉服店と書いてあるので、梅木さんはちょっと入るのに躊躇したが、杉ちゃんが強引に入り口のドアを開けてしまった。ドアにくっつけてある、コシチャイムがカランコロンとなった。

「はい、いらっしゃいませ。」

カールさんが応答した。みんなからカールおじさんという、どこかのスナック菓子のキャラクターと同じあだ名で呼ばれているカールさんは、外国人らしく、ちょっと発音が不明瞭なところもあった。

「カールおじさんさ、こいつがね、着物を一枚欲しがっているので、似合いそうなやつを一枚出してやってくれよ。」

杉ちゃんは梅木さんを顎で示した。

「わかりました。まずあなたのお名前はなんですか?」

カールさんは、そう聞いた。外国人らしく無駄な長ったらしい挨拶はしなかった。「はい、梅木と申します。梅木加奈子です。」

と、彼女は答えた。

「わかりました。梅木さんですね。それでは梅木さん、今日のほしい着物はなんですか?礼装ですか?それともカジュアル着物ですか?」

「はい。お琴教室に着用する着物がほしいんです。」

カールさんの問いかけに、梅木さんは答えた。

「それではお稽古に着るとなると、先生への敬意が必要になりますから、古典的な吉祥文様の多い、控えめな小紋の着物などが良いでしょうかね。あるいは、社中によっては、色無地や江戸小紋などの着用が義務付けられる場合があります。最も最近はあまり例がなく、小紋が多かったと思いますが。」

「ご、ごめんなさい。色無地も、小紋も江戸小紋もどういうものなのか、わからなくて。」

梅木さんが申し訳無さそうに言った。

「小紋というのはね。同じ柄を何回も繰り返して染めた着物のことだよ。色無地というのはね、柄を入れないで、同じ一色で全体を染めてある着物のこと。」

杉ちゃんがすぐに説明する。

「わかりました。柄がまったくないというのはつまらないので、小紋でお願いします。」

「わかりました。お教室ということで、先生への敬意を示す事が必要でしょう。そうなると、亀甲や唐草文様などが年長者に対する敬意の文様になります。あるいは、松竹梅のような縁起のいい柄を使ってもいいのではないかと。」

カールさんは売り台からいくつか小紋を出して、梅木さんに見せた。

「この着物はだめでしょうか。ちょっと私には派手すぎかな。」

と、梅木さんは、売り台から一枚の小紋を取り出した。ベージュの地色に、赤で松竹梅が染められている小紋である。

「いいですよ。若い女性であれば、このくらいの柄を御召になっても全く問題ありません。」

カールさんは、それを梅木さんに渡した。

「わあ、きれい!」

梅木さんは大いに驚いているようだ。

「はい。これは京友禅になります。友禅に対し、お教室では制限はありますか?」

カールさんが聞くと、梅木さんはありませんと答えた。

「お値段はいくら位しますか?」

梅木さんはそうきくと、

「はい。どうせ売れる見込みがないので、1000円で結構です。」

カールさんはすぐに答えた。梅木さんは、カールさんに1000円を渡した。

「帯などもご入用ですか?」

「はい、お願いします。」

と、梅木さんは即答する。カールさんは売り台から、お太鼓の形になっている作り帯を何本か出した。

「小さな柄が多くはいっている小紋には、大きな柄の帯を締めるとメリハリが着きます。これは、着物をうまく着こなすための、コツと言えますな。」

梅木さんは、その中で一番派手な金色の帯をほしいといった。

「わかりました。こちらの帯は800円で結構ですよ。」

カールさんにいわれて、梅木さんはそのとおりに800円を支払った。

「あとカールさん、着物コートで道行衿のやつを一つ出してくれ。彼女はそれを持っていないんで。」

杉ちゃんにいわれてカールさんは道行コートを出した。梅木さんは、その中で赤い色のベルベットの道行コートを選んだ。これも1000円でいいという。結局、着物と帯とコートを購入して、全額でも2800円。3000円でお釣りが来る額であった。

「ウン、随分派手になった。これでやっと20代の若者の格好になったというものだ。良かったねえ。」

杉ちゃんは、カールさんから領収書を受け取っている、梅木さんに言った。梅木さんも先程の萎縮したところはどこへやら、とても明るい顔になっていた。咲も杉ちゃんも良かったと思った。

「じゃあ、お品物はこちらですね。これからもまた着物がご入用になりましたらいつでも来てください。また着物が1000円で買えますから。」

カールさんは、着物のはいった紙袋を梅木さんに渡しながら、そういう事を言った。

「ありがとうございます。こんなに素敵なものを私が身につけられるなんて信じられないです。嬉しいです。」

梅木さんは嬉しそうな顔をして、カールさんたちに深々と頭を下げる。それを見た杉ちゃんが、

「いいってことよ、ただ僕達は、着物についてアドバイスさせてもらっただけだから。」

とカラカラと笑った。

その日は、咲に連れられて梅木さんは、自分の家に帰った。

「本当に良かったわね、梅木さん。」

と、咲が言うと、

「ええ。私もびっくりです、まさか1000円で着物が買えるとは思いませんでした。それに店主さんもすごく優しそうで。私、ああいう店であれば、気軽に入れそうです。」

と、梅木さんは、にこやかに笑って、そういうのだった。そう笑う彼女を見て、咲は、梅木さんがお琴教室にやってきたことを思い出す。確かはいったばかりのときはやたらおどおどしていて、咲も彼女は大丈夫か心配になってしまうほど萎縮していた。それを苑子さんは、容赦なく着物を着て来るように、と言ったのであるが、それが彼女にとって良かったのかもしれない。梅木さんは、着物を選んだことによって、本来の明るさが戻ってくれたような気がする。

