第30話 悪意。

 霊峰リギ。

 山脈がつらなる中にあっても最も秀麗な姿をしているこの山は、古よりメルドルフの民の信仰の場である。


 そんな霊峰の、未だ深く残る雪の中を私たちは進んでいた。


 山の天気は安定しないというが、幸いにして快晴。

 しかも聖女の祝福は天にも届いたのか、春とは思えない程の陽気であった。



 今日は汚染の元凶である亀裂の浄化を行う。

 ついに浄化の旅の目的を達する時が来たのだ。


 これが完了すればメルドルフは完全に汚染から解放され、再び立ち上がる事ができる。

 

 穢土によって森林は失われ荒野に変わってしまったが、民の力で新しいメルドルフに生まれ変われるはずだ。



 

 浄化の旅の強引なスケジュール運行で身体は疲れきっていた。

 けれど、気持ちが昂ぶっているせいか足は自然と前に出る。


 それは私だけでなくシルヴィアも同じだった。足取りも心なしか軽いようだ。



「シルヴィア様。今日は頑張っていらっしゃいますね。見直しました」



 いつもであれば、疲れただの足が痛いなど不平不満が漏れ出す頃なのだが……。



「勘違いしないでくれる? コンスタンツェさん。私は自分のためにやってるんだから。早くこの辺境から離れて文化的な街へ帰りたいだけ」



 シルヴィアは不機嫌そうに言った。


 初日に獲物イザークを取り逃がして以降、恋愛至上主義のシルヴィアにとってストレスフルな状態が続いている。


 ハーレムメンバーの一人は離脱し、ちやほやしてくれるのは皇太子と逆ハーレムメンバーのみ。彼らと単体で楽しむことしか出来ていなかったのだ。


 質もだが数にもこだわるシルヴィアだ。そろそろ好みの男と遊びたくなったというところだろう。

 どうやら悪い癖がうずき始めているらしい。



「今だから言うけど、聖女の務めとはいえ、ただ寒いだけのこんなクソ田舎に来たくなかったの。ここに来る前の南部は気候も穏やかで楽しかったわ。賭場もあったし。ほんと最高だった。メルドルフは何にもないうえに、いい男すら全然いないじゃない。最悪よ」



 シルヴィアは旅の疲れからか悪態をつく。


 最初は取り繕っていたが、イザークに断わられシナリオが変わった辺りから本性を隠すことはしなくなっていた。


 もともと平民の出。貧しい家柄であったと聞く。

 育ちは侮れないということか。



(シルヴィアは聖女の任務が落ち着いた後が大変そうね)



 今は聖女として敬われ短所も大目に見られているが、後々皇太子と結婚すればそうもいかなくなるだろう。

 感情を顕にするのが下品とされている上流階級で、このシルヴィアが上手く世渡りすることは厳しそうだ。


 見た目は女神のように美しいというのに。

 なんと残念な聖女様だろう。



(彼女を妻や恋人にするのは苦労が絶えないでしょうね)



 けれどローマン曰く「こんな女初めてだ(好き)」と皇太子と逆ハーレムメンバーは心底思っているらしい。


 原作と作者の呪縛から無条件に愛してしまうのだろうが、シルヴィアの所業と心根を知ってもなお愛するというのは、女の私からすれぱ頭沸いてるんじゃ? なんて思ってしまうのだが……。


 男性の気持ちはよく分からない。



(イザークやローマンのように自我を取り戻してくれたらいいのだけど)



 けれど私が思い悩むのは筋違いだ。

 決めるのは彼らなのだから。


 とりあえず、メルドルフのことを悪く言われるのはいい気がしないことは確かだ。



「シルヴィア様。たしかにメルドルフは帝都と違い娯楽もありませんし、あなた様のおめがねに適う殿方はいないかもしれません。ですが、殿下との絆を深めることができたではありませんか。未来の皇太子妃としてお目出度いことです」


「ねぇそれ嫌味?」



 と言うとシルヴィアは足を止め、眼前の岸壁を見上げた。


 大きな岩が積み重なる岸壁には、一応道らしきものが作られてはいたが、人が一人通れるか通れないかの微妙な按配である。


 驚くべきことにシルヴィアは躊躇することなく岩に手をかけると、男性でも戸惑うであろう岸壁を軽々と登り始める。


 創造主に愛されている聖女は身体能力にも優れているらしい。苦労もなくすいすいと上がっていく。


 まったくどれだけの能力をもっているのか。

 主人公というのはうらやましい限りだ。


 私の方はというと、イザークに支えてもらいながら、なんとか岸壁を登るという始末だ。

 既に登り終えていたシルヴィアは私の情けない姿を一瞥し鼻で笑う。



「コンスタンツェさんは私を持ち上げてるけどさ、ホントのところは自分が座るはずのイスを奪った私が許せないんでしょ。平民が最高位に就くなんて侯爵令嬢のプライドが許すはずないわよね」



 皇太子との婚約破棄。

 すでに過去のことだ。

 もうこだわりはない。


 たった数ヶ月まえのことだが、驚くほどに何の感情もなかった。

 自分でも薄情すぎるかな? と思うほどに。



「いいえ。何一つ恨み事などごさいません。殿下自らシルヴィア様をお選びになられたのです。私は今の人生も悪くはないと満足しております」


「どうだか」


「皇太子殿下と聖女様。これ以上の釣り合いの取れるお相手はいないでしょう。私はもうすでにハイデランド侯爵家の人間ではありません。それに貴族ではありますが無爵位ですから」


「そうね、その通りね。あなたにはウィルヘルムはもったいないわ。戦闘狂の田舎騎士程度がお似合いね」



(戦闘狂の田舎騎士?)



 シルヴィアが美しい顔を歪め、憎々しい視線を渡す先には――当然イザークがいる。

 よっぽど振られたことが腹ただしいらしい。


 イザークは口元を微かに緩め、軽やかに会釈をした。

 シルヴィアは舌打ちをし、



「ねぇコンスタンツェさん。ここから先は私と二人で行きましょう? あなたは瘴気の影響を受けないのだし、二人の方が身軽よ。さくっと終わらせましょう?」


 と強引に私の手を引いた。

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