古い思い出は常に上書きされるもの。

 そして収穫祭の日。


 楽しみが過ぎて日の出前に目が覚めてしまった私。

 あまりに久しぶりの感覚に、遠足の日の小学生か! と思わず一人ボケ突っ込みしてしまう。



(まぁ早起きは三文の……と言うし)



 二度寝の誘惑に打ち勝つと、私はささっと身支度を整え寝室を出た。


 今日はお休み。

 しかも超早起きしてしまった。おかげで時間はたっぷりある。

 収穫祭へ出かけるのは昼前からの予定だ。

 出かけるまでゆっくり過ごすのも悪くないかもしれない。



(今までずっと忙しくしてたもの)



 メルドルフに来てからは息つく暇もないほどだった。

 

 けれどおかしなことで、仕事に忙殺されている時は1時間でも休みたいと思ったものの、実際に休みとなると手持ちぶさたになってしまう。

 

 前世からの社畜体質はこの世界でも変わらない、ということだろうか。



(まだ朝早いし、あまりゴソゴソして侍女を起こすのも可哀想だわ……)



 静かに過ごせる事を……としばらく考え、私は放ったらかしにしていた刺繍があるのを思い出した。


 この早朝に心穏やかに刺繍をさす。

 良いアイデアだ。



(そういえばへベテにいた頃は、ウィルの紋章よく刺してたよね)



 幼い頃から淑女の嗜みとして仕込まれた刺繍だったが、長じては私の数少ない趣味の一つになっていた。

 皇太子の婚約者の時は存分に腕を振るったものだ。


 皇室の紋章とウィルヘルム個人の紋章、そしてイニシャル。

 ハンカチやスカーフ、リボン……あらゆる物に刺繍して、愛しの婚約者殿にプレゼントしていた。



(ウィルは喜んで……くれてなかったわね)



 ウィルヘルムは口では礼を言うものの身に付けていたのを見たことはない。侍従に片づけさせてそのままだ。


 もしかしてあまり好かれていなかったのかもしれない。


 当時の私、どうして気づかなかったのだろう。

 ほんとどうかしてたとしか思えない。



「静かに過ごしたかったのに、嫌なこと思い出しちゃったじゃない。もう!」



 私は刺繍枠を棚に戻すと、隣の部屋で休んでいる侍女が目を覚さないように、そっと部屋を抜け出した。


 館は物音ひとつせず、静まり返っている。

 使用人たちが起き出す直前、早朝・日の出前の凍えるほど澄んだ空気は清々しい。

 昼間の騒がしさとは違ってとても新鮮に感じる。


 私は足音を忍ばせて、館内を歩き回った。

 悪戯をしている子供のように、ほんの少しの背徳感に胸が高まる。



(あら?)



 領兵の修練場の方から、金属を激しく打ち鳴らす音がする。



(こんな時間に誰が訓練してるの?)



 修練場に近づき、こっそりと中を覗き込んだ。


 背の高い黒髪の男性とメルドルフの衣装をまとった若者が、僅かな明かりの下、訓練用の剣を手に打ち合い稽古スパークリングをしているではないか。



(……イザークと副官だわ)



 護衛騎士としての務めとメルドルフの軍事部門の責任者としての職務を兼ねているイザークだ。


 自分の為に使える時間などほとんどない。

 けれど、騎士としての鍛錬を怠ることはできない。


 だから……、



(この時間に訓練をしているのね)



 私は初めて見るイザークの“戦士“としての姿に目が離せなくなった。


 いつもの紳士然としたイザークではない。

 飾らない素のイザークがそこに在るのだ。



(なんだかかっこいい……)



 イザークは訓練用の剣(それでもそれなりに重量がある)を易々と扱い、相手の打撃をいなし、正確に返していく。


 素人が見ても見事な太刀筋。

 剣戟の強さも剣捌きも一流だということがわかる。


 今度はイザークが攻撃を開始した。


 副官に向け鋭く重い撃を放つ。

 何合が激しく打ち合った後、副官は耐えきれずに剣を取り落とした。



「……降参です。隊長」



 副官が肩で息をしながら、剣を拾う。



「ハイデランドの騎士というのは、皆が皆こうなのですか?」


「いや、全員ではない。が、俺でも何回に一回かは負ける相手は多くいる」



 イザークは手ぬぐいで汗を拭い、



「メルドルフの兵にもそのレベルにはなってもらうつもりだ。まだまだ鍛錬が足りない」


「うわ、ますます訓練が厳しくなるってことですか。勘弁してくださいよ。……あれ? コニー様?」



 副官がこちらに顔を向ける。



(あ、まずい。気付かれちゃった!)



 こっそりしているつもりだったのに。

 イザークの眉が上がる。



「コニー様、こんな朝早くに何をなさっているのです??」


「あの、えっと……」



 私はざっと説明する。



「収穫祭が楽しみすぎて目が覚めてしまった、ということですか?」



 イザークは呆れたようにいった。

 副官も吹き出しそうなのを必死に堪えている。

 

 羞恥で顔が赤くなる。



「子供みたいだってのは自覚してるわ。でも本当に嬉しくて! 屋台も出るって聞いたの。大道芸人も来るのでしょう? 私、お祭りに行くの生まれて初めてなの」



 とうとう副官が笑い出した。

 イザークがため息をつく。



「まぁそういうこともあるのでしょう。ただ時間が早すぎます。今頃、侍女が案じておりましょう。部屋にお送りいたします」



 イザークは副官に片づけを命じると、ヒョイっと窓枠を跨ぎ私の隣に立った。



「ありがとう。……ごめんなさいね。鍛錬の邪魔しちゃったわ」


「いいえ、構いません。収穫祭、楽しみましょう。コニー様のご案内、精一杯努めさせていただきます」とイザークは腕を差し出した。


 私は腕を取り、小さく頷いた。


 イザークは優しい。

 この人はウィルヘルムとは違う。そんな気がした。

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