願うことは、ただ一つ。

 私たちは人混みをかき分けるようにして通りに出た。


 イザークの大きな背中に守られながら(というか隠れながら?)雑踏を進む。

 壁にされるイザークにとっては迷惑だろうが、人にぶつかることもなく歩くことができるのは正直ありがたい。



(あれ?)



 私は周りを見回す。

 

 休日でテンションが上がっていたせいか、さっきは気にならなかったが……。

 他領から来た者が多く混じる群衆の中から、メルドルフの民たち視線がこちらに向いている。

 

 あけすけにこちらを凝視する者、遠慮がちに伺う者……全員と言わないが、そう少なくない数が私たちを見ていた。



(これは自意識過剰でもなさそうね)



 メルドルフでは大柄なイザークは存在しているだけで目立つ。だが、それだけでこうも私たちを見る理由がない。

 ということは……。



(もしかして領主がここにいるってバレた? でも……)



 民からはネガティブな感情は感じない。

 敵意というものが全くないのだ。

 むしろあるのは好意だけ。



(私、皆から嫌われてないのね? 宮廷とはぜんぜん違うわ)



 かつてのへベテでの宮廷生活。

 “未来の皇太子妃“である私に対する妬みひがみ、隙あらばつけ入ろうとする輩が跋扈ばっこする世界で、どれだけ神経をすり減らして生きてきたことか。

 温かい眼差しがあるだけでも、こんなに心安らぐとは思いもよらなかった。



(メルドルフ、来てよかったわ。私に期待してくれている民がいる以上、できる限りの努力をしなくちゃ)



 ここが小説『救国の聖女』の世界であり、私はこれからメルドルフに何が起こるのか知っている。

 持てる力全てを民たちのために尽くそう。


 私はイザークと繋いだ手に力を込めた。

 イザークが足を止める。



「コニー様、何かございましたか?」

「ううん、なんでも無いわ。急ぎましょう。おまじないが始まってしまうわ」



 そう。

 この人を失うとしても。






 まじないが行われるという町外れにつく頃には、すでに日は落ち、周囲は夜の気配に満ちていた。


 丘の上には丸太が組まれ、火の粉を高々と舞い上がらせながら炎が勢いよく燃え上がっている。

 煌々とした光は人々の顔を明るく照らす。

 浮き上がるどの顔も、収穫を迎えることができた喜びに満ち溢れていた。



(これって前世のキャンプファイヤーね)



 前世、学校の野外活動でキャンプに行き、キャンプファイヤーを体験したことがある。

 ただ焚き火を囲い歌ったりするだけだったが、いつもと違うシチュエーションに盛り上がったものだ。



(この世界でも同じなのね。焚き火で楽しくなっちゃうところとか)


 世界が異なっても喜ぶところは同じようだ。

 少しばかりほっこりする。



「コニー様、こちらへ」


 

 私はイザークに導かれるまま近くの木の根元に腰を下ろした。



「みんなで炎を囲むのね。なんてことはないけれど、ワクワクするわ」



 イザークは微笑み、「炎はメルドルフにとって神聖なものです」とどこから調達してきたのか素焼きの皿を取り出した。


 そして通りかかった物売りの男に声をかけ、金を渡す。

 物売りの男は素焼きの皿に少しばかりの油を入れ、草をよって糸状にしたものをひたした。



「どうぞ、お使いください。まじないに使う道具です」

「これを?」



 侍女が言っていた恋に効くというおまじない。

 詳しくは聞かなかったが、道具を使うのか。



「芯に火をつけ、消えるまでに願い事を一心に祈るのだそうです。元々は一年を無事過ごせたことを感謝し、次の冬も何事もなく過ごせることを神に祈るものだったようですが……」


「今は個人的なお願いをするのね?」



 イザークは頷いた。



「ええ。収穫祭のこの日、この時の祈りのみ神は聞き届けてくださると伝えられています」


 

 私の願うこと。


 辺境の領、メルドルフの行く末が安穏でありますように。

 そしてこれから起こるであろう災禍。なんとしても避けねばならない。


 もしもこの世に神が存在するのならば、叶えてもらいたいことはたくさんあるのだ。


 ふと『欲張ってはなりません。一つだけです』と侍女の言葉が浮かぶ。



(わかってる。一つだけ。一つだけ、ね)



「イザーク、火を付けてくれる?」


 イザークは再び物売りを呼び、草の芯に火を付けさせた。

 芯はじじっと小さな音を立てながら燃え始める。


 私はそっと目を閉じた。

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