最終話 いつか笑顔になるために。

「コニー様!」



 イザークの私の名を呼ぶ声に、私は本を読む手を止めた。


 長い冬も終わり、メルドルフにもようやく春が訪れてきていた。

 特に今日は天気もよく空気も暖かだ。


 こんな日に屋根の下にいるなんてもったいない。

 私は仕事を放り出して、領主館の庭園にある東屋で読書をきめこんでいたのだ。


 それに来週には叙任のためにしばらくメルドルフを離れることが決まっている。こんな時に仕事なんかしている場合じゃない。


 もちろんサボりであるので、護衛騎士イザークには内緒だ。


 イザークは大切な人だし、愛してもいるけれど。

 たまには一人で過ごしたい時もあるものだ。

 あと数ヵ月後には一人で過ごすことなんて一生出来なくなるのだし。



(やっぱり見つかっちゃったか……)



 観念して私は本を閉じた。



「イザーク、ここよ!」



 私の声を聞きつけ、イザークが小脇に荷物を抱え東屋に駆けてくる。

 表情はあまりいつもと変わらない。そう怒ってはいないようだ。



「コニー様。お出になられるなら、一言伝えてもらわないと困ります」



 とイザークは荷物の中から分厚い敷物を出し私の腰の下に敷く。



「急にいらっしゃらなくなったので警備の者も肝を冷やしておりました。外は暖かいといって油断してはなりません。お体に障りでもしたら……」


「悪かったわ。ごめんなさい」



 そうは言っても、仕事をほっぽリ投げて出てきたわけだし。

 職務放棄したことには違いないのだ。堂々と言えることでもない。



「イザーク。私も小さな子供でもないのだから、そこまで神経質にならなくてもいいのよ。館の敷地からは出ないわ」


「いいえ、コンスタンツェ。敷地内といえど屋外です。今はあなただけの体ではないのです。何かあってはなりません。二度となさらないでください」



 イザークのこの心配性はどうにかならないものか。

 これから家族が増えていくのというのに……。


 だけど、これでは堂々巡りになるだけだ。こんな時は話題を変えるに限る。


 私はイザークの持っている荷物に目をやった。



「ねぇその布包みの中はなに?」


「あぁそうでした」



 イザークは私の隣に腰をかけ、包みを膝の上におく。



「北部の郡長からコニー様へと預かってまいりました。贈り物だそうです。故郷に帰還する前に直接あってお渡ししたかったのだそうですが、叶いそうにないということで」


「そういえば帰還は十日後だったわね」



 霊峰リギを含む山脈のふもとに位置する北部は、聖女の災禍、穢土の被害を最も多く受けた場所である。

 土地のほとんどを穢土にのまれ、住民達は仕事も財産も全て失い、領都バルトに避難を余儀なくされていた。


 この春。

 一年ぶりに彼らの古里への帰還事業が始まることになっていた。


 復興は始まったばかりで、土地は荒れ果て、住民の元の仕事は失われたままである。

 生活たつきを立てることは厳しい。経済の見通しは悪く、わずか一月ひとつき先も見えない状況。

 見切り発車もいいところだ。


 それでも、生まれ育った故郷に戻ることは住民にとって何事にも代え難い喜びでもあった。



『故郷に戻り平穏に生きること』



 それが避難民にとっては唯一の夢であり希望だ。

 人は未来への光がなければ生きて行くことは出来ないものだ。


 領主として多少無理をしてでも叶えてやりたい希望でもあった。


 アロイスや上級官僚、そして当事者である郡長と協議を重ねた結果、帰還を断行することにしたのだ。


 しばらくは領から支援を行うことになるだろうが、鉱山の開発や荒野の復旧事業が軌道に乗れば、以前よりは豊かな生活を営むことができることだろう。


 その故郷への帰還団の第一陣が十日後に出発する。



「ほんと見送りができないのが残念だわ」


「郡長もそう申しておりました。ですので、ぜひ受け取ってほしいとのことでした」


「何かしら」



 私は包みを開けた。

 中から出てきたのは、手のひらに乗るほどの小さな木彫りの鹿の像だった。

 細部までとても丁寧に彫られ、まるで今にも動き出しそうだ。



「見事な鹿ね」


「鹿はメルドルフの民にとって”平和と豊饒ほうじょう”の象徴なのだそうです。郡長と北部住民全員、コニー様とメルドルフ男爵家、生まれ来る子に多くの幸福がもたらされるようにお祈りします、ということです」


「うれしい。私は何て民に恵まれているのかしら。幸せね」



 豊かな森を駆ける鹿の群れ、そして森の恵みを受け取る領民たちの姿が目に浮かぶ。


 元の姿を取り戻すのに何年かかるか見当もつかない。

 数千年前からの恵みを全て失ってしまったのだ。同じだけの年月がかかるかもしれない。


 けれど、いつかあの森と動物たちを民に見せてやりたいと強く思う。

 彼らの心の底からの笑顔をもう一度見てみたいとも思う。



「……ねぇ、イザーク。私に出来るかしら?」



 私は真っ直ぐ前を向いたままイザークに訊いた。



「むしろ、あなたにしか出来ません。民を想い、民に想われるコニー様だからこそ、きっと成し遂げることが出来ると思います。あなたにはその力があります」


「買いかぶりじゃない?」


「まったく……。コニー様、いいえコンスタンツェ様。この私が終生の忠誠を誓い心を捧げた相手は、それほどの人なのですよ。信じていただけないのですか?」


「……もぅ。分かった。信じるわ」



 私の返事にイザークはこの上なく甘く、そして柔らかに微笑んだ。






 私の領メルドルフ。


 この帝国の西の端、豊かな森と荒野の広がるこの土地は、皇室ザールラント家の直轄領であった。

 だが、めぼしい産業もなく自然環境が厳しい辺境の領は、経費ばかりかかる負の遺産――そう評価され、惜しまれることなく手放された。



(私も同じだったわ)



 皇太子でもあり婚約者でもあったウィルヘルムに、二年もの間、妃と同等の生活を強要されながらもあっさりと婚約破棄された。

 ハイデランド侯爵家という権勢家の出身であり、高い教育をも受け最も未来の皇后に相応しいと、自他ともにそう認めていたというのに。


 女主人公シルヴィアの障壁となる悪女と判断され捨てられたのだ。



(でも、この世に不要なものではないわ)



 時を経るごとに、そう実感する。


 例えここが『救国の聖女』の世界であろうと、メインキャラクターではないエキストラだとしても、不必要なものは何もない。


 それぞれがそれぞれの世界で精一杯生きていくだけなのだ。



 だから私はこの辺境の大地で生きていく。


 メルドルフに根付き、いつか花を咲かせるのだ。

 大切な民と愛する人とともに。







読者の皆様へ。

最後までお読みいただきありがとうございます。

ここでコニーの物語は一旦終了となります。


このお話は異世界に転生し、特にチートな力のないエキストラが、もがき悩みながら生きていく……そんなストーリーが書きたくて書いたものです。

ですがコニーには苦難が多くちょっと辛めなお話となってしまいました(反省です……)

皆様に楽しんでいただけたなら幸いです。


この『婚約を破棄された悪役令嬢は荒野に生きる。』はWEBTOON(タテヨミ)スタイルの漫画として各種サイトで配信中です。

漫画は小説とは違う内容で展開されています。

よろしければこちらもお読みくださいね。


では。

皆様に多謝を。

またお会いしましょう。

       

吉井あん

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