事件は幕間に起こる。

 芝居小屋はかなり混み合っていた。

 後ろの方に何とか席を確保すると同時に幕が上がる。


 芝居の演目は『ドゥラスの聖女譚』。

 つまりは「数百年前に存在したいにしえの聖女」伝説を戯曲化したものらしい。


 この世界では聖女は定期的に現れる救世主であり神聖で敬愛する存在。

 

 劇のテーマには最適。

 民衆にとっては安心できる、旅の一座にとしても十八番と言っていいほどの演目なのだそうだ。


 もちろん話の筋書きもどこかデジャブ感あふれるものだ。


 とある部族に生まれた娘が神託を受け、聖女として祭り上げられていく。


 最初は周囲から大反発を受けていた娘であったが、朗らかな性格と聖女としての能力で、次第に受け入れられる。


 そして国の王子と恋に落ち、最後は結婚して終わるハッピーエンド。



「私が皆を救いましょう!」



 舞台の上の厚化粧をした女優が、大袈裟に声を張り上げた。



「この汚染された大地を癒し、救うことができるのは、この世で私だけです。私にはその力があります! みなさんの幸せは私が守ります」



 “聖女“は腕を振り上げ観客を煽る。

 観客も心得たもので、やんやと合いの手を入れた。



(こうしてみると聖女って高慢だよね……。自分がどんな犠牲の元、ここにいるのか知らないんだもの)



 私は心の中で毒づく。

 これは過去の聖女の伝説でありフィクションだ。

 真実ではないことは分かっている。


 けれども今の私にはキツい。


 だって私はこの世界が小説の世界であるということを知っている。


 そして必ず原作通りに話は進むだろうということも、分かっているのだ。



(聖女シルヴィア。『救国の聖女』の主人公……)



 美しき“現代の聖女“。


 彼女が現れた以上、近い将来、このメルドルフが災禍に必ず見舞われる。


 ウィルヘルムを無慈悲に取り上げたように、シルヴィアは私の大事なものや愛すべき人たちをも奪っていくのだろう。



(脇役って辛いわね。しかも恋の当て馬でしかない悪役。無力だわ)



 転生するのならもっと気楽に生きていける役が良かったと恨言を言いたくもなる。

 けれど命がある以上、最善を尽くそう。

 それが私の使命なのだ。



「殿下、私はあなただけを愛しているのです。死なないでください」


 

 女優が自分を庇い倒れた恋人の王子を抱き抱える。



「死ぬものか。私もだ、聖女よ。私もあなたを愛しているのだ」


 

 俳優の渾身の演技に観客は大喝采を送る。


 この劇の古の聖女はちゃんとしたモラルを持っているようだ。

 恋の相手を取っ替え引っ替えしない。

 


(恋に全力なのが聖女の伝統でなくてよかったわ。現代の聖女シルヴィアにも見習ってもらいたいものね)



 まぁシルヴィアだけが特異なだけなのだろう。


 芝居がクライマックスに入り、聖女が最後の浄化を行おうとした時、イザークが小声で話しかけてきた。



「申し訳ございません。コニー様。少し席を外します」



 イザークは護衛騎士。

 安全な領主館の中ではなく、外出中にそばを離れるということは珍しいことだ。



「どうしたの?」


「先ほどから大きめのネズミがチョロチョロしておりまして。放っておこうと思いましたが、あまりに目に余りますので、排除してまいります」


「え、ネズミ?」


 

 この世界、前世の日本と違って衛生的には微妙だ。


 電気や上下水道がないので仕方ないことだが、ちょっとドン引いてしまうほどワイルドな場合も多い。


 なので害虫の類……ノミ・シラミ・ムカデにゴキブリ(メルドルフは寒いのでいない!よかった!)、そしてネズミは日常茶飯事で見かけるヤカラである。

 

 あまりに当たり前すぎて、もう驚くことすらなくなってしまったほどだ。

 ゴキブリ一匹で卒倒しそうになっていた前世が懐かしい。



(なのにネズミ退治?)



 しかも「ネズミ捕り」に護衛騎士のイザークが、任務を放棄してまで、わざわざ出向かなきゃいけないのだろうか。



「イザーク卿」



 それまで黙って劇を眺めていたアロイスが、手にした焼き菓子を噛み砕くとイザークへ鋭く訊く。



「何匹だ?」


「2……いや3だな」



 アロイスの灰色の瞳に光が宿る。



「仕留め損ねるなよ。……いや、何匹か生かしておいてくれるか。俺も興味がある」


「アロイス、誰に言っている?」とイザークは不敵に笑い、


「一匹の生存は確約しておく。……コニー様を任せたぞ。かすり傷1つでも負わせるな。命に変えてもお守りしろ」


「あぁ。安心しろ」



 ん?

 まるで戦いにでも行くような口ぶりだ。



害獣ネズミ退治であるはず、よね?)



「イザーク、どういうことなの?」


「後で説明いたします。今はお許しください。……芝居が終わりましたら、この小屋を出た先に領兵の屯所があります。そこでお待ちになっていてください。すぐに参ります」



 イザークの顔つきが厳しい。

 この表情は見覚えがある。

 訓練所の……。



 ――あのイザークだ。



 戦場いくさばに挑む騎士の顔だ。


 これは私が口を挟めることではない、と本能で感じる。

 イザークの言うネズミ退治が真実ではないことも……。



「……わかったわ。気をつけていってらっしゃい」


「ありがとうございます。では」



 イザークは何かしらアロイスに耳打ちし、音も立てずに立ち上がると小屋から出た。

 私はイザークの背中を見送り、再び前を向く。



「一人で危険ではないの?」


「ネズミの数匹を処理することなど、イザーク卿にとっては朝飯前といったところでしょう。大したことではございません。あ、コニー様。ほら。ご覧になってください。そろそろ最後の見せ場ですよ。あの王子、うちの帝国のクズとは大違いですねぇ」


 と先程の鋭さはどこへ行ったのかというほどに、アロイスはのんびりと笑った。

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