第35話 この世界で変わらないもの。

 イザークの言葉になんだか胸が熱くなる。

 いや胸だけでなく体中が熱い。


 骨折した足の痛みなど気にならないくらいに。


 本当にこの護衛騎士は優秀じゃないか。任務に忠実で何より誠実だ。今も私の気を紛らわせて欲しいという願いを叶えてくれた。


 ……なんて冗談でも思えない。


 イザークの言葉には虚など何処にもないように感じる。彼の心からの言葉、本心だ。

 全てを捨てても私を想ってくれているのだ。騎士としてではなく一人の男性として。



(シルヴィアの言っていた通りなのかもしれないわ)


 イザークは私を想ってくれている。好いていてくれるのだ。



「二度としない。イザークの前からいなくなったりはしないわ。もう無茶はしないと約束するから……そんな顔しないで。“メルドルフの守護者”がらしくないわよ?」


「申し訳ありません」


「謝らないで。イザーク。私はあなたに救われたのだから」



 知らず知らずのうちに涙が零れ落ちる。


 この一年、私を取り巻く世界は目まぐるしく変わった。

 皇太子の婚約者の侯爵令嬢から不貞を働いた元婚約者へ。侯爵家を追放されメルドルフの領主へ。そして今は聖女と対峙し失態を犯してこの様だ。


 自分でもうんざりする。

 当人がこうなのだから、私の周りにいる者や使用人たちはより辟易しているだろう。実際に多くの者が私の元から去っていった。昔から仕えている者は極僅かだ。


 人は状況によって変わるものなのだから彼らを責めることはできない。

 かつて永遠と信じていた皇太子との関係もあっさり終わってしまったではないか。



(でもイザークは違うわ)



 変わらずにいてくれていた。

 私が彼を認識する前から、ずっと想い続けていてくれたのだ。


 きっとこれからもイザークは変わることはないと何故だか分からないけれど確信していた。

 私がどれほど変わろうとイザークだけは変わらずにいてくれているだろう。


 それが今の私には何より嬉しかった。

 身体だけでなく、心までもイザークは救ってくれたのだ。


 私は涙を拭い、イザークの肩に顔をうずめた。



「あなたがそんなに昔から私のことを思っていてくれていたって知らなかったわ。どうして気付かなかったのかしら」


「身の程知らずな想いですから……。あなた様は皇太子殿下の婚約者で閣下のご令嬢でした。ですのでこれは死ぬまで私の心の内におさめておくべき事柄でした。ただあなた様が身罷ってしまうと思うと抑えられなくなり、吐露してしまいました」


「そんなこと言わないで。言ってくれなかったら私は気付くことはなかった。イザークの気持ちがすごく嬉しいの。ありがとう」



 このままイザークの胸の中で甘えることが出来たならどんなに幸せだろう。


 でも、まだだめだ。

 私にはやらなければならない事がある。


 この状況が落ち着いたなら、いつか私の後ろではなく隣に立って欲しい。

 その望みのためにも今無理してでも土台を固めておく必要がある。



「ゲホン、あー……」



 寝室のドア付近から咳払いがする。



「あえて空気を読まずに、お二人の間に割って入る事をお赦しください。そろそろよろしいでしょうか。コニー様」



 この声は行政官アロイスだ。

 湯気の上がる食事の乗った盆を持ち困り顔で立っていた。



「ア……アロイス?!」


 わぁ見られてたの?

 なんだか気恥ずかしい……。

 顔中赤くなる。



「そろそろこうなる頃合だと思っておりましたから、ご安心ください。コニー様がイザーク卿に淡い恋心を抱いておられることも、イザーク卿がコニー様に対して主人に対する以上の感情を持っていることも、既に周知の事実ですから」


「え? 皆知ってたの?」


「ええ、この館の下働きの者までも存じておりますよ。あなた様がたお二人を見て気付かぬ者は、よっぽどの間抜けしかおりますまい」


 私は間抜けだったのか……。

 アロイスはやれやれとあからさまにため息をつき、


「まぁとにかく無事にお目覚めになられて安堵いたしました。このままではそこの唐変木までもぶっ倒れる所でしたから。今は腑抜けておりますがね、こんな体たらくでもイザーク卿はメルドルフの重臣。業務が出来なくなると非常に迷惑をこうむるところでした」


 と言いながら盆をサイドテーブルに置いた。


 アロイスによればイザークは雪崩に巻き込まれた日から私の身の回りのケアの時以外は離れずにいたらしい。思いつめた表情で食事もろくにとらず、私の目覚めをただひたすら待っていたのだという。



「ちょっとした美談になっておりますよ。強面護衛騎士の献身ぶりが」


「……アロイス。その辺にしてくれ」



 さすがのイザークも居心地悪そうにしている。アロイスはしてやったりな面だ。



「ところでコニー様。お目覚めになられて早々で申し訳ないのですが、処理をせねばならない事がございます」


「……そうね。わかってる」



 皇太子と聖女シルヴィア。

 人格は最悪だが、最大の目的、穢土の浄化だけは成し遂げている。

 領主として礼はつくさねばならない。人としての道理だ。



「彼らは今何処にいるの?」


「南の庭園内の離れです。まだまだメルドルフの空気は冷たいですから、体調を崩されてはなりません。ゆえにこの館で一番暖かい場所で寛いでいただいております」



 動き回られるのを防ぐために軟禁している、ということだろう。皇太子一行にいい感情を持っていないアロイスのやりそうなことだ。


 私はイザークの手を借りて立ち上がる。

 激しい痛みが身体を駆けるが、この件だけはかたをつけなければならない。

 大丈夫。何とかなりそうだ。



「では謁見をしましょう。準備をしてちょうだい」

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