現代ファンタジー
千年の舞
STEP 01 一緒に踊ってくれませんか
貴方の踊る姿に、瞳も心も奪われてしまった。
優雅で格好良くて‥‥ダメだ。上手く言葉にできない。
言い表せないほどに踊る貴方が素敵で、幸せな気持ちになってしまう。
時々、夢を見ます。貴方と一緒に踊る夢を。その度にドキドキです。
もし良かったら、今度、私と一緒に踊ってくれませんか。
◆◇◆
軽快なメロディが鳴り響く。目覚まし時計代わりとなっている携帯電話のアラーム音だ。
カーテンの隙間から朝陽が差し込み、部屋を照らしている。
ちとせは、ベッド頭上の台に置いてある携帯電話へ手を伸ばしてアラーム音を止めると、まだ眠い目をこすりながら渋々と上半身を起こした。
【ちとせ】
「‥‥また、この‥夢か‥‥」
伝えられないままでいる想いを、また夢の中で言ってしまえることに、軽い自己嫌悪に陥った。
そして、「Zzz‥‥」と再び眠りにつこうとしたが、
【母】
「ちとせー! 早く起きなさい! バスに乗り遅れちゃうでしょう!」
母の愛ある言葉にどやしつけられて、ちとせはつつがなく起床できたのであった。
ちとせはパジャマをパッと脱ぎ捨てると、前の晩から用意しておいた下着や制服を着衣する。
ぼさぼさとなっている髪を簡単に手で解いて整え、机の上に置いてあった鞄を手に取り、準備は万端。
ものの数分で部屋から出た‥‥が、
【ちとせ】
「おっとと、携帯、携帯」
ポツンと残されていた携帯電話を取りに戻って来た。
改めて部屋を見渡して、他に忘れ物がないかを確認するが、今度こそは大丈夫。
ちとせは納得して部屋を出たのであった。
【ちとせ】
「ふわー‥‥お母さん、おはよう」
ダイニングキッチンで朝食の準備をしている母に挨拶をして、ちとせは自分の席に座り、テーブルに置かれていた焼きトーストを食べ始めた。
【母】
「はいはい、おはよう。二年生になったんだから、もう少し早く起きられないのかしらね。この子ったら」
【ちとせ】
「寝る子は育つって言うでしょう」
【母】
「寝る子はね‥‥。じーーー」
【ちとせ】
「‥‥お母さん、ドコを見てるのよ?」
【母】
「ん? 我が子の成長を確かめていたのよ。ちとせ、飲み物は牛乳で良い?」
【ちとせ】
「なんか悪意が感じるんだけど‥‥。もう、それで良いよ。あっ、人肌程度のホットミルクにしてね」
【母】
「はいはい、注文が多いお子様だとこと」
朝食を食べながら、テレビを見ると朝のニュースでダンスについて語っている。
【女アナウンサー】
『今週のダンスは、日本舞踊について取り上げていきたいと思います』
【男アナウンサー】
『日本舞踊ですか。海外などのダンスも良いですが、日本伝統のダンス‥‥舞踊も良いですよね。それで、どこの流派の‥‥』
ちとせはつまらなそうな表情を浮かべ、テレビリモコンを手に取るとチャンネルを変えた。
【テレビ】
『今週のラッキーダンスは‥‥』
――ピッ
『あの有名ダンサーT・Iが結婚‥‥』
――ピッ
『Wow♪ Wow♪ ハードラックと踊ろう~♪』
――ピッ
どの番組もダンス関連だったので、ちとせは小さなため息を吐いて、テレビの電源をオフしたのであった。
意気地のない夢を見て憂鬱になっているのに、さらに気分は沈んでしまう。
【母】
「なに、ぬぼーっとしているのよ。はい、牛乳。それに早く食べないと、バスに乗り遅れるわよ」
【ちとせ】
「え? あっ! もうこんな時間なの! そろそろ出ないというか、準備をしないと‥パクっモグモグ‥ゴク‥熱っ!」
