第28話 高鳴る胸と隠せない想いを。
「俺が聖女を愛する事が決められている? 誰がそんなことを言ったのですか。馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
イザークは不可解そうに首をひねる。
――そう決められていたのだ。
(だって小説の世界なんですもの……)
ここは小説『救国の聖女』の物語であり、
世の中全てが主人公であるシルヴィアを中心に回っており、作者の愛すべき娘シルヴィアの思うがままに周りが動かされてしまう世界だ。
だからシルヴィアがどんなに淫らであっても許容されてしまうのだ。
どれだけの人と愛し合おうが、他人の大切な人を奪おうが、シルヴィアは”ティーンズラブ小説”の主人公なのだから。
でもこれは言わなくてもいいこと。
私やイザークにとって小説の世界が現実に生きている唯一の世界である。知ったところで何も変わらないのだ。ならば知らない方がいい。
(他の世界なんて私たちにはないの。ここで生きているのだから、この世界が全てだわ)
小説ではシルヴィアはイザークを
だが今回シルヴィアはイザークを誘いはしたが、成功はしなかった。
つまりイザークがシルヴィアの誘いを断ったことで『救国の聖女』のイベントが失敗してしまった、変わってしまったことになる。
メインキャラクターの絡むその章の重要なイベントを、エキストラである私たちが干渉し変更可能ということが証明されたのではないか。
(小説に書かれていることが全てではなくて、メインキャラクターが絡んだとしても小説どおりといかないのかもしれない)
そう。イザークがシルヴィアの元ではなく、私といることが全てだ。
(私たちは思った以上に自由に生きることができるのね)
何と喜ばしいことだろう!
「あら、イザーク。あなた怪我をしているの?」
私はイザークの大きな拳に目をやる。
鍛えられた拳には出来たばかりの生々しい傷がいくつかついていた。
酔って転んだりでもしたのだろうか。
私はハンカチを取り出し拳に巻きつけた。指先が寒さに凍えてしまっているためか、えらく不恰好な仕上がりだ。
「イザークはシルヴィアに魅かれていたでしょう。シルヴィアがメルドルフに来てから、ずっと目で追っていたから不安だったの」
「ああ、確かに。
「追わされていた?……好きで見ていたのでは無いの?」
イザークは私の手を遮り、器用に巻きなおす。
「シルヴィアは、聖女は綺麗な人ですよ。絶世の美女といってもいいでしょうね。ですが、コニー様。俺はアロイスの密偵の報告書を読んでいる。あれを読んで魅かれる奴がいるのなら、そいつはよっぽどの好き者だ。自分にそんな趣味はありません」
ここまで言い切れるのならば、イザーク本人にその気が欠片もないということだろう。
やはり原作の強制力はすさまじい。
「……操り人形のように体が言うことをきかなかったんです。頭にモヤがかかり、聖女のことしか考えられなくなった。何かの呪いのようでしたよ。なぜああなってしまったのか理解できません。とにかく今は元通りです」
「本当に良かった。あなたをシルヴィアに奪われてしまったら、とても耐えられなかっただろうから」
「コニー様」
イザークは深酒のせいか月下でも分かるほどに上気した顔を、私に向ける。
「あなたが救ってくれたのです。聖女に召される前に、あなたが俺に触れて離れるなといってくれた。それで我に返ることができたのですよ」
「私がイザークの呪いを解いたの?」
「ええ、そうです。あなたの言葉で俺は戻ってくることが出来た。コニー様。何度も言ってますが、俺はあなただけのものだ。あなたが手放さない限り、あなたの側から離れません。第一、生涯あなた以外に心を動かされることもないのですから。だから恐れなくてもいいんです。無駄に不安にならないでください」
「あ……ありがとう、イザーク」
私は思わず涙ぐんでしまう。
イザークは私の元からいなくなったりはしない。作者に取り上げられることはないのだ。
(なんだろう。ものすごく胸が熱い……)
職責から出たと分かっていても、イザークの熱のこもった言葉にどうしても胸が高鳴ってしまう。
心臓の音が煩い。
認めたくはないけれど、そろそろ認めなくてはいけないのかもしれない。
「酒の勢いに任せるとは。どうにもいけないですね。
「天幕へお送りいたしましょう。明日も出立は早朝です。少しでもお休みにならないとなりません。お体に障ります」
「ええ。そうね。戻りましょうか」
私は差し出されたイザークの腕をとり、天幕へもどった。
もうすぐ夜明け。
浄化の旅は続く。
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