第18話 無用な能力。
「森が、なくなっている……」
私は呆然と立ちつくた。
「左様でございます。領主様。霊峰の亀裂から瘴気と魔物が扇状に流れ出まして、全て奪っていきました」
「なんてことなの……」
これほどの被害とは。
原作の小説にもなかったではないか。
「しかも日々少しずつ広がっていっているのです。領兵の方々も力を尽くしてくださっておられるが、如何せん、人の与り知らぬこと。奇跡を望む他はありません」
奇跡。神の奇跡。
そうだ。
これを止めることの出来るのは、聖女だけだ。
聖女が浄化の儀式を行えばすぐに被害は治まるのだ。
だが聖女はここにいない。
穏やかな南部でバカンス中だ。
(ラブロマンス小説だから仕方のない事なのかもしれないけれど、身勝手すぎる)
メインキャラクターの裏では
「しかし、ひどい臭いだ……」
イザークが顔をしかめ、マフラーで鼻を覆う。
(え、何のこと? ひどい臭いって?)
私は辺りを見回した。
領兵・案内人の木こりまで、皆が皆一様にしかめっつらをし顔の下半分に布を巻きつけているではないか。
(ウソでしょう? この場所が臭うの? おかしな臭いはしないわ)
私は領兵の一人を呼び、状況を訊く。
「腐敗臭がします。腐った肉と魚が混ざったような臭いとでもいいましょうか。私は生まれてこのかた、これほどひどい臭いを嗅いだことはありません。吐き気を抑えるので精一杯……。正直お許しいただけるのならば、一刻もはやくここから離れたいです」
それほどなのか。
けれど私は何も臭わない。
「イザーク」
私はイザークの袖を引き、
「穢土から臭気があがってきてるのね? 私、ぜんぜん感じないの。どうしてかしら」
イザークは眉をしかめる。
「こんなに酷いのに、ですか? 全く感じられないと?」
「ええ。何も臭わない。森と雪の匂いがするだけだわ。さっきもらった護符のおかげかしら」
古代の聖女の遺物は、現代の堕落した聖女と違って霊験あらたかなのだろうか。
「いいえ、それは違います。祝福といえど大昔の聖女ものです。この惨事を回避できるほどの、そこまでの力は残ってはいないでしょう」
(遺物のおかげではないということね。体調が悪いと嗅覚がおかしくなることもあるけど……)
健康だ。
ということは……。
(もしかして私が小説の中に入り込んでしまったから
作者からすれば私が自作のキャラクターに転生するということなど、意図せぬことだろう。イレギュラーな出来事に違いない。
悪役令嬢役で物語の序盤で退場する私が、小説の世界を自由に動き回る。
完全に想定外のはずだ。
それで私は何も臭わない――つまりは穢土の影響を受けていない、のかもしれない。
(試してみる価値はあるわ)
私は”よし!”と心の中で唱え深呼吸をする。
「イザーク、穢土の側まで行ってくるわ」
「は? いけません、コニー様。あまりに危険すぎます」
「大丈夫よ。一人で行く。あなたはここで待っていなさい」
「コニー様!」
イザークを振り切り、私は転がりそうになりながら崖を駆け下りた。
なんとか降りきり、後ろを振り返る。
絶望的な顔色をしたイザークや領兵たちが、私の名を呼びながら崖を下ってくるのが見えた。
まぁ、あの人たちは体を鍛えるのが仕事だ。心配は要らないだろう。
私はゆっくりと穢土のそばに歩み寄った。
間近でみる穢土は禍々しいというほかない。
ありえない色に変色した地中からぼこぼこと泥が吹き立っている。
ところどころに半径一メートルほどの半球状のふくらみがあり、限界に達するとガスを撒き散らしながら弾け散る様は、前世で語られる地獄そのものだ。
私は足元の小石を拾い投げ入れてみる。
じゅっと音を立てて消えた。
(うん、なんか駄目そうな感じ。でも)
私は穢土にゆっくりと指を伸ばす。
予測が間違っていなければ……。
「おやめください!!! コニー様!!!」
背後からイザークの悲痛な叫び声がする。
構わず私は穢土に指を浸し引き上げた。
しばらく指先を見つめ、頷きながら口元を緩ませる。
(思ったとおり、私には効かないのね)
数分前と違うところもない。
キズ一つない、変わらない指先。
悪臭を感じないように、この穢土も私には作用しないのか。
「コニー様!!!」
臭気を必死に耐えながらイザークが駆け寄ってきた。
頑強であるはずのイザークの息は荒く、体も小刻みに震えている。
「イザーク……」
私は肩を落とした。
(この効果は私だけなのね)
原作では聖女は強大な力をもち、汚染された土地に立つだけでも、周りに居る全ての人間への加護を与えていた。しごく自然に。
だが私の直ぐ側にいるイザークと兵たちは、瘴気にあてられ苦しげにしているではないか。
ということは聖女のように周囲に影響を与える力はないらしい。
つまりは私だけ。
エラーの私にだけにしか作用しない。
――何の役にも立たない
なのだ。
なんということだ。
私は災厄に対しては、無能だった。
「……イザーク。無茶してごめんなさい」
「コニー様?」
いつの間にか頬に涙が伝っていた。
自分の無力さに辟易する。
心の奥では期待してしまっていたらしい。
聖女のような力があれば、と。
あるかもしれない、と。
しかし、これが現実だ。
きちんと向き合って対応せねばならない。想定外だとしても領主として領民の命を守る責任はある。
私は涙を拭い、
「イザーク。理由は分からないけれど、私にこの災禍の影響は出ないみたい。だけど残念なことに災禍は聖女にしかおさめられないようだわ」
「……落ち込まれることはありません。コニー様に聖女のような力がなくとも、領主としての能力が備わっているではありませんか。バルトへ戻りましょう。アロイスと話し合う必要があります」
我がままを言いここまできて、無力だと悟る自分だけが無事だという最悪な状況。
であるのに、イザークはどこまでも優しい。
「そうね。帰りましょう」
ありがとう、イザーク。
私は胸の中で礼を言い帰路に着いた。
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