せっかく入れてくれたホットミルクを全部は飲まずに食事を終えると、ちとせは席を立ち、洗面台へと向かった。
鏡の前で本格的に身だしなみを整えると、鞄を持って玄関へ向かった。
【母】
「あ、ちとせ。ちょい待ち、お弁当!」
弁当をちとせに投げ渡したが、
【ちとせ】
「わわわわっとととっ!」
取りこぼしてしまい、弁当は無情にも重力に従い床に落ちてしまった。
中身はこぼれて無いけど、せっかくのレイアウトは崩れてしまっているだろう。しかし、今は懸念すべき点では無い。バスの停留時間が迫っているのが重大だ。
ちとせはすぐに弁当を拾い上げる。
【母】
「‥‥相変わらず、どんくさいわね」
【ちとせ】
「もう、お母さん。ちゃんと手で渡してよ。それじゃ行ってくるからね!」
【母】
「はいはい行ってらっしゃい、気を付けてね」
愛娘を送り出すと、母にとって、ようやく朝の安らぎが訪れたのであった。
【母】
「だけど、ちとせは誰に似たのかしらね。私が若い頃はそれなりに運動は出来ていたし、アムラーとしても鳴らしたものだけどね」
◆◇◆
バス停に辿り着くと同時にバスもやってきて、すぐに車内へ乗り込んだ。
車内は通学・通勤のお客でごった返し、ちとせと同じ制服を着た人たちもちらほら居る。
学び舎に着くまで、ちとせは釣り革を掴み、揺れと混雑で悪い乗り心地を我慢するのであった。
バスの広告は、どれもダンス学校の案内やダンスの関連本ばかり。乗客は暇潰しにと、携帯電話でダンス動画を見ていたり、ダンス講座本を読んでいたりする。
窓から外の景色を見ると、看板には有名ダンサーの公演をデカデカと宣伝したり、公園の広場では小さな子や老人たちがダンスを披露していた。
この時代、ダンスは國技と称されるほどに浸透し、老若男女は踊れるのが当然の世の中になっていた。
きっかけは数十年前にダンスが学校の必須科目となったことによる。
踊れる人が増えていき、大きな大会なども次々と開催されて、著名なダンサーが誕生するようになった。
ダンスの裾野が広がり、一過性のブームで終わらず、ポップダンスや社交ダンスのみならず日本舞踊などと、全てのダンスの地位が向上して社会に根付いた。
だが、これまでの各時代で野球や相撲が國技とされたり、サッカーやバスケ、テニスがブームになったが、それらスポーツが苦手だった人もいただろう。
藤間千歳(ふじまちとせ)も、そうである。
このダンス時代にも関わらず、ダンスが下手で苦手なのだ。
運動神経の問題なのか、絶滅的に才能がなく、ちとせが踊る姿をダンスと形容して良いのか、大いなる疑問符が付いてしまう。
そんなちとせが通う学園‥‥櫻乃華学園は、文武両道に秀でている名門で、特にダンス授業に力を入れている学園だった。
この学園に入学出来たのは、ダンスが下手でも、ダンスに対しての向上心と情熱を評価されてのこと。
また学園としても、踊れない生徒を育成し、ダンスの門戸を広げてあげる役目もあり担っているからである。
そして櫻乃華学園へ入学を決めたのは、“憧れの彼”と一緒に踊りたいという夢があったからだ。
しかし、入学前に熱く燃えていた情熱は、下火になっていた。
特別カリキュラムでダンス授業に励んでいるのだが、一向に上達する気配は無く、教師たちも本心では匙を投げたい状態である。
夢に近づいたはずなのに、大気圏を越えて宇宙まで遠ざかってしまったようだった。
ちとせは重い足取りで櫻乃華学園の校門をくぐる。まだ桜の花が僅かに残っている桜並木道を歩きながら運動場を見る。
