そして運命が動き出す。

 なんて表情をしているのだ。

 あれではまるで、



 ――イザークが恋をしているようだ。



(それって私に……?)



 私は慌てて首を振る。


 いや、そんなことはありえない。

 イザークは忠実で生真面目すぎる騎士だ。公私の区別はきちんとつけている。

 誰かを想うことがあっても、それが上司わたしであるはずはない……。



(イザークが恋するのは『救国の聖女』で定められた聖女。シルヴィアよ。私ではないわ)



 再びイザークに目をやる。

 いつの間にかイザークの幸せあふれる優しい表情は消え、元の無愛想な横顔に戻っていた。



(やっぱり気のせいだったのかな……)



 でも。

 イザークは少しは私のことを、例えそれが主人に対する敬愛だとしても、気にかけてくれていてくれるのは間違い無いのではないか。

 うん。そうだと思っておこう。




「コニー様! イザーク卿!」



 雑踏の中から私たちを呼ぶ声がする。



「あぁここにいらっしゃいましたか。そのご様子、まさかもよおしの方は終わってしまったのですか?」



 少年のような面立ちの行政官が額の汗を拭いながら駆け寄ってきた。



「あ、アロイス」


「予定よりも手間取ってしまい遅くなりました。収穫祭のご利益りやくにあやかろうと思って急いできたのですが、間に合わなかったようで……」



 アロイスは突然言葉を切る。

 私とイザークの顔を交互に見つめ、微かに眉をあげた。



(これってまさか、気づかれた?)



 私がイザークの言動に心揺れていることに。

 自分でもわかる。絶対に顔に出ているはずだ。



(なんて人なの。アロイスは)



 この絶妙なタイミングに現れて、察してしまうなんて。誤魔化すこともできなかったではないか。



「アロイス……あの……」



 アロイスは前髪を掻き上げながら唸り、頭一つ高いイザークを見上げた。



「……わきまえろよ、イザーク卿」



 イザークはふっと顔を逸らす。



「お前に言われなくとも、わかっている」


「どうだかな。個人的にはな、卿がどんな思いを抱いていても構わない。ただメルドルフにとってこれからが正念場だ。重荷になるようなことはしないでくれ」


「……肝に銘じておく」



 何?

 メルドルフ?



「アロイス、メルドルフがどうしたの? なんの話?」


「あぁご心配には及びません。些細なことでございます。コニー様はお気になさらずに」



 アロイスは「ところで例のネズミですが……」とよっぽどこの話題に触れたくないのか、先程のネズミについて語り始めた。


 ネズミ、すなわち暗殺者は3人。かなり訓練された男たちで、一目でその道のプロだと判明したそうだ。

 飼い主が誰か聞き出す前に、2人は仕込んでいた毒を服毒し死亡。

 残りの1人はアロイス曰く「決して死なないようにうまく処理」済みで、明日以降に尋問を開始するらしい。



「面白い話が聞けそうで、今からワクワクしておりますよ。どこの誰が我が領主と領を手にかけようとしたのか。まぁ見当はついていますがね」


「ちょっと待って、アロイス。例えメルドルフに害を成す者といえど、重要な人物であることに間違いないわ。手荒なことはしていないでしょうね?」



 捕虜には無体を働かない、ということが前世での常識だった。

 けれど、この世界では人権というものはあってないようなものだ。拷問も処刑も日常だ。人命の価値は低い。

 それでも私がここの領主である以上、生命は尊重したい。


 アロイスは笑顔で頷く。



「ええ。その辺は抜かりなくやっております。コニー様のお言いつけに背くことなく、丁寧に扱っておりますよ。ネズミでありながら王侯貴族のように快適にすごしているでしょうね」



(アロイスの言う丁寧が何かは考えたくもないわね)



 『メルドルフの領主を狙ったこの暗殺未遂事件』

 この案件で痛感されられたことがある。

 

 ニコニコと機嫌の良さそうなこの行政官の見た目に決して騙されてはいけない。その純粋無垢な外見からは考えられないような実に狡猾な政治家なのだということを。



(だからといって信用しないというのはあり得ないけれど)



 性格に何か問題があったとしても職務に関しては忠実だ。これはこれまでの働きぶりから証明されている。


 並外れた優秀な部下を手放すなんて愚の骨頂だ。

 今は、彼の好きなようにさせておくのが良いのかもしれない。私が口を挟まない方が円滑にいくだろう。


 私は肩をすくめる。



街中ここでするべき話ではないわね。詳しくは領主館に戻って話を聞かせてちょうだい。……さぁ遅くならないうちに戻りましょう。留守番組がやきもきしているでしょうし、彼らにも休みを与えなきゃ」



 アロイスは残念がるそぶりもなく同意し、「私は寄る所がございますので、お先にイザーク卿とお戻りください」とイザークをひと睨みする。

 そして軽やかな足取りで人混みに紛れ、あっという間に見えなくなった。



「イザーク。アロイスにかなり詰められていたけれど、大丈夫なの?」


「えぇ。何の問題もありません」



 アロイスの口調はかなり棘があったが、イザークは気にもしていない様子だ。鍛え抜かれた騎士は心も鋼鉄に覆われているのだろうか。タフで羨ましい。


「どうぞ。コニー様。夜道は暗く危険ですので、手をお取りください」とイザークは腕を差し出した。

 いつもと変わらぬ護衛騎士にホッとする。



「……助かるわ。ありがとう。イザーク」


 私はイザークの腕にそっと手をかけた。





 穏やかな日々は、こうして過ぎて行った。

 そして秋が深まる頃。

 定められた運命が動き出した。

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