第38話 恐るべきは行政官アロイス。

 皇太子とその一行は、アロイスの宣言がよほど想定外であったのか、息を呑んだまま唖然としている。


 おそらくメルドルフの前に浄化を行なった南部でも同じように金銭を求め、今回も……と企てた所、思いもよらぬ反撃にあったというところだろう。


 ショックからなんとか持ち直した逆ハーレムメンバーの一人が怒声をあげた。



「皇太子殿下と聖女様に救済していただいたというのに、無礼にも程がある! 田舎者は礼儀も知らぬのか! 非礼を今すぐ詫びよ!」



 謁見の間の窓が震えるほどの音量と勢い。

 だがアロイスは揺らぐ様子もなかった。わざとらしく瞳を大きく見開き、



「これは驚いた。皇太子殿下と男妾あなた方は恋敵同士。犬猿の仲だと思っていたんだが、勘違いしていたようだ。皇太子を庇い立てするほどにだったのか。この場でこれほど素晴らしい兄弟愛を見せられるとは思わなかった」



 メルドルフ側に失笑がもれる。


 人の口には戸は立てられないとはよく言ったもので、緘口令を敷いていたにも拘らず、皇太子一行の野営地や離れでの行為は既にメルドルフの一部の層に知られていた。


 個人的には胸がすく思いがするが、これ以上は皇室の権威とメルドルフの品格に関わってくる。



「アロイス、口が過ぎるわよ」


「失礼いたしました。コンスタンツェ様。心の内がつい漏れ出てしまいました」



 では議題に戻りましょうと、アロイスはメルドルフと私の印章入りの書類を取り出し、皇太子一行の前にうやうやしく広げた。


 外交条約時にしか使用されない格式の高い用紙を用いた上に芸術的な美しい飾り文字で彩られた最高ランクの公文書だ。

 残念なことに書かれてあることは色気も雰囲気もない損害に対する賠償要求なのだが。

 しかも途方もない額の、である。


 アロイスは丁寧な手つきで公文書を皇太子の正面に置く。



「メルドルフからの公式見解でございます。どうぞご確認ください」



 ウィルヘルムは一瞥すると、



「……文官よ。アロイス・べルルと言ったか、我々は浄化をやり遂げたのだ。感謝されても批判される覚えはない。こんなふざけた内容、到底受け入れることはできない」



 と公文書を投げつけ、空色の、かつては見惚れた瞳に憎悪を宿らせて私を睨みつけた。まるで責任は私にあると責め立てているかのようだ。


 けれども私もアロイスも何一つ間違ったことはしていない。

 むしろ誤っているのは皇太子のほうだ。


 私は唇を噛み締め顔を上げる。



「お言葉ですが、殿下。皆様方がメルドルフに到着されたのはこちらの要請より五ヶ月も後のことです」



 皇室に要請を出したのは秋も盛りの頃。使者は一か月後に、浄化に取り掛かった時は春に入っていた。



「あなた様方が淫行に身を浸している間にどれだけの被害が広がったか、一度でもお考えになられたことはございますか? あなた様方が自らの欲望に忠実であればあるほど、我がメルドルフの民は家や土地を失い、我が領は貴重な資産を消失させていたのです。もしも要請後すぐに浄化していただければ最低限で済んだというのに」


「あぁつまり。お前はこのザールラント帝国皇太子に謝罪せよと言うのか? そうか。謝罪の言葉が欲しいのならやろうではないか」



 横柄に放たれた皇太子の言葉を受け、アロイスが突然笑い声を上げる。



「帝国の皇太子がここまで愚鈍だとは思いもよりませんでした。言葉での謝罪など、必要ありません。無意味です。皇太子殿下、私どもが求めているのは真の誠意と謝辞です。それさえ頂ければ良いのですよ。簡単なことです」


「だから謝罪を……」


「お分かりになりませんか? 真の誠意、そして謝罪を表現できるもの、それは」



 アロイスは人差し指と親指をすり合わせ、



「この世では金子きんすだけです。皇太子殿下」



 冷徹に言い放った。


 確かに謝罪の言葉だけでは心は満たされても腹は膨れないし領地の復興もできない。

 全てにおいて資金は重要だ。


 ぐうの音もでない皇太子を華麗に無視して、アロイスは魔法の込められたペン(偽造ができないまさしくファンタジーなペン!)で、公文書に訂正をいれはじめた。



「こちらの請求額はなかなか厳しいかもしれませんが、帝国の面子でどうとでもなりましょう。とりあえずメルドルフでの聖女さまへの慰謝料を差し引いて……」



 ちらりと横目でアロイスの手元を覗いてみる。


 二十年先も運営資金に困らないほどの額が記載されているではないか。

 我が領の行政官の大胆さに寒気が走る。



「うーん、まぁこれくらいでしょうか。悪くない金額だと思われます。皇帝陛下宛に訂正の親書をお送りしておきましょう」


「陛下だと⁈ お前、この一件を私の断りもなく父上に奏上したというのか!」



 ウィルヘルムが顔色を変え声を荒立てた。


 皇帝は絶対だ。この一件が公になれば実の子であっても断罪するだろう。

 皇帝には側室も多くいる。

 後継者には困ってはいないはずだ。



「皇太子殿下。何か勘違いなさっておいでですが、これは正当な請求であり、すでに殿下の一存でどうこう出来る段階にはありません。正直、お伝えする必要もなかったのですが、当事者が知らないのは公正フェアじゃないと考慮したまでです。ちなみに」



 そこまで言うと、アロイスは侍女に命じて茶を入れさせる。出てきた茶を皆に勧め、自らは優雅にすすった。



「三日前にメルドルフから帝都へ使者を遣わせました。帝国最速と評されるハイデランド侯爵家の早馬を使いましたので、今日あたり到着しているはずです。もしかしたらもう謁見が行われているかもしれません。ご覚悟なさった方がよろしいかと、ウィルヘルム殿下」

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