そこでは各ダンス部が朝練をしていたり、部活に所属していない生徒も自主的に集まって創作ダンスを踊っていた。
華麗に踊る生徒たちの姿が眩しく見え、対照的にちとせは暗くなり、自分の影と同化しそうであった。
【ちとせ】
「この学園に通えば、あんな風に踊れるようになれると思っていたのにな‥‥」
【聖一】
「よう!」
突然、ちとせの頭をポンっと軽く叩かれた。
【ちとせ】
「きゃわっ!」
振り返ると、ブレザーの袖をまくり、シャツはズボンからだらしくなく出ている。名門校としてはあるまじき乱れた服装をしている男子が笑顔を向けていた。
【ちとせ】
「‥‥なんだ、聖一か」
声をかけてきたのは、同級生の西川聖一。ちとせの幼馴染だ。
【聖一】
「どうした、朝から元気が無いな?」
【ちとせ】
「どうして私、この学園に入学したんだろうなって‥‥」
【聖一】
「どうしてって? 踊れるようになる為だろう」
【ちとせ】
「そうなんだけどさ‥‥」
【聖一】
「ああ。ちとせはダンスの才能がまったく無いからな。確か、小学校の運動会のフォークダンスですら、ぐちゃぐちゃになったよな」
【ちとせ】
「わーわー! そんな昔のことを言わなくても良いでしょう!」
【聖一】
「でも、流石に今ならフォークダンスぐらいは踊れるようになったんだろう?」
【ちとせ】
「‥‥‥‥」
【聖一】
「マジか?」
【ちとせ】
「だ、だって。音楽を聴いたり、タイミングを合わせて足を動かしたり、回転したりしなきゃいけないとか考え過ぎちゃって‥‥」
【聖一】
「可愛そうなくらい才能が無い奴だな。それなのに、よく進級できたよな‥‥。他の学校だったら一年の途中で退学ものだぞ。懐が深い学園で良かったな」
【ちとせ】
「もうもう! うるさい、うるさい! そういう聖一はどうなのよ?」
【聖一】
「オレか? まあ、赤点を取らない程度に適当にやってるよ」
【ちとせ】
「赤点を取らない程度って‥‥。中学の時にダンスの全国大会で三位になれたのだから、もっと真剣にやれば良いのに」
【聖一】
「オレの場合は才能の限界を知ったんだよ。これ以上、どんなに努力をしても、あの一位になった奴には適わないと打ちのめされたんだ。ダンスは趣味程度で良いんだよ」
【ちとせ】
「でも、私はまた見たいな。聖一が本気で踊っているところを」
【聖一】
「‥‥そうだな。気が向いた時にでも考えてやるよ」
聖一は少しだけ眉をしかめて、ちとせの頭をポンっと軽く叩いたのだった。
話している間に靴箱に辿り着き、各々上履きに履き替える。
【聖一】
「それじゃーな、ちとせ!」
聖一と別れて、自分たちの教室へと向かった。
◆◇◆
一クラス男女合わせて三十人の教室。
社会科担当の坂東和久が教鞭を執っていた。
授業内容は、もちろん――
【和久】
「古来より踊りは、儀式などで欠かせない重要なものだった。もっとも古く有名な話しでは、日本神話で岩戸隠れの伝説がある通り、天岩戸にお隠れなさった天照大神(アマテラスオオミカミ)様を外に出すために、天鈿女命(アメノウズメ)様という神様が岩の前で踊ったと伝われている。それが祭事の際に舞いを奉じることに通じていくことになっていく。
このような舞いを奉じるのは主に巫女の役目で、歴史上で有名なのが出雲阿國で、阿國の踊りはのちの歌舞伎として‥‥」
踊りに関する内容だった。
大半の生徒たちは真剣に話しを聴いてはノートに書きとっていたが、ちとせはぼーと外の景色‥‥青い空に漂う雲を眺めていた。
机上での勉強ならば特に苦手とはしてなかったが、ダンスの知識は付いても、上達する訳ではない。
