第39話 そして嵐は過ぎ去った。
「いい加減なことを言うな!」
ウィルヘルムは椅子を蹴り上げる。
石張りの床に投げ出された椅子は派手な音を立てて転がり、やがて壁際でとまった。
「貴様、何様のつもりだ! 俺が皇太子を降ろされるだと? 根も葉もないことを、べらべらと。平民如きが誰に向かって物を言っている!」
ウィルヘルムは怒りに我を忘れ、アロイスに掴みかかった。アロイスは芝居がかった様子で大げさに眉を上げ首を傾げる。
「まさかの逆上、でございますか。はぁ何と狭量な。これがこの国を支配する者の皇子とは……。皇族の底が知れる。自らが無能だと言っているようなものですよ、殿下」
「何だと‼︎」
「おや図星でしたか。だとすれば、これまた残念なことだ。聖女を悦ばすスキルばかり磨き、他は切り捨ててしまわれたご様子。帝国の将来は昏いですな」
と侮蔑を込めた笑みを唇に浮かべる。
アロイスには皇族も畏れる相手ではないらしい。
ここぞとばかり浴びせかける
(でも全部私の代わりに言ってくれてるのね……)
不条理に捨てられた元婚約者として
だが今はメルドルフの領主だ。
上に立つ者が民の前で醜態をみせることなどできない。
それを踏まえてのアロイスの言動だ。
(ほんと感謝しかないわ。私の部下はなんて優秀なのかしら)
けれど、それもここまで。
これ以上は冗談では済ませなくなる。
「アロイス。そこまでになさい。もう十分よ。ありがとう」
私はイザークに指示しアロイスと皇太子を引き離させた。
ウィルヘルムは卑屈に笑う。
「何だコンスタンツェよ。護衛騎士のみならず、その小生意気な奴もお前の男なのか。次から次へとよくぞたらしこんだものだ。俺に捨てられて傷心していると思ったが、楽しんでいるようじゃないか」
「……いい加減になさいませ、ウィルヘルム殿下」
さすがに見苦しい。
あの輝いていたウィルヘルムがここまで堕ちたとは信じられない。
堂々として自信にあふれていたあの頃の姿はもうどこにもなかった。
ひどい別れ方をしたけれど、かつては全身全霊で愛した人だ。
一国の皇太子のこんなに情けない姿を見たくはない。
「どうしてこうなってしまわれたのでしょうか。私が知る殿下は誇り高く思慮深いお方でした。こんなお姿を拝見することになろうとは夢にも思いませんでした」
聖女シルヴィアの運命の相手として創造主に選ばれたウィルヘルムは、『救国の聖女』の中では凛々しく主人公に一途でダントツにかっこよかった。
全てが完璧な皇子様に見えた。
だが私の目の前に項垂れるウィルヘルムにはその面影はない。
恋に狂わされ皇太子の地位も危ういただの惨めな
立場が変わり見え方が変わったのか、それともエキストラがイベントに干渉したせいで原作が変わってしまったのか。
(どちらでもいいわ。もう……)
原作などどうでもいい。
気にするのはやめにしよう。
優先されるのは自分の気持ちだ。
「ウィル、浄化してくれた事には感謝しています。でも二度とメルドルフに来ないで。私の前に現れないでほしい」
視界から消えてくれるのなら、それでいい。
「あなたの幸せを祈ってるわ」
「コンスタンツェ。俺はお……」
「ウィルヘルム皇太子殿下。メルドルフ出立の準備が整ったようです。協議も終了いたしましたし、急ぎ帝都にお戻りになられた方がよろしいのでは?」
アロイスが間に割って入りウィルヘルムの言葉を遮る。
ウィルヘルムはアロイスを苦々しく見つめ、何も言わずに謁見の間から一人出て行ってしまった。
「ちょっとウィルヘルム、待って!」
「皇太子殿下!」
逆ハーレムメンバーとシルヴィアが慌てて後を追う。
(これで何とか終わったか……な????)
やっと息がつけると茶碗に口をつけようとした時、ドアの手前まで来た所でシルヴィアはピタリと足を止め、私のところまで引き返して来た。
「帰る前に言っとかないと気が済まないわ。コンスタンツェ、全部あんたのせいよ。異端者のくせに、どうして天啓通りに死ななかったのよ。あんたが死にさえすれば、全部上手くいってたのに!」
「シルヴィア様⁉︎」
雪崩の前、そういえば天啓がどうとか言ってたっけ。
「何で邪魔ばかりするの! メルドルフに来るまでは、あんたに会うまでは全て上手くいってたの。私はいい男に愛されて、皆から大事にされて過ごしてたのよ。帝国皇太子と結婚して幸せになるはずだったのに!」
シルヴィアは唾を飛ばしながら私を罵倒する。
比類ないほどの美女(外側だけ)だけに壮絶だ。
私はシルヴィアの勢いに呆気に取られてしまった。
「邪魔などしておりません。ただただ生きるために懸命に努力しているだけです。あなたのように創造主の加護がない
ここは『救国の聖女』の世界。
主人公が偏愛され全てが主人公に都合の良く進む世界だ。
つまりはメインキャラクターにとってはイージーでもエキストラにはハードな世界でしかない。
労働をせねば糧を得ることもできず、さらに医療は未熟。いとも簡単に死んでしまう。
その場所で精一杯生きていくしかなく、結果がこうなっただけだ。
「ご自身を慈しみお大事になさいませ。聖女はあなたしかおられません。世界を救うことができるのはシルヴィア様、あなただけなのです」
私生活は最低でも、聖女は聖女だ。
「なんなの、あんた! いい子ぶってんじゃないわよ! 腹黒のくせに!」
シルヴィアは右手を持ち上げると、勢いよく振り下ろす。
が、その腕は空中で止まっていた。
イザークだ。
シルヴィアの何倍も太い拳がガッツリ掴んでビクリともしない。
「聖女様。これ以上の無礼はお控えいただきたい」
「あんたはっ‼︎ 手離しなさいよ!」
イザークが力を緩めシルヴィアを開放する。間をおかず、今度はアロイスがシルヴィアに腕を差し出した。
「
「いらないわよ!」
シルヴィアはアロイスの腕をはたき落とし、肩をいからせながら部屋から出て行った。
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