収穫祭と恋の呪《まじな》い。
「失礼いたします」
声とともに戸が開くと、メルドルフ人の侍女が盆を抱えて入ってきた。
私が起きたことを察し朝食を持ってきてくれたようだ。
「おはようございます。コニー様。お召し上がりになられますか?」
「ええ。食べるわ。ありがとう。テーブルに置いてくれる?」
私は急いで服を着替えると(メルドルフの服は一人で着脱できる!便利!)、席についた。
「コニー様。週末に収穫祭が行われるのですが、ご存知でいらっしゃいますか?」
メルドルフ人の侍女がライ麦の
この侍女はメルドルフ領主に着任したときから私の世話をしてくれていた。
当初は目も合わせてくれなかったが、最近は表情もほぐれ、合間合間に雑談をする程度には心を許してくれている。
時に市井の噂やら流行の出来事を教えてくれる庶民出の侍女の存在は、領主館に篭りがちな私にとって貴重だ。
「収穫祭? もうそんな季節かしら」
私は自分の椀に湯気の上がる粥を注ぎ、薬味を入れると匙でかき混ぜた。
帝国の暦だと収穫祭はもう少し後だった覚えがあるが……。
「ええ、左様でございます。畑の収穫もほぼ終わりました。あとは冬の備えだけです。他領のことは分かりかねますが、メルドルフではそんな季節でございますよ」
「なんてこと……。領主館にずっと詰めていたから、気づかなかったわ」
侍女はふふっと笑う。
「コニー様は日々政務に励まれていらっしゃるから、お気づきにならないのも当然です」
「あら、それって褒めてくれるの?」
「はい。心より尊敬申し上げております。これほどまでに民のことを考えてくださっている領主様はいらっしゃいませんでしたので」
「ありがとう。嬉しいわ。……ねぇ、収穫祭のこと、詳しく聞いてもいい?」
侍女によれば、厳しい環境のメルドルフでは、命を繋ぐ農作物の実りは何よりも尊ばれ重んじられる。
であるので、作物の実りを祝う収穫祭は数ある祭りの中でも一番重要で盛大に行われるのだそうだ。
実りを神に感謝し、一年を無事に過ごせたこと、また新しい冬を無事に越せるようにと祈りを捧げる。
神聖で重要なお祭りなのだという。
「神に感謝……」
(
帝都でも農作物の実る季節になると『収穫祭』と名をうった晩餐会や舞踏会が行われる。
ただし、へベテは帝国の技術や産業の最先端を行く場所である。
一次産業が衰退し貴族や富裕層の文化や技術が発展するにつれ、収穫祭が祭事である意味が薄れてしまっていた。
今では完全に形骸化してしまっている。ただ祝うことだけが残ったのだ。
けれどこの辺境の領メルドルフでは、帝都で失われた古の風習が消えずに伝えられているらしい。
豊穣の感謝を忘れ乱痴気騒ぎをするだけの帝都の収穫祭よりも、ずっと粋ではないか。
(メルドルフの美徳ね)
私は暖かい粥を口に運びながら、メルドルフの民に想いを寄せる。
「
「ええ、それはもう。メルドルフは冬が長いですから、皆、この祭事で冬を越すための気力を蓄えるのです。人々もここぞとばかりに着飾って、バルト中がとても華やかになります」
「収穫祭、あなたは行くの?」
「もちろんです。……あのコニー様。実はこの祭りにはもう一つ目玉があるのです。祭りの最後に……」
侍女は声をひそめる。
「願掛けの行事があるのです。一つだけ心から願えば叶うと伝えられています」
「へぇ! 面白いわね。すごく盛り上がるんでしょうね」
「会場中が湧き上がるほどです。私もそうですが、特に若い娘はこぞって願掛けを行います。この
「恋?!」
侍女は居心地が悪そうに身じろいだ。
「あ、申し訳ございません。私、とんでもないことを……」
「いいのよ。あなたが気にすることではないわ。皆知っていることですもの。私も気にしていないから」
私は明るく微笑んだ。
ウィルヘルムとの婚約破棄。
感情は抜きにして事実は事実。誰に知られようが、もうどうってことない。
侍女は慌てて言葉を足す。
「あの、コニー様。
「ふふ。わかったわ。一つだけ、ね。覚えておくわ。収穫祭に行けたら試してみるわね」
(収穫祭か。行ってみたいけど。仕事も詰まってるし、警備とか難しいかしら……)
上司のわがままは部下の負担になる。
護衛役であるイザーク――これがまた堅物なのだ――の説得も骨を折りそうだ。
でも。
メルドルフの庶民の息遣いも感じてみたい。領主といいながら、私はメルドルフのことをほとんど知らないのだ。
そして何よりも、
恋に効く……のは置いておいても、他にも願いたいことはある。これから必ず起きる出来事、絶対に避けたい事項があるのだ。
例え気休め程度であったとしても、試してみたい。
「ダメ元でも言ってみる価値があるわね」
アロイスとイザークに。
私は急いで朝食を終えると執務室へ向かった。
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