やる気が下降していくのはどうしようもなかった。
【和久】
「‥‥藤間、藤間ちとせ」
【ちとせ】
「は、はい!」
【和久】
「ちゃんと授業を聴いているのか?」
【ちとせ】
「も、もちろんです」
【和久】
「そうか‥‥。だったら、出雲阿國が演じていて歌舞伎の元となったと言われている踊りの名称はなんだ?」
【ちとせ】
「えっと‥‥ひややっこ踊りです」
【和久】
「なんだ、そのビールが合いそうな踊りは。正解はややこ踊りだ。ちゃんと先生の話しを聴いておけよ」
周りから笑いが起こり、和久も苦笑してしまう。
【和久】
「でだ、ここは次のテストで出すから、しっかり覚えておくように‥‥」
話しの途中でチャイムが鳴り響く。
【和久】
「おっと、時間か。日直、号令」
日直が「きりーつ、きおつけー、れい、着席」とお馴染みの儀礼を行い、授業は終了したのだった。
次は移動教室。
各自友達グループに集まり、教室から出ていく。
ちとせも仲の良いクラスメートに誘われて出ようとしたが、教師の和久に呼び止められる。
【和久】
「おっと、藤間。さっきの俺の授業で、よそ見をしていた罰だ。この教材を持っていくのを手伝え」
【ちとせ】
「え~~!」
【和久】
「えー、じゃない。それに先生の足が悪いのを知っているだろう。これも人助けだと思え」
坂東先生はちとせに荷物を持たせて、右足を少し引きずるように歩いていく。
昔、事故で怪我をしたらしく、後遺症が残ってしまっているらしい。
【ちとせ】
「あ、坂東先生。待ってくださいよ!」
【和久】
「そういえば、藤間。実技の方はどうだ?」
【ちとせ】
「うっ‥‥。先生まで訊いてきますか‥‥」
【和久】
「そりゃ、先生だからな。最近、授業での集中力が欠けている理由でもあるんだろう」
【ちとせ】
「‥‥どうして、私、上手く踊れないんでしょうか。一杯練習しているのに‥‥」
【和久】
「ダンスは水泳の泳ぎ方みたいなものだと言うが、コツさえ身につければ、簡単に踊れるんだがな。まあ、藤間はまだ若いんだし、健康なんだ。継続は力はなりって言うだろう。諦めずに努力していれば、華麗に踊れるようになるさ」
先生らしい励ましでも、少しだけ元気が出るものだ。
廊下を進む途中で掲示板に貼られている一際大きなポスターの前で、ちとせは足を止めた。
【ちとせ】
「ガーラ・ララパルーザか‥‥」
【和久】
「ああ、もうそんな時期か」
“ガーラ・ララパルーザ”
櫻乃華学園で一年一回開催されるダンスコンテスト。
ただのダンスコンテストではなく、宮廷舞踏会を思わせるほどの格調高く気品に溢れており、高貴な身分の方たちも見学に訪れるほどだ。
この場で踊れる者や、エントリーするにも、よほどの実力者ではなければいけない。
まさに選ばれた者のみが踊れるコンテストなのである。
そして、ガーラ・ララパルーザの最後の催しに“アマール・アズ・クレール”と呼ばれる演目が行われる。
それは、このコンテストでNo1となった者がパートナーを選び出し、即興で一緒にダンスを踊るのだ。
No1になる者、パートナーに選ばれる者。
そのどちらかに選ばれてアマール・アズ・クレールで踊ることが、櫻乃華学園で最大の名誉なことである。
【ちとせ】
「でも、私には絶対縁が無い話しですけどね」
【和久】
「おいおい、学生ならもっと希望を持たないと。枯れるのはアッと言うまだぞ。それに、No1になれなくても、パートナーには選ばれるかも知れないだろう」
【ちとせ】
「フォークもチークもワルツも上手く踊れない私がですが?」
