微笑みの意味。

 行政官アロイス・べルル。

 商売を広く手がける商家出身の平民であり、ハイデランドの行政官として史上最年少で召し上げられた天才。

 ハイデランド領ではちょっとした有名人だ。


 けれど私とアロイスはメルドルフに来るまでは言葉を交わした事すらなかった。

 これは前世と違って明確な身分差のある社会では別段おかしなことではない。

 アロイスはハイデランドの使用人であり、私はハイデランド当主の娘であり皇太子妃になるべく立場であったからだ。

 

 お互い関わることのない人生だったのだ。

 メルドルフに下向するまでは。


 それからおおよそ2ヶ月。

 

 日々の業務を共にこなしているうちに、アロイスとは良い関係を築くことができている。


 打ち解けていくうちに、私はこの得体のしれない天才アロイスの性格を理解したと……思っていた。

 が、どうやら勘違いだったようだ。


 この暗殺未遂で垣間見たアロイスの真の姿。

 私の思い込んでいる人物像とはかなりかけ離れているようだ。

 ただの行政官として優秀であるだけではない。



(策士ね。誰にも気づかれないように何かを計画している。私の想像を遥かに超えたレベルで何か企てているわ……)



 あの時感じた、ちょっとした違和感。

 あの笑顔。


『アロイスのいい笑顔』は要注意ということか。

 その少年のような面差しは目眩しに過ぎない。笑顔の下にはありとあらゆるはかりごとに満ちているのだ。



(もしかして私、とんでもない人物を抱えてしまった?)



 これは幸運なのか、不運なのか。



(ものすごい賭けかもしれないわ。アロイスは薬にも毒にもなる)



 けれど現実をみればアロイスの知識と手腕はメルドルフには必須だ。

 彼を失えばメルドルフは瓦解してしまう。


 今のところアロイスのメルドルフへ……というよりもハイデランドへの忠心は疑いようがない。しばらくは私に仕えていてくれるだろう。



(アロイスに見限られる前に、彼が心から仕えてもいいと思われる主人にならなくちゃね)



 私に今できることはそれだけだ。



「では、コニー様」


 イザークが立ち上がった。


「祭りに参りましょうか」


 と、イザークはついさっきの暴力沙汰を感じさせない、まるですっかり忘れてしまったのかのように言う。

 この口調、どうやら事件の顛末を語る気はないらしい。



(でも、知りたいわ)



 私はイザークを睨みつける。



「イザーク。私に説明する気はないのね?」


「申し訳ございません。私には先ほど申し上げた以上のものを得てはおりませんので。後ほどアロイスの方から説明があると思われます」



 確かに、イザークは屯所に帰って来てすぐに私の元へ来た。

 捕らえた者を取り調べる時間はなかっただろう。でも、まだ知りたい事はある。

 そう。



「暗殺者の存在にいつから気づいていたの?」


「領主館をでて、通りを歩いていた時です。付かず離れずでつきまとう者が何人かおりました。最初はささやかなものでしたが、次第に大胆になってまいりましたので、コニー様に何か仕掛ける前にと排除したのです」



 あの雑踏の中で気づいたというのか。

 鍛え抜かれた者の勘というのは凄まじい。



「すごいわね。イザーク。私は全然気づかなかったわ。あなたがいなかったら今頃、むくろになっていたでしょうね。ありがとう」

「いいえ、とんでもございません」



 私の任務ですから、とイザークは照れ臭そうに頭をかいた。

 素直に感情を出すイザークは珍しい。

 ちょっと得した気分だ。



「あの、コニー様。収穫祭がご不安でしたらご安心ください。輩は一掃しましたので、これ以上の危険はないと思われます。お楽しみいただけるのではないかと」


「……分かってるわ。イザークの腕は信用してる。大丈夫なのは確信してるわ」



 この一件、これ以上詮索するのはやめておこう。私が落ち着かないと下の者も辛いだけだ。

 それに今日は年に一度の収穫祭なのだ。

 皆が楽しめるようにするのも私の役目だ。


 私はチラリと窓の外を見る。

 いつの間にか日が傾き始めていた。

 

 今は秋。

 日の入りは早い。あっという間に暗くなるだろう。


 そろそろ祭りも終盤、ということか。

 侍女の言っていた“まじない“が始まる頃かもしれない。

 危うくこの収穫祭に来た目的を忘れるところだった。



「イザーク、行きたいところがあるのだけど、連れて行ってくれないかしら。町はずれに丘があるでしょう? そこでまじないごとがあるって聞いたの」


「町はずれの丘……。かしこまりました。コニー様、では」


 

 イザークが手を差し出す。



「私の手をお取りください。今日は人も多いですし、日も陰ってまいりました。危険ですので、私を盾になさってお歩きください」


「え? あ……ありがとう??」



 でもこれって手を繋ぐっていうことよね??

 私はおずおずとイザークの手を握る。


 手を繋ぐなんて、なんだか久しぶり……というか子供の頃以来だ。

 久しぶりに感じる他人の温もりと、イザークの豆だらけの硬く大きな手のひらに無駄にときめいてしまう。



(ウィルの手と全然違うわ。そういえば……こうやってウィルとは手を繋ぐなんてなかったわね……)



 人前に出る時は、腕を組むことはあったけれど。

 こんな時に思い出しちゃうなんて、ほんっと忌々しい。



(でもいいものね。人肌って暖かい)



 それに気持ちが安らぐのはどうしてだろう。

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