第57話 全てはアロイスの掌の上。

 メルドルフまで通常ならば1週間。

 だがそんなに時間はかけられない。


 私はイザークと選抜した領兵を数人連れて、ハイデランドから早馬を借りメルドルフを目指すことにした。

 ハイデランド侯爵家の運営する駅で馬を換えながら、三日。

 夜も昼もなく駆ける。



(アロイスが無事でありますように)



 メルドルフを出てすでに2週間。

 何かしら異変があれば知らせがくる。


 ないということは無事だということ。

 頭ではわかっていながらも、気はく。



 四日目の昼になってようやくメルドルフの領主館に着いた。



 長時間の乗馬で足も腰も限界だった私に、イザークが腕を差し出した。

 イザークはフラつく私を抱き支え、



「アロイスはああ見えていて結構腕が立つのですよ。文官ですが、自分の身を守るくらいは出来ましょう。ご心配には及びません」



 と落ち着き払って言った。



「でもローマンは騎士でしょう? アロイスといえども危険だわ」


「……うーん。コニー様。ローマンに性悪……おっと、アロイスに歯向かうなど、そんな根性があるとは思えませんが」



 ローマンがシルヴィアの逆ハーレムから離れ、メルドルフに下ってからの直接の上司はイザークだ。

 淫行に溺れ心身ともに堕落した騎士を、それなりにまともなレベルにまでたたき上げた当人である。


 イザークはきっと正しい。



(あれ? もしかして……)



 私は勘違いしていた?

 ここまで来て無駄足であったとか、冗談にもならないじゃないか。

 思わず意地を張ってしまう。



「そんなことわからないでしょう? もしもシルヴィアに魅了されたままだったら……。アロイスは領になくてはならない人材よ」


「たしかに他にかえる者もいないほどの逸材であることは認めましょう。……はぁ。嫉妬してしまいますね」



 イザークが私の腰に回した腕に力を込めた。



「まさかアロイスに?」


 「ええ」と素直にうなずき、イザークは頬を寄せる。



「あなたは私の妻だというのに、他の男の名を呼ぶなんて。気が狂いそうです」


「あ……あのね、イザーク。アロイスは部下なんだから、それ以上ではないのよ。私が愛しているのはあなただもの」


「知っています」


 イザークは嬉しそうに私を抱きしめた。



(あぁもう、よりによってこんな時にデレるのやめて……)



 そう、ここは領主館の正面玄関前。


 私の帰還を聞きつけてわらわらと使用人たちが集まりつつあった。

 というのに、『人目を気にせずひたすらに領主である妻を抱きしめる強面騎士』の絵図を何と呼べばいいんだろう。


 付き添ってきた領兵たちと使用人たちには、やばいものを見たと目を逸らす者がいたり、新婚だからねっていう生暖かい眼差しを送るものがいたり。



(イザークの気持ちは嬉しいけど、これはこれで居心地が悪すぎるわ)



 領主自ら館内の風紀を乱してどうするの……。








「……ということがあってね。アロイスに何かあったのではないかと戻ってきたの」



 私は久しぶりに戻った自分の執務室のイスに座ったまま、小さくなる。

 向かい合わせた席に座るメルドルフ筆頭行政官アロイスは如何にも愉快そうだ。



「全く早計にも程がありますね。報せがないのは変わりがない証でしょうに」



 そうなのだ。

 大急ぎで帰ってきたものの、メルドルフはあっけないほどに何事もなかった。


 使用人や臣下たち、アロイスはいつもと変わらない様子で、それぞれの日常を過ごしていたのである。


 思い返してみれば、ハイデランド侯爵邸を出る前から、イザークは焦っている様子もなかった。

 おそらくこうであろうと知ってて言わなかったのだ。



(イザークも意地悪だわ)



 教えてくれてもいいんじゃないか。



「あなたの命が危ないのではと心配で。無事でよかったわ」


「ほぅ。私を暗殺しようとするやからがいるのですか。それはそれは。一度会ってみたいものですね」



 アロイスは爆笑したいのを何とか堪え神妙な表情をつくる。


 大胆不敵にも狙って欲しいとでも思っているようだ。

 けれど何故だか暗殺者のほうがものすごい報復を受けそうな気がする。



「それでローマンはどこにいるの?」


「ローマン……あの淫売シルヴィアに攻落させられた情けない騎士ですか? 存じておりますよ」



 ご案内いたしましょう、とアロイスは仕事の手を止め書類庫に向かう。

 アロイスは行政棟の最奥、古ぼけた扉の前に立ちゆっくりとノブを回した。



「コニー様が新婚旅行を兼ねた休暇を切り上げても会いたかったローマンは、こちらですよ」



 アロイスに気づいた人影が、慌てて立ち上がった。



「コンスタンツェ様にべルル殿、リーツ隊長まで……」



 憔悴しきったローマンがひざまずき口上を述べた。


 埃まみれの姿から察するに倉庫整理を命じられたのか。

 騎士であることをハーレムメンバー時代も忘れず、身だしなみに気を遣っていたローマンの面影はなかった。



「どういうことなの? アロイス」


「彼はどうも不埒な考えに囚われておりましたので、道を正すために、改めて教育をいたしました」



 教育。

 イザークよりも狡猾で冷淡なアロイスの行う教育が如何なものか。

 おそらくは力技で呪縛を解除でもしたのだろう。

 ものすごく嫌な映像が浮かぶ。


 うん。触れないでおこう……。



「ローマンは聖女の呪縛から抜け出せておりませんでした。けれどもコニー様。私やイザーク卿が気づかぬわけはありません。そうだろう、イザーク卿」



 アロイスはイザークに同意を求める。イザークも反論はせず、申し訳なさそうに眉を下げた。



「コニー様の周りに少しでも脅威になるものを置いておくことはできませんから。内々に対処いたしました。お知らせしなかった事は、お許しください」



 私は言い返す事ができなかった。


 そうだ。

 アロイスは他領の状況も正確に把握し対処できる男だ。内憂を放っておくはずはない。

 あぁ何てことだ。



「ごめんなさいね。私、早とちりをしてしまったわ。領主として冷静に当たらねばならなかったのに」


「いいえ、早期帰還は良い判断でした。これから帝都は政情が不安定になりましょうし」



 いつの間にやらアロイスは南領の蜂起も皇軍派兵も把握しているらしい。



(まぁ仕掛けた当事者だし。当たり前ね)



「敵の牙城では、コニー様をお守りすることはできませんからね。一刻も早く帝都から離れていただきたかったのです。皇帝はあなた様を監視下におくつもりでしょうから、監禁される前に戻ってこられて幸いでした」



 まさしく災い転じて福となす。

 知らず知らずのうちに命拾いしたようだった。

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