【和久】
「‥‥が、頑張ろう! 頑張れば、道は開けるさ。おっと、藤間。荷物はここまで良いぞ。移動教室には遅れるなよ。それじゃ」
和久はそそくさとその場から立ち去っていく。
遠ざかる和久の背を見ながら、ちとせは大きなため息を吐いたのであった。
【ちとせ】
「アマール・アズ・クレールで踊れたら、どんなに素敵なことなんだろう‥‥」
◆◇◆
下校時間になると、ちとせはまっすぐ家に帰るのが日課となっていた。
友達のほとんどが部活動をしており、ちとせも部活に所属にしようにも、あまりにも下手さで合格レベルに達せなかった為だ。
だけど今日は、まっすぐ家に帰らずに近くの神社へ立ち寄っていた。
神頼みをしにきた訳ではない。それは既に実施しており、効果が無いのを把握していた。
境内に設置されているベンチに座り、オレンジ色の夕日に染められたように途方に暮れていた。
どんなに頑張って練習しても、ダンスが一向に上達しない自分に、苛立ちともどかしさがあった。
これ以上続けていても意味が無いと諦念が心を覆い、退学も選択肢の一つによぎってしまう。
だが、その考えを振り払うように首をプルプルと振った。
【ちとせ】
「あーーーもーーーー! くよくよしたって、上手くなんかならないでしょう、私!」
ちとせは立ち上がると、いきなり踊り出した。
振り付けや所作などのお構いなしの即興ダンス。
出鱈目で滅茶苦茶な踊りだった。
テクニックがあれば適当な踊りでも様に見えるものだが、不器用で下手くそでどうしようもない。
今の自分自身を表現しているようだった。
踊り終わると、ちとせの瞳から不意に涙が溢れる。
【ちとせ】
「こんなんじゃ‥‥あの人と、一緒に踊ることなんて‥‥」
―――その時だった―――
――奇跡が起きたのは――
突然、とても強い光を放つ玉が出現し、辺りは真っ白な空間へと包んだ。
そして光の中心から人影が浮かびあがった。
【???】
『見るも堪えない踊りですね』
光が収まり、ちとせの前に姿を現したのは――
派手やかな色柄の和服を身にまとい、腰まである長い髪が揺らめく度に煌びいた。
眉目秀麗の顔立ちに何もかもが引き寄せられ、時間も忘れるほど見惚れてしまう。
謎の麗人は腰帯に差していた扇子を取り出し、軽やかに広げた。
【???】
「どうしたのですか、さっきから呆けて? もっと驚くなり、歓声をあげたりしたらどうですか?」
【ちとせ】
「‥‥えっ、あっ、その‥‥あなたは、いったいなんなのですか?」
【???】
『私の名か? 私の名は、阿國。出雲阿國と知られる者です』
【ちとせ】
「おくに‥‥えっ! 阿出雲國って、あの歴史上の! そんな方が、どうして‥‥ここに? もう亡くなっていますよね?」
【阿國】
「幽霊とかお化けの類ではないですよ。現世での寿命が尽きた時に、天鈿女命様より神の一柱として迎え入れてくれたのです。そしておまえさんが、この天鈿女命様が奉られている神社の前でおかしな舞いを演じたからに、天鈿女命様がたいそう不憫に思われまして。娘に舞いを手ほどきせよと、私を遣わせたのです」
【ちとせ】
「舞い‥‥ということは、踊りをですか?」
【阿國】
「ええ、そうです」
【ちとせ】
「阿國様が、私に踊りを教えてくれるのですか!」
なんという神の助け。しかも、相手は伝説の舞い巫女である出雲阿國。
夢のような出来事に、自分の踊りが神様までにも卑下されたことはかき消され、ちとせは驚きを飛び越えて、再び呆気にとられてしまう。
【阿國】
