田に作る道は農夫に聞け。

 芝居が終わり、一時間ほどすぎただろうか。

 ようやくイザークと彼の副官が屯所とんしょに顔を出した。



「リーツ隊長!」



 それまで和やかに私と茶を飲んでいた領兵たちが、緊張した面持ちで立ち上がった。


 途端に屯所に張り詰めた空気が漂う。

 領兵たちは皆が皆、畏怖と尊敬の入り混じった眼差しをイザークに向けた。


 イザークは慣れた手付きで腰に佩いた愛剣を副官に渡すと、


「エッカルト以外は皆下がれ。指示があるまで誰も通してはならん」


 と言い渡す。



「御意!」



 領兵たちは一斉に敬礼をすると速やかに退室した。



(領兵にとっては厳格な上司なのね)



 イザークの言動に驚かされる。

 私の知るイザークは親切で優しい(そして笑顔の可愛い)護衛騎士だ。こんな厳しい姿があるだなんて……。



(意外だわ)



 あまりに見慣れない姿に戸惑ってしまう。

 私の動揺を尻目に、イザークはいつもと変わらぬ様子で頭を下げた。



「お待たせいたしました。コニー様」


「ご苦労だったわね。イザーク。ネズミの駆除、終わったの?」


「ええ。滞りなく処理いたしました」



 処理。

 こともなげに言うが、一体何をしたのだろう。


 アロイスが茶菓子を頬張り訳知り顔で茶をすする。



「それにしては、えらく時間がかかったじゃないか。イザーク卿」


「……反省するところだな。ネズミは意外にすばしっこくてな。手間取ってしまった。俺もまだまだ鍛錬が足らんな」



 イザークは自嘲し、副官の入れた茶を一気に飲み干した。


 私は椀を持つイザークの右手の袖口に、わずかに血液がついているのに気づいた。私と一緒にいた時は、そんなものなかったと言うのに。



(返り血? 何かを斬った、ということね……)



 それは何か。

 なんとなく想像はつく。

 ネズミなどではない。



(人ね……)



 イザークは人を殺めたのだろうか。

 私は大きく深呼吸する。



(落ち着こう。皇宮や侯爵邸で守られていた頃の私ではなくなったの。規模の小さなメルドルフではこういう事もこれからは起こるわ。汚いことも危ないことも避けられない)



 冷静に。

 冷静にならなければ。



「それで? 私に説明することがあるでしょう。イザーク」


「はい。……メルドルフに怪しげなやからが入り込んでおりました」



 つまり。

 私を狙う暗殺者か間諜スパイといったところだろう。



(でも私を暗殺? 今更なんの意味があって?)



 皇太子妃であれば狙う理由もわからないでもない。


 しかし今は婚約者から捨てられた上にハイデランド侯爵家からも追放された身だ。

 こんな落ちぶれた私を殺めたいとまで憎む相手がいるのだろうか。



 否、いる。

 むしろ、この世の中でたった一人しかいない。



(私がそれほど目障りだというの?)



 ――私の元婚約者ウィルヘルム・フォン・ザールラント。


 この帝国の皇太子。


 すでにメインの物語から引いた私がそんなに憎いのか。

 婚約者であった私が、それほど目障りなのか。


 あれほど愛していた。

 幾夜も共に過ごしたあの日々は、確実にそこにあったではないか!

 

 というのに……。

 

 忘れていた感情に胸が痛む。



「イザーク、その輩は殺めたの?」


「いいえ。多少痛めつけた程度です。死んではいません」



 死んではいない。微妙な答えだ。

 でも殺めていないのなら、許容しなければならないだろう。

 イザークは職務に忠実なだけだ。



「帝国……いいえ、ウィルヘルムからの刺客なのかしら?」


「申し訳ございません。それはわかりかねます。ただ、今捕らえたところですから、調査すれば明らかになるかと」


「ではイザー……」


「まぁまぁコニー様」



 アロイスが口を挟む。



「ネズミに関しては、私が対処しておきましょう。……それよりもせっかくのお休みなのですから、お二人は収穫祭を楽しんできてはいかがですか?」


「え。アロイス、今それどころじゃないでしょう??」



 呑気に何を言っているのだ。

 優秀な護衛のおかげで事が起る前に難を避けることができた。だとしても、私は暗殺されかけた当事者だ。



「コニー様。田に作る道は農夫に聞けと申します。大抵のことは専門家に任せた方がスムーズに行きます。私には少々見識がございまして、イザーク卿よりも適任だろうと自負しております。この件、お任せいただけませんか?」



 ふとアロイスのあの笑みの意味を理解した。



(こう言うことだったのね)



 メルドルフは辺境の領。

 しかも独特の文化を保つ保守的な土地だ。当然、帝都やハイデランドのように栄えてはいない。


 つまりは辺鄙へんぴな土地なのだ。

 そんな場所メルドルフでは平素ならば他所者はどうしても目立ってしまうだろう。


 だが民の往来が多くなる収穫祭は、不届な思いを抱いた者にとっては自然に入り込むことができる絶好の機会でもある。

 私を狙う者や監視も兼ねた間諜が、メルドルフに侵入していてもおかしくない。


 アロイスはそれを察していた。


 最初は渋っていた同行も結局受け入れたのは、きっとこのためだ。

 イザークが捕らえるであろう敵を誰よりも早く自らの手で尋問するために。



(主人でさえも囮に使うだなんて。さすが10代でハイデランドの行政官になるだけあるわ)



 アロイスを召し上げたお父様の鑑識眼の素晴らしさに舌を巻く。



「……わかったわ。アロイスに任せます。ただし無法者だからといって無体はしないように。丁重に扱いなさい。それと傷の手当てはしてあげて」


「畏まりました」とアロイスは会釈をし軽い足取りで屯所の奥へ向かった。

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