第2章 『救国の聖女』
第20話 聖女が町にやってきた。
皇太子の紋章が入った豪奢な
お仕着せを着た御者が恭しく扉を開ける。
現れたのはかつての婚約者と妖精の様に愛らしい女性だった。
「久しいな、コンスタンツェ」
ウィルヘルムは出迎えた私達一同を横柄に見渡した。
あの日と寸分違わないウィルヘルムがそこにいた。
何もかも変わらない。
金色の髪も明るい空色の瞳も。贅沢な衣裳も。
端整な顔立ちも。
(違う世界の人のようだわ)
ほんの数ヶ月前までこの男が婚約者だっただなんて思えない。
(私は着る物も住まいも変わったけれど、彼は何も変わっていない)
政敵である権勢家令嬢との婚約破棄――一方的で自分勝手な行為であったのに、ウィルヘルムは何のペナルティも受けなかったようだ。
私とウィルヘルムの待遇差に心がざわつく。
が、今は領主として務めを果たさないとならない。
あくまでもにこやかに穏やかに務めねば……。領民のためだ。
私はあえて上品にふかぶかと頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました。皇太子殿下、そしてシルヴィア様。首を長くしてお待ちしておりました」
ウィルヘルムの影に隠れるように立っていたシルヴィアがひょこっと顔を出す。
「コンスタンツェさん、私のこと怒らないでくださいね」
ワタシノ コトヲ オコラナイデクダサイ。
いきなり何を言っているのだろう。
これは公務、つまりは仕事中ではなかったか。
あまりのことに頭が追いつかない。
「えっと、突然のことで混乱しておりますが……。シルヴィア様、私があなた様に対して怒っている、もしくは今後怒りを抱くようになる、と仰りたいのですか?」
「ええ。だってあなたとウィルヘルムは以前婚約していたでしょう? 今もあなたはウィルヘルムのことが好きなのは分かっています。でも、ごめんなさい。私とウィルヘルムはお互い愛し合ってるの。嫉妬とかしないでくださいね」
「……」
私は呆れて声もでない。
さすがはラブロマンス小説『救国の聖女』の主人公だ。
すべてが恋愛基準だとは。
皇太子との関係を維持したままで色々な男性との恋(肉体的なものも含む)を楽しみ、堂々と逆ハーレムを作ってしまうのだから、それなりのものはあるだろうとは思っていた。
だが、公式の場の第一声が私に対する牽制だとは想像の斜め上だ。
「シルヴィア様。私と皇太子殿下との関係はすでに終わっております。殿下に対して個人的には何の感情も抱いておりません。これからも変わることはないでしょう。ご安心ください」
「本当に?」
「ええ、嘘は申しておりません」
いや、違う。
激怒している。
あなたたちが南部の離宮で“酒池肉林バカンス”を楽しんでいたおかげで、メルドルフに来るのが大幅に遅れ、甚大な被害を受けたことに。
「そうかな。ウィルヘルムみたいな素敵な人を、そう易々と忘れられるとは思わないけど?」
「シルヴィア様、申し上げた事に、偽りはございま……」
「コンスタンツェ様」
私の苛立ちを察したアロイスが割って入ってきた。
挑発に乗ってはいけないと鈍色の瞳が訴えかけてくる。
「宴の支度ができております」
「あぁ、そうだったわね」
私は大きく息を吸い気をとりなおし、
「皇太子殿下、シルヴィア様、そしてご一行の皆様。長旅でお疲れでしょう。館へご案内いたします。どうぞこちらへ」
と述べると軽やかに微笑んだ。
とうとう原作小説『救国の聖女』のシナリオが始まった。
今は二巻目の中ほどだったはずだ。
『救国の聖女』はその名の通り「平民出の美しい聖女が穢土や魔物を浄化し国を救う」物語だ。
ファンタジー定番の設定だが一味違うのはジャンルがティーンズラブだということ。
当然、ジャンルとしてのお約束である”濃厚な恋愛模様”が章ごとに繰り広げられる。
純粋で魅力あふれるシルヴィアは皇太子と逆ハーレムメンバーを引き連れて帝国内を巡りつつ、各地で出会う多種多様なイケメンたちとも恋をする。
今回、帝国南方の領の浄化(と恋愛合戦)を終え、私たちの再三の要請の末にようやくメルドルフに到着した彼女のターゲットは……、
元悪役令嬢であり現領主コンスタンツェ・フォン・ラッファーの護衛騎士イザーク・リーツ。
コンスタンツェの横暴に耐えながら渋々仕えているイザークを、シルヴィアはもって生まれた天真爛漫さで懐柔し身も心も解放させることになっている。
そう、原作では。
現実のシルヴィアも小説どおり美しい。
なぜだか目を奪われる。女の私でさえも抗えられない魅力を感じる。
設定どおりイザークも彼女を愛してしまうのだろうか。
その腕でシルヴィアを抱きしめるのだろうか。
考えるだけで、じくじくと胸が痛む。
この感情を……私は知っている。
かつてウィルヘルムに抱いていたあの想い。
もしもまた奪われることになったとしたら、あの屈辱に私は再び耐えられるのだろうか。
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