「天鈿女命様による勅命であるからに、是非も無し‥‥。だが、娘。ちと訊きたい。なぜ、それほどに舞いの才が無いにも関わらず、舞おうとする? ただ舞いが好きなようには感じないのですが」
【ちとせ】
「‥‥一緒に踊りたい人が居るんです。その人はすごく踊りが上手で、その人の踊りが好きで、いつか私もあんな風に踊りたい、いつか一緒に踊りたいなと‥‥。だけど‥‥。不純な動機でしょうか?」
阿國はちとせに優しく微笑んだ
【阿國】
「不純ではないな。好きになる手前は、どうなるべきかと必死に考え、望み、目指すもの。人ならば当然の想いである。あい、分かった。手ほどきをしてしんぜよう」
【ちとせ】
「ほ、本当ですか! よろしくお願いいたします」
【阿國】
「そういえば、名をまだ訊いてなかったですね。名は何と申す?」
【ちとせ】
「ちとせです。藤間千歳(ちとせ)」
【阿國】
「ちとせ、か。良い名だ。天鈿女命様から任されたのも縁。その名の通りに、千年後も伝わる踊り手となるように指南してみせよう」
【ちとせ】
「そ、そこまでは‥‥。あ、阿國様。あの‥‥私も訊いても良いですか?」
【阿國】
「なんですか?」
【ちとせ】
「その‥‥声で気になったのですが‥‥。もしかしてなんですど、男性ですか?」
【阿國】
「そうですが。それが?」
【ちとせ】
「いや‥‥その‥‥だ、だって、阿國って女性の人では?」
【阿國】
「まあ、私の容姿ならば女性に見間違われるのは、さも珍しくない。かつてハゲネズミの太閤が、私を男だと知った時の驚きっぷりはなかったですね。
それに今の歌舞伎でも女形と呼ばれる者がおるでしょう。何故、それが存在しているのか‥‥理由は、私を見れば一目瞭然では?」
【ちとせ】
「えっっっっっーーーーー~~~!」
正に歴史が変わる衝撃的な内容に、限界一杯の驚き声が神社に響いたのだった。
すると、阿國の身体が徐々に透き通り始めていく。
【阿國】
「およ‥‥。まだまだたくさん話したいですが、この世に姿を現すのは多大の神通力を要するために、時間が限られるのです。また明日、気が向いた時にでも現れますからね。では」
【ちとせ】
「あ、阿國様。ちょっと待っ‥て‥」
阿國の姿が消失すると共に世界は色を取り戻し、いつの間にか真夜中となっていた。
暗い境内に、ちとせがぽつんと立っていた。
今の出来事‥‥阿國との出会いは、夢幻の一時かと思いきや――
【ちとせ】
「これは‥‥」
古めかしい扇子が地面に落ちていた。
そう、それは阿國が持っていたもの。
ちとせは恐る恐ると拾い上げて、優しく握りしめた。
ほんのりと暖かさが伝わり、夢ではないと実感したのであった。
◆◇◆
翌日――早々に昨日の出来事が、夢ではなかったと証明される。
ちとせの枕元に阿國が立っており、起こしてくれた。
一瞬、幽霊かと見間違えて大きな悲鳴をあげてしまい、母親を心配させたのは内緒だ。
時代の移り変わりに阿國は瞳を輝かせては、あれやこれやと訊いてきたりしてきた。
自動車を見ては、
【阿國】
「おお、これが鉄の牛車が走っておる!」
とリアルで口にされた時は、堪えきれず噴出してしまった。
ちなみに阿國の霊体姿は、ちとせ以外には目視出来ないようだ。
一応神様であり、伝説の舞い巫女なので無下に扱えず、質問がある度に丁寧に答えてあげた。
そして学園に着く頃には、ちとせはフラフラと疲労困憊となってしまっていた。
【阿國】
「ここが、ちとせの学び舎ですか。大きなものです。かの聚楽第のようです」
現代について色んなものに興味を示した阿國だが、やっぱり特にダンスについては強く示していた。
