第19話 物事は思いも寄らぬ方向に向うこと。

 穢土の惨状と自分の不甲斐なさ痛感する旅を終え、私は甘えも迷いも捨て、自分のやるべきことに集中した。


 前世の記憶があり、この世界が『救国の聖女』という小説であることを知るレアな存在である。

 スペシャルであるがゆえに特異な能力もあるかもしれない。


 ……と思い込んでいた情けなさと驕り。

 今となってはたまらなく恥ずかしい。



(自分は特別でもなんでもないわ)



 ただのこの世界に生きる人間、コンスタンツェ・フォン・ラッファーだ。

 過去にこだわっている暇はない。



(聖女が訪れるまでに何とか持ちこたえなくては)



 民の命がかかっているのだ。

 私に浄化の力がない以上、他の手段で支えねばならない。


 扉をノックする音がする。

 私は手を止め、入室を促した。



「コニー様!」



 声の主は行政官アロイスだ。

 ここ数日、常に厳しい表情であったのに、少年のような面差しが明るく輝いている。今日は機嫌が良さそうだ。



「喜ばしい報せです。北部の住人の移住が完了いたしました」


「あら、予定よりも半月ほど早くない?」



 穢土の最端から半径二十キロ圏内の全ての住人の南部への移住を命じたのは二ヶ月前。

 災禍に見舞われているとはいえ、先祖代々住んでいる土地と生活の基盤を全て奪われることとなる住民達は、強い難色を示していた。

 幾度も協議し合意にいたったのは、ここ最近のことだった。



「えぇ。支援策を打ち出したのもありますが、初冬の視察でコニー様自らおいでになられたということが、住人にとって良い判断材料となったようです」


「私が? あの視察は失敗だと思っていたのに。意外だわ」


「どのような物事も完全なる失敗ということは、ありえません。完敗など、とても珍しいことです。結果的に上手く行ったということも、ままあるものです」



 アロイスはニヤリと口元に笑みを浮かべる。



「コニー様のおかげですよ。都会育ちの元侯爵令嬢がメルドルフの服を着、雪にまみれて兵と動かれる様は、虐げられた人々にとっては喜びであったようです。新しい領主は民に寄り添う方だと強く印象付けることが出来ました」


「その程度のことで?」


「その程度のこと、です。皇室が、これまでの支配者が、如何にこの領と民をないがしろにしてきたかということでございましょう。前領主との差異を見せ付けることが出来ましたのは幸いです」


「たしかに皇室の方々も代官も、民に思いを馳せることなどなさらなかったでしょうからね」



 生まれながらにして恵まれた地位にある者、常に他人に奉仕を受けることになれた者は、自分以外の他者に対する関心が極端に少なく、機微に鈍感になる。


 ハイデランド侯爵家の娘であった以前の私もそうだった。

 瞳はくもり、正しくモノを見ることができていなかったように思う。


 皇太子ウィルヘルムの婚約者であったころ。

 臣下や平民達に対して気高く接する彼に憧れを抱いていた。

 神々しく次期皇帝に相応しいと心底思った。


 そんなウィルヘルムを、かつての私は愛していた。

 妄信していた。



(でも今思えば……あの高慢で尊大な態度、一身をささげた私に対する非情な仕打ち、とても上に立つ者が行うことではなかったわ)



 口車に乗せられて、周囲の反対も振り切って参内し、純潔まで捧げ尽くしてしまった。

 恐ろしいほど浅はかだった。



「コニー様、いかがなさいました?」



 動きを止めた私を不審に思ったのか、アロイスが声をかける。



「ああ、ごめんなさい。皇太子殿下のことを思い出してしまって」


「皇太子……。ウィルヘルムとかいうあの下衆ゲスのことを、でございますか?」


「ちょっとアロイス、下衆だなんて。皇室の方のことをそんな風に言うものではないわ」



 あの婚約破棄事件は帝都や貴族の間で衝撃と驚愕をもって受け止められた。


 完璧な侯爵令嬢が婚約者である皇太子から捨てられ、実家であるハイデランド侯爵家からも追放されたのだ。


 その理由が『ハイデランド侯爵令嬢コンスタンツェが何某なにがしという貴族の令息とただならぬ関係にある』だとなれば、大スキャンダルにならないはずはない。


 全てが皇太子の良いように改変されたことを知り、当時かなり腹がたった。

 どの口が? と。


 まぁ過ぎたことだ。

 今更どうでもいい。


 アロイスの言葉を借りるならば、失敗の影に成功あり。

 婚約は失敗したがメルドルフと、そしてとても大切な部下を得ることができたのだから。



 だがアロイスは納得していないらしい。



「あなた様を弄び捨てたクソを尊べと? 深い傷を負わせたカスを許せと? 到底出来ません。……ですが、コニー様のご命令とあれば従います」


「そうしてちょうだい。アロイスの心まではどうしようもないけれど、表面だけでも取り繕って欲しいわ。来週には、聖女様と皇太子殿下ご一行がメルドルフに到着なさるでしょう。穢土を浄化できるのは聖女様しかいないのよ。民のために、丁寧にもてなしましょう」



 そうして出来うる限りの準備をし、何とか体裁が整ったころ……



 聖女がメルドルフにやってきた。

 長い冬が終わり、まだ春の浅い頃のことだった。

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