「まあ、また着物が必要になったら、いつでも私に言って。夏の着物だって用意しなければならないこともあるでしょうし、其時はまたカールさんに相談に乗ってもらって決めるから。」

咲はそう言うと、梅木さんはにこやかに笑ってはいと言った。そうして歩いているうちに、梅木さんの住んでいる一戸建ての家についた。

「じゃあ。ありがとうございました。浜島さん、今日は嬉しかったです。」

梅木さんは、にこやかに笑って、玄関のドアをガチャリと開けた。すると、お年をめした男性の声で、

「どこにいっていたんだ!」

という声がする。咲は何が起きたのかと思ってその場に残った。

「おじいちゃん、もういいじゃありませんか。加奈子は、やっと通える場所を見つけたんです。それは邪魔しないで見守っていこうってあたしたちは、決めたでしょう。」

そう優しそうに言っているのは、多分梅木さんのお母さんだろう。

「何を言っている!こんな高価なものを勝手に買ってきて、俺達の家を破産させるつもりなのか!」

そう怒鳴っているので、多分、リサイクルきものというものをわかっていないというか、わかろうとしないのだと咲は思った。まあ、お年寄りの中には、あまりに安いので信じられないという人も居るが、ちょっとこのおじいさんはやりすぎだと思った。咲は、自分の立場を忘れて、ガチャンと梅木家の玄関を開けてしまった。玄関の土間には梅木さんがうずくまって泣いている姿が見える。

「せっかく、梅木さんが、前向きになってくれたのに、こんなことで彼女を傷つけないでください。私達は、着物をバカにしているわけではありません。好きだから、着てくれる人が増えてほしいから、着物を1000円で売買してるんです。今の時代そうしなきゃ着物には寄り付かないでしょう。もし、高額なものを買ってくるなと言いたいんだったら、着物を日常生活から遠ざけたのはどこのだれなんですか!」

咲は、玄関先に居るお年寄りにできるだけ聞こえるように言った。

「おじいちゃん、もういいじゃありませんか。あたしたちは、加奈子が外へ出てくれるようになって、大喜びしていたんですよ。それをぬか喜びで終わらせるなんて、ちょっと私も嫌ですね。」

梅木さんのお母さんと思われる女性が、一生懸命年寄を慰めているが、もっと咲はそういう言い方ではなく、がんと言ってほしかった。目には目をではないけれど、お年寄りが怒鳴るのであれば、それと同じくらいの言い方で若い人も怒鳴ってほしいと思うときがある。

「それでいいじゃありませんか。もう時代はかわりました。古いものはリサイクルで安く入手できる時代です。だから、それを楽しんでもいいと私達は考えています!」

咲が思わずそう言うと、お年寄りは、そうだなと吐き捨てるように言って、部屋に戻っていってしまった。梅木さんに謝罪くらいしてほしいと思ったが、そういうことはできないだろうなと思った。

「気にしないでいいのよ。あなたが着物を楽しめる権利を奪うのは立派な犯罪なのよ。」

と咲は彼女を励ました。まだ泣いている梅木さんは、小さな声で、はい、ありがとうございますといった。いずれは、おじいさんだってわかる日が来るだろう。それは、いつになるかわからないけど。

一方杉ちゃんは、布団の上に座っている水穂さんと、今日の事を話していた。

「まあ良かったね。梅木さんは、明るい着物を選んでくれて、本当に良かった。黒とか、そういうものを選んだら、きっと萎縮した気持ちから自分を開放することはできなかったんじゃないのかな。」

水穂さんは、梅木さんのことを思い出しながら、杉ちゃんに言った。

「確かに彼女はすごく萎縮していたし、家族構成も他の人と違うから、なんか可哀想だなと思ってたよ。まあ、引きこもりになってしまったのも、そこが理由でもあるんだろうね。まあでも、そこから脱出するのは、本人のちからでないとできないし、何よりも本人が嬉しいとか、楽しいとか、感じなければ、どうにもならないからね。」

杉ちゃんは、にこやかに笑っていった。

「まあきっと、萎縮した女の子から、きっとちょっと生意気な事をいう女の子になっていくと思うけど、まあでもそれは、彼女が引きこもりから立ち直る過程でそうなるわけだから、それは仕方ないよ。」

水穂さんが、杉ちゃんにいうと、

「いや、むしろ光栄。生意気な事言ってくれないと、彼女はいつまでも自分と言うものが持てない、根無し草のような女性になっちまう。それだけはどうしても避けたいから。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ええ、たしかにそうなってもらいたいものだね。ここの利用者さんたち、みんなそうなってほしいな。」

水穂さんがそう言うと、

「じゃあ、水穂さんも、そういう援助をするためには、体力をつけなきゃだめだよな。そのためには食べ物をとって、栄養をつけることが必要だ。それとこれとは話が別なんて言わせないよ。人間は、皆どこかで繋がってるんだからね。じゃあ、栄養をつけるために、カレーを食べて。」

杉ちゃんは、近くに置いてあった、カレーのうつわをとって、水穂さんに渡した。水穂さんは、そういわれると食べなければ行けないと思ったのだろうか。

「杉ちゃんは、そういう知恵が働くね。」

と言いながら、カレーライスを口にしてくれた。杉ちゃんも、やっと水穂さんが食事をしてくれたとホッと胸をなでおろすのであった。

外は、寒い冬だった。でも、こういうふうに人間たちは、あたたかさを作りながら行きているのだった。










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