学園の各ダンス部が朝練を眺めては、阿國の笑顔は絶えない。
【阿國】
「現世は素晴らしき世になったものですね。四六時中、舞いや歌が溢れるとは。そうさ、ちとせ。さっそく舞いの手ほどきをしてしんぜよう」
【ちとせ】
「ここで、ですか? こんな大勢の前で?」
【阿國】
「何を言う? 踊りは人に見られてものでしょう。まずは、ちとせに憑依して舞ってみせよう。習うより慣れろですよ」
【ちとせ】
「え? 憑依って‥‥わわわわわ!」
有無を言わせず阿國の霊体は、ちとせの身体に入り込んでいく。
【ちとせ(?)】
「‥‥ふむ。久方ぶりですね、人の身体は」
ちとせの意識とは関係なく身体を動かされていた。
阿國に乗っ取られてしまい、身体のコントロールは阿國が握っていたのだ。
ちとせ(阿國)はスタスタと校庭の中央へと移動していく。
朝練をしていた部活動の学生や、校舎へと向かう途中の学生たちが、何事かとちさとの方を注目しだす。
【ちとせ】
(ちょっと阿國様、なにやってるんですか!? 他の人の邪魔になりますよ!)
【ちとせ(阿國)】
「言ったであろう、これより舞ってみせると。良いか、ちとせ。この度は、私の秘伝の一つを教えよう。風に身を任せるのだ。どう舞えば良いか、風が教えてくれる」
【ちとせ】
(風が‥‥?)
ちとせ‥‥いや、阿國は校庭の中央に立ち、手にした扇子を高々と掲げると、一陣の風が吹き抜けた。
阿國は、風に遊ばれる木の枝のように揺れ動き、時にゆっくりと、時に素早くと、風が吹くごとにその風に合った振りつけをする。
まるで阿國が風に舞う葉っぱ‥‥いや、花びらのように見え始めた。
周囲の人たちは阿國の一つ一つの動きに引き込まれ、目が離せなかった。聖一や和久、そして生徒会長や留学生までも。
ある程度の上達者ならば一連の動きから、次にどんな踊りかを想像できるものだが、阿國の舞いは想像できないものだった。
自然のままに。いや、自然と一体になったような舞いから、美しい景色が広がるような錯覚を覚えた。
阿國が力強く扇子を仰ぐと、偶然にも一際大きい突風が吹き抜け、学園にまだ咲き残っていた桜の花が一斉に飛ばされた。
風を自在に操る如く。
空に舞う花びらは、阿國の舞いを何倍も彩らせるかの如く、鮮やかさと艶やかさを際立せる。
やがて桜の花びらが全て地面に落ちると共に、阿國の舞いが終わった。
暫しの静寂。
やがて周囲の見学者たちが我を取り戻すと、拍手と共に大歓声が校庭を包んだのであった。
【阿國】
「これが阿國の舞いであり、舞い本来の動きでもある」
いつの間にか阿國がちとせの身体から出ており、語りかけた。
【ちとせ】
「舞い本来の動き?」
【阿國】
「元来、舞いに振り付けなどの決まりはなかった。始まりは、このように自然を敬愛し、自然を表現することからきている。つまり、舞いには何かしらの意味が込められているものだ。現代の舞いもまた然り。その意味を理解することができれば、自ずと人々の心を打つ舞いを演じられよう」
【ちとせ】
「私にも、こんな踊りが踊れるようになれますか?」
その問いに、阿國は笑顔で返したのであった。
ちとせもまた笑顔で返し、校庭に引かれている白線を弾みをつけて飛び越えた。
阿國の力によるものだったが、舞いの真髄と喜びを体験したお蔭で初めて踊りの世界に、そして“憧れの彼”へと、一歩を踏み出せた気がしたのだった。
STEP 01 ―了―
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