第31話 瘴気と聖女は毒を吐く。

 そうして私とシルヴィアは亀裂へ向かうことになった。


 このシルヴィアの申し出にイザークは猛烈に反対した。

 聖女と皇太子一行に悪感情を抱いているイザークとしては、私を一人にしたくはないらしい。気持ちは分かるが、亀裂までは目と鼻の先の距離。


「過保護もほどほどにしておいて?」


 と渋るイザークを説き伏せ(ものすごく大変だった!)、声は届かないがすぐに駆けつけることが出来る程度に離れて随行させることにしたのだ。



 この選択は間違ってはいなかったとしばらくして確信した。


 全ての元凶である亀裂に近づくにつれ、言うまでもなく瘴気の濃度も土地の汚染も激しくなり、同行メンバーの中にはかなり離れた位置で待機していても身動き取れなくなる者も出始めていたのだ。


 聖女の加護があるとはいえ、これだけの濃度の瘴気はカバーしきれないのだろう。

 あのイザークでさえも時おりつらそうな表情を見せる。



(ここまでね)



 後ろ髪を引かれる思いで彼らをその場に残し、穢土の影響を受けない聖女であるシルヴィアと不具合エラーの私は、先に進む。


 今考えなければならない事は亀裂の浄化のみだ。

 浄化さえ終了すれば全て終わるのだ。

 大儀を忘れてはならない。


 私とシルヴィアは一言も話さずに、真っ直ぐに亀裂へ向う。ごつごつした岩の間を縫うように歩き亀裂のにようやくたどり着いた。


 あわ立つ大地に沸きあがる瘴気……地獄のような景色の只中に、底知れぬ闇を抱えた亀裂が横たわっている。

 亀裂の底から叫び声のような、獣の唸り声のような風が吹き上がる。あまりの不気味さに背筋が凍る。


 だがシルヴィアは顔色一つ変えず平然としていた。

 しばらく亀裂を眺め、飽きたのか踊るように軽やかな足取りで亀裂に近づくと、独り言のように語り始めた。



「私はね、神の言葉が聞こえるのよ。コンスタンツェさんたちの信じるこの世界の神ではないのだけどね」



 突然の告白だった。


(神の言葉……? 教会が信奉する神ではないということは、もしかして創造主の……作者の指示があるってこと?)


 ここは『救国の聖女』の世界。愛すべき主人公には創造主からの全推しがある。もその一環なのだろうか。若干やりすぎ感もあるけれど。



「ある日、何の前触れもなく天啓が下るようになったの。ほんとうに突然だったから、最初は戸惑ったわ。だけどその言葉に従うだけで、不思議ね。聖女になれた。年寄りの金持ちに妾として親に売られそうになった私が、食うために身体を売っていた私が聖女によ? 笑えるでしょう?」



 シルヴィアは両手を天に掲げた。


 浄化を行うようだ。

 いつもの浄化作業の時と変わらぬ淡々とした様子で二三祝詞を口ずさむ。

 程なくして天から日の光を反射し煌く燐粉が舞い落ちてきた。



「でも聖女と呼ばれるようになると、おかしなことに自分が望むものが易々と手にはいるようになったの。それこそ夢見たもの全てがね」



 健康で強靭な身体。使い切れぬほどの富。愛してくれる男達。


 ――そして人々の尊敬。


 今まで蔑まれていたシルヴィアとしては、人々から王族からさえも切望される生活は快感だった。



「それまではどれだけ望んでも何一つ手に入れることはできなかったの。温かい食事も食べられないレベルで貧しくて苦しいだけの日々だったから。それが聖女になって世界が変わったわ。食事も自分を愛してくれる相手も、時おり聞こえる天啓に従うだけで好きなだけ手にできるの」



(愛してくれる相手って)


 私の婚約者だった皇太子ウィルヘルムのこと?

 ウィルヘルムをシルヴィアが望んだのか、作者が意図したのかは今更分からない。が、何と安易に奪っていってくれたものだ。

 おかげでこちらは大変な苦労をしたのに。


 シルヴィアは憎悪の光をともした瞳で私を睨んだ。



「だからこそ、あなたが嫌い。コンスタンツェ・フォン・ラッファー。何でも手にできるあなたが憎いわ。私が天啓っていう奇跡によってやっと得たものを、あなたは生まれながらにして持っているんだもの」

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