第36話 私はあなたに恋してる。

 皇太子と聖女との謁見。

 今回のイベント最後の山場だ。

 これを乗り切れば、この災禍に終止符を打つことが出来る。


 私は謁見に備えて食事をとり湯浴みをした。

 怪我にいいというハーブのコモンマロウとエキナセナが溶け込んだ青色の湯は、五日間寝込んで固まっていた身体をほぐしてくれる。


 おかげで気力が戻って来た。

 イザークやアロイスが控えてくれているものの、あの皇太子とシルヴィアと正面から立ち向かうには覚悟が必要だ。



(正直、何の準備も出来ていないわ)



 雪崩の後、私は寝ていただけだ。



(それでも上手く切り抜けないといけない)



 そう、これは勝負なのだ。

 皇太子の元婚約者であるハイデランド侯爵家の姫ではなく、メルドルフ領の代表として必ず勝たねばならない。



(民のためにも。そして私のためにも)



 過去を振り切るために。




 私はメルドルフの盛装に身を包み、侍女の助けを受けながら自室を出た。


 ここからはメルドルフ領主として隙を見せてはならない。

 弱った姿は民の不安を誘う。


 私は背筋をしゃんと伸ばし、杖を使いながら歩き始める。

 一歩足を出すごとに激痛がはしった。

 背中に脂汗が浮かぶが、平然を装い何とか前へ進む。

 数歩進んだ時、



「コニー様!!!」



 すこし離れた場所で控えていたイザークが駆け寄ってきた。



「無理をなさってはなりません。怪我は重いのですから」


「大丈夫よ。平気だから」


「まったく。こんな時は素直になっていただきたい。……失礼いたします」



 と言うとイザークはしゃがみこみ、有無を言わさず私を抱えあげた。



「え。ちょっとイザーク???」



 突然ぐっと視界が上がり、とっさにイザークにしがみついた。

 意図せずしてイザークに密着してしまうことになってしまった。


 頬が触れそうなほど近くにあるイザークの横顔。

 琥珀色の瞳と数々の戦場を渡り歩いた精悍な顔立ちについ見惚れてしまう。


 イザークも私の視線に気付いたのかふっと頬を緩めた。



「謁見の間までお連れいたします。こちらの方がコニー様のお体に負担が少ないと思われますので」



 イザークの鍛えられた厚い体躯とほんのり香るイザーク自身の香りに、頭がくらくらしてくる。


 この感覚はなにか分かっている。

 過去に経験しているから。



(私はイザークが本当に好きなのね)



 私は今、どんな表情をしているのだろう。



「コニー様。ちゃんとつかまっておいてください」


「ええ、えっと?!」


「ではまいります」



 イザークの声が心なしか弾んでいる。


 確かにイザークの言うように身体の状況を考えると支えられても一人で歩くのは厳しい。

 けれど謁見の間――自室からはそれなりに離れているのだ――まで抱きかかえられたまま行くとなると、色々支障がある。



(第一、私の心臓がもたないわ……)



 イザークと心を通わせたのはついさっきなのだ。

 気持ちを自覚をしたばかりだ。


 それなのにこう優しく触れられてしまうと(しかも傷に障らないように細心の注意がこめられているのがわかるほどに)、心拍数も体温も跳ね上がってしまう。


 顔どころか首筋までも赤くなっているのが自分でもわかる。

 

 これでは「私はこの男に恋をしている」と全力で宣言しているようなものだ。


 それに通りすがる使用人たちの「ああ」「とうとう」という何かしらを察した眼差しはどうだ。悪いことをしているわけではないが、いたたまれなかった。

 


(館の者には知れ渡ったことではあるし、事実だけども……)



 何となく気恥ずかしい。

 が、当のイザークは気にした様子もないようだ。私を抱きかかえたまま、事も無げに廊下を進んでいく。



「コニー様。恐れることはありません。何があろうと必ず私がお支えいたします。私だけではありません。アロイスもこの領のすべての民もあなた様がどれだけ民に尽くされておられるのか知っております。お忘れなきように」


「ええ、分かってる」



 謁見の間の扉の前に、行政官の礼装に着替えたアロイスが待っていた。

 足音も立てずにするりと私たちの横に並ぶ。



「さて。コニー様、イザーク卿。決戦の場です。覚悟を決めて、参りましょう」



 私は拳をぎゅっとにぎりしめた。

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