第32話 さようなら。レディ・コンスタンツェ。
「私が憎い?」
シルヴィアからは好かれてはいないということは知っていた。
だが、この場で、公務中である今、私的な悪感情をぶつけてくるとは思いもよらなかった。そもそもあからさまに嫌悪感を浴びせかけられるなどと、公私含めて初めてのことだ。
衝撃で声が震える。
「シ……シルヴィア様。なぜ私にその様なことをおっしゃるのです?」
「今伝えとかないとと思ったの。今後コンスタンツェさんと会うこともないだろうから」
「えっ」と私はシルヴィアをまじまじと見る。
「最後に伝えておきたかったのよ」
シルヴィアは聖人が貧しい人々を慈しむかのように両手を広げる。
「あなたの男が私の誘いを断った夜、久しぶりに天啓をいただいたの。この場にコンスタンツェと一緒に来るようにとご教示してくださったわ」
神妙に言い芝居がかった様子で頭を下げると、シルヴィアは胸の前で腕を組んだ。
そして哀れみの眼差しを私に向ける。
「あなた異端者なんですってね。想定外の存在だと。あなたはシナリオどおり退場すべきだと神がおっしゃってたわ。お可哀想なコンスタンツェさん」
「……シルヴィア様のおっしゃる意味が分かりません」
口でそう言いつつも、私の心は穏やかではなかった。
私に前世の記憶があることを創造主は気付いていたのか?
まさか?
――いや、ありえたことだ。
作者はこの世界の創造主にして支配者なのだ。私の登場で違和感くらいは感じていたのかもしれない。それがシルヴィアの件で確信してしまったのだろう。
創造主にとって都合の悪い私をここで退場=殺害させようとしている。
この可能性も十分にあったというのに。
私は備えていなかったことを後悔した。
「コンスタンツェさん。私、とっても悔しかった」
シルヴィアは私の葛藤をまるっと無視し話を続けた。
「あなたの騎士、イザーク・リーツに拒まれてすごく傷ついたの。聖女になって望みがかなわなかったのは、初めてだったから。皇太子でさえ二つ返事で私の元へ来たというのに、一介の騎士であるイザークが拒否するなんて。訳が分からなかった」
シルヴィアは白くすらりとした指を唇に当てる。
やや厚みのある唇がぬらりと照り、白昼というのにまるで夜伽後のように淫らだ。
「だってあなたより私の方が魅力的なのに。男ならば誰もが抱きたがる。なのにイザークはなびかなかったの」
「選択したのはイザーク自身です。シルヴィア様を求めなかったのもイザークの意思です。尊重していただけますか」
「その応え、ほんとむかつく。……守られているのが当たり前だと思っているから、恐ろしく鈍い人ね。イザークはあなたのために断ったというのに、あなたを想っているのに、当の本人はそれさえ気づかないだなんて。愚かだわ」
「イザークが私を?」
想っている?
騎士としてではなく、一人の男性として?
そうであるならば事あるごとに発していた『一生側にいる』という言葉の意味が変わってくる。
護衛騎士であるというフィルターを外してその言葉を鑑みてみると、何と熱がこもっているのだろう。
(告白されているのと同じじゃない。私……何してたの……)
私は自分の至らなさを恨む。
あの時認めていたならば……。
「彼、ハンサムでしょ? いい身体してるし、それにあれもとってもよさそう。どんな顔をして私に愛を語ってくれるのかしら。果てる時はどんな言葉を吐くのかしら。ねぇコンスタンツェさんは知ってるのでしょ? 教えてよ」
「シルヴィア!」
なんてことを言うのだ。この聖女は。
否、聖女と呼ぶのも汚らわしい。
「だってあなたがいなくなったら、
シルヴィアは霊峰を指差した。
「話している間に浄化が終わったわ。亀裂もふさがったし、穢土も消えたわよ?」
中腹に出来た亀裂から瘴気と魔物があふれ出し穢土が覆いつくしていたはずの霊峰は、いまはただ静かに荒れた大地を顕にしていた。
ひとときの静寂を破り、遠くから山鳴りがする。
木が裂け谷を転がり落ちる音が辺りに響く。
「山鳴りが……」
胸騒ぎがする。
(何が起ころうとしている?)
私は必死に記憶を掘り起こす。
いつだったか……。そうだ。バルトの行商人が言っていたではないか。『雪の花が多い年は冬が緩い』と。
たしかに今年の冬は暖かく、雪が少なかった。
特に亀裂のあるこの辺りも例年の半分程度の雪しか積もらなかった。
このメルドルフ北部の冷涼な地も例外ではない。
いつもよりも一月以上早く春が来てしまっていた。
さらに今日は異常に温かい。
初夏を思わせる強い日差しが雪面に反射して、残った雪を溶かし始めていた。すでにところどころに地表が出ている。
再びドオンと木々が崩れる劈くような音が鳴り渡った。
(ここにいてはだめ! 逃げなくちゃ)
――雪崩が来る。
穢土は全てを飲み込み腐らす。
霊峰の急斜面に接するこの場所も冬の間に幾度となく雪崩に襲われてはいた。が、大地を多い尽くした穢土により、雪は取り込まれ雪崩の被害を出すことはなかったのだ。
兆しが分からなかったのはそのせいだ。
だが、今。
聖女の浄化により穢土は消えた。防護壁が消滅したのだ。
つまり……。
「あら、今頃気付いたの? でももう遅いわ」
シルヴィアはひょいっと身を翻し、数メートル先の巨石に飛び移った。
「バイバイ、コンスタンツェさん。ああ、違うわね。ごきげんよう。レディ・コンスタンツェ?」
「シルヴィア!!! 待って!!!!」
私は足をもつれさせながら、シルヴィアの方へ走る。あの岩ならば避けることが出来るはずだ。もう少し、もう少し……。
雪埃が辺りを包み込み、轟音とともに白い壁が尾根を下り迫ってきた。
「コニー様!!!!」
必死に駆けてくるイザークの姿が遠くに、でもはっきり見えた。
(ごめん、イザーク)
次の瞬間、私は雪崩に飲み込まれ意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます