誰よりも幸せになってほしい。

(どうか、このメルドルフに災禍が訪れることなく、領民が皆穏やかに過ごす事ができますように)



 神に願う事があるのならば、これだけだ。


 ここは小説『救国の聖女』の世界。

 登場する人物には創造主さくしゃから役割がふられている。私は悪役で主人公であるシルヴィアの敵役(そして脇役)、だ。

 コンスタンツェ・フォン・ラッファーは小説では悪女とそしられロマンスを盛り上げるための当て馬仕様キャストに過ぎないのだ。


 けれど、現実は違う。

 

 私はこの世界に転生し、ハイデランド侯爵令嬢として、皇太子の婚約者として、その地位に恥じぬように生きてきた。

 正々堂々と、前を向いて生きてきたのだ。

 ウィルヘルムにもシルヴィアにも、誰にも非難されるいわれはない。


 それでもなお筋書きだからと創造主から悪女を強いられるのは、理不尽極まりないと思う。

 が、私だけが不利益を被るのならば、どんな苦痛でも受け入れる覚悟はできている。


 ただ。

 罪もなく、名も無く、懸命に毎日を生きているメルドルフの民と美しい大地が、シナリオ通りの災禍で苦しむのを見過ごすことだけは、どうしてもできない。

 メルドルフの主人である私には彼らを守る責任があるのだ。



(おまじないは占いと同じ。気休めっていうのはわかってる)



 例え叶わないとしても、この世界の神という存在に、この祈りがほんのわずかでも届く可能性があるのなら、すがってみたい。



(もう少しすればメルドルフに災禍が起きるでしょう。わざわいは土地や民の命だけじゃないわ。イザークも奪っていく……)



 ――聖女シルヴィア。


 この世界の主人公に、思うがままに蹂躙じゅうりんされるのだ。

 シナリオで決められているとはいえ、その他大勢エキストラだとしても、大切なものを簡単に奪われていいものなのか。



(だめよ。そんなこと)



 まだ災厄までは時間はある。

 どこかに私ができる事があるかもしれない。



(でも、どうやって……? 脇役の私が話を変える事ができるの?)



 見当もつかない。

 けれど私の対処でメルドルフの未来が決まってしまうのは確かだ。

 妙案が立てられなかったら、このまま無策のままだとしたら。

 民の行く末も大切なものも失ってしまうだろう。

 

 重圧で胸が苦しい。

 窒息しそうだ。



(怖い。誰か、誰か……。私を助けて……)



「コニー様?」



 遠慮がちにイザークが声をかけてきた。


 私は瞼を開ける。

 いつの間にか、皿の中の芯が燃え尽きていた。

 どれくらいの時間思いにひたっていたのだろうか。



「あぁ、ごめんなさい。どれくらい経ったかしら?」


「ほんの数分程度です。それよりも問題ありませんか? ずいぶんお辛そうです。医者を呼びましょうか?」


「大丈夫よ。なんでもないわ」



 私は息を整え、両手で自らの頬を叩く。



「メルドルフのこれからを考えていたの。頑張らなくちゃいけないなって。……ねぇ、イザークは何をお願いしたの?」


「私の願い、ですか。このような機会ではいつもは験担げんかつぎも兼ねて同じことだけを祈るようにしていますが、今日は別のことを願いました」



 イザークは皿を布に包み、腰に下げた鞄に収めながら、



「コニー様がお幸せであるように、です」

「え……」



 思わずイザークの顔を見返す。



「自分のことではなく、私のことを願ったの?」


「はい。コニー様はこれまでも大変な苦労をなさってこられました。ですので、これからの人生は誰よりもお幸せになっていただきたいのです。メルドルフの領主としてではなく、お一人の女性として。私も助力ができればと願っております」



 イザークはいつもと変わらぬ様子でいう。



『主人の幸せを願う』

 護衛騎士として百点満点な答えだ。


 でもそれは騎士として領主を思うがために出た言葉だろうか。別に本心があったりしないだろうか。

 驚くことに、そうあって欲しいと心のどこかで思う自分がいる。


 もっとイザーク自身の事が知りたい。



(これイザーク本人の好意と思ってもいいのかな)



 私がイザークにかすかに感じている何かのように、イザークも同じ気持ちを持ってくれているのだろうか。

 イザークの顔を盗み見るが、薄暗いせいか表情はわからない。



「嬉しいわ。ありがとう。すごく気が楽になったわ」


「いいえ。お役に立てて幸いでした」


「これからも私を助けてね。イザーク」


「かしこまりました。命がある限り、コニー様、あなた様をお支えいたします」



 その時。

 焚き火が大きな音を立てて爆ぜ、激しく燃え上がった。

 周囲がパッと明るくなる。


 一瞬。

 イザークの横顔が闇に浮かぶ。

 そこには夜目でもわかるほどに頬を赤らめ破顔したイザークがいた。



(ウソ……)



 堅物のイザークがあんな表情するなんて。

 反則だ。


 私は口元を手で覆い、そっと顔を